百済観光ホテル(백제관광호텔) - エリア情報 - 韓国旅行情報

百済観光ホテル(백제관광호텔)

百済観光ホテル(백제관광호텔)

16.8 Km    6958     2021-05-26

忠清南道 扶余郡 扶余邑 北浦路 108

百済(ペクチェ)の都の伝統と二十一世紀の未来が共存する扶余(プヨ)の中心地にある百済観光ホテル。
百済観光ホテルは素晴らしい環境の観光ホテルとして評判の宿泊施設です。洋室・オンドル部屋の客室をはじめ、宴会場、ウエディングホールなども完備、憩いのひとときを過ごせるだけでなく、様々なアクティビティにも最適なホテルです。

クドゥレ彫刻公園(구드래조각공원)

クドゥレ彫刻公園(구드래조각공원)

17.0 Km    27689     2020-03-18

忠清南道 扶余郡 扶余邑 ナルト路60
+82-41-830-2880

大王国の意味が込められた「クドゥレ彫刻公園(クドゥレジョガクコンウォン)」。
扶蘇山の西のふもとにあるクドゥレは白馬江と調和のとれた優れた景勝をなし、彫刻公園が整っていて、たくさんの人が訪れる安らぎの空間となっています。クドゥレナルは百済時代に都城だった泗沘城を出入りするような大きな渡船場でした。現在は白馬江を行き来する船着場となっており、その周辺は伝統料理や珍味が楽しめる食堂が数多く構えています。1985年度に国民観光団地としてクドゥレが造られ、古く百済人の彫刻技術を受け継いだ、この地域出身の有名な作家の作品30点と、1999年度国際現代彫刻シンポジウムに参加した国内外の有名な彫刻家の作品29点など、全59点の彫刻作品が展示され、昔ながらの情緒と現代的な美を兼ね備えた公園となっています。常に観光客のために解放されており、見る者の目を楽しませてくれます。また、ここは扶余の人々の憩いの場でもあり、「白馬江と水鳥がなき、一葉扁集、帆船を一人漕いでいく船頭」に始まることで広く知られる「白馬江月夜の歌碑」が建てられています。

なぜ「クドゥレ」というのか。
百済時代 、支配族はオラハ(於羅瑕)、百姓はコンギルジ(鞬吉支)と呼ばれていました。クドゥレというのは、「オラハ」の前に王称語「ク(大)」がつき、二語の間に持格促音の「ㄷ(d)」が入って「クドラハ」となり、更に縮まって「クドゥレ」に変遷されたと言われています。また、「クドゥレ」は「大王」を意味しており、日本書紀に百済を「くだら」と呼ぶ場面が多く表れるのも、大王国を意味し、高めて呼んでいたとみることができます。

大百済典(대백제전)

大百済典(대백제전)

17.1 Km    16110     2023-09-12

チュンチョンナム道プヨ郡ペクチェムンロ455
+82-41-635-6980

「大百済典(テベクチェジョン)」(旧百済文化祭り)は百済の首都であった忠清南道公州市と扶余郡で1955年から毎年開催されています。2015年7月に百済歴史遺跡地区が世界遺産に登録されたことから百済祭りは世界的な歴史文化祭りへと成長しています。

イベント内容
1.公式プログラム:開幕式、閉幕式
2.代表プログラム:水上マルチメディアショー、大百済典メディアアート館
3.市・郡参加公演:13の市・郡
4.百済海外交流国招請公演:7ヶ国
5.伝統文化公演:仮面舞フェスタ、世界無形文化遺産伝統公演など

皐蘭寺(皐蘭湧水)(고란사(고란약수))

皐蘭寺(皐蘭湧水)(고란사(고란약수))

17.3 Km    9917     2021-11-26

忠清南道 扶余郡 扶余邑 扶蘇路1-25
+82-41-830-2623

白馬江の川岸に位置する皐蘭寺(コランサ)は、百済末期に建てられたものと推定されています。百済の王が休息を取るための東屋だったという説もあれば、百済が滅亡するときに落花岩で身投げした三千人の宮女の精神を後世に伝えるために建てられたという説もありますが、皐蘭寺についてのはっきりした記録は残されていません。寺の後方にある岩の間には皐蘭井という井戸があり、井戸の上にある岩の間には皐蘭草が生えています。百済の王は1日に1回、皐蘭井から湧き出る水を飲んでいたといわれ、水を汲みに行く家来は、皐蘭草の葉を水に浮かべて皐蘭井で汲んだ水であることを証明しました。
この地は白馬江の美しい景色を観賞するのにこの上なく素晴らしい場所です。白馬江の遊覧船に乗って水上の情趣を楽しむのもよい思い出となるでしょう。

KT&Gサンサンマダン論山(KT&G 상상마당 논산)

17.4 Km    28744     2019-07-02

忠清南道 論山市 上月面 寒川キル 15-20

KT&Gが想像力に答える方法1
ソウル・弘大、江原道・春川、そして忠清南道・論山(ノンサン)にあるKT&Gサンサンマダンは文化芸術を楽しみ、学び、そして泊まることができるそんな場所。
その中でもサンサンマダン論山はデザインショップ、カフェ、常設体験などが可能なアーティングラウンジ(Arting Lounge)やイベントキャンプビレッジ、青少年修練施設なども完備。KT&Gサンサンマダンのコンセプトの通り、芸術的想像力を養い、さまざまな世界に出会い、ともに分かち合い、幸せになる場所、そんな文化芸術スポットです。

論山 明斎古宅[韓国観光品質認証](논산 명재고택[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

論山 明斎古宅[韓国観光品質認証](논산 명재고택[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

17.5 Km    9691     2023-11-29

チュンチョンナムド ノンサンシ ノソンサンソンギル 50
+82-41-735-1215

「論山ミョンジェ古宅」は、朝鮮の粛宗の時の学者であるユン·ズン先生の家屋で、ソスルデムンも、高い塀もなく、村に向かって広く開かれています。母屋を中心に、蔵とサランチェを機能的に配置した昔の先祖の建築的の知恵を垣間見られます。客室は母屋の向かい側の部屋をはじめ、サランチの部屋が3ヶ所で、ヌマルを含むサランチェを丸ごと使用することもできます。藁葺き屋根の離れと音響装備とビームプロジェクターが設置されているチョヨン堂もあります。浴室及びトイレは現代風に改造されてきれいであります。国楽、茶礼、天然染色などの多様な有料体験のプログラムを運営しています。 

益山 笠店里古墳(익산 입점리 고분)

益山 笠店里古墳(익산 입점리 고분)

17.6 Km    5742     2024-04-08

チョンブク特別自治道イクサン市ウンポ面

史跡に指定されている「笠店里古墳(イプジョムニゴブン)」は、全羅北道益山市熊浦面笠店里チルモク峠の丘陵に位置する百済時代の古墳群です。全部で8基の墓があり、1号墳は石室墳で、これ以外は破損のひどい状態で発見されました。出土品には土器類や金銅冠、金の耳飾り、ガラス玉などの装身具類、馬具、鉄器などがあり、百済時代の遺跡の中でも重要な遺物が発見されました。出土品により、5世紀ごろに作られた墓であると推定されています。金銅製の冠は日本で発見されたものと似ており、当時百済と日本の間で文化交流があったものとみられています。

益山薯童祭り(익산 서동축제)

益山薯童祭り(익산 서동축제)

17.8 Km    7520     2024-04-08

チョンブク特別自治道イクサン市クンマ面コド9ギル41-14
+82-63-843-8817

益山薯童祭りは1400年前に益山で生まれた百済の薯童(武王)と敵国であった新羅の善花姫との国境を越えた愛をテーマにした歴史文化祭りで、1969年の馬韓民俗祭典から始まり、2004年に現在の名称に変更されました。

薯童公園(서동공원)

薯童公園(서동공원)

17.9 Km    16318     2024-04-08

チョンブク特別自治道イクサン市クムマ面コド9ギル41-14

薯童(ソドン)公園は、金馬(クムマ)貯水池周辺に整備された公園です。公園には12支神像(12の動物)と薯童・善花(ソンファ)姫をテーマにした彫刻など100以上の作品があります。中央広場には武王(ムワン)の銅像があり、馬韓(マハン)体験館、子供森体験場、ピクニック場、噴水台、水辺広場などが整備されています。薯童と善花姫、武王は600年代に実存した歴史の人物です。

論山 連山駅給水塔(논산 연산역 급수탑)

18.0 Km    24261     2020-04-27

忠清南道 論山市 連山面 ソンビ路275番キル 31-2

湖南線(ホナムソン)開通とともに、蒸気機関車に水を供給するため、1911年12月30日に設置され、1970年代までおよそ60年間使われてきた、論山(ノンサン)連山(ヨンサン)駅給水塔。
給水塔の規模は高さ16.2m、床面積16.6平方メートル、給水塔容量は30トンを誇ります。
給水塔のそばにある井戸は幅2.8m、深さ8mで、給水塔に給水するため掘られた井戸です。
日帝強占期、全国各地に鉄道網を敷設した際、主要駅には蒸気機関車用の給水施設が建てられました。忠清南道(チュンチョンナムド)には西大田(ソテジョン)駅と江景(カンギョン)駅にも給水塔が造られましたが、現在はここ連山駅のみ残っています。
特に、連山駅の給水塔は唯一、花崗石を煉瓦のように加工し積み上げ造られ、その形態や大きさから独特な造りとなっています。
数多くある近代産業建築物の中でも給水塔はもっとも印象的な施設で、鉄道や産業開発の歴史においても重要な近代建築物となっています。

* 所有者:国土交通部
* 管理者:韓国鉄道施設公団
* 規模及び構造:高さ16.2m、床面積16.6平方メートル、給水塔容量30トン