慶州 石氷庫(경주 석빙고) - エリア情報 - 韓国旅行情報

慶州 石氷庫(경주 석빙고)

慶州 石氷庫(경주 석빙고)

10.6Km    2023-03-21

キョンサンブク道キョンジュ市イヌァン洞

「石氷庫(ソクピンゴ)」は石で作られた天然の冷蔵庫で、宝物に指定されています。505年に氷を保存したという記録があり、新羅時代のものであると考えられてきましたが、現在の石氷庫は朝鮮時代の1738年に作られたことが分かりました。石氷庫は入口が月城の中にあり、長さ12.27メートル、幅5.76メートル、高さ5.21メートルで、すべて加工された石材でできています。天井はアーチ型で、長方形の石材の3ヶ所に通風のための穴が開けられており、床の中央には排水路があります。

ウィヨンジェ(為然斎)(위연재)

ウィヨンジェ(為然斎)(위연재)

10.7Km    2024-12-19

キョンサンブクト キョンジュシ チョクセムギル 7
+82-10-9384-1000、 +82-10-5694-2426

「ウィヨンジェ」は、慶州歴史遺跡地区の向かい側に位置する韓屋で、瞻星台、大陵苑、雁鴨池などの主要観光地を徒歩で行けます。建築当時、新羅時代の遺物が出土された宿舎であるため、一泊するだけでも千年古都の慶州を実感できます。客室は全てオンドル部屋で、客室ごとにバスルームを備えて利便性を高めました。文武客室に付いているヌマルは周辺の景色を眺めながら写真も撮れる名所です。無料朝食を提供し、専用駐車場もあります。 

寿石亭(수석정)

寿石亭(수석정)

10.7Km    2024-02-23

キョンサンブク道キョンジュ市ネリギル41
054-748-0835

寿石亭(スソクチョン)は、国立慶州(キョンジュ)博物館から10分のところにあり、見た目もきれいな韓定食が味わえるお店です。看板メニューは粗挽きカルビ焼き定食です。真鍮製の器に盛られた温かいおこげ湯から始まり、アワビ粥、粗挽きカルビ焼き、宮中チャプチェなど、丁寧に作られた料理が楽しめます。食後には、ドライフルーツとスジョングァ(桂皮を煎じたお茶に蜂蜜を入れた飲み物)が提供されます。周辺の観光スポットには、慶州陵只塔(ヌンジタプ)址、慶州南山塔谷(ナムサンタプコク)摩崖仏像群、慶州南山弥勒谷(ミルッコク)石仏座像があります。

ナドゥル韓屋(나들한옥)

ナドゥル韓屋(나들한옥)

10.7Km    2024-12-19

キョンサンブクト キョンジュシ チョクセムギル 4-1
+82-10-5011-7738

慶州の「ナドル韓屋」は、伝統韓屋の建築様式と現代の利便性を組み合わせた新築の韓屋ステイであります。客室はオンドルと寝室で構成されていて、客室ごとにトイレ及びバスルーム、温度調節器を設置しています。共用空間のラウンジには、自動コーヒーマシン、浄水器、トースター、電気レンジ、電気ケトル、非常薬などがあり、すべて無料で利用できます。朝食も無料で提供されます。慶州の瞻星台から徒歩1分の距離にあって、周辺の有名旅行地も徒歩移動が可能で、旅行が便利であります。 

慶州歴史遺跡地区[ユネスコ世界遺産](경주역사유적지구[유네스코 세계문화유산])

慶州歴史遺跡地区[ユネスコ世界遺産](경주역사유적지구[유네스코 세계문화유산])

10.7Km    2025-03-12

キョンサンブク道キョンジュ市テジョンロ757

2000年11月、ユネスコ世界遺産に登録された「慶州(キョンジュ)歴史遺跡地区」は、新羅時代の古都である慶州の歴史と文化がそのまま残された遺跡地域です。遺跡の性格によって、5つの歴史遺跡地区に分かれています。まず、新羅の仏教美術の宝庫である南山地区です。慶州の南山は野外博物館と言われるほど、新羅の息遣いが聞こえることろで、新羅王朝が終わりを遂げた鮑石亭や塔谷の磨崖彫像群、天龍寺址の三層石塔、七仏庵の磨崖石仏、仏谷の石仏坐像など、37の仏教遺跡があります。次に、新羅千年王朝の王宮であった月城地区です。鶏林、新羅王宮の別宮であった東宮と月池、そして東洋最高の天文施設である瞻星台などがあります。3つ目は新羅王や王妃、貴族たちの古墳群分布地域である大陵苑地区です。区画によって、路東里古墳郡、路西里古墳群、皇南里古墳群、五陵古墳群、財買井などがあり、墓の発掘調査で当時の生活を把握できる金冠、天馬図、土器など、貴重な遺跡が出土しました。4つ目は新羅仏教の精髄である皇龍寺地区で、皇龍寺や芬皇寺の石塔が保存されています。そして、5つ目は王京の防御施設である山城地区で、400年前につくられたと推定される明活山城が含まれています。

※慶州歴史遺跡地区には計52の指定文化遺産が、世界文化遺産地域に含まれています。
南山地区(史跡)
・菩提寺磨崖石仏(地方有形文化遺産)、弥勒谷石仏坐像(宝物)、茸長寺谷三層石塔(宝物)
・石仏坐像(宝物)、茸長寺址磨崖如来坐像(宝物)、天龍寺址三層石塔(宝物)
・南澗寺址幢竿支柱(宝物)、南澗寺址石井(文化遺産資料)、慶州南山里三層石塔(宝物)
・慶州拜里石仏立像(宝物)、潤乙谷磨崖仏坐像(地方有形文化遺産)、三陵(史跡)
・仏谷石仏坐像(宝物)、神仙庵磨崖菩薩半跏像(宝物)、七仏庵磨崖石仏(宝物)
・塔谷磨崖彫像群(宝物)、慶州南山三陵渓石造如来坐像(宝物)
・三陵渓谷磨崖観音菩薩像(地方有形文化遺産)、三陵渓谷磨崖石迦如来坐像/線刻如来坐像(地方有形文化遺産)
・三陵渓谷線刻六尊仏(地方有形文化遺産)、笠谷石仏頭(地方有形文化遺産)、寝息谷石仏坐像(地方有形文化遺産)
・列岩谷石仏坐像(地方有形文化遺産)、薬水渓谷磨崖立仏像(地方有形文化遺産)
・白雲台磨崖石仏立像(地方有形文化遺産)、鮑石亭址(史跡)、慶州南山城(史跡)、書出池(史跡)
・逸聖王陵(史跡)、定康王陵(史跡)、憲康王陵(史跡)
・奈勿王陵(史跡)、祇摩王陵(史跡)、景哀王陵(史跡)、慶州蘿井(史跡)
・慶州南山洞石造龕室(文化遺産資料)

月城地区
・鶏林(史跡)、慶州月城(史跡)、東宮と月池(史跡)、瞻星台(国宝)
・奈勿王陵鶏林月城地帯(史跡および名勝)

大陵苑地区
・味鄒王陵(史跡)、慶州大陵苑一帯(史跡)、五陵(史跡)
・東部史跡地帯(史跡)、財買井(史跡)

皇龍寺地区
・慶州皇龍寺址(史跡)、慶州芬皇寺模塼石塔(国宝)

山城地区
・慶州明活城(史跡)

慶州大陵苑一帯(경주 대릉원 일원)

慶州大陵苑一帯(경주 대릉원 일원)

10.7Km    2025-05-07

キョンサンブク道キョンジュ市キェリムロ9

慶州 路東里古墳群
慶州(キョンジュ)中心部・路東里(ノドンリ)一帯にある古新羅時代の古墳群で、 鳳凰台(ポンファンデ)/飾履塚(シンニチョン)/金鈴塚(クムニョンチョン)などがあります。鳳凰台は高さ22m、直径82mで、皇南大塚(ファンナムテチョン)に次いで大規模な墓です。 鳳凰台の南にある飾履塚は、盛り土をした封墳の高さが6.5m、直径30mで、1924年の調査では、棺を置く槨(クァク・トッノル)を設けた積石木槨墳であることが明らかになりました。内部からは耳飾り、硝子製の玉で出来た胸飾り、銀製の帯、銀製の腕輪、環頭大刀、双龍環頭大刀、馬具、漆塗りの器などが出土しました。特に金冠や金銅冠の代わりに金銅製の履物が出土し、模様も独特で大変すばらしいものであったことから、この墓の名称も飾履塚と名付けられました。 鳳凰台の南側にある金鈴塚もやはり1924年に調査した墓で、長方形のくぼみを掘った後、底に河原の石や砂利を敷き詰めた高さ4mから5m、直径およそ18mから20mの積石木槨墳です。金冠、金製の耳飾り、金の腕輪、金製の帯、銅製の履物、鉄製の釜、漆塗りの器、硝子製の器、土器など数多くの遺物が出土しました。土器の中で、船の形をした土器や騎馬人物像の土器が異彩を放っています。この墓は規模が小さく、金冠や装身具の大きさが小さく、 殉葬された形跡があることから、新羅時代の王子の墓とみられています。飾履塚と金鈴塚は同じような規模・構造で、鳳凰台とともに深い関係がある墓とみられます。



慶州 路西里古墳群
慶州市の北西・路西洞(ノソドン)一帯にある新羅の古墳群で、現在およそ10基の大小さまざまな墓が残っています。 その中でも北側にある第130号墳は路東里古墳群の鳳凰台と対をなし、西鳳凰台と呼ばれています。路西里古墳群の内部構造は積石木槨墳と横穴式石室墳の二つに大きく分かれます。金冠塚(クムグァンチョン)/瑞鳳塚(ソボンチョン)/壺杅塚(ホウチョン)/銀鈴塚/第138号墳は新羅時代のもので、長方形のくぼみを掘った後、棺を置く槨を設け、河原の石や砂利を敷き詰めた積石木槨墳です。双床墳(サンサンフン)・馬塚(マチョン)・牛塚(ウチョン)などは墓の内部に割石で四角形の石室を造り、古墳の入口から石室までの間に羨道(ヨンド/ノルギル)を設ける横穴式石室墳で、新羅時代の様式となっています。 金冠塚は1921年に調査が行われましたが、金冠や金製の帯をはじめとしたさまざまな豪華な金工芸品が数多く出土しました。 西鳳塚は瓢の形をした双円墳の北側の墓で、鳳凰の装飾が付いた金冠が出土しました。また年代が刻まれた銀製の蓋がある器(銀盒=ウナプ)が出土し、5世紀前後に作られたものとみられます。 銀鈴塚と双円墳を形作る壺杅塚は日本の植民地支配から解放された1945年の光復以降初めての遺跡発掘で、高句麗第19代の王・広開土大王(クァンゲトテワン) を記念し、 乙卯(451)年に作られたという文字が書かれている銅製の器・銅盒(トンハプ)が出土しました。双床墳・馬塚・牛塚などは統一新羅時代初期の横穴式石室墳で、大部分盗掘され、詳しいことは分かっていませんが、双床塚からは統一新羅時代の土器の破片、馬塚からは馬の骨や鞍の一部などが出土しました。 路西里古墳群は路東里古墳群と似た性格の積石木槨墳と前期石室墳が混在し、墓の形態が移りゆく過程を示しており、これは慶州地域の墓の変遷を知ることができる、重要な史料と高く評価されています。



慶州皇南里古墳群
慶州市庁舎南の反対側一帯にある古墳群で、味鄒王陵(ミチュワンヌン)をはじめ、およそ250基の古墳があり、古墳公園となっています。 1973年には天馬塚の発掘調査を実施し、金冠及び天馬が彩色付きで描かれた白樺樹皮障泥(馬の鞍についている泥よけ)が出土、この泥よけに描かれた馬は新羅時代の絵画としては唯一最古のものとして広く知られています。現在は古墳内部に入り見学できるように復元し、一般に公開されています。また古墳のうち、最も規模が大きい皇南大塚98号墳は1973年から75年にかけて発掘され復元されたものですが、この古墳の発掘により統一新羅以前に積石木槨墳や小型石槨墳が混在していたことが明らかになりました。


沿革
慶州市内の皇南洞一帯に分布している新羅時代初期の墓で、一部はは大陵苑区域の中にあります。日帝強占期(1910~45年)につけられた通し番号90~114、151~151号である円形に土を盛り上げた30基の墓です。大きな墓は積石木槨墳で、周囲には封墳がなくなった小さな墓があります。大陵苑の中には伝・味鄒王陵をはじめ、天馬塚や皇南大塚などがあります。1973年に発掘調査された天馬塚は直径47m、高さ12.7mで、金冠をはじめ多くの遺物が出土しました。 当時天馬塚が描かれた馬の鞍についた泥よけ・障泥(チャンニ)が出土したため、「天馬塚」と呼ばれ、現在ではっその内部が一般に公開されています。また、1973年から75年にかけて発掘調査された皇南大塚は南北の長さが120m、東西の幅が80m、高さ23mの巨大な双円墳で、南側の墓からは金銅冠や男性の骨の一部、そして多くの遺物が出土しました。 北側の墓からも金冠や夫人帯という文字が刻まれた銀製の帯など多くの遺品が出土しました。南側の墓に埋葬された人物は男性、北側の墓に埋葬された人物は女性で、夫婦の墓をくっつける形で造ったものとみられます。


◎ 韓流の魅力に出会う旅行情報 - ドラマ『20世紀のキミ』
『20世紀少女』でボラが修学旅行の自由時間を過ごした場所で、古墳が密集した公園。約20基の大きな古墳がまるで稜線を描くように夢幻的な雰囲気を形成しています。古墳の間に木蓮の木が一本立っているところがフォトスポットとして有名で、唯一内部を公開している天馬塚も見どころです。

慶州サンバプ屋通り(경주 쌈밥거리)

慶州サンバプ屋通り(경주 쌈밥거리)

10.7Km    2025-05-23

キョンサンブク道キョンジュ市キェリムロ9

慶州(キョンジュ)サンバプ(野菜包みご飯)屋通りは、慶州大陵苑(テルンウォン)の周辺に形成されたグルメ通りです。野菜包みご飯とは、美味しい魚料理や肉料理、手作りテンジャンで煮込んだテンジャンチゲなど、品数豊富なおかずを新鮮な包み用野菜で包んで食べる料理のことをいいます。サンバプ屋通りでは、皇南パン(小麦粉の生地に小豆を入れたパン)、チョンドゥギ(トウモロコシ粉と砂糖で作った駄菓子)など様々なおやつも味わえます。周辺の観光スポットとしては瞻星台(チョムソンデ)、東宮と月池、月精(ウォルチョン)橋、国立慶州博物館があります。

ブラウ[韓国観光品質認証](블라우[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

ブラウ[韓国観光品質認証](블라우[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

10.7Km    2023-09-20

キョンサンブクト キョンジュシ テジョンノ699(ユクペククシブグ)ボンギル 31
+82-10-8590-5808

慶州ファンリダンキルの近くに位置する「ブラウ」は、欧州風の感性が感じられるゲストハウスです。慶州高速バスターミナルから徒歩5分の距離にあり、交通が便利です。1階に広いカフェのような共用空間があります。品物預かりサービス及び事前申請時に無料朝食を提供しています。 

慶州 金庾信将軍の墓(경주 김유신묘)

慶州 金庾信将軍の墓(경주 김유신묘)

10.8Km    2022-08-16

キョンサンブク道キョンジュ市チュンヒョ2ギル44-7

慶州高速ターミナル横の西川橋を渡ると、右手に金庾信将軍のお墓に行く道が現れます。この道は、春になると黄色いレンギョウや桜が満開となり、ドライブコースとして人気を集めます。この場所は、ソンファ山の峰が東に伸びた壮麗な景色を誇る松の森にあり、他の王陵に負けない華やかさを有しています。お墓は、高さ30メートルにも上る大きな円形をしており、周りには24枚の護石と石の欄干が置かれています。また、護石と欄干の間には石が敷き詰められています。護石は十二支神像が刻まれていますが、王陵を護る守護神は普通、鎧を着ているのに対し、このお墓の十二支神像は平服を着て武器を持った様相をしています。体は正面を向いたまま、顔だけ右を注視した姿が変わっていて、武装をしていないせいか、非常に穏やかに見えるのが特徴です。

慶州 善徳女王陵(경주 선덕여왕릉)

慶州 善徳女王陵(경주 선덕여왕릉)

10.8Km    2022-07-06

キョンサンブク道キョンジュ市ポムン洞サン79-2

慶州市普門洞にある善徳女王陵は新羅第27代王である善徳女王のお墓です。善徳女王は息子のいないチンピョン王の長女として生まれ、新羅初の女王となりました。在位16年の間に芬皇寺や瞻星台、新羅最大の皇龍寺九層木塔を建て、新羅仏教建築の全盛期を成しました。後に太宗武烈王となったキム・チュンチュ(金春秋)や名将キム・ユシン(金庾信)のような人物を従え三国統一の基盤をつくりました。しかし、女性の王という弱点のために王権が不安定で乱が起こり、その過程で亡くなりました。
善徳女王陵は円周73メートル程の円墳で、自然石を利用し、円墳の下に2段に保護石を積んだ以外は特に装飾がなく、他の王陵に比べ規模が小さくなっています。王陵の下の方には護国寺として知られている四天王寺址や神文王陵などがあります。