古宅ハノゲソ[韓国観光品質認証](고택 한옥에서[한국관광 품질인증/Korea Quality]) - エリア情報 - 韓国旅行情報

古宅ハノゲソ[韓国観光品質認証](고택 한옥에서[한국관광 품질인증/Korea Quality])

古宅ハノゲソ[韓国観光品質認証](고택 한옥에서[한국관광 품질인증/Korea Quality])

9.7 Km    14388     2019-05-22

全羅南道 潭陽郡 昌平面 トルダムキル88-9
+82-61-382-3832

「古宅ハノゲソ」はアジア初のスローシティに指定された潭陽郡昌平面のサムジネ村にある伝統家屋です。庭を中心として古宅やピョルチェ(離れ家)、サランチェ(別棟)、アンチェ(母屋)が配置されており、昔の田舎の情趣が感じられる15室の客室が用意されています。周辺観光地には瀟灑園や松江亭、竹緑苑、潭陽メタセコイアキルなどがあります。

カフェカノク (카페하녹)

カフェカノク (카페하녹)

9.8 Km    0     2024-02-20

チョンラナム道タミャン郡チャンピョン面チャンピョンヒョンロ714-40

カフェカノクは古い韓屋を改修したカフェで、韓国ならではの伝統的な美しさとゆったりとした雰囲気が体験できる場所です。手作りのきな粉餅とワッフルを一緒に焼いて甘くて香ばしいきな粉餅ワッフルが看板メニュー。セーキとラテを融合した感じのエスプレッソセーキと一緒に食べてもおいしいです。カフェの至る所が伝統的な小物で飾られているので見る楽しさがあります。

全羅南道 潭陽 昌平[スローシティ](전남 담양 창평 [슬로시티])

9.9 Km    8878     2021-04-16

全羅南道 潭陽郡 昌平面 トルダムキル 56-24
+82-2-383-3807

全羅南道潭陽(タミャン)郡昌平(チャンピョン)は農村地帯でトマト、イチゴ、ハウス栽培の野菜など近郊農業が盛んな所で、素晴らしい自然環境がいまもなお残りつつ、田園都市など今後の発展への潜在力を持つ、人情にもあふれ住みやすい美しいところです。
昌平(チャンピョン)という地名は高麗時代初期まで遡ることができ、これまで文武百官を輩出したソンビ(学者)の村として忠・孝・礼・信義を守り続けてきた村としてその名声を博しています。壬辰倭乱(日本で言う文禄・慶長の役)の時の義兵隊長だった霽峰・高敬明(コ・ギョンミョン)先生の次男・鶴峰・高因厚(コ・インフ)先生の11代子孫である大韓帝国末期の義兵隊長・鹿川・高光洵(コ・グァンスン)義兵隊長が生まれた義を重んじる村で、近現代に入って1906年4月1日私立長興学校を創設・開校し、新学問を教育した春崗・高鼎柱(コ・ジョンジュ)先生、国務総理や国会副議長、中央省庁のトップである長官、大法院(最高裁)判事、マスコミ界の重鎮・高在旭(コ・ジェウク)、初の工学博士・李升基(イ・スンギ)博士、初の女性農学博士・金三純(キム・サムスン)博士の故郷でもあります。
朝鮮時代に王への献上品として有名であった昌平米飴や韓菓、千年の神秘をとどめる竹塩、竹塩味噌、伝統トッカルビなどは韓国伝統の食べ物として昌平が誇るものです。

歴史
三韓時代 - 拘溪国
百済時代 - 屈支県
新羅時代 – 757(景德王16)年祈陽県
高麗時代 – 940(太祖23)年昌平県(別名として鳴平[ミョンピョン])。 1144(仁宗21)年、中央指定官として県令を置く。
朝鮮時代 –
1474(成宗5)年-昌平県を撤廃し光州牧に隷属させる形となったものの、金有山(キム・ユサン)が王に訴え 再び1479年昌平県となる。
1758(英祖34)年閔百禄(ミン・ペンノク)が昌平県誌を編纂し、1793年(正祖17)年昌平県令である趙光存(チョ・グァンジョン)が現在の古西面古邑里から昌平面昌平里82番地(昌平面事務所)に移る。
1895(高宗32)年5月26日南原府昌平郡(4等郡守)となる。
1896(高宗33)年8月24日全羅南道昌平郡として9つの面を管轄。

日帝強占期 – 1910年国権侵奪時代 - 昌平郡
1914年2月28日、部令第11号(1913年12月29日公布)により昌平郡が潭陽郡に編入され、昌平面に改称

※ 昌平という地名は孔子の出生地・魯の昌平郷とその地形などが似ていることから命名されたという説があります。
1990年4月1日付で南面外東里が昌平面に編入

淳昌醤類体験館(순창장류체험관)

10.3 Km    3610     2024-04-08

チョンブク特別自治道スンチャン郡スンチャン邑ミンソクマウルギル55

伝統コチュジャン村のそばにある淳昌醤類体験館は、淳昌醤類の伝統の味と趣を伝承し、醤類産業のグローバル化を図る研究や普及、広報を目的として設立された体験館です。
淳昌醤類体験館では、大韓民国を代表するコチュジャン・淳昌伝統コチュジャンを自分で作ってお持ち帰りできる体験や、淳昌伝統コチュジャンを使ったおいしい料理を作って試食する体験ができます。
淳昌醤類体験館には料理体験場、野外学習場など伝統醤類の体験ができる様々な施設があります。

常緑樹山荘(상록수산장)

常緑樹山荘(상록수산장)

10.4 Km    0     2024-02-20

チョンラナム道タミャン郡ウォルサン面ヨンフンサギル378

常緑樹山荘(サンロクスサンジャン)は、潭陽(タミャン)郡龍亀山(ヨングサン)龍興寺渓谷に位置している食堂です。看板メニューは鶏肉の水炊き。夏場には涼しい渓谷に足を入れて鶏肉の水炊きを食べながらスタミナをつける韓国ならではの特別な避暑文化が体験できます。清らかな渓谷と緑の森から韓国の美しい自然が楽しめます。

淳昌コチュジャン民俗村 (순창고추장민속마을)

淳昌コチュジャン民俗村 (순창고추장민속마을)

10.5 Km    20288     2024-04-08

チョンブク特別自治道スンチャン郡スンチャン邑ペギャギル29

淳昌(スンチャン)は、コチュジャンで有名な韓国の田舎町です。コチュジャン職人の説明を聞きながらコチュジャンの作り方を習い、手作りのコチュジャンで調理したトッポッキとコチュジャンを入れて混ぜてから食べる山菜ビビンバが味わえます。宿泊施設と食堂、セミナー室などの付帯施設を完備しています。

淳昌醤類博物館(순창장류박물관)

10.8 Km    5983     2024-04-08

チョンブク特別自治道 淳昌郡 淳昌邑 醤類路43
+82-63-650-1627

淳昌邑白山里の伝統コチュジャン民俗村の前にある「醤類博物館」は、コチュジャンやテンジャンなどの醤(ジャン)類を展示した常設展示場をはじめとし、郷土文化遺産を展示した企画展示室、屋外広場などから構成されています。常設展示場には、醤類の歴史や醤を漬ける方法、醤類の容器の展示や、発酵過程観察室など各種体験および遊びの空間もあります。特に、野外広場には醤類の入った甕などを並べて置いておく高台、ひき臼をひく水車や百済時代の古墳などがあります。

剛泉山郡立公園(강천산 군립공원)

剛泉山郡立公園(강천산 군립공원)

11.0 Km    35164     2024-04-07

チョンブク特別自治道 淳昌郡 八徳面 剛泉山キル 97

剛泉山(カンチョンサン)は1981年1月7日に全国で最初に郡立公園に指定されました。淳昌邑から10キロメートルほどのところにある高さ583.7メートルの剛泉山は、湖南の小金剛とも呼ばれるほど至る所に珍しい形の峰がそびえ立っており、大小の岩の間に滝ができており、渓谷と渓谷を覆うように青々とした森が広がっています。また、剛泉寺や剛泉山五重石塔、三印台などの文化遺跡も至るところに散在しています。
古寺の剛泉寺と三印台の間を通り、興化亭の横の道を歩いて行ったところに高さ50メートル、長さ75メートルの釣り橋が架かっているのが見えてきます。橋を渡り展望台に上がると秀麗な剛泉山の景色を一望することができます。流れる水の音や小鳥のさえずりを聞きながら3~4分ほど歩いて行き右に曲がると、8合目付近の高さ300メートルの地点に大きな貯水池があります。再び渓谷に沿って山を登っていくと400メートルの頂上に至ります。この渓谷に沿って植えられている紅葉の木は品種改良されたものではない天然の紅葉の木で葉が小さく色も美しく、また霜にも強く紅葉期間も長いため、冬に渓谷に沿って色づく紅葉はまさに壮観です。

淳昌醤類祭り(순창장류축제)

淳昌醤類祭り(순창장류축제)

11.3 Km    13232     2024-04-08

チョンブク特別自治道スンチャン郡スンチャン邑ミンソクマウルギル6-3
+82-63-650-1624

淳昌コチュジャン民俗村一帯で醤類をテーマにした「淳昌醤類祭り」が開催されます。忘れさられてゆく伝統醤類文化に再びスポットを当てるべく始まった淳昌醤類祭りでは、様々な体験プログラムや公演、コンテスト、展示プログラムなどが行われ、年齢を問わず誰もが楽しめます。

国立5.18民主墓地(국립 5.18 민주묘지)

国立5.18民主墓地(국립 5.18 민주묘지)

11.3 Km    11136     2021-02-11

光州広域市 北区 民主路200

光州民主抗戦を称える場所、国立5.18民主墓地
国立5.18民主墓地は光州(クァンジュ)広域市北区にある公園で、5・18墓域とも呼ばれています。
文民政府(金泳三政権=1993~98年)発足とともに、5.18光州民主抗戦に対する再評価事業が行われ、また5.18民主化運動による犠牲者の墓地を民主化の聖地として作ろうという声が志ある国民から上がりました。光州広域市は韓国政府の支援を受け、光州広域市北区雲亭洞(ウンジョンドン)山34番地にある165平方キロメートルの敷地に、5.18墓地を造成しました。墓域内には5・18民主化運動で犠牲となった英霊の墓764基(2017年現在)が祀られており、このほか建築物7棟(民主の門、遺影奉安所、歴史の門、崇慕楼、追念門、管理棟、休憩室)や歴史空間、民主広場、参拝広場、展示空間、象徴造形物、光州民主化運動追慕塔、7つの歴史広場(義兵、東学、3・1運動、光州学生運動、4・19革命、光州民主運動、統一広場)、献樹記念碑、竣工記念塔などがあります。

忘れることができない現代史の痛み、5.18光州民主抗戦について
5.18民主抗戦は1980年5月18日に始まりました。その前年の1979年10月26日に起きた朴正煕大統領暗殺事件後の政情不安の中で発生した後の大統領となる全斗煥少将らによるクーデター・12月12日事態、そしてこのクーデターにより政権掌握をした新軍部の陰謀に対し市民らが猛反発し民主化運動を韓国全国で展開、このような全国的な広がりを見せた市民らの抵抗運動を新軍部が鎮圧する過程で恣意的に行われた代表的な反民主虐殺事件がこの5.18光州民主抗戦です。この墓地は5.18民主抗戦の過程で犠牲となった光州市民の精神を称え、この地に再びこのような道理に反した出来事や独裁を許してはならないと戒めるとともに、生きた歴史の現場として活用されている場所です。また民主聖地を自らの手で作り上げるため始まった民主の木・献樹運動は5.18民主抗戦の崇高な精神を国内外に広く知らしめる機会にもなりました。

5・18民主化運動追慕塔
5・18墓地の中央に位置している 5・18民主化運動追慕塔。四角い柱である塔身は40メートルの高さを誇り、韓国の伝統石造物で寺院の入口などに立てられた旗竿を支える2本の幢竿支柱(タンガンチジュ)を現代風にアレンジし形状化しました。追慕塔上部は2本の塔身が楕円形のオブジェを手で包み込むような形となっており、この形状は新しい生命の復活を象徴しています。時々刻々変化する太陽の光が追慕塔に反射する光の様子はあたかも希望の証となっているかのようです。