七淵渓谷(칠연계곡) - エリア情報 - 韓国旅行情報

七淵渓谷(칠연계곡)

七淵渓谷(칠연계곡)

6.4 Km    18485     2024-04-07

チョンブク特別自治道 茂朱郡 安城面 七淵路 608
+82-63-323-0577

安城面の通安村の後方、徳裕山側にある大きな岩でできた渓谷とその一帯は七淵岩洞と呼ばれています。茂朱九千洞という渓谷に比べればここはまだあまり知られていない場所ですが、変わった形をした岩や大小さまざまな滝、沼などがあり、小さいながらも美しさはひけを取りません。ここの見どころは七淵瀑布で、7つの滝と淵が連なっていることからついた名前です。上から下へ、透き通った清らかな水が滝をつくりながら流れ落ちていきます。七淵岩洞の下流にある龍湫瀑布はそれほど落差はありませんが、奇岩でできた絶壁に古い松の木、東屋が調和し、趣ある風景をつくっています。また、七淵瀑布の向かい側には朝鮮時代末期に日本軍と戦って戦死した兵の墓である七淵義塚や、若者が自然の中で過ごしながら活力を養う全羅北道自然環境研修院があります。

赤裳山(적상산)

赤裳山(적상산)

6.8 Km    14448     2024-04-07

チョンブク特別自治道 茂朱郡 赤裳面 槐木里
+82-63-322-4174

韓国百景のひとつに数えられる赤裳山(チョクサンサン)は、四方が屏風のような岩に囲まれ、また、その絶壁には紅葉の木が多く、秋になるとまるで山全体が赤いスカートを履いているような風景となることから赤裳山と呼ばれるようになりました。
この赤裳山の山頂・標高1,030.6メートルの最高峰を基点に香炉峰(ヒャンノボン=1,029メートル)への稜線が続き、天一瀑布(チョニルポッポ)、松台瀑布(ソンデポッポ)、将刀岩(チャンドパウィ)、将軍岩(チャングンパウィ)、按廉台(アルリョムデ)など、数多くの観光スポットがあります。
また、1374年に高麗時代の名将・崔瑩(チェ・ヨン)将軍が耽羅(タムナ=現在の済州島)を討伐し、帰京の際にここを訪れ、山の形が要塞を築くのに向いていると考え、王に築城を進言したという言い伝えがあります。
1614年には赤裳山史庫が作られ、朝鮮王朝実録を保管しました。また、1227年に月印和尚(ウォリンファサン)が創建したと伝えられる安国寺(アングクサ)もあります。
赤裳山は登山だけでなく車でも山に登ることができます。茂朱(ムジュ)揚水発電所が建設された際、頂上まで結ぶ15キロメートルの進入道路が開通し、現在では観光客が山頂湖や安国寺入口までこの道を使って行くことができるようになりました。

* 按廉台(アルリョムデ)
赤裳山の頂上の南側には険しい岩が幾重にも重なっている絶壁があり、その上に按廉台があります。按廉台は四方が断崖絶壁となっており、人々は肝をひやしながら登ります。高麗時代には契丹の侵入があった時、この地方を治めていた長官・三道按廉使が兵士を率いてこの場所に入り、陣を張り難を逃れた場所ということで按廉台と名付けられました。

* 将刀岩(チャンドパウィ=将刀岩)
赤裳山城の西門のそばに天を突くかのように立っている将刀岩。高麗時代末期、名将・崔瑩将軍が赤裳山に上って行く途中、絶壁で道が塞がり、持っていた刀を振り下ろして道を開き、山頂に登ったという伝説が残っています。

安国寺(茂朱)(안국사(무주))

7.1 Km    6938     2024-04-07

チョンブク特別自治道 茂朱郡 赤裳面 山城路 1050
+82-63-322-6162

赤裳山城(チョクサンサンソン)に唯一残る名刹・安国寺(アングクサ)は高麗時代の忠烈王(チュンニョルワン)3(1277)年に月印(ウォリン)和尚によって建立されたといわれているお寺です。
朝鮮時代の光海君6(1614)年には赤裳山城内に史閣が、仁祖19(1641)年には璿源閣(ソノンガク)が設置され、赤裳山にある史庫としての役割を果たし、朝鮮王朝実録や王の族譜である璿源録(ソノルロク)が所蔵されました。この時期に史庫を防備するため護国寺(ホグクサ)を建立、それ以前からここにあった安国寺は護国寺とともにこれら史閣を守るための僧兵らの宿所として使われ、安国寺という名称で呼ばれました。
赤裳山揚水発電所の建設により、安国寺は護国寺址があった場所に移築されました。15棟あまりの殿閣は1995年に移築・重創され、山の頂には揚水発電所用の山頂湖である赤裳湖が作られました。秋の紅葉が大変美しく、山の頂まで2車線の舗装道路が続いており、ドライブにおすすめです。 近くには茂朱リゾートや羅済通門(ラジェトンムン)、九千洞(クチョンドン)渓谷があります。主な文化財として安国寺霊山会掛仏幀(宝物)、安国寺極楽殿(全羅北道有形文化財)、赤裳山城護国寺碑(全羅北道有形文化財)、茂朱赤裳山城(史跡)、赤裳山史庫址遺構(全羅北道記念物)などがあり、また世界の仏像を収集・所蔵する聖宝(ソンボ)博物館もあります。

赤裳山史庫址(적상산사고지)

赤裳山史庫址(적상산사고지)

7.3 Km    21674     2024-04-08

チョンブク特別自治道ムジュ郡チョクサン面サンソンロ960

1592年の壬辰倭乱のときにソウルの春秋館をはじめとした全国の史庫が焼失し、春秋館を除いた鼎足山・太白山・妙香山・五台山などに新しい史庫を設置することになりました。1614年に天恵の要塞として知られた茂朱の赤裳(チョクサン)山に実録殿を建てて妙香山の実録を移し、1641年には璿源(ソンウォン)閣を建てて王室の族譜である『璿源録』を保管していました。後に日本により史庫が廃止されるまで、300年以上国家の貴重な国史を保存してきた韓国5大史庫の一つで、全羅北道記念物に指定されています。
この史庫跡は残念ながら赤裳揚水発電所ダムが建設されて水没し、安国寺とともにダムの上側に移転を余儀なくされました。赤裳山は四方が切り立った岸壁で、絶壁周辺にはカエデの木が多く、秋には山全体が赤いスカートを履いたように見えることから「赤裳山」という名前が付きました。

国立徳裕山自然休養林(국립 덕유산자연휴양림)

国立徳裕山自然休養林(국립 덕유산자연휴양림)

7.7 Km    85361     2024-04-07

チョンブク特別自治道 茂朱郡 茂豊面 九千洞路 530-62
+82-63-322-1097

茂朱九千洞の渓谷入口から近い徳裕山自然休養林は、奥まった静かな谷間にあります。カラマツやチョウセンマツが生い茂り、景色がとても美しく、休養林内の林山道は自転車で行き来することもできます。また、周辺には茂朱リゾート、徳裕山国立公園、羅済通門、茂朱揚水発電所など見どころが豊富です。

茂朱トビスコンド(무주토비스콘도)

茂朱トビスコンド(무주토비스콘도)

8.0 Km    1665     2024-04-07

チョンブク特別自治道 茂朱郡 茂豊面 九天洞路350
+82-63-322-6411

「茂朱(ムジュ)トビスコンド」は地下1階~地上4階規模で、さまざまな大きさの客室と付帯施設を備えています。周辺には多くの遺跡や観光地がある他、茂朱は南部エリアのスキーのメッカでもあります。

ムーンリバーペンション[韓国観光品質認証](문리버펜션[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

ムーンリバーペンション[韓国観光品質認証](문리버펜션[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

8.1 Km    46     2024-04-08

チョンブク特別自治道 ムジュグン クチョンドンノ 289-4
+82-63-322-7009、 +82-10-2004-0738

「ムーンリバー」は、徳裕山の中腹に位置する環境にやさしい丸太のペンションであります。夏場の平床でゆっくり休みなが、楽しく水遊びができ、夕方には渓谷の周辺を散歩したらホタルに出会うことができます。車で5~10分の距離に茂朱の九千洞渓谷、徳裕山の国立公園、茂朱リゾートがあり、20分の距離にテコンドー公園があります。車から2分の距離にあります居昌の白頭大幹の生態教育場内の幼児森体験院は、子供連れの家族旅行客に有益であります。 

茂朱ネバーランド(무주네버랜드)

茂朱ネバーランド(무주네버랜드)

8.2 Km    14962     2024-04-07

チョンブク特別自治道 茂朱郡 無風面 亀川洞路 289-55
+82-63-322-8338

ペンション「茂朱(ムジュ)ネバーランド」は、手付かずの自然が残る茂朱九千洞に位置しています。ペンションの裏側には鬱蒼とした森があり、前には渓谷があります。ペンションは丸太を使って建てられたログハウスで、自然に溶け込んでいます。各客室のドアの前にはバーベキュー道具が備えられており、バーベキューを楽しむことができます。茂朱では毎年茂朱ホタル祭りが開かれ、冬は南大川で氷祭りも行われます。気候が温暖な全羅道では珍しいスキー場も近くにあります。

茂朱 赤裳山城(무주 적상산성)

茂朱 赤裳山城(무주 적상산성)

8.3 Km    7941     2024-04-07

チョンブク特別自治道 茂朱郡 赤裳面 槐木里
+82-63-322-2905

茂朱郡赤裳面にある赤裳山(1,034メートル)は、四方が層岩絶壁で囲まれています。この山の上の安国寺があった場所に茂朱揚水発電所所の上部貯水池である赤裳湖が建設されましたが、この湖の周りに長さ8,143メートルの赤裳山城があります。高麗時代、契丹族の侵略があった際に近隣の数十の村から逃げてきた人たちが難を逃れた他、高麗末期の日本軍の侵略の際は、三道按廉使が軍隊を引き連れ応戦した古城だとされています。
高麗末期恭愍王23年(1374年)三道都統使であった崔瑩将軍が都に帰る途中、四面が切り立った岸壁で囲まれた天然の要塞を見て感嘆し、山城を建設することを王に建議したといいます。その後、朝鮮時代に入り、山城を建設し、5大史庫のうちの北側史庫が危険に晒された際に赤裳山史庫を設置し、韓国の国史を守ってきた由緒ある場所です。

徳裕山国立公園(南徳裕分所)(덕유산국립공원(남덕유분소))

徳裕山国立公園(南徳裕分所)(덕유산국립공원(남덕유분소))

8.7 Km    7927     2021-07-09

慶尚南道 居昌郡 北上面 蘇井里

1975年に国立公園に指定された「徳裕山(トギュサン)国立公園/1,614メートル)」は全羅北道、慶尚南道の2道4郡に渡る広大な公園です。1,614メートルの北徳裕山のヒャンジョク峰から1,507メートルの南徳裕山に至る稜線はその長さが17.5キロメートルに達し、高度もまた1,200メートル以上ある他、標高1,330メートル以上の峰が5つ、大きな渓谷も8つあり、巨大な規模となっています。
徳裕山のすばらしい自然景観や寺院や文化財、スキー場などに加え、韓国の10大観光エリアの一つとされる茂朱九千洞(ムジュクチョンドン)は羅済通門から白蓮寺に至る25キロメートルの渓谷一帯を指し、特に九天洞33景が有名です。また、標高900メートルの高地に位置する白蓮寺は九天洞渓谷のただ一つの寺刹で、高麗時代に製作されたという三尊石仏が有名な他、壬辰倭乱(文禄の役)を前後して歴代の高僧を数多く輩出した寺としても知られています。
四季折々の美しさを誇る徳裕山には約600種の動物と約250種の植物群が分布しており、珍しい朱木(アララギ)の木が群れをなす独特の景色を楽しむこともできます。