1.7Km 2021-03-18
ソウル特別市 龍山区 素月路132
「ドイツ文化院(GOETHE INSTITUT /ゲーテ・インスティトゥート)」は、ドイツ連邦共和国の文化機関として世界各地で活動しており、ドイツ語の普及と共に国際文化協力活動を支援しています。また、ドイツの文化、社会、政治関連の情報を提供することで包括的なドイツの姿を紹介しています。
ドイツ文化院はドイツセンターや文化団体、資料室、語学能力試験センター、語学教育センターなどからなるネットワークを通し、ドイツの対外文化、教育政策の中心を担うと共に、ドイツ、ドイツ語、ドイツ文化に積極的に関与する全ての人にサービスを提供する業務を行っています。
1.7Km 2024-12-19
ソウル特別市ソチョ区カンナムデロ27
+82-2-3445-1513
ネナラ旅行博覧会(ネナラ=私の国)は韓国国内旅行に対する関心を高め、地域観光拡大及び韓国の内需経済活性化のため、2004年から開催されている韓国国内最大規模の旅行博覧会です。
2024年は「私の国ローカル旅行バケットリスト」というテーマで韓国の小都市旅行の魅力に出会えるイベントとなっています。その他、最新旅行トレンドセミナーや公演、体験イベントなどが多彩に繰り広げられます。
1.7Km 2024-05-02
ソウル特別市チュン区ウルチロ281
+82-2-2088-4957
2024年5月3日(金)から5月6日(日)までDDP(東大門デザインプラザ)一帯でデザインを通じて思う存分表現できる創意力と想像力でDesign Zoo(デザイン動物園)をつくります。今回のイベントでは、子どもの想像力でつくるデザイン動物園や大型動物エアバルーンの他、動物をテーマにしたクラシック・国楽・キャラクターコンサートがあるグラスヒルシネマ&音楽会が楽しめます。また動物の仮面をかぶってアニマルキャラクターと行進するキャラクターパレード、DDPをめぐるアニマルバス、キュートでユニークなハンドメイド品を扱うデザインマーケット、フードストリート、バブルショーやバルーンショーなど、多彩なプログラムが用意されています。
イベント内容
1. DDP Design Zoo
子どもの想像力でつくるデザイン動物遊び場
2. グラスヒルコンサート&シネマ
KBS管弦楽・国楽音楽会、KT GENIE TVシネマ、キッズランドシンガーロングコンサートなど
3. キャラクターパレード
ヘチ、Bebefinn、NINIkids、Doremi Friends 、HEY DUGGEEなどのアニマルキャラクターが動物の仮面をかぶった市民と一緒にパレード
4. デザインワークショップ
デザイン動物仮面作り、子ども環境ワークショップ、キムガネ料理ワークショップなど
5. デザインプログラム
子どもお絵かき大会、紙飛行機飛ばし大会、子どもツアーなど
6. DDPデザイン展示
開館10周年ポスター展示など
7. 付帯プログラム
綿菓子&ポップコーン分かち合い、バブルショー&バルーンショー、バブル遊び場
1.7Km 2022-07-11
ソウル特別市チュン区トンホロ249
+82-1688-1110
「新羅免税店」は新羅ホテルの敷地内に位置しており、香水、衣類、バッグ、時計、宝石等、数多くの有名ブランドの品々を取り扱っています。ソウル地下鉄3号線「東大入口(トンデイック)駅」5番出口を出ると新羅ホテル正門がすぐに見えます。
1.7Km 2021-02-24
ソウル特別市 中区 退渓路344
+82-2-3700-3900
「光熙門(クァンヒムン)」は1396年に土城創建の際に東側に建てられた小門です。実質的な土城の南小門として水口門とも呼ばれました。清渓川が流れている場所に建てられた水門は距離的には東大門の方が近くにありましたが、南小門が奨忠壇公園から漢南洞に越える丘があったため便宜上、「水口門」と呼ばれていたとされています。水口門は実質的には屍躯門として利用され、西側の西小門と一緒に土城内の葬礼行列が東方向に進む時に通過する門でした。
光熙門は日帝強占期に電車のレール敷設工事のため、城郭を撤去する際にも門と門楼はそのまま残っていましたが、韓国戦争(朝鮮戦争)の際に門楼が破壊され、そのまま放置されました。その後1975年に、道路の真ん中に位置していたため南に15メートルほど移転し復元工事が行われました。
1.7Km 2024-08-28
ソウル特別市チョンノ区サジクロ161
「光化門(クァンファムン)」は景福宮の南門であり、宮城の正門です。光化門は国王が頻繁に出入りする正門でもありましたが、景福宮が朝鮮の王が住む宮廷であったため他の宮殿の正門に比べて規模と格式の面でもとても雄大で華麗でした。また東西の塀の終わりに各東十字閣と西十字閣が設置され、朝鮮5大宮殿の中で唯一、宮門形式となっています。
景福宮の創建当時には特別な名前はなく、宮制によって「午門」と呼ばれたり、1395年に鄭道伝(チョン・ドジョン)によって「正門」と名前を変えましたが、1426年に景福宮を修理するとともに、集賢殿(高麗以来、朝鮮初期にわたって宮廷に設置された学問研究機関)によって「光化門」と名づけられました。
韓国戦争の時に爆撃を受けて門楼が壊れて石垣は弾痕だらけとなりました。1968年、破壊された門楼を建て直して再建されましたが再建した光化門は鉄筋コンクリートで造られ、もとの場所よりも14.5メートルほど後方に建てられました。このように原型を失った光化門を復元しようと2006年から光化門の撤去作業は始まり、3年8ヶ月の復元工事を経て2010年8月15日に工事が終了しました。
花崗岩でずっしりとした基壇を造り、その上に2階の門楼を建て、基壇にある3つのアーチ型の出入り口は景福宮が朝鮮の宮殿であるという威厳を見せています。
1.7Km 2020-07-01
ソウル特別市 中区 貞洞キル21-18
ロシア公使館は朝鮮時代末期の韓露修好通商条約が批准された1885年に着工し、1890年に完成しました。ルネサンス様式のレンガ造りの2階建てで、ロシア人建築家サバティン(Sabatine)によって設計されたといわれています。公使館が建てられた場所は、朝鮮の第10代国王である燕山君が都城の外へ出掛けるときに便利なようにと設けた3つの馬場のひとつです。朝鮮の第26代国王である高宗が、日本をけん制するためにアメリカ領事館、イギリス領事館、ロシア公使館を徳寿宮の近くに置いたという話が伝わっています。ロシア公使館は俄館(アグァン)と呼ばれ、韓国では高宗の俄館播遷(アグァンパチョン/高宗がロシア公使館に移り住み、執政をとったこと)でよく知られています。
乙未事変で明成皇后が日本軍に殺害されて親日内閣になると、景福宮に幽閉された状態であった高宗を親露派の李範晋やロシア公使のヴェーバーが保護することを目的に1896年2月1日、王世子とともにロシア公使館に移りました。そして金弘集内閣を崩壊させ、親露の朴定陽内閣を組織するなどの国政を執り行い、翌年2月20日、慶運宮(徳寿宮の以前の名称)に移るまでの一連の流れを俄館播遷といいます。
※面積:1,102平方メートル