341.35069166439087m 0 2024-05-02
チョンラブク道チョンジュ市ワンサン区コマピョンロ125
-
350.82731552516304m 0 2024-04-29
チョンブク特別自治道チョンジュ市ワンサン区テジョロ15
-
368.9509436391632m 0 2024-04-08
チョンブク特別自治道チョンジュ市ワンサン区ウンヘンロ61
按摩足湯カフェ・チョンマンは、全州(チョンジュ)韓屋村の中にある足湯スパ施設です。旅の疲れを癒してくれるアロマ足湯を楽しみながら、風情ある韓屋村の景色を堪能することができます。アロマ、ペパーミント、ローズマリーなど様々な入浴剤が用意されており、足湯と肩のマッサージを受けると、飲み物が無料で提供されます。所要時間は約40分です。
387.379635011827m 14516 2024-04-08
チョンブク特別自治道チョンジュ市ワンサン区キリンデロ55
全州郷校の北側の崖の上にある梧木台は、1380年に李成桂が雲峰の荒山で倭寇を打ち破って帰郷する途中、立ち寄って戦勝を祝った場所です。ここは李成桂の祖先である穆祖が住んでいたところで、後に高宗皇帝の直筆による太祖高皇帝駐畢遺址碑が建てられました。ここから陸橋を渡ると梨木台があり、カトリック聖地・致命子山のある僧岩山の端に位置しています。
梧木台から陸橋を渡って70メートルほど上がった所に梨木台があり、その80メートル下方には碑石と碑閣が建てられています。この碑には穆祖大王旧居遺と刻まれていて、これも高宗皇帝の直筆です。穆祖は朝鮮王朝を建国した李成桂の5代前の祖先で、穆祖が幼い頃にここで陣取りごっこをして遊びながら住んでいたところとして知られています。穆祖がここから咸鏡道に移動して行ったことで、李成桂が朝鮮王国を建国することができた契機になったと言われています。
399.94879985113664m 13098 2024-04-08
チョンブク特別自治道チョンジュ市ワンサン区プンナムムン3ギル1
朝鮮王朝が開かれてすぐに全州は豊沛之郷(王の故郷)として重要視され、1392年には完山留守府に昇格し、湖南地域を管轄する全羅道の首府となりました。豊南門は1388年に崔有慶観察使が築造しました。1734年に趙顕命観察使が府城を大きく改築し、その時に東・西・北の門は壊され、3階建てであった南門だけが残りました。1767年に火災で焼けてしまいましたが、観察使の洪楽仁が城楼を復旧し、豊南門に改名しました。豊南門は壬辰倭乱のときに敵に火をつけられてしまい、またその後、東学軍が全州に進撃した際には豊南門で激戦を繰り広げた末に官軍を撃退し、一時的ではありましたが和約を結ぶなど重要な歴史的瞬間を見てきた城門です。かつては豊南門の鐘閣で鐘をついて府城内に朝夕を知らせていましたが、現在ではソウルの普信閣の鐘のように1月1日午前0時に除夜の鐘がつかれます。
405.82894055526225m 1621 2024-04-08
チョンブク特別自治道 ウンヘンノ 56-1
+82-10-8669-6700
「全州韓屋宿泊体験館」は、全州の韓屋村の中心部である銀杏路にあり、韓屋村を旅行するのに便利であります。路地に沿って奥に入ってこそ会えるので、銀行路の煩雑さは心配しなくても良いです。全客室はオンドルで構成されており、複層の空間があって子供たちに人気があります。また、浄水器を設置して利便性を高めました。朝食はトーストとアメリカーノ、果物とお茶を提供し、屋外の庭にはテーブルがあって休息を取るのにも良いです。
420.8565973521174m 0 2024-04-24
チョンラブク道チョンジュ市ワンサン区パルダルロ126、1階(チョン洞)
-
467.1058098159453m 22239 2024-05-23
チョンブク特別自治道チョンジュ市ワンサン区ヒャンギョギル139
高麗時代の末頃に賢儒の位牌を奉安・配享し、地方の人々の教育と教化のために建てられました。当時の位置は現在の慶基殿の近くでしたが、太祖李成桂の晬容を奉安するために慶基殿が竣工され、1410年(太祖10)全州城の西側の黄華台の下に移転しました。その後、巡察使・張晩と儒林たちが一緒に1603年(宣祖36年)に現在の位置に再び移転させ、現在に至っています。1654年(孝宗5)、1832年(純祖32)、1879年(高宗16)、1904年に補修が行われ、1922年に明倫堂が補修されました。朝鮮時代後期、境内に3つの大成殿、各10の東廡と西廡、神門、外門、万化楼、5つの明倫堂、各6つの東斎と西斎、3つの啓聖祠、神門、入徳門、4つの司馬斎、6つの養士斎、2つの冊板庫、職員室、祭器庫、守僕室などがある全99間の大規模な建物でした。このため、郷校は全羅道53校の首都郷校とされました。その後萬化楼は1886年(高宗23)に洪水により水没し冊板庫は観察使趙翰国が官庫所有の冊板を全州郷校に移送し冊板庫内を管理しようとしましたが、1920年の洪水と1950年の韓国戦争によりほとんどなくなってしまいました。
大成堂は、全羅北道有形文化財に指定されており、五聖・10哲・宋朝六賢の位牌が奉安されています。また、東廡と西廡には有若・宓不斎・伏勝・董仲舒・韓癒・李侗や、韓国18賢の位牌が奉安されています。
470.265225659906m 31130 2024-05-24
チョンブク特別自治道チョンジュ市ワンサン区テジョロ44
「慶基殿(キョンギジョン)」は、朝鮮王朝を建国した太祖・李成桂の御真(肖像画)が祀られているところです。朝鮮第3代王・太宗が1410年に全州・慶州・平壌に「御容殿(オヨンジョン)」を創建し、太祖の肖像画を奉安しました。その後、1412(太祖12)年に太祖真殿(テジョチンジョン)と呼ばれるようになりましたが、1442(世宗24)年に全州の御容殿は「慶基殿」、慶州は「集慶殿」、平壌は「永崇殿」と名づけられました。
慶基殿は壬辰倭乱の際に焼けてしまいましたが、1614(光海君6)年に再建されました。建物は本殿・軒・翼廊などからなり、内三門・外三門により仕切られています。