錦江渡り鳥眺望台(금강철새조망대) - エリア情報 - 韓国旅行情報

錦江渡り鳥眺望台(금강철새조망대)

錦江渡り鳥眺望台(금강철새조망대)

10.0 Km    21727     2024-04-07

チョンブク特別自治道 群山市 聖山面 チョルセ路120
+82-63-454-5680

「錦江渡り鳥眺望台(クムガンチョルセチョマンデ)」は、美しい自然を誇る錦江湖を背景とした渡り鳥の楽園・錦江河口堤の自然を共有すべく国民生態観光地として構成された生態公園です。毎年数十万の渡り鳥が訪れる自然生態の宝庫でありながら、比較的アクセスしやすい各種条件を取り揃えています。
鳥類・昆虫・魚類・動物などの標本を展示する渡り鳥眺望塔や眺望塔周辺に設けられた野外渡り鳥生態公園は、自然と人の共存をテーマとした教育的な各種施設や標本を揃えることで単純な生態公園ではない、教育空間として活用されており、子どもも大人も楽しめるところです。また、3D写真を撮ることができる場所もあり、素敵な思い出づくりに一役買っています。

渓谷ガーデンコッケジャン(계곡가든꽃게장)

渓谷ガーデンコッケジャン(계곡가든꽃게장)

12.3 Km    2839     2024-04-08

チョンブク特別自治道クンサン市ケジョン面クムガンロ470
+82-63-453-0608

渓谷(ケゴク)ガーデンコッケジャンは、全国のグルメが訪れるお店で、韓国で初めてワタリガニのケジャンの特許を取得した人気店です。本来は、豚カルビ焼きを販売していましたが、おかずで出されたワタリガニのケジャンがあまりにも美味しく、ケジャンを食べに来店する客が増えたので、看板メニューが変わったという経緯があります。美味しさの秘密は16種類の韓方の材料で熟成させた本格的なカンジャンと、ふっくらとした雌カニにあります。生臭さや塩味は少なく、コクのあるケジャンを味わうことができます。

徳寿宮海鮮カルグクス(덕수궁해물칼국수)

12.3 Km    20616     2024-02-28

チュンチョンナム道ソチョン郡マソ面チャンサンロ855ボンギル5
041-956-7066

徳寿宮(トクスグン)海鮮カルグクスは、アサリと野菜がたっぷり入った海鮮カルグクス専門店で、錦江(クムガン)河口堤の近くに位置しています。カルグクスは、小麦粉の生地を広く薄く伸ばして切った麺をだし汁に入れて煮込んで食べる料理です。いろんな種類のカルグクスと王餃子があり、エビ、新鮮な野菜で作っただし汁はすっきりとした味がします。おかずとして出てくる大根若菜キムチはカルグクスによく合います。

群山 臨陂駅舎(군산 임피역사)

12.6 Km    25756     2024-04-07

チョンブク特別自治道 群山市 臨陂面 書院石谷路 37
+82-63-454-3274

群山市臨陂面戌山里にある臨陂(イムピ)駅駅舎は1936年群山線の鉄道駅の駅舎として作られました。
1912年湖南線の支線として完成した群山線に位置する臨陂駅は元々、臨陂・邑内里に建設するはずでしたが、邑内里に住む儒学者が風水地理的な理由で反対し、戌山里を経由することになったという言い伝えがあります。

日帝強占期、群山線は全羅北道の農産物を群山港を通じ日本へ搬出する重要交通路として収奪の苦い歴史を経験したところでもあります。臨陂駅は当時の農村地域にある小規模簡易駅舎の典型的な建築形式や技法を生かして建てられた建物で、原型を比較的よく留めた形で残っており、建築的・鉄道史的価値が高い建造物です。
1995年4月1日に配置簡易駅となり、2005年9月30日貨物取扱を中止、続く2008年5月1日には旅客営業も中止となりました。


国立生態園(舒川)(국립생태원(서천))

国立生態園(舒川)(국립생태원(서천))

12.8 Km    7623     2021-05-24

忠清南道 舒川郡 馬西面 錦江路 1210

「国立生態園」は、韓半島の生態系をはじめとし、熱帯・砂漠・地中海・温帯・極地など世界5大気候と、そこに生息する動植物を観察・体験できるようにつくられた生態研究・展示・教育空間です。
国立生態園エコリウムは、生きた生態展示空間で、植物約1,900種、動物約280種が21,000平方メートル以上の空間に共に展示されており、気候帯別生態系を最大限再現することで気候と生物間の関係を理解できるようになっています。
5つのエリアに区分された野外展示空間では、韓国の代表的な湿地生態系だけでなく世界の多様な植物、高山に自生する珍しい植物、韓国の代表的なシカ類の生息空間、池の生態系などを見ることができます。
その他、専門生態教育機関としてさまざまな展示・研究施設と周辺生態地域を通じた生きた生態教育の場を提供しており、生態をテーマとした多彩な展示・イベント・体験プログラムも用意されています。

群山・開井面 旧日本人農場倉庫(군산 개정면 구 일본인농장 창고)

13.3 Km    25238     2024-04-07

チョンブク特別自治道 群山市 開井面 パルメキル 53-5

2005年国家登録文化財第182号に指定された嶋谷金庫は日帝強占期の群山(クンサン)地域を代表する農場主であった嶋谷八十八が1920年代に建てた蔵です。
嶋谷は韓民族の文化財収集に関心を寄せ、鉢山里石塔や五重石塔をはじめとした数多くの芸術品を不法に収集した人物です。この建物は嶋谷が収集した骨董品を保管していた場所でした。
建物は3階建てのコンクリート作りで入口には鉄製の金庫の扉がついています。
窓は鉄格子と鉄板の二重構造の仕掛けとなっています。
現在、鉢山初等学校の場所に農場を持っていた嶋谷八十八は日本の山口県玖珂郡出身で、日本において酒造業で財を成し清酒の原料である廉価の米を求めこの群山に来た人物でした。
1903年12月当時7万円で鉢山里周辺の土地を買収し農地を開き始め、1909年になると臨陂(イムピ)のほか2つの面に486町歩の農地を所有する農場主となりました。
土地に対する執着がとても強かった嶋谷は韓国が解放された後、アメリカ軍政庁に韓国人になるべく帰化申請し、他の日本人が帰国した後も最後まで帰国を拒否、そのため嶋谷は群山の最後の日本人農場主という別名で呼ばれることになりましたが、結局、米軍政庁の強制的な勧告により鞄二つだけを手に釜山港から最後の帰国船に乗らなければなりませんでした。
この建物は半地下である1階部分と地上部分2階分ある総3階建て構造の一体型で作られ、内部の各階は板の間で仕切られた建物です。外部へ通じる窓には鉄格子があり、その外側へ鉄の扉がつけてあり2重の防犯となっています。
出入口にはUSAのマークが鮮明にある扉があり、第二次世界大戦以前にアメリカから輸入した輸入品であることがわかります。金庫の半地下には生地や食料品があったといわれ、2階には農場の重要書類や現金が、3階には韓国の古美術品が多数所蔵してあったといいます。


スラウォン(수라원)

13.9 Km    21068     2024-02-26

チュンチョンナム道ソチョン郡チャンハン邑チャンサンロ641-9
0507-1435-6250

スラウォンは、錦江(クムガン)が西海に流れ込む河口に位置している韓牛とプルゴギの専門店です。そのため海、川、干潟、そして遠く川の向こうにある群山(クンサン)市を眺めながら食事を楽しむことができます。網焼きプルゴギ、豚カルビの蒸し物、牛カルビの蒸し物、韓牛焼きがあります。近くの錦江河口堤は、数十万羽の渡り鳥が飛び交う場所として有名です。また、冬柏(トンベク)大橋向こうの群山市は、韓国近代建築と文化財がいまだに残っている場所でもあります。

扶余 加林城(부여 가림성)

14.6 Km    20936     2021-08-02

忠清南道 扶余郡 林川面 聖興路97番キル167

「加林城(カリムソン)」は百済東城王が泗沘城を守護するために錦江下流付近に築城したと言われています。加林城の駐車場から南門まで200メートル程度と近いので老若男女だれでも山城の美しい景色を見ることができます。岩の絶壁の横にある階段を登ると石垣の上に生えている巨大な1本の木が見えます。樹齢400年を超えるケヤキの木で「聖興山愛の木」と呼ばれています。この木を背景に『薯童謡』などのドラマが撮影されました。四方が開けていて周辺の風景がパノラマのように見渡すことができます。日の出のイベントが行われる場所でもあります。

華山天主教会(ナバウィ聖堂)(화산천주교회(나바위 성당))

華山天主教会(ナバウィ聖堂)(화산천주교회(나바위 성당))

14.6 Km    7476     2024-04-07

チョンブク特別自治道 益山市 望城面 ナバウィ1キル146

ナバウィ聖堂は全羅北道益山市望城面に位置する天主教(カトリック)の教会です。全羅道地方でもっとも古い教会で、朝鮮時代の1845年に上海で神父となった金大建神父が韓国に帰国したのを記念して1906年に建てられました。この教会には1954年に建てられたバーモレルの功勲記念碑と1955年に建てられた金大建神父の殉教記念碑があり、毎年多くのカトリック信者が訪れます。

京岩洞線路村(경암동 철길마을)

京岩洞線路村(경암동 철길마을)

14.7 Km    14     2024-04-08

チョンブク特別自治道クンサン市キョンチョン4ギル14

京岩洞(キョンアムドン)線路村(チョルキルマウル)は、現在の全羅北道(チョルラプクド)群山市(クンサンシ)京岩洞に1944年操業開始した「北鮮製紙化学工業」(現・ペーパーコリア)の新たな工場と旧・群山駅を結ぶおよそ2.5kmの線路沿いの町を総称した名前です。この町がある行政区域名から京岩洞線路村と呼ぶようになりました。
日帝強占期(1910~1945年)末期の1944年に敷設されたこの工場引込線周辺には工場稼動とともに次第に人々が集まりはじめ、1970年代になると本格的に町が形成されていきました。
京岩洞のこの線路は日帝強占期末期の1944年、新聞用紙の原材料を製紙工場に運び込むために敷設された工場専用引込線で、1950年代中盤までは「北鮮製紙鉄道」と呼ばれていました。1970年代初めまでは「高麗製紙鉄道」、その後は「世大(セデ)製紙線」あるいは「世豊(セプン)鉄道」と呼ばれていましたが、世豊グループの倒産により新たに買収・継続会社となった会社の名前を取って「ペーパーコリア線」と呼ばれ、現在では元々あった工場も移転し廃線となっています。