17.1 Km 34490 2023-12-27
キョンサンブク道ポハン市ナム区ホミゴッ面ヘマジロ150ボンギル20
虎尾岬(ホミゴッ)灯台は1908年4月11日に着工、11月19日に竣工、12月20日に点灯しました。名称は建立当時、冬外串灯台でしたが1934年に長鬐甲灯台に変更され、1995年に虎尾岬灯台となりました。この灯台は八角形の煉瓦塔で鉄筋を使わずに煉瓦だけで建てられ、内部は6階に分かれていて高さは26.4メートルです。内部の天井には大韓帝国の皇室の模様である李花紋が刻まれており、扉と窓は古代ギリシャ神殿の建築様式に装飾されています。
17.3 Km 0 2024-02-21
キョンサンブク道ポハン市ナム区ホミロ221ボンギル19-2
チェイル製麺工場は、九龍浦(クリョンポ)市場にある製麺所です。韓国で唯一、海風で麺を乾燥させて作っています。素麺、中麺、カルグクス麺を生産しており、束または箱単位で麺を購入することができます。九龍浦海水浴場の近くにある工場直営のヘプン麺1号店に行くと、様々な麺料理を味わえます。周辺の観光スポットとして、日の出の名所である虎尾岬(ホミゴッ)、九龍浦港、九龍浦近代文化歴史館があります。
17.5 Km 0 2024-04-03
キョンサンブク道ポハン市ナム区クリョンポ邑ホミロ222-1
浦項(ポハン)虎尾岬(ホミゴッ)から甘浦(カムポ)の方へ向かう場所にある九龍浦港(クリョンポハン)は、日帝強占期の1923年にふ頭と防波堤が建設されたことで港としての姿が整えられました。現在、北防波堤約600メートル、南防波堤約400メートル、物揚場約600メートルの施設が備えられており、荷役能力は33万4,000トンに達しています。近くに九龍浦近代文化歴史通りがあり、日本の伝統家屋を見ることができる他、九龍浦市場も近く、地元の伝統市場ならではの親しみやすい雰囲気と美味しい食べ物が楽しめます。ここは、特産物のサンマの干し物(クァメギ)が多く販売されており、また全国最大のズワイガニの産地として知られているため、上質なサンマの干し物とズワイガニを味わうことができます。
17.6 Km 14 2024-02-13
キョンサンブク道ポハン市ナム区クリョンポ邑クリョンポギル153-1
九龍浦(クリョンポ)近代文化歴史館は、九龍浦日本人家屋通りにある博物館です。建物は1920年代に橋本善吉が建てた2階建ての木造の和風住宅で、2010年に浦項(ポハン)市が買い取り、復元工事を経て歴史館として開館しました。2階は展示室となっています。仏壇やこたつなど、日本家屋の伝統的な家具や道具が置かれており、伝統的な台所とお手洗いも再現されています。当時の生活様式と日本式建物の構造の特徴を窺うことができます。
17.8 Km 0 2024-01-16
キョンサンブク道ポハン市クリョンポ邑ホミロ277
九龍浦(クリョンポ)メディアアートは九龍浦日本人家屋通りの中央階段(ピオラ階段)で上映され、夜の見どころを提供しています。上映時間は約10分で浦項の美しい海や日の出、ダイナミックな浦項鉄鋼産業など4つのテーマで構成されています。
17.9 Km 22445 2023-01-02
慶尚北道 浦項市 南区 九龍浦邑 九龍浦キル 153-1
九龍浦(クリョンポ)日本人家屋通りは1883年朝鮮と日本との間で締結した「朝日通商章程」以降、日本人が朝鮮に渡り居住したところで「日本人家屋通り」として当時の家屋が数軒残っていたところを浦項市が「日本人家屋通り」として整備したところです。
当時の料理店として使われていた「古里屋(ふるさとや)」の日本家屋は当時の内部をそのまま残し喫茶店として現在では営業しています。日本のさまざまなお茶を楽しむことができ、浴衣の試着体験も可能です。
また日本人が勉強した小学校や1900年代当時使われた形を再現して作られた郵便ポストなどもあります。
公園の階段から見下ろすと目の前には素晴らしい漁村が開け、漁村の生活が手にとるように感じされることから大韓民国景観大賞を受賞した場所でもあります。
18.0 Km 8486 2024-02-28
キョンサンブク道ポハン市ナム区クリョンポ邑ホミロ426ボンギル6
九龍浦(クリョンポ)海水浴場は虎尾岬(ホミゴッ)にあり、虎尾(ホミ)は虎の尾を意味します。半月形の砂浜は長さ400メートル、幅50メートルで、清らかな東海の美しい景色を見渡すことができ、日の出スポットとして知られています。九龍浦柱状節理や九龍浦海水浴場防波堤があり、周辺にはカフェやレストラン、宿泊施設などがあります。虎尾岬や迎日台(ヨンイルデ)など観光地の多いエリアです。
19.7 Km 22969 2022-12-26
キョンサンブク道キョンジュ市アンガン邑オクサンソウォンギル216-27
玉山書院(オクサンソウォン)は、朝鮮時代の性理学者・晦斎(フェジェ)李彦迪(イ・オンジョク)を祀るとともに儒学の後進育成のため1572(宣祖5)年に建立され、翌年には当時の王が書院の名を下賜した由緒ある書院です。この書院は、朝鮮後期、興宣大院君(フンソンデウォングン)による書院撤廃令の適用から免れた47の書院のうちのひとつで、それぞれの建造物の建築的意義は大きくありませんが、空間的な配置が特徴的で注目されています。玉山書院から北におよそ700メートル離れたところには晦斎・李彦迪が別荘兼書斎として使っていた独楽堂(トンナクタン)があります。