上林公園(상림공원) - エリア情報 - 韓国旅行情報

上林公園(상림공원)

14.1 Km    53689     2021-11-05

慶尚南道 咸陽郡 咸陽邑 ピルボンサンキル 49

約1200年の歴史を持つ「上林(サンリム)公園」は川岸と河川敷を保護するために作られた人工林で、天然記念物に指定されています。上林公園は咸陽を代表する見どころで、「故郷を忘れても上林は忘れない」という言葉があるほどです。

居昌捜勝台(거창 수승대)

居昌捜勝台(거창 수승대)

14.9 Km    34832     2021-08-04

慶尚南道 居昌郡 渭川面 ウンハリキル2

慶尚南道居昌郡渭川面黄山里黄山集落の前の亀淵洞に位置する「捜勝台(ススンデ)」は、三国時代には新羅と百済の国境地帯であり、朝鮮時代には安義県に属していましたが、日帝強占期に行政区域の改編により居昌郡に編入されて今日に至ります。捜勝台は三国時代の百済と新羅が対立していた頃、百済から新羅に行く使臣を送別した所であり、初めは戻って来られないのではないかと心配していたので、心配するという意味の「愁」、送るという意味の「送」の字を使って愁送台(スソンデ)といいました。愁送台とは俗世間の気掛かりや心配を忘れるほどに景色が素晴らしい所という意味であり、仏教の名前に比喩されることもあります。その後、朝鮮中宗の時に楽水慎権が隠居して亀淵書堂をここに建立し、弟子たちを養成しました。台の形が亀のようであることから岩亀台といい、境内を亀淵洞といいました。今の名前は1543年に退渓李滉が安義県三洞を遊覧のために来た際に始まったものとされています。退渓李滉は馬利面迎勝里(マリミョン ヨンスンニ)に停まってその名の由来を聞きましたが、急務により帰還してここへ来ることはできず、名前が美しくないとして同じ音である「捜勝台」と直すことを勧める律詩を送り、楽水慎権が台の面に彫ったことから始まりました。境内には亀淵書院、祠宇、内三門、観水楼、典祠庁、楽水亭、涵養斉、旌閭、山高水長碑、遺跡碑、岩亀台などがあり、これらは儒林と居昌慎氏楽水一族が共同管理しています。松林と水と岩が調和して景色が素晴らしく、またチャゴ岩とその周辺には皐蘭草をはじめとする貴重植物が自生しています。

居昌国際演劇祭(거창국제연극제)

14.9 Km    4099     2022-09-19

慶尚南道 居昌郡 渭川面 ウナリキル98-11
+82-55-940-8455

地域祭と芸術祭を融合させた「居昌(コチャン)国際演劇祭」は、韓国内の公演芸術において最も優秀な祭りのひとつに数えられています。日中は渓谷で涼み、夜に公演を楽しむなど、美しい自然を満喫するとともに演劇を自由に楽しめる演劇祭です。

猿鶴古家[韓国観光品質認証](원학고가[한국관광품질인증/Korea Quality])

猿鶴古家[韓国観光品質認証](원학고가[한국관광품질인증/Korea Quality])

15.1 Km    11203     2020-08-14

慶尚南道 居昌郡 渭川面 黄山1キル 109-5
+82-55-943-3104, +82-10-5359-2224

水と岩が松林と相まってすばらしい景色を誇る捜勝台(ススンデ)。
毎年夏になるとここにある野外舞台で居昌(コチャン)国際演劇祭が開催されます。人々は自然の中で繰り広げられるパフォーマンスにただ魅了されるばかりです。 そしてもうひとつ、この場所を訪れる人々の心を奪う場所、それが韓屋の美しさを誇る黄山村(ファンサンマウル)です。 その村の中でも最も美しい韓屋として評価を受けているのが猿鶴古家(ウォナクコガ・ウォンハクコガ)です。

居昌郡(コチャングン)渭川面(ウィチョンミョン)の捜勝台正門を背にしすこし歩いていくと、樹齢600年を越えるケヤキの大木が人々を出迎えてくれます。そう、ここが黄山村です。黄山村は居昌慎氏(コチャン・シンシ)の集姓村で、住民の八割以上が居昌慎氏の宗親(一族)です。慶尚南道民俗資料に指定された全長1.2キロメートルの石塀に沿って歩いていくと、居昌郡の公共美術プロジェクト事業として誕生した壁画通りにも出くわします。この黄山村は中央を流れる川を境に1区と2区に分かれています。黄山1区村には100年から200年前に建てられた韓屋50軒ほどがありますが、その中でも真ん中に位置する猿鶴古家は500年もの間、この地を守り続けていました。村民たちからは慎氏古家と呼ばれているこの韓屋は楽水(ヨス)・慎権(シン・グォン)先生の10代子孫・慎宗三(シン・ジョンサム)先生が1927年、それまでの家屋を取り壊し再び建築し、その後87年もの間当時の姿のまま保存されている名品古家で、民俗資料第17号にも指定されています。

慶尚南道西部では規模が最も大きく、保存状態もよい猿鶴古家は現在、宗家の一番上の嫁・宗婦(チョンブ)であるパク・チョンジャ女史が 自ら家屋を管理しています。この家屋を一般に初めて開放するようになったのは居昌国際演劇祭の開催が契機でした。毎年開催される居昌国際演劇祭には数千人規模の人々が集いますが、実際にこれだけ大勢の人々を収容できる場所が居昌にはあまりありませんでした。そのため居昌郡はこの韓屋の持ち主であるパク女史に掛け合い、村の伝統を多くの人々に知ってもらい、同時に質の高い韓屋を体験できる機会を提供できる韓屋ステイをやってみてはどうかと提案したのでした。この提案を快諾したパク女史はすぐさま4間ほどの広さだった舎廊チェを改築、より広々した空間を確保し、また同時に最新式の洗面施設を導入するなどきれいで便利な韓屋にリモデリングしました。特に寝具には神経を使い、名品古宅にふさわしいできるだけ快適できれいなところにお泊りいただきたいというパク女史の思いが反映されています。

猿鶴古家は古から現在に至るまで代々、富と権威を持つ名声高き家柄の家でした。パク・チョンジャ女史の義父・慎道晟(シン・ドゾン)先生は国会議員や統一部長官を歴任、夫である慎渭範(シン・ウィボム)先生は学校法人理事長などを務め、両名とも信任と徳を重ねた人物でした。 母屋、舎廊チェ、中門チェ、庫間チェ、高柱の大門、後門などこの韓屋にある全てで7棟の建物にはこのような主人の富と名望がそのまま具現されています。舎廊チェや母屋は雄大な入母屋造りとなっており、特に30坪ほどの広さを誇る舎廊チェの建物は大きな大梁と丸い礎石を用いています。また王宮や寺院建築で見られる高価な装飾もあり、歴史的価値も高いものとなっています。

また、この古家は風水地理学的にも珍しい明堂、つまり大変縁起のよい場所に位置し、今後400年間はその運気が湧き上がり、子孫みなが平和と安寧を享受できる場所だということです。常に祖先に感謝しているというパク女史はこのよい運気が一族ばかりでなく猿鶴古家を訪れる人々にもあまねく及ぼせばこの上ないと語っています。
自然の中で演劇を鑑賞し、すばらしい運気が湧き上がる名品古宅に立ち寄り、韓屋の閑静な趣を感じてみるのはいかがでしょうか。

院洞ピョルミカルビチム(원동별미갈비찜)

院洞ピョルミカルビチム(원동별미갈비찜)

15.8 Km    2595     2020-05-08

慶尚南道 居昌郡 居昌邑 西辺院洞キル14
+82-55-942-1850

居昌の院洞村は「牛カルビスープ(ソガルビタン)」で有名です。この村の数ある食堂の中で「牛カルビの蒸し煮(ソガルビチム)」でもっとも有名なのが「院洞(ウォンドン)ピョルミカルビチム」です。
直接栽培した食材や良質の韓牛、そして二代にわたり受け継がれる秘伝の薬味など、味を引き立てる要素が整っており、1996年には韓国文化伝統保存会から伝統文化名人の称号を与えられました。

月星渓谷(월성계곡)

16.1 Km    64041     2024-02-23

キョンサンナム道コチャン郡プクサン面ウォルソン里

月星渓谷(ウォルソン・ゲゴク)は、月星川が左方向に流れて形成された渓谷です。水が岩と崖を巡りながら美しい景観を成しているため、居昌(コチャン)の小金剛(ソグムガン)と呼ばれます。渓谷の幅は狭いものの、山が深いため水量は豊かです。渓谷の入り口には、素晴らしい景色のため神仙たちが天から降りて遊んだという降仙台(カンソンデ)と昔の亭である帽岩亭(モアムジョン)と徳山亭(トクサンジョン)があります。

鏡湖江(경호강)

鏡湖江(경호강)

16.2 Km    40753     2021-06-23

慶尚南道 三清郡 三清邑 三清大路

今の「鏡湖江(キョンホガン)」は三清郡生草面於西里江亭から晋州の晋陽湖まで約32キロメートルにいたる川で国道3号線沿いに流れているのでドライブをしながら美しい景色を見ることができます。また、鏡湖江は川幅が広くて大きな岩がなく、くねくねと曲がっていて砂と小石が体積していて川の流れが速いながらも、川の流れが渦巻いている場所がほとんどないのでラフティングにぴったりの場所です。

居昌月星宇宙創意科学館(거창월성우주창의과학관)

16.7 Km    0     2024-02-23

キョンサンナム道コチャン郡プクサン面トギュウォルソンロ1312-96

'居昌月星宇宙創意科学館(コチャン・ウォルソン・ウジュチャンウィグァハッカン)は、宇宙の知識を覚え体験することのできる体験中心の科学館です。天体を観測するための最適の条件を満たしています。主な施設としては宇宙人館、宇宙探検館、天体観測館などがあります。体験プログラムとしてはARでの宇宙服の試着、自分だけの宇宙塗り絵、平衡感覚体験などを実施しています。

玉渓書院(陜川)(옥계서원(합천))

17.5 Km    3140     2021-03-17

慶尚南道 陜川郡 鳳山面 西部路 3078-13
+82-55-930-3178

玉渓(オッケ)書院は、朝鮮時代中期の学者・栗谷(ユルゴク)李珥(イ・イ)の遺物である『撃蒙要訣』、『海東淵源録』などを保存するために建てられた書院です。1725年に現在の場所から4キロメートルほど離れたヒャンオク洞に建てられましたが、興宣大院君による書院撤廃令により閉鎖されました。その後、1867年になり、この建物を村の東側200メートルの地点に再建しました。書院の建物には講堂、溯源祠、内三門、外三門、管理舎などがあります。

論介生家(논개생가)

論介生家(논개생가)

17.8 Km    11832     2024-04-07

チョンブク特別自治道 長水郡 長溪面 義巌路558
+82-63-350-1636

論介生家は、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時に殉死した論介を称え作られました。壬辰倭乱の時に倭軍が晋州城を占領すると、論介の夫である崔慶会将軍は川に身を投げ殉死し、論介は夫の仇を討つために妓生と偽り倭軍の宴会の席に参加し、酔った倭軍の将軍を抱きながら川に身を投げて殉死しました。論介生家は、2棟の建物からなる「一字型」の草葺の家で、石垣で囲まれており、部屋の中には掛け軸や寝具、書籍などが置かれています。また、生家址があった地域は徳裕山、梧洞堤など周辺の景観が美しく、長安山国立公園や知止渓谷、トンファダムを繋いだ登山コースがあり、論介生家と関連した観光コースとして1年を通して多くの観光客と登山客が訪れます。