双渓寺(珍島)(쌍계사(진도)) - エリア情報 - 韓国旅行情報

双渓寺(珍島)(쌍계사(진도))

双渓寺(珍島)(쌍계사(진도))

18.1 Km    9942     2020-02-06

全羅南道 珍島郡 義新面 雲林山房路299-30
+82-61-542-1165

珍島のほぼ中心部にある尖察山(チョムチャルサン、標高485メートル)を北にして、両脇に渓谷が流れる場所に位置している双渓寺(サンゲサ)は、857年に道詵(ドソン)国史によって創建され、その後1648年に義雄の手によって再建されました。こじんまりした山寺で、樹齢100年を越す朝鮮時代のビャクシンの木をはじめとし、桜の木、柿の木のような大きな木々の間に、平たい石を敷き歩道を作った庭園が印象的です。
寺の裏手にある渓谷に沿って10分ほど上ると、天然記念物第107号に指定された50余数種の常緑樹林3,700坪が広がっています。寺の南方には、朝鮮時代末期に有名だった画家、許維先生が生活していた雲林山房が隣接しています。

珍島神秘の海割れ祭り(진도 신비의 바닷길 축제)

珍島神秘の海割れ祭り(진도 신비의 바닷길 축제)

19.4 Km    23150     2023-04-10

チョンラナム道チンド郡シンビエバダッキル74
+82-61-540-3408

珍島神秘の海割れとは古郡面の回洞里と義新面の茅島里間、約2キロメートルが潮の満ち引きの差で水深が低くなる時、道のようなものが現われる現象です。幅約40メートルの道が海中に現れるというところに神秘さがあります。
毎年祭り期間中にはこの現象を見るために内外から多くの観光客が珍島を訪問し、海割れが完全に現れる約1時間の奇跡の瞬間を満喫します。

イベント内容
メディアアート、希望の小石海割れ体験、珍島無形文化財体験スタンプラリー、海上風物舟遊び、珍島民俗民謡公演、グローバルゾーンなど多様なプログラムが用意されています。

茅島(모도)

19.7 Km    18438     2021-06-15

全羅南道 珍島郡 義新面 茅島キル 12-3

1929年ごろ金海金氏が済州島を訪れた際、この島がティブル(茅)で覆われていたことからティソム(茅島)と呼ばれるようになりました。茅で屋根を葺いた家が多かったことからティソムと呼ばれたという説もあり、現在では島名を漢字で表記し茅島(モド)と呼ばれています。

珍島神秘の海割れ(진도 신비의 바닷길)

珍島神秘の海割れ(진도 신비의 바닷길)

19.8 Km    51155     2023-01-17

チョンラナム道チンド郡コグン面シンビエバダッギル148

毎年、陰暦2月の終わりごろの珍島(チンド)地方の大潮・霊登(ヨンドゥン)サリや6月中旬ごろの時期、全羅南道(チョルラナムド)珍島郡(チンドグン)古郡面(コグンミョン)回洞村(フェドンマウル)とその沖合にある義新面(ウィシンミョン)茅島(モド)の間の海が割れる、別名「韓国版モーゼの奇跡」という海割れ現象が起こります。潮が引くと、幅30メートルから40メートル、全長およそ2.8キロメートルに及ぶ海割れの道ができます。この期間、回洞里一帯では神秘の海割れ祭りが開催されます。海割れの道はおよそ1時間ほど完全に干上がった状態となり、再び潮が満ちてきて海の中へ消えていきます。

珍島には回洞里のポンおばあさんの話が言い伝えられています。その昔、珍島には虎が多かったといいます。現在の回洞村は 珍島にある山・尖察山(チョムチャルサン)の端にあったため虎がよく現れ、村の名前も韓国語で虎を意味する「ホランイ」、「虎洞(ホドン)」と呼ばれていました。
ある日、虎が現れ被害を被ると、村人はみな沖にある茅島に逃げてしまいました。村人は慌てふためいて逃げてしまったため、「ポンおばあさん」は置き去りにされてしまいました。ひとり取り残されたポンおばあさんは、海の神様・龍王さまに再び家族に合わせてほしいと毎日お祈りをしました。するとその年の2月の終わりごろ、龍王がポンおばあさんの夢枕に現れ「明日、海に虹をかけてやるから、その道で茅島に渡りなさい」と言いました。
次の日、ポンおばあさんが近くの海に赴き、祈りをささげていると、本当に潮が引き、虹のように丸く曲がった道ができました。茅島でおばあさんを心配していた家族や村人たちは、農楽で使うチンやケングァリといった打楽器を鳴らしながら、この海の道を渡ってきました。
再び家族と出会うことができたおばあさんは「祈りが通じて海の道が開け、お前たちに会えたから、もう望みはない」と言葉を残し、力尽き果て息を引き取ってしまいます。
それ以来、村人たちは毎年、ここに祭壇を設け、おばあさんの祭祀を執り行い、この日をポンおばあさんの霊が天に登った日ということで、霊登サリと言うようになりました。この当時、村の名称も虎洞に人々が戻ってきたということで、回洞となったそうです。

珍島神秘の海割れは1975年、在韓フランス大使が珍島に観光で訪れた際、この現象を目撃し、フランスの新聞「モーゼの奇跡」と紹介し、世界的に知られるようになりました。
1970年代後半からは旧暦2月の霊登サリの時期に合わせて珍島郡で霊登祭りを開催しています。海岸のポンおばあさんの祠堂で祭祀を執り行い、龍王祭を行い、死者を清め極楽へと送る全羅南道地方特有の儀式・シッキムグッ、出棺前日喪主や遺族を慰めるため行われる珍島独独特の儀式・タシレギ、カンガンスルレ、全羅南道の農謡・南道トゥルノレ、珍島挽歌、太鼓を打ちながら踊る農楽・プクノリなど珍島固有の民俗公演をはじめ、様々なイベントが開催され、見どころも多く、各地から多くの観光客が訪れます。
海辺の祠堂に祀られているポンおばあさんの肖像画は珍島出身の東洋画の画家・沃田(オクチョン)姜智周(カン・ジジュ)画伯が描いたもので、肖像画が収められている祠堂の扉を開ければ奇跡の現象を眺められるようになっています。