潭陽竹祭り(담양대나무축제) - エリア情報 - 韓国旅行情報

潭陽竹祭り(담양대나무축제)

潭陽竹祭り(담양대나무축제)

5.0 Km    14512     2022-10-13

チョンラナム道タミャン郡タミャン邑チュンノグォンロ119
+82-61-380-3150、3152

「潭陽(タミャン)竹祭り」は、韓国に自生する天然の資源である「竹」をテーマに、その効用性や価値を広めるために開催されています。地域文化に根ざしたプログラム構成により「環境にやさしいグリーン祭り」として高く評価されています。また、竹の伝統や芸術を継承、発展させるため、地元住民が揃って参加する「参加型祭り」として韓国を代表する祭りに数えられています。竹産業の活性化はもちろんのこと、農産品や特産品、周辺の観光資源と連携した多様なマーケティングで「産業型祭り」として地域経済の活性化にも貢献しています。

竹緑苑(죽녹원)

5.2 Km    46222     2023-10-13

チョンラナム道タミャン郡タミャン邑チュンノグォン119

竹緑苑(チュンノグォン)は、官防堤林(クァンバンジェリム)や栄山江(ヨンサンガン)の源流である潭陽川(タミャンチョン)のほとりにある郷校を過ぎて少し進むと左手に見えてくる竹林です。約16万平方メートルの敷地に所狭しと生える竹林で潭陽郡(タミャングン)が聖人山(ソンインサン)一帯を造成し、2003年5月開苑しました。竹緑苑の入口から石段を一段ずつ上っていくと日ごろの疲れで凝り固まった体もリラックスし、竹林の中を吹きぬける爽やかな風が身も心も癒してくれます。
苑内には竹の葉から滴り落ちる露で育つという竹露茶が自生しており、竹林浴を楽しんだ後は竹露茶を一杯飲みながら、ゆったりとした時間を過ごすことができます。
また、竹緑苑には竹林浴を楽しめる全長2.2キロメートルの散策路があります。運数大通(幸運大吉)の道、竹馬の友の道、哲学者の道など8つのテーマをもっており、竹緑苑展望台からそれぞれ枝分かれしています。展望台では潭陽川(タミャンチョン)をはじめ樹齢300年を超える古木からなる潭陽・官防堤林や潭陽の名所・メタセコイアカロスキル(街路樹の道)などが一望できます。生態展示館、人工瀑布、生態池、野外公演場などもあり、夜も散策できるよう竹林には照明も設置されています。

潭陽 メタプロバンス(담양 메타프로방스)

5.5 Km    1     2022-12-28

全羅南道 潭陽郡 潭陽邑 キプンシルキル 2-17

メタプロバンスは、年間約500万人の観光客が訪れる全羅南道(チョルラナムド)潭陽(タミャン)に作られた観光団地で、休養地として有名なフランスのプロバンス地方を模して造られた異国情緒あふれる場所です。すぐそばには大韓民国で最も美しい並木道と名高い潭陽メタセコイアキルもあります。
メタプロバンスは、個人でのご旅行の方をはじめ、家族連れ、お友達同士でのご旅行におすすめなファッション通り、デザイン工房や体験館、商業施設、そして宴会場など、文化や芸術、ショッピングが共存する開かれたスペースとなっています。
メタプロバンスは、他にはない多種多様な素晴らしいサービスで、かけがえのないひと時や思い出作りを楽しんでいただけるよう、皆様をお迎えいたします。

潭陽メタセコイア並木道(담양 메타세쿼이아길)

5.7 Km    32947     2023-05-09

チョンラナム道タミャン郡タミャン邑メタセコイアロ12

映画『ワニ&ジュナ』でワニ(キム・ヒソン)が父親とともに車に乗って通り過ぎるシーンを撮影したのが、ここ淳昌(スンチャン)から潭陽(タミャン)へ続くメタセコイアの並木道です。元々、国道24号線でしたが、この国道の横に新たに国道が開通し、この道は散策する人々や自転車が通る道として生まれ変わりました。
メタセコイア並木道の総延長はおよそ8.5キロメートルで、道の両側には高さ10メートルから20メートルほどのメタセコイアの木が植えられています。この道が作られたのは1970年代初頭で、全国的に街路樹造成事業が行われた際に潭陽郡が樹齢3年から4年ほどのメタセコイアの苗木を植えました。現在では鬱蒼と生い茂る街路樹のトンネルの道に変身しています。
この道を歩いていると異国情緒あふれる風景に酔いしれ、知らぬ間に全羅南道の街並みにはまってしまいます。緑のトンネルを走り抜けてみると、何故ここが「夢のドライブコース」と呼ばれるのかその所以を実感できます。このように美しい風景が広がるこのメタセコイア並木道は、山林庁と「生命の森作り運動本部」などが主管する「2002美しい道の森」の大賞を受賞し、続いて2006年には建設交通部が選定する「韓国の美しい道100選」の最優秀賞にも選ばれました。

国立5.18民主墓地(국립 5.18 민주묘지)

国立5.18民主墓地(국립 5.18 민주묘지)

5.8 Km    11136     2021-02-11

光州広域市 北区 民主路200

光州民主抗戦を称える場所、国立5.18民主墓地
国立5.18民主墓地は光州(クァンジュ)広域市北区にある公園で、5・18墓域とも呼ばれています。
文民政府(金泳三政権=1993~98年)発足とともに、5.18光州民主抗戦に対する再評価事業が行われ、また5.18民主化運動による犠牲者の墓地を民主化の聖地として作ろうという声が志ある国民から上がりました。光州広域市は韓国政府の支援を受け、光州広域市北区雲亭洞(ウンジョンドン)山34番地にある165平方キロメートルの敷地に、5.18墓地を造成しました。墓域内には5・18民主化運動で犠牲となった英霊の墓764基(2017年現在)が祀られており、このほか建築物7棟(民主の門、遺影奉安所、歴史の門、崇慕楼、追念門、管理棟、休憩室)や歴史空間、民主広場、参拝広場、展示空間、象徴造形物、光州民主化運動追慕塔、7つの歴史広場(義兵、東学、3・1運動、光州学生運動、4・19革命、光州民主運動、統一広場)、献樹記念碑、竣工記念塔などがあります。

忘れることができない現代史の痛み、5.18光州民主抗戦について
5.18民主抗戦は1980年5月18日に始まりました。その前年の1979年10月26日に起きた朴正煕大統領暗殺事件後の政情不安の中で発生した後の大統領となる全斗煥少将らによるクーデター・12月12日事態、そしてこのクーデターにより政権掌握をした新軍部の陰謀に対し市民らが猛反発し民主化運動を韓国全国で展開、このような全国的な広がりを見せた市民らの抵抗運動を新軍部が鎮圧する過程で恣意的に行われた代表的な反民主虐殺事件がこの5.18光州民主抗戦です。この墓地は5.18民主抗戦の過程で犠牲となった光州市民の精神を称え、この地に再びこのような道理に反した出来事や独裁を許してはならないと戒めるとともに、生きた歴史の現場として活用されている場所です。また民主聖地を自らの手で作り上げるため始まった民主の木・献樹運動は5.18民主抗戦の崇高な精神を国内外に広く知らしめる機会にもなりました。

5・18民主化運動追慕塔
5・18墓地の中央に位置している 5・18民主化運動追慕塔。四角い柱である塔身は40メートルの高さを誇り、韓国の伝統石造物で寺院の入口などに立てられた旗竿を支える2本の幢竿支柱(タンガンチジュ)を現代風にアレンジし形状化しました。追慕塔上部は2本の塔身が楕円形のオブジェを手で包み込むような形となっており、この形状は新しい生命の復活を象徴しています。時々刻々変化する太陽の光が追慕塔に反射する光の様子はあたかも希望の証となっているかのようです。

竹林園ガーデン(죽림원가든)

竹林園ガーデン(죽림원가든)

6.0 Km    97344     2024-02-20

チョンラナム道ダミャン郡ウォルサン面カサンギル358
061-383-1292

竹林園(チュクリムウォン)ガーデンは、韓国の伝統的な味と特別な雰囲気が楽しめるレストランです。看板メニューは、竹で作られた長い筒に多様な食材を入れて蒸し上げる竹筒の蒸し物。竹筒に韓牛プルゴギ、鶏肉の炒め煮、大正海老、豚カルビ、タコ、アワビ、エイ、干しイシモチ、卵、竹筒入りご飯など10種類のメニューが出てきます。他にも竹筒のご飯定食、韓牛粗挽きカルビもおいしいです。

潭陽 昌平サムジネ村[スローシティ](담양 창평 삼지내마을[슬로시티)

潭陽 昌平サムジネ村[スローシティ](담양 창평 삼지내마을[슬로시티)

7.2 Km    47297     2021-06-25

全羅南道 潭陽郡 昌平面 トルダムキル9-22

昌平スローシティ「サムジネ村」は1510年頃に形成された村で、東の方には月峰山、南側にはクッス峰がそびえています。村の前を流れる川の様子が鳳凰が羽を伸ばして取り囲んでいる形に見えることから三支川(サムジネ)と呼ばれています。
「サムジネ村」は2007年、韓国初のスローシティに指定されており、自然のなかでスローフードやスローアートを体験し、スローな暮らしを追求します。

食べ物:薬草定食、田舎菜園定食、タケノコのナムル、市場クッパ、田舎定食
周辺観光地:竹緑園、メタセコイア並木道、瀟灑園 など

古宅ハノゲソ[韓国観光品質認証](고택 한옥에서[한국관광 품질인증/Korea Quality])

古宅ハノゲソ[韓国観光品質認証](고택 한옥에서[한국관광 품질인증/Korea Quality])

7.3 Km    14388     2019-05-22

全羅南道 潭陽郡 昌平面 トルダムキル88-9
+82-61-382-3832

「古宅ハノゲソ」はアジア初のスローシティに指定された潭陽郡昌平面のサムジネ村にある伝統家屋です。庭を中心として古宅やピョルチェ(離れ家)、サランチェ(別棟)、アンチェ(母屋)が配置されており、昔の田舎の情趣が感じられる15室の客室が用意されています。周辺観光地には瀟灑園や松江亭、竹緑苑、潭陽メタセコイアキルなどがあります。

全羅南道 潭陽 昌平[スローシティ](전남 담양 창평 [슬로시티])

7.3 Km    8878     2021-04-16

全羅南道 潭陽郡 昌平面 トルダムキル 56-24
+82-2-383-3807

全羅南道潭陽(タミャン)郡昌平(チャンピョン)は農村地帯でトマト、イチゴ、ハウス栽培の野菜など近郊農業が盛んな所で、素晴らしい自然環境がいまもなお残りつつ、田園都市など今後の発展への潜在力を持つ、人情にもあふれ住みやすい美しいところです。
昌平(チャンピョン)という地名は高麗時代初期まで遡ることができ、これまで文武百官を輩出したソンビ(学者)の村として忠・孝・礼・信義を守り続けてきた村としてその名声を博しています。壬辰倭乱(日本で言う文禄・慶長の役)の時の義兵隊長だった霽峰・高敬明(コ・ギョンミョン)先生の次男・鶴峰・高因厚(コ・インフ)先生の11代子孫である大韓帝国末期の義兵隊長・鹿川・高光洵(コ・グァンスン)義兵隊長が生まれた義を重んじる村で、近現代に入って1906年4月1日私立長興学校を創設・開校し、新学問を教育した春崗・高鼎柱(コ・ジョンジュ)先生、国務総理や国会副議長、中央省庁のトップである長官、大法院(最高裁)判事、マスコミ界の重鎮・高在旭(コ・ジェウク)、初の工学博士・李升基(イ・スンギ)博士、初の女性農学博士・金三純(キム・サムスン)博士の故郷でもあります。
朝鮮時代に王への献上品として有名であった昌平米飴や韓菓、千年の神秘をとどめる竹塩、竹塩味噌、伝統トッカルビなどは韓国伝統の食べ物として昌平が誇るものです。

歴史
三韓時代 - 拘溪国
百済時代 - 屈支県
新羅時代 – 757(景德王16)年祈陽県
高麗時代 – 940(太祖23)年昌平県(別名として鳴平[ミョンピョン])。 1144(仁宗21)年、中央指定官として県令を置く。
朝鮮時代 –
1474(成宗5)年-昌平県を撤廃し光州牧に隷属させる形となったものの、金有山(キム・ユサン)が王に訴え 再び1479年昌平県となる。
1758(英祖34)年閔百禄(ミン・ペンノク)が昌平県誌を編纂し、1793年(正祖17)年昌平県令である趙光存(チョ・グァンジョン)が現在の古西面古邑里から昌平面昌平里82番地(昌平面事務所)に移る。
1895(高宗32)年5月26日南原府昌平郡(4等郡守)となる。
1896(高宗33)年8月24日全羅南道昌平郡として9つの面を管轄。

日帝強占期 – 1910年国権侵奪時代 - 昌平郡
1914年2月28日、部令第11号(1913年12月29日公布)により昌平郡が潭陽郡に編入され、昌平面に改称

※ 昌平という地名は孔子の出生地・魯の昌平郷とその地形などが似ていることから命名されたという説があります。
1990年4月1日付で南面外東里が昌平面に編入

潭陽竹林(潭陽湿地)(담양대나무숲(담양습지))

潭陽竹林(潭陽湿地)(담양대나무숲(담양습지))

7.5 Km    24584     2020-01-09

全羅南道 潭陽郡 大田面
+82-61-380-3114

潭陽(タミャン)湿地は、栄山江(ヨンサンガン)の生態観察の最前線の場所で、自然の力による浄化が行われている代表的な場所でもあります。 また、潭陽湿地には生息している生物の種類が大変多く、河川湿地としては唯一、湿地保護地域に指定(2004年7月)にされているところでもあります。絶滅の危機に瀕しているタカやヤマネコ、ジムグリガエル、天然記念物のハヤブサ科のチョウゲンボウまで滅多に観察することができない動植物が生息しています。