扶余 定林寺址 五層石塔[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](부여 정림사지 오층석탑 [유네스코 세계유산]) - エリア情報 - 韓国旅行情報

扶余 定林寺址 五層石塔[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](부여 정림사지 오층석탑 [유네스코 세계유산])

扶余 定林寺址 五層石塔[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](부여 정림사지 오층석탑 [유네스코 세계유산])

15.5 Km    26975     2021-09-04

忠清南道 扶余郡 扶余邑 定林路83
+82-41-830-2880

「扶余(プヨ)定林寺(チョニムサ)」は6世紀の中頃に建てられ、百済が滅亡する時まで栄えていた寺です。境内には、定林寺址五層石塔が1400余年の月日を越え、素朴な美しさを大切に保っています。この定林寺址五層石塔は、益山の弥勒寺址石塔と共に百済の石塔様式を見せてくれる大切な遺物となっています。定林寺址で見ることができるもう一つの遺物は、高麗時代の定林寺址石仏坐像です。この仏像は高麗時代に定林寺を改築した際に、新しく造られたものです。坐台の上部分には蓮の花が刻まれており、また下の部分には蓮の花の模様が刻まれています。芸術性に非常に優れた作品と言えるでしょう。
また定林寺址前にある定林寺址博物館は、仏教文化館、定林寺址館、企画展示館があり、仏教と定林寺の歴史を紹介しています。

百済の家(백제의집)

百済の家(백제의집)

15.7 Km    2991     2021-06-30

忠清南道 扶余郡 扶余邑 聖王路248

「百済の家(ペクチェエチプ)」は、長芋と蓮を主な材料とする韓国伝統料理の専門店です。代表的な精進料理として知られている蓮の葉ご飯は、鉄分とビタミンを多く含んでおり、滋養強壮料理としても知られています。体に良い数種類の薬味などをもち米に入れて、心を込めて包み蒸し上げた蓮葉飯は天下一品で、郷土料理に指定されています。

遯岩書院[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](돈암서원 [유네스코 세계문화유산])

15.8 Km    38750     2021-07-30

忠清南道 論山市 連山面 林3キル 26-14

* 金長生を祀る書院、遯岩書院

遯岩書院(トナムソウォン)は、朝鮮時代の仁祖12(1634)年、現在建てられている場所から1.5キロメートル離れた里山に建てられました。
遯岩書院は 顕宗(ヒョンジョン)元(1660)年、王から扁額を下賜を受け、賜額書院となりました。しかし、立地している場所が低地にあり洪水になると水が庭まであふれてくることから、高宗17(1880)年、現在の場所である林里(イムニ)74番地(書院村)へ移築されました。
また遯岩書院は 高宗3(1865)年に行われた書院撤廃令の対象からも外れるほどの書院でした。3間の幅がある高柱の大門・入徳門(イットッムン)を入ると、正面に養性堂(ヤンソンダン)、左手に凝道堂(ウンドダン)があり、養性堂の裏手には祠宇(祠堂)があり、この他敷地内には蔵板閣(チャンパンガク)、静会堂(チョンフェダン)、山仰楼(サンアンヌ)の建物があります。
遯岩書院では地元の儒林らが毎年陰暦2月と8月中旬ごろの中丁の日に祭祀を執り行っています。
祠堂の建物の前面には1間分の広さを確保し建物の内部に食い込むような形で作られた玄関口のようなスペース・前退(チョンテ)があり、床材には瓦のように焼いた瓦板が使われています。祠堂の建物内部は井桁に組んだ板の間となっています。正面の柱の間には四枚で構成された引き戸がつけられており、建物両脇と後方の壁は漆喰壁となっています。
軒の端の重さを支えるため柱の上部に取り付ける木組・栱包(コンポ)は、二翼工外出目と呼ばれる木組の工法と同様の手法で組まれています。柱と梁が交わる隅の部分に取り付ける梁奉(ヤンボン)は伝統的な姿となっており、 柱の上部を左右につなげる木材・昌坊(チャンバン)の上に設けられた華盤型の草刻盤は柱の間に1つずつあります。
屋根の架構は退高柱を立て、退梁と大梁を掛けわたす木材は海老のように曲がったものを使います。大梁の上に一種の包台工を取り付け、退高柱とともに宗梁を支え、そのさらに上の宗梁に波蓮台工を置き、建物最上部にある上梁を支えます。
祠宇(サウ=祠堂)には朝鮮時代中期の思想家・金長生(キム・チャンソン)を主享とし同時期の文臣3人、金集(キム・チプ)、宋浚吉(ソン・ジュンギル)、宋時烈(ソン・シヨル) 先生の合わせて4人のみを文廟に祀る他ではあまり見受けられない昔の賢人を祀る先正書院です。
遯岩書院の碑文によれば、部屋、板の間、縁側、 行廊がある凝道堂があったといい、凝道堂の左手に居敬斎(コギョンジェ)、右手に精斎(チョンイジェ)がありましたが、建設当時の原型のままで残っておらず、当時どのような建物であったのか察することができないのが残念な点です。


* 遯岩書院の意義と評価

光山金氏は連山地域で代々暮らし、多くの人材を輩出してきた湖西(ホソ)地方の名門士族の一族です。
このような理由から遯岩書院は西人-老論系を代表する書院で、1871年書院毀撤令の際にも潰されず残され、今日に至っています。特に金長生が他界した後、弟子や文人らが作った遯岩書院冊版などさまざまな資料が残されています。
このように遯岩書院は、湖西(ホソ)地方(現在の忠清道)をはじめ畿湖(キホ)地域(現在の京畿道・黄海道南部・忠清南道北部)で尊崇される書院として、金長生を祀る書院の中で最も重みがあり影響力のある書院として知られています。
現在に至るまで良い状態で保存・管理がされ、地元の歴史を研究する郷土史料としても保存的価値が高い書院となっています。
加えて、湖西地方の人々の動向を研究する上で素晴らしい史料でもあり、また当時の実力者・金長生の影響力を知ることができるのもこの遯岩書院です。

* 所有 - 光山金氏宗中

落花岩(낙화암)

落花岩(낙화암)

16.0 Km    18531     2022-05-11

忠清南道 扶余郡 扶余邑 聖王路247-9

扶余の白馬江を見下ろすように高くそびえたっている岩の絶壁が落花岩(ナックァアム)です。落花岩は百済が新羅と唐の連合軍に陥落した時、百済の三千宮女がまるで一片の葉のように白馬江の下に身を投げたという伝説で有名な場所です。落花岩は、この伝説のように女性の貞節を命よりも大切にしていた女性達の精神がにじみ出ている場所です。この岩石の上に1929年、この地域の郡守だった洪漢杓が百花亭という東屋を建てました。絶壁の下には「落花岩」という文字が刻まれていますが、これは朝鮮時代の偉大な学者だった宋時烈先生が書いたものです。

官北里遺跡と扶蘇山城[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](관북리유적과 부소산성 [유네스코 세계유산])

16.0 Km    23053     2024-04-22

チュンチョンナム道プヨ郡プヨ邑クア里、クァンブク里

官北里(クァンブンリ)遺跡と扶蘇(プソ)山城は、百済が538年から660年まで首都にしていたとされる遺跡です。官北里遺跡は平時に王が居住して統治していた王宮で、扶蘇山城は戦争に備えて防御壁としての機能を果たしていました。多くの百済遺跡が発掘されたこの地域には泗沘(サビ)都城仮想体験館があり、案内サービスも提供されています。

クドゥレトルサンバプ(구드래돌쌈밥)

16.2 Km    14893     2024-03-28

チュンチョンナム道プヨ郡プヨ邑ナルトロ31

クドゥレトルサンバプ、かつて百済の都だった扶余(プヨ)のクットゥレ飲食店通りにある韓国料理店で、看板メニューは石釜で炊いた美味しいご飯を色々なおかずと一緒に野菜で包んで食べる「野菜包み石釜飯」です。薬草など様々な包み野菜が提供されるヘルシーな料理です。

百済観光ホテル(백제관광호텔)

百済観光ホテル(백제관광호텔)

16.2 Km    6958     2021-05-26

忠清南道 扶余郡 扶余邑 北浦路 108

百済(ペクチェ)の都の伝統と二十一世紀の未来が共存する扶余(プヨ)の中心地にある百済観光ホテル。
百済観光ホテルは素晴らしい環境の観光ホテルとして評判の宿泊施設です。洋室・オンドル部屋の客室をはじめ、宴会場、ウエディングホールなども完備、憩いのひとときを過ごせるだけでなく、様々なアクティビティにも最適なホテルです。

クドゥレ彫刻公園(구드래조각공원)

クドゥレ彫刻公園(구드래조각공원)

16.4 Km    27689     2020-03-18

忠清南道 扶余郡 扶余邑 ナルト路60
+82-41-830-2880

大王国の意味が込められた「クドゥレ彫刻公園(クドゥレジョガクコンウォン)」。
扶蘇山の西のふもとにあるクドゥレは白馬江と調和のとれた優れた景勝をなし、彫刻公園が整っていて、たくさんの人が訪れる安らぎの空間となっています。クドゥレナルは百済時代に都城だった泗沘城を出入りするような大きな渡船場でした。現在は白馬江を行き来する船着場となっており、その周辺は伝統料理や珍味が楽しめる食堂が数多く構えています。1985年度に国民観光団地としてクドゥレが造られ、古く百済人の彫刻技術を受け継いだ、この地域出身の有名な作家の作品30点と、1999年度国際現代彫刻シンポジウムに参加した国内外の有名な彫刻家の作品29点など、全59点の彫刻作品が展示され、昔ながらの情緒と現代的な美を兼ね備えた公園となっています。常に観光客のために解放されており、見る者の目を楽しませてくれます。また、ここは扶余の人々の憩いの場でもあり、「白馬江と水鳥がなき、一葉扁集、帆船を一人漕いでいく船頭」に始まることで広く知られる「白馬江月夜の歌碑」が建てられています。

なぜ「クドゥレ」というのか。
百済時代 、支配族はオラハ(於羅瑕)、百姓はコンギルジ(鞬吉支)と呼ばれていました。クドゥレというのは、「オラハ」の前に王称語「ク(大)」がつき、二語の間に持格促音の「ㄷ(d)」が入って「クドラハ」となり、更に縮まって「クドゥレ」に変遷されたと言われています。また、「クドゥレ」は「大王」を意味しており、日本書紀に百済を「くだら」と呼ぶ場面が多く表れるのも、大王国を意味し、高めて呼んでいたとみることができます。

大百済典(대백제전)

大百済典(대백제전)

16.6 Km    16110     2023-09-12

チュンチョンナム道プヨ郡ペクチェムンロ455
+82-41-635-6980

「大百済典(テベクチェジョン)」(旧百済文化祭り)は百済の首都であった忠清南道公州市と扶余郡で1955年から毎年開催されています。2015年7月に百済歴史遺跡地区が世界遺産に登録されたことから百済祭りは世界的な歴史文化祭りへと成長しています。

イベント内容
1.公式プログラム:開幕式、閉幕式
2.代表プログラム:水上マルチメディアショー、大百済典メディアアート館
3.市・郡参加公演:13の市・郡
4.百済海外交流国招請公演:7ヶ国
5.伝統文化公演:仮面舞フェスタ、世界無形文化遺産伝統公演など

皐蘭寺(皐蘭湧水)(고란사(고란약수))

皐蘭寺(皐蘭湧水)(고란사(고란약수))

16.7 Km    9917     2021-11-26

忠清南道 扶余郡 扶余邑 扶蘇路1-25
+82-41-830-2623

白馬江の川岸に位置する皐蘭寺(コランサ)は、百済末期に建てられたものと推定されています。百済の王が休息を取るための東屋だったという説もあれば、百済が滅亡するときに落花岩で身投げした三千人の宮女の精神を後世に伝えるために建てられたという説もありますが、皐蘭寺についてのはっきりした記録は残されていません。寺の後方にある岩の間には皐蘭井という井戸があり、井戸の上にある岩の間には皐蘭草が生えています。百済の王は1日に1回、皐蘭井から湧き出る水を飲んでいたといわれ、水を汲みに行く家来は、皐蘭草の葉を水に浮かべて皐蘭井で汲んだ水であることを証明しました。
この地は白馬江の美しい景色を観賞するのにこの上なく素晴らしい場所です。白馬江の遊覧船に乗って水上の情趣を楽しむのもよい思い出となるでしょう。