17.1Km 2021-08-04
忠清南道 扶余郡 扶余邑 東門路142番キル100-11
「扶余羅城(プヨナソン)」は百済の首都・泗沘(サビ)を守るために造られた周囲84キロメートルの城で、扶蘇山城(プソサンソン)を中心として東西に伸びています。平壌にある羅城とともに古い羅城のひとつで、熊津(現在の公州)から泗沘(現在の扶余)に遷都した538年ごろに築城されたものとみられています。城壁は扶蘇山城の東門があった場所から始まって錦江まで土が積み上げられており、現在はわずかにその痕跡を残すのみです。
18.7Km 2025-09-16
チュンチョンナム道コンジュ市クンセム3ギル8
+82-41-960-5525
鳳凰斎(ポンファンジェ)韓屋(ハノク)ゲストハウスは、忠清南道公州に位置しています。計4つの客室で、屋根裏部屋が含まれた複層タイプの奥の間は家族が主に訪れます。上の部屋と向かい側の部屋はこぢんまりとした大きさで、端の部屋は縁側付きの小さな部屋です。部屋ごとにバスルーム及びトイレがあり、板の間、キッチン、庭は共用空間です。簡単な朝食を無料で提供し、公州旧都心徒歩ツアーと写真作家のスナップ撮影パッケージプログラムも運営しています。公州の主要観光地を徒歩で楽しめます。
18.8Km 2023-12-26
チュンチョンナム道プヨ郡プヨ邑クムソンロ5
扶余(プヨ)市内の南東錦城山の麓にある「国立扶余博物館」は1929年財団法人「扶余古跡保存会」が発足し、百済の文化財や遺物を集めて扶蘇山の南に位置した朝鮮時代の官衙客舎に展示するようになったものが、そのはじまりです。1939年からは「朝鮮総督府博物館扶余分館」、その後「扶余博物館」と名称が変わり、1970年には扶蘇山南側の麓に新しい博物館を建て、扶余を含めた百済圏に散らばった百済文化遺物を中心に展示しました。1993年8月6日に現在の場所に移転・オープンし、面積61,429平方メートル、4つの展示室と野外遺物展示場に約1,000点の遺物を展示しています。
韓国の伝統様式を導入した八角形の建物の中庭を中心にし、常設展示室である先史室、歴史室、仏教美術室と野外展示室を配置しました。先史室には扶余地域を中心に忠清南道地域で出土した青銅器時代と鉄器時代の遺物、歴史室には泗沘時代の百済の遺物と三国時代の遺物、仏教美術室には泗沘時代の百済の仏教美術品、野外展示室には仏像や石塔などの彫刻作品が展示されています。
18.9Km 2025-10-23
テジョン広域市ソ区クァンジョドンロ158
建陽大学病院は清潔で親切なイメージの基、優れた医療スタッフと最先端の医療機器を備え、患者さんが便利かつ迅速に医療サービスを受けられるシステムを構築することで新しいコンセプトの医療文化をリードしています。
また、創意的な研究と世界レベルの医療従事者の養成、ボランティア活動を通して患者さんに真の喜びと感動を与えるグローバル・メディカル・コンプレックスとして発展しつつあります。
同院は熱い情熱とチャレンジ精神を基に、人類の健やかな暮しを育むための取り組みを続けています。病院の全てのポリシーは患者さんを優先し、患者さんの安全を第一に考えた感動の医療サービスを提供するために最善を尽くします。
19.0Km 2024-12-27
チュンチョンナム道コンジュ市クッコゲギル24
中世から近代まで、忠清南道の歴史資料や生活用具、工芸品、文書、絵画、彫刻などの遺物が展示されている博物館で、展示室、休憩室、体験室、公演場、屋外庭園などが備わっています。ユンノリや投壺(トゥホ)など、韓国の伝統遊戯を体験することができ、春には桜の開花時期に合わせて屋外庭園で桜祭りが開かれます。
19.1Km 2025-11-20
チュンチョンナム道コンジュ市クムビョクロ990
「石壮里(ソクチャンリ)博物館」は公州地域における旧石器文化の歴史的価値を保存・継承するために設けられたもので、2006年9月26日に博物館の付帯施設が完工し開館しました。
石壮里で出土した遺跡の展示、旧石器時代の文化に関する様々な教育や学術活動が行われています。また、先史文化の体験など、子ども達が古代の文化に関心を持てるようなプログラムも用意されています。展示は、常設展示、企画展示、野外展示に分けられ、先史時代について総合的にに学べるように展示館、先史公園、公州石壮里旧石器遺跡、体験空間などが備えられています。
19.1Km 2024-09-23
忠清南道 公州市 錦碧路990
公州の石壮里(ソクチャンリ)にある旧石器遺跡は、韓国の旧石器時代を代表する遺跡で、公州市から直線距離で約6キロメートルのところにあります。史跡に指定されており、この遺跡の調査は1964年から1974年まで10回に渡って延世大学博物館により実施されました。その結果、地層は27の層位で形成されており、遺物が含まれている文化層も11の層位があるということが分かりました。その後1990年と1993年に再び具体的な発掘調査が実施され、より様々な文化遺跡が確認されたことにより、この遺跡の際立った性格が明らかになりました。