18.0Km 2021-07-20
慶尚南道 山清郡 三壮面 坪村油坪路453
大源寺(テウォンサ)は548年、智異山の天王峰の東側に縁起祖師が創建した寺で、当初は平原寺と呼ばれていました。その後、千年の間廃寺となっていましたが、1685年に雲捲禅師が寺を建立し、大源庵と寺名を改称しました。その後何度か改修を繰り返した後、麗水順天事件と韓国戦争(朝鮮戦争)で廃墟となり、しばらく放置されていました。1955年9月に法一和尚が住職に任命され、1986年までに大雄殿などを建てて今日に至ります。寺の近くには昔、ソンビ(学者)が修学したという居然亭、君子亭があります。
19.0Km 2025-01-07
キョンサンナム道サンチョン郡クムソ面トンイボガムロ555ボンギル61
+82-55-970-6670
韓方の薬材に関心の高い韓国人にとって、『東医宝鑑』と許浚(ホ・ジュン)は信頼の的となっています。この山清(サンチョン)は、『東医宝鑑』の著者、許浚が医学を学んだ地域でもあります。山清は智異山に位置していますが、智異山は約1000種以上の薬草が自生する名山で、薬草を求める韓方医にとって薬材の宝庫とされています。山清韓方薬草祭りは、韓方診療や韓方鍼などを体験できる場所を中心に、祭り広場はフォトスポット、ティースポット、薬草鉢作りスペース、薬草鉢グッズの展示・販売スペースなどを含む薬草庭園が造成されています。また、薬草カンジョン、懐かしい薬草タルゴナ(砂糖菓子)、韓方ハーブカクテル、大王薬湯器韓方薬茶などを作る体験もできます。
『東医宝鑑』
1610年に名医の亀岩・許浚が中国と朝鮮の医学書を集大成して著した医学書。東洋最高の医学の百科事典という評価を受け、2009年にユネスコ「世界の記憶」に登録されました。
代表イベント・体験
薬草庭園
山清韓方薬局体験
私の体にぴったりの韓方薬体験
19.1Km 2024-12-12
キョンサンナム道サンチョン郡クムソ面トンイボガムロ555ボンギル45-6
韓方ヒーリング、ワンストップで楽しむ!!
2007年に設立された韓国初の韓方医学専門博物館を中心に、韓方テーマパークやサンチョン(山清)薬草館、韓方気体験場、韓方自然休養林、韓方医院など「韓方ヒーリング」を体験できる全ての施設が集まっています。『東医宝鑑』の著者、ホ・ジュン先生はいなくても、彼が残した韓方医学の知識に様々な形で触れることができます。慢性的なストレスに悩む方におすすめの場所です。
19.2Km 2024-02-21
キョンサンナム道ハミャン郡ピョンゴク面ピョンゴクチゴクロ331
咸陽大鳳山(ハミャン・テボンサン)休養バレーは、咸陽大鳳山の麓にある総合休養観光団地です。自然の中でスリルを満喫することができる山岳モノレールとジップラインがあり、キャンプ施設、宿泊施設、そして森林浴場も備わっていて、アクティビティと休息を一箇所で楽しむことができます。ジップラインは標高1,200メートルの高さにあり、全長3.27キロメートルに達します。
19.8Km 2024-02-08
キョンサンナム道ハドン郡ファゲ面モガプギル103
標高720メートルに位置する仏日滝(プリルポクポ)は、高さ60メートル・幅3メートルで智異山(チリサン)最大の滝です。上下2段になっており、滝の下にあるヨンチュ池とハク池が自然の神秘を感じさせます。双磎寺(サンギェサ)から3キロメートルの地点にあり、双磎寺を見て回ってから仏日滝へ行くのがおすすめのコースです。
19.8Km 2021-02-18
全羅南道 求礼郡 土旨面 ピアゴル路
+82-61-780-2450
「ピアゴル」は智異山・老姑壇(ノゴダン)と盤若峰(パニャボン)の間に位置する渓谷です。秋の紅葉が真っ赤なのが血のように見えることからつけられた名前(血は韓国語で「ピ」)で、智異山十景のひとつに数えられています。
ここは韓国内でも有名な紅葉の名所であり、四季折々の美しさが感じられるところです。春にはツツジが満開になり、夏には森の緑が鬱蒼と生い茂り、冬は山全体に降り積もった雪が壮観を成します。渓谷の入口には智異山でもっとも大きい燕谷寺(ヨンゴクサ)など国宝級の文化財が多くあります。また入場券売り場からピアゴル山荘まで6キロにおよぶ山道の風景もとても美しいことで知られています。
渓谷もまた険しくなく、誰でも歩くことができる散歩コースとなっています。渓谷入口から三紅沼までが特に美しく、毎年ピアゴル紅葉まつりが開かれる時期には紅葉渓谷ウォーキング、特産品販売、観光写真展などのイベントが行われます。
19.8Km 2024-02-23
キョンサンナム道ハドン郡ファゲ面サンゲサギル59
聖徳王21年(722年)に義湘大師の弟子である三法が創建した双磎寺(サンゲサ)は、全羅南道求礼邑から21キロメートル地点の、慶尚南道河東郡花開面花開里から雲樹里までの6キロメートル桜の木が並んでいる智異山の南の麓にあります。初期の名前は玉泉寺でしたが、その後、文聖王2年(840年)に真鑑国師 が再建した後、887年定康王が、禅寺の徳を仰いで双磎寺と改称しました。今の建物は壬辰倭乱(文禄・慶長の役)のときに消失したものを再建したものです。
双磎寺の春の桜は特に有名で、渓谷の澄んだ水と奇岩、古木が優れた景勝を作り出しています。境内の見所としては崔致遠の親筆である双磎石文、真鑑禅師大空塔碑(国宝)を過ぎ、北側500メートルほど行くと国師庵の庭に天然の楡の木、また東側に2キロメートルほど行くと青鶴峰と白鶴峰のふたつの渓谷を有する高さ60メートル幅3メートルのプリル瀑布(智異山10景のひとつ)などの名所があります。
また、双磎寺はお茶とゆかりの深い場所で、新羅・興徳王3年(828年)金大廉が唐の国に使臣として行って帰国した際、初めてお茶の種を持ち込み、王令で智異山の南側、双磎寺一帯に植え、最初の栽培地と言われています。そのため、お茶の栽培地記念碑(道記念物)もあります。