ノガネ(노가네) - エリア情報 - 韓国旅行情報

ノガネ(노가네)

ノガネ(노가네)

15.9 Km    0     2024-01-11

キョンサンナム道ハミャン郡ハミャン邑ヌェギェギル283

体を温めてスタミナをつけてくれる韓国の代表的な滋養食、サムゲタンや鴨肉の水炊きなどを提供しています。普段なかなか食べられないコウタケ(広葉樹林で育ち、独特の香りと味、弾力のある食感が特徴)や貴重な山参(天然高麗人参)を使っているのが特徴です。代表メニューのコウタケ入りサムゲタンは大きな鶏をじっくり煮込んであるのでお肉が柔らかく、たっぷり入ったコウタケとニラの味が程よくマッチし、ボリューミーで満足感があります。各種韓方材料がたっぷり入ったスープの濃厚な味が絶品で、食欲を高めるキムチや漬物などのおかずもおいしく多くの常連客が足しげく通います。

智異山国立公園(山清)( 지리산국립공원(산청))

智異山国立公園(山清)( 지리산국립공원(산청))

16.7 Km    20679     2024-02-27

キョンサンナム道サンチョン郡シチョン面チリサンデロ320-2

智異山(チリサン)国立公園は韓国初の国立公園で、漢拏山(ハンラサン)の次に高い天王峰(チョヌァンボン)と般若峰(パニャボン)、老姑壇(ノゴダン)などの峰があります。山好きの登山客がよく訪問する山で、内院寺(ネウォンサ)渓谷など景色が美しい公園です。智異山自然休養林、内院寺などの観光スポットと山荘、キャンプ場、ペンションなどの便利施設があります。

求礼サンシュユ祭り(구례산수유꽃축제)

求礼サンシュユ祭り(구례산수유꽃축제)

16.7 Km    9011     2024-02-22

チョンラナム道クリェ郡サングァン1ギル45
+82-10-2079-4546

3月になるとサンシュユの黄色い花が壮観をなす求礼(クリェ)地域では毎年、サンシュユの花言葉「永遠不変の愛」をテーマに求礼サンシュユ祭りが開かれ、さまざまな体験プログラムや音楽会などが楽しめます。

イベント内容
豊年祈願祭、開幕公演、子ども弓術体験、サンシュユ花道ウォーキング、農楽ハンマダンなど

山清 伝・仇衡王陵(산청 전 구형왕릉)

山清 伝・仇衡王陵(산청 전 구형왕릉)

16.8 Km    17192     2020-07-13

慶尚南道 山清郡 今西面 仇衡王陵路
+82-55-970-6411

伝・仇衡王陵(チョン・クヒョンワンヌン=仇衡王陵と伝えられている王陵という意)は伽倻(カヤ)の第10代の王・ 仇衡王(クヒョンワン)の墓として後世に伝えられている積石塚で、仇衡王は仇亥(クヘ)あるいは譲王(ヤンワン)とも呼ばれています。伽倻の王・仇衡王はその後の新羅の将軍・金庾信(キム・ユシン)の曽祖父にあたる人物です。521年に伽耶国の王に即位し、532年新羅の法興王(ポプンワン)に領土を明け渡すまで11年間、王の座に在位しました。

この墓を巡り、石塔であるという説と、王陵であるという説の二つの説があります。この石積塚を塔と見る見解はこれと似たものが安東(アンドン)と義城(ウィソン)地方に分布していることを根拠にしています。
一方、王陵であるという根拠は韓国全土を網羅した地理誌「東国輿地勝覧」の山陰県山川條のところに「県の40里(注:韓国の1里は約400m)の山中に石で積まれた九龍があるが、四面にすべて段々となっておりが、世俗には王陵と伝えられている」という記録があります。

この墓に王名を付けた記録は朝鮮時代の文人・洪儀泳(ホン・ウィヨン=1750~1815年)の「王山尋陵記」(ワンサンシムヌンギ)に初めて登場しますが、墓の西側に王山寺(ワンサンサ)という寺があり、寺に伝えられている「王山寺記」に仇衡王陵という記録があったといいます。

一般の墓とは違い、傾斜のある丘の中腹にすべてで高さ7.15mの階段式の石段をなしています。前から見ると7段になった石積みで、後ろからは急な傾斜をそのまま利用して作られているため、平地に作られたピラミッド型の階段状の石積みとは異なった形となっています。墓の最上部は楕円形に石が積まれています。

 積石塚の真正面には「駕洛国譲王陵(カラックク・ヤンワンヌン)」と書かれた碑石があり、そのそばには石造物がいくつかありますが、これは近年に建てられたもので王陵の時代のものとは異なります。

朝鮮時代末期の正祖17(1793)年には、王山寺で長年伝承されてきた木箱から発見された仇衡王と王妃の肖像画、衣、弓などを収蔵するため、「徳譲殿(トギャンジョン)」という殿閣を建立、今日でも春や秋になると祭祀を執り行っています。




[詳細解説]
仇衡王陵と伝えられているこの積石塚・伝仇衡王陵は、駕洛編年記(カラクピョンニョンギ)によれば、新羅時代の法興王19(532)年、仇衡王が方丈山(パンジャンサン)の太王宮(テワングン)で亡くなり譲王(ヤンワン)という諡号(贈名)を追号しそこに埋葬されたということから、駕洛国第10代譲王の陵と言われています。譲王は新羅の王との戦いに敗れ、戦死したとも伝えられています。

この墓は一般の墳墓とは異なり、石積みの階段状になった方形をしており、西から東へと下る斜面に雑石で築造しています。
正面は7段となっていますが、後面は斜面に作られていることもあり前面に比べ傾斜があり段数も少なくなっています。石礫は正面からみても直線に積まれてはおらず、やや曲がった形で積まれ、また四隅も明確な形で作られておらず、最も上の部分は土を盛り上げて作る封墳のように楕円の半球型の形に石が積まれています。
前面中央から一番高いところまでの高さは7.15mほどあり、何の目的で作られたかは定かではありませんが第4段の東側に幅40cm、高さ40cm、深さ68cmの小さな仏像や位牌などを安置する龕室(カムシル)が設けられています。

この石積塚の周りには同じような雑石で高さ1mほどの塀が築かれており、また石積塚の真正面には「駕洛国譲王陵」と刻まれた石碑が建っています。さらに、その石碑の前には供え物などを置く平たい床石や石灯篭の一種・長明灯(チャンミョンドゥン)もあります。
その左右には文人石・武人石・石獣がそれぞれ一対ずつありますが、これら石造物は最近建てられたものであり石積塚とは年代的に大きな差がある石造物です。

この石積塚をめぐっては従来石塔という説と王陵という二つの説が提起されてきました。まず、これを石塔とする説はこのような形態の石塔が安東や義城地方に分布していることを根拠に挙げています。
一方、王陵とする説は「東国輿地勝覧」の山陰県山川條に「王山(ワンサン)」についての記述があり、その 脚注に「県の40里の山中に石で積んだ九龍があるが、四方すべての面が段々となっており、世間には王陵と伝えられている」という記録があります。
この墓を仇衡王陵という名称で初めて言及したのは洪儀泳(ホン・ウィヨン=1750~1815年)の ≪王山尋陵記(ワンサンシムヌンギ)≫でのことですが、近くにある王山寺(ワンサンサ)に伝えられている≪山寺記巻(シンサギグォン)≫に仇衡王陵と書かれていたといいます。
他の史料≪山清県遺誌≫によれば、正祖22(1798年)初めて王陵について言及したと記録している書物は、洪儀泳の ≪王山尋陵記≫で、これを根拠に王陵と判断したと思われます。伝えられるところでは、およそ200年前に村の人々が山に登り、祈雨祭(雨乞い)を行ったところ雨が降り、下山した王山寺で雨宿りをしていると、本堂の梁の上に正体不明の大きな木箱を見つけ、これを梁から下ろして中を見てみると、その中から仇衡王やその王妃の肖像画や服、弓、刀などの遺物とともに名僧・担渶(タンヨン)が記した王山寺記を発見、これを手掛かりに王陵を探し出すことができたといいます。
この時発見されたこれら遺物を所蔵するために朝鮮時代後期の正祖17(1793)年に徳譲殿を建て、それ以降毎年春と秋に追慕祭を執り行っています。

智異山家族ホテル(지리산 가족호텔)

17.2 Km    2793     2020-12-05

全羅南道 求礼郡 山洞面 智異山温泉路317

韓国教職員元共済会では、ソウル、慶州、雪岳教育文化会館に続き、智異山(チリサン)観光団地内に 最新施設を揃えた「智異山家族ホテル(JIRISAN FAMILY HOTEL)」をオープンしました。国立公園第1号に指定された智異山は、3道5ヶ郡にわたり、韓国8景の1つであると同時に、韓国5大名山中の1つに数えられ雄大壮厳で、季節ごとに美しい風景を誇る名山です。このような智異山裾の山洞温泉地区にある智異山家族ホテルは、134室のコンドミニアム型客室とカフェテリアをはじめ、優れた水質の温泉サウナを備えた全天候型レジャー 施設です。また大型宴会場や会議室、広い室内プールと余裕ある遊び空間などは、各種セミナーや修学旅行などの団体の集まりにぴったりです。

智異山国立公園(河東)(지리산국립공원(하동))

智異山国立公園(河東)(지리산국립공원(하동))

17.6 Km    17357     2022-09-29

慶尚南道 河東郡 花開面 花開路

全羅北道、全羅南道、慶尚南道にまたがっている「智異山(チリサン)国立公園」は、韓国で初めて国立公園として指定された名山です。また、周囲には見逃せない観光名所も多く、慶尚南道地域には双磎寺、七仏寺などの寺をはじめとし、仏日瀑布、花開渓谷、青鶴洞、道人村など観光資源が豊富です。

老姑壇ゲストハウス&ホテル[韓国観光品質認証](노고단 게스트하우스&호텔[한국관광품질인증제/ Korea Quality])

老姑壇ゲストハウス&ホテル[韓国観光品質認証](노고단 게스트하우스&호텔[한국관광품질인증제/ Korea Quality])

17.6 Km    1322     2020-12-16

全羅南道 求礼郡 山洞面 下官1キル 40
+82-10-5477-6288

全羅南道求礼郡(クレグン)官山里(クァンサンリ)にある老姑壇(ノゴダン)ゲストハウス&ホテルは智異山のパノラマを臨む休息型宿泊施設です。
主に週末や休み期間を利用し家族連れで智異山求礼トゥルレキルを散策する観光客が多くなっています。
このホテルの特長は全室ゲルマニウム温泉のお湯が楽しめること。登山から帰ってきて温泉で疲れを癒すことができます。きれいに整備された屋上庭園からは智異山の風景も満喫できます。
往復15,000ウォンで老姑壇までの送迎を行っており、バスが運休となる冬期には特に登山へ向うお客様に人気を博しています。ご希望によって無料で登山ガイドも行っています。

智異山温泉ランド(지리산온천랜드)

17.8 Km    12812     2020-08-19

全羅南道 求礼郡 山洞面 智異山温泉路261
+82-61-780-7800

智異山(チリサン)温泉は、4千坪の敷地にテーマパーク型露天温泉施設を有しており、100%天然ゲルマニウム温泉水を使用しています。各種成人病の予防や新陳代謝を活発にするだけでなく、免疫力もアップしてくれます。また、体温を一定に維持し血液循環をよくして老廃物を排出させることで体を軽くしてくれます。
露天温泉テーマパークでは十二支神を形象化したテーマ温泉、ヒノキの湯、桃源郷をテーマとしたバーデプール、瀑布の湯などを楽しむことができます。温泉施設の他にはチムジルバン、約60室の最新式客室と付帯施設を備えたホテルもあり、客室にもゲルマニウム温泉水が引かれています。

燕谷寺(求礼)(연곡사(구례))

燕谷寺(求礼)(연곡사(구례))

17.9 Km    29071     2021-02-25

全羅南道 求礼郡 土旨面 ピアコル路774
+82-61-782-7412

求礼郡にある「燕谷寺(ヨンゴクサ)」は543年に華厳寺の宗主・縁起祖師によって創建されました。その後、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)で焼失、さらに韓国戦争(朝鮮戦争)でも焼失しました。1981年3月1日、当時の住職であるチャン・スンブ僧侶が政府の支援とお布施で昔の本堂を撤去し、そこに御影石と自然石で石垣を築いて正面5間、側面3間の新しい本堂を建てました。寺の名前を燕谷寺としたのは、縁起祖師がここでツバメを見たことに由来しています。縁起祖師が初めてここに来て風水地理を見ていた時、現在の本堂の場所に池がありました。池を注意深く見ていると中央の水が渦巻き、一羽のツバメが飛び立ちました。そこでこの池を埋めて本堂を作り、寺の名を燕谷寺としたと伝えられています。

智異山丸太山荘(지리산통나무산장)

智異山丸太山荘(지리산통나무산장)

17.9 Km    26771     2020-11-18

慶尚南道 山清郡 矢川面 智異山大路511番地11-36
+82-55-973-0666

慶尚南道山清郡の智異山に位置する丸太ペンション「智異山丸太山荘」は、森の中の静かな場所にあります。智異山丸太山荘はオーナーが作り上げたもので、内部・床・壁・天井全体が丸太でつくられているため、環境にやさしい建物となっています。客室は2人室からファミリールーム、小規模団体室など、さまざまなタイプがあり、付帯施設にはバーベキュー場や子ども用プールがあります。夏場はペンション近くの渓谷で水遊びができます。智異山天王峰が目の前に広がり、中山里渓谷を通って天王峰まで登ることもできます。