.0M 2021-10-07
忠清南道 扶余郡 扶余邑 王陵路61
扶余王陵園は忠清南道扶余郡扶余邑陵山里にある百済時代の墓群です。風水地理思想による典型的な墓地の地形で、墓地の後方に山があり、東を青龍、西を白虎、前方の山を南の朱雀とみなし、墓地の前方約200メートルのところには西に流れる川があります。
古墳は前列に3基、後列に3基、その後ろの一番高い場所に1基あり、全部で7基あります。墳丘は円形封土墳で、大きさにより大型、中型、小型に分けられます。大型である前列の3基は墳丘の直径が25~30メートル、中型である後列の3基の墳丘は直径が20~25メートル、一番後ろの1基は墳丘の直径が20メートル程度です。
2.1Km 2021-08-04
忠清南道 扶余郡 扶余邑 東門路142番キル100-11
「扶余羅城(プヨナソン)」は百済の首都・泗沘(サビ)を守るために造られた周囲84キロメートルの城で、扶蘇山城(プソサンソン)を中心として東西に伸びています。平壌にある羅城とともに古い羅城のひとつで、熊津(現在の公州)から泗沘(現在の扶余)に遷都した538年ごろに築城されたものとみられています。城壁は扶蘇山城の東門があった場所から始まって錦江まで土が積み上げられており、現在はわずかにその痕跡を残すのみです。
2.2Km 2023-12-26
チュンチョンナム道プヨ郡プヨ邑クムソンロ5
扶余(プヨ)市内の南東錦城山の麓にある「国立扶余博物館」は1929年財団法人「扶余古跡保存会」が発足し、百済の文化財や遺物を集めて扶蘇山の南に位置した朝鮮時代の官衙客舎に展示するようになったものが、そのはじまりです。1939年からは「朝鮮総督府博物館扶余分館」、その後「扶余博物館」と名称が変わり、1970年には扶蘇山南側の麓に新しい博物館を建て、扶余を含めた百済圏に散らばった百済文化遺物を中心に展示しました。1993年8月6日に現在の場所に移転・オープンし、面積61,429平方メートル、4つの展示室と野外遺物展示場に約1,000点の遺物を展示しています。
韓国の伝統様式を導入した八角形の建物の中庭を中心にし、常設展示室である先史室、歴史室、仏教美術室と野外展示室を配置しました。先史室には扶余地域を中心に忠清南道地域で出土した青銅器時代と鉄器時代の遺物、歴史室には泗沘時代の百済の遺物と三国時代の遺物、仏教美術室には泗沘時代の百済の仏教美術品、野外展示室には仏像や石塔などの彫刻作品が展示されています。
2.7Km 2025-10-23
忠清南道 扶余郡 扶余邑 定林路83
+82-41-830-2880
「扶余(プヨ)定林寺(チョニムサ)」は6世紀の中頃に建てられ、百済が滅亡する時まで栄えていた寺です。境内には、定林寺址五層石塔が1400余年の月日を越え、素朴な美しさを大切に保っています。この定林寺址五層石塔は、益山の弥勒寺址石塔と共に百済の石塔様式を見せてくれる大切な遺物となっています。定林寺址で見ることができるもう一つの遺物は、高麗時代の定林寺址石仏坐像です。この仏像は高麗時代に定林寺を改築した際に、新しく造られたものです。坐台の上部分には蓮の花が刻まれており、また下の部分には蓮の花の模様が刻まれています。芸術性に非常に優れた作品と言えるでしょう。
また定林寺址前にある定林寺址博物館は、仏教文化館、定林寺址館、企画展示館があり、仏教と定林寺の歴史を紹介しています。
◎ 韓流旅行情報-バラエティ『1泊2日』
バラエティ番組『1泊2日』で、メンバーたちが夕食をかけて定林寺址(チョンニムサジ)五層石塔を模した「3種類の人間の塔作り」ミッションを行った場所です。近くに百済の文化を垣間見ることができる多様な文化財があるので、一緒に巡るといいでしょう。
2.8Km 2025-08-18
チュンチョンナム道プヨ郡プヨ邑チョンニムロ83
百済の泗沘時代の寺跡である定林寺址は、百済を代表する仏教遺跡です。定林寺址の五層石塔は、百済滅亡後も現在までその姿を保っています。
また、ウォーキングコースである泗沘道では、定林寺址や扶蘇山城、クドゥレ彫刻公園など、扶余の主要観光スポットを歩いてめぐることができます。
2.8Km 2025-07-17
チュンチョンナム道プヨ郡プヨ邑トンナム里181
+82-41-830-2207
『薯童謠』で知られる扶余宮南池は百済武王35年(634年)につくられた、現存する韓国最古の人工池です。薯童公園(宮南池)一帯で毎年7月に開かれる「扶余薯童蓮祭り(プヨソドンヨンコッチュッチェ)」では、白蓮、紅蓮、睡蓮、鬼蓮など、約10万坪・50種のさまざまなハスの花を楽しめるだけでなく、文化芸術公演、常設体験、特別販売場なども用意されます。
2.9Km 2024-04-22
チュンチョンナム道プヨ郡プヨ邑クア里、クァンブク里
官北里(クァンブンリ)遺跡と扶蘇(プソ)山城は、百済が538年から660年まで首都にしていたとされる遺跡です。官北里遺跡は平時に王が居住して統治していた王宮で、扶蘇山城は戦争に備えて防御壁としての機能を果たしていました。多くの百済遺跡が発掘されたこの地域には泗沘(サビ)都城仮想体験館があり、案内サービスも提供されています。
2.9Km 2024-06-04
チュンチョンナム道プヨ郡プヨ邑クンナムロ52
宮南池(クンナムジ)は新羅の善花姫と結婚した百済の第30代王である武王(子どもの頃の呼び名、薯童(ソドン))の薯童謠の伝説が宿る場所です。『三国史記』に「百済武王35年(634年)宮の南側に池を掘って約20里外から水を引き込み、周囲に柳を植え、池の中央に方丈仙山を象徴する島をつくった」という記録があることから、この池は百済武王の時代に造られた宮殿の庭園だったことがかわります。池の東側の丘から百済時代の基壇石と礎石、瓦のかけら、器のかけらなどが出土し、近くに離宮があったものと考えられています。宮南池は韓国最古の人工池といわれており、日本にも百済の庭園造園技術を伝えたといいます。その他、7月には薯童公園一帯で千万本の蓮の花が美しく咲く「扶余薯童蓮祭り」が開かれます。
3.2Km 2025-07-22
チュンチョンナム道プヨ郡プヨ邑ナルトロ31
クドゥレトルサンバプ、かつて百済の都だった扶余(プヨ)のクットゥレ飲食店通りにある韓国料理店で、看板メニューは石釜で炊いた美味しいご飯を色々なおかずと一緒に野菜で包んで食べる「野菜包み石釜飯」です。薬草など様々な包み野菜が提供されるヘルシーな料理です。
3.2Km 2021-11-26
忠清南道 扶余郡 扶余邑 扶蘇路1-25
+82-41-830-2623
白馬江の川岸に位置する皐蘭寺(コランサ)は、百済末期に建てられたものと推定されています。百済の王が休息を取るための東屋だったという説もあれば、百済が滅亡するときに落花岩で身投げした三千人の宮女の精神を後世に伝えるために建てられたという説もありますが、皐蘭寺についてのはっきりした記録は残されていません。寺の後方にある岩の間には皐蘭井という井戸があり、井戸の上にある岩の間には皐蘭草が生えています。百済の王は1日に1回、皐蘭井から湧き出る水を飲んでいたといわれ、水を汲みに行く家来は、皐蘭草の葉を水に浮かべて皐蘭井で汲んだ水であることを証明しました。
この地は白馬江の美しい景色を観賞するのにこの上なく素晴らしい場所です。白馬江の遊覧船に乗って水上の情趣を楽しむのもよい思い出となるでしょう。