順天楽安邑城民俗文化祭り(순천 낙안읍성 민속문화축제) - エリア情報 - 韓国旅行情報

順天楽安邑城民俗文化祭り(순천 낙안읍성 민속문화축제)

順天楽安邑城民俗文化祭り(순천 낙안읍성 민속문화축제)

14.3 Km    7757     2023-10-17

チョンラナム道スンチョン市ナガン面チュンミンキル30
+82-61-749-8831

楽安邑城民俗村は、約200棟のわらぶき屋根の家に農業を営みながら実際に人々が居住している民俗村です。朝鮮時代の昔の姿がそのまま残されている楽安邑城民俗村は、史跡に指定されています。楽安邑城(ナガンウプソン)民俗文化祭り」は、伝統と現代が共存している楽安邑城民俗村を代表するお祭りで、伝統郷土料理、昔の人々の息づかいを感じることができる体験、国楽公演、メディアアートパフォーマンスなど見どころ豊富です。

イベント内容
1. メインプログラム:伝統婚礼、城郭積み再現、守門将交代式、百中ノリ(遊び)再現、騎馬将軍巡邏儀式
2. 付帯プログラム:楽安ゴールデンベル、ナンタ公演、民俗ノリコンテスト
3. 消費者参加プログラム:似顔絵ドローイングショー、観光客記念写真無料撮影
4. その他:チャンスンづくり体験、伝統韓紙工芸、キーホルダーづくり、花ヘアピンづくり、ゾンビ体験など

金銭山(금전산)

金銭山(금전산)

14.3 Km    10774     2021-07-19

全羅南道 順天市 楽安面 上松里

全羅南道順天にある金銭山(クムジョンサン)(海抜668メートル)は曹渓山から伸びた1つの山脈が南方に下りながら鼓動山を経てできている岩山です。
金銭山の昔の名前はセェ山でしたが約100年前に金銭山に変わったと言われています。漢字の意味を直訳すると金で出来たお金の山です。しかし実は仏家から由来した名前で、「仏様の優秀な弟子達である五百比丘(もしくは五百羅漢)金銭比丘から山の名前をとった」といわれています。

国立楽安民俗自然休養林(국립 낙안민속자연휴양림)

国立楽安民俗自然休養林(국립 낙안민속자연휴양림)

15.0 Km    20415     2020-11-27

全羅南道 順天市 楽安面 民俗マウルキル1600
+82-61-754-4400

全羅線と慶全線が交差し南海高速道路と湖南高速道路が通る交通の重要地域で、交通の便が良く楽安邑城民俗村から約2キロメートルのところに位置しています。楽安邑城や周りの景観も美しく一休みするのに最適であるだけでなく、近くに松広寺や仙巌寺など伝統古寺と西山の夕焼けを同時に楽しめる住岩湖、上沙湖があったり数千もの葦が美しい海辺、そして楽安邑城民俗村で行われる文化祭りなど、観光名所も多く一年を通して楽しめる休養地です。
楽安民俗自然休養林は順天~楽安間の地方道沿いに位置した、小規模ながらも落ち着いた一般家庭の庭園のような雰囲気が漂う国立自然休養林で理想的な地理的条件を満たしており、左右には金錢山(667.9メートル)、五峰山(591メートル)という2つの大きな山に囲まれ、雨がたくさん降った日には金錢山の麓にある休養林の隠れた秘境であるチョニョの滝が絶壁の間を力強く流れる光景が美しい景観をつくります。
また、順天地域の民族祭である楽安民俗文化祭り(4月末~5月初め)と南道飲食祭(10月)が休養林に近い楽安邑城民俗村で毎年開かれ、近隣の麗水市ではチンダルレ祭りや亀船祭りが4月から5月の間に、そして宝城郡では茶香祭や日林山ツツジ祭りが5月にそれぞれ開かれます。

旧宝城旅館(구 보성여관)

18.3 Km    25188     2018-05-18

全羅南道 宝城郡 筏橋邑 太白山脈キル 19
+82-61-858-7528

旧宝城旅館は1935年建設された日本式2階建ての建物で、日本の木造建築の特徴をよく留めている保存価値が高い建造物です。

韓国の大河小説「太白山脈」が映画化された際、反乱軍討伐隊長・林万洙(イム・マンス)と隊員らが宿泊した南道旅館の実際のモデルとなった旅館です。2004年には登録文化財第132号に指定されました。2008年になると文化遺産国民信託がこの宝城旅館を買い上げ、2011年老朽化した宝城旅館の復元工事が完了しました。

特に「旧宝城旅館」は建築物としてだけではなく、宝城郡筏橋(ポルギョ)における近現代歴史文化遺産の重要な拠点としての価値もまた高いところです。

太白山脈の小説の背景となったその時代にもこの建物は旅館として利用され、実際の旅館の屋号も宝城旅館でした。小説では林万洙と隊員らが一時宿舎として利用していました。

板張りの外壁、トタン葺きの屋根、典型的な日本式で建てられた2階建ての建物は昔の姿そのものです。
日本人は日帝強占期、全国にこのような木造の建物を数多く建築しましたが、現在に至る間までに数多くのこのような日本式の建物が保存されることなく取り壊され、コンクリート作りの建物に取って代わられました。

今日まで旅館や商店として使われてきた建物ですが、2004年近代建築史上及び生活史上、価値が高いと評価され、登録文化財に指定されました。

* 面積: 敷地529平方メートル(約169坪)/ 建築面積 416平方メートル(約126坪)
* 構造:木造及び煉瓦造2棟(日本式2階建1棟、韓式平屋1棟)