13.9Km 2021-04-30
全羅南道 羅州市 金川面 栄山路5838
羅州(ナジュ)の梨は1430年に世宗実録地理志羅州木片に羅州地方の特産物として上納する土貢物として記録されており、すばらしい品質を誇り、昔から多くの農家が梨を栽培してきました。「羅州梨博物館」は羅州の梨を広く広報し、栽培の歴史や民俗資料などを収集・保存・展示して後世に生きた教育の場として活用するために1992年4月20日に開館した梨専門博物館です。
14.1Km 2023-01-04
全羅南道 潭陽郡 歌辞文学面 瀟灑園キル17
+82-61-381-0115
「瀟灑園(ソセウォン)」は韓国の伝統様式が息づく朝鮮時代の代表的な民間庭園。梁山甫が恩師である趙光祖の死を期に出世を捨てて造った庭園で、静かな竹林の中に「安貧楽道」の風流を楽しんだ先人の情緒があふれるところです。清くすがすがしい庭園という意味の「瀟灑園」という通り、ここを訪れると静かで落ち着いた気持ちになれます。
敷地を流れる小川を中心にした左右の丘に桃の木をはじめとする多様な草木を植え、塀の下には清らかな渓流が岩の上を流れるように造られており、また渓流の上には丸木橋が架けられています。水車からながれる水の流れなども自然と人工との調和が見事で、美しい山水の姿をそのまま庭園に移したような景色となっています。
14.2Km 2025-03-05
チョンラナムド ナジュシ ペメッ3(サム)ギル 5-8
+82-61-331-0700
「マルOホテル」は、羅州の革新都市の中心部にあるビジネスホテルで、ビジネス出張客に人気が高いです。きれいな施設のため、旅行客も多く訪れます。地下駐車場に電気自動車の充電所があり、案内デスクで羅州及び全羅南道地域の観光案内パンフレット及び携帯電話の充電器を提供します。ホテルの目の前に、ピッカラム湖公園があり、散歩を楽しむのに最適であります。車で15分以内にKTX羅州駅、市外バスターミナル、栄山浦のガンギエイ通り、羅州のコムタン通りがあります。
14.9Km 2024-08-05
チョンラナムド ナジュシ トンニョクキル 20-1
+82-10-4612-4232
羅州市の「ドレ韓屋村」にある「サンエヌンゴッチピネ」は、釘を一つも使わずに良質の木材で建てた100年余りの古宅であります。客室ごとにキッチンとトイレを備え、断熱にも細心の注意を払いました。きれいな韓紙と古い小物は、居心地の良い趣を加え、古い縁側と60年以上の楓は歳月の味を贈ります。町に文化財が多く、週末に店主が町の案内をしてくれたりします。近くに羅州のメタセコイア道があり、山林浴を楽しむのに最適であります。
15.0Km 2024-08-05
チョンラナムド ナジュシ トンニョクキル 18-26
+82-61-336-3646、 +82-10-6604-6621
全羅南道の羅州のドレ村にある「ドレミハウス」は、母屋とサランチェ、離れの計3軒の韓屋ステイであります。母屋の2つの寝室のうち、奥の寝室には屋根裏部屋の空間が隠れています。サランチェは中央にリビングを置いて、両側に2つの寝室が位置します。離れはワンルーム型で、階段で上がる丘の上に位置しています。宿の横の林道に沿って散歩すると、亭子「ケウンジョン」に至ります。母屋の横に小さな絵本屋があり、ブックステイの空間作業も進行中であります。
15.2Km 2024-10-22
チョンラナム道タミャン郡コソ面フサンギル103
全羅南道潭陽生態村後山里に位置する「鳴玉軒苑林」は朝鮮時代に呉希道(1583~1623)が暮らしていた家の庭園です。また、彼の四男である呉以井(1619~1655)が父の跡を継ぎここで書を読み多くの著述を残した別荘の地でもあります。
庭園の中に「鳴玉軒」を建て、前に四角の池を造り、周囲に花の木を植えるなど景観が美しいことからその名が知られています。鳴玉軒はこぢんまりとしたあずまやで、教育を受けさせるために建てられた建物です。ここを流れる水の音が、玉がぶつかりあって鳴る音のようであることから名付けられました。池の周囲には赤松やサルスベリなどが植えられており、池の上の小川のほとりには「鳴玉軒癸丑」の字が彫られた岩があります。
鳴玉軒苑林の右方には「後山里銀杏の木」あるいは仁祖大王繋馬杏と呼ばれるイチョウの木があります。樹齢300年以上の古木で仁祖が王になる前に全国を回る中で呉希道を見つけ、ここに来た際に乗ってきた馬をつないでおいたところと言われています。
鳴玉軒苑林は「瀟灑園」に次ぐ美しい民間庭園として、2009年に名勝に指定されました。
15.7Km 2024-11-12
チョンラナム道タミャン郡ポンサン面ソンガンジョンロ192
カフェ林(リム)は、緑の竹林を背景にする潭陽の美しいカフェです。カフェ内外に竹が植えられ、まるで竹林に入っているような感覚が覚えられます。看板メニューはココナッツミルクエスプレッソセーキ。一幅の東洋画を連想させるカフェできれいな写真も撮影できます。
16.2Km 2021-07-31
全羅南道 和順郡 道谷面 コインドル1路
「和順支石墓群(ファスンコインドルグン)」は道谷面孝山里と春陽面大薪里を結ぶ峠の一帯に分布しています。道谷面孝山里一帯に分布した支石墓は、指標調査を通して980個余りの石材の中から135基が支石墓に推定されており、現在は上石の下部が埋没していたり倒壊している石材が100基以上残っています。孝山里の支石墓は支石墓と断定されるものや、支石墓を築造するために採石されて運ばれてきたものを含めると、少なくとも250基以上があると推定されます。春陽面大薪面一帯に分布した支石墓は、指標調査を通し3,309個の石材のうち124基が支石墓に推定されています。下部が埋まってしまっている石材や、上石の形態が表れているものが、少なくても200基以上あることから、元々支石墓であったり、上石として使用されるためのものが300基以上あったと考えられています。調査された石のうち、基盤式の支石墓は23基です。
和順支石墓群は、狭い地域の中に500基以上が密集して分布しています。そして特に重さ280トンを超える、韓国最大規模の支石墓も発見されました。ここは最も最近になって発見され保存状態が良いだけでなく、採石場もが発見され、支石墓を造る過程や当時の石の運搬方法などを知ることができるとして高い評価を受けています。
2000年11月29日に高敞支石墓、江華支石墓とともにユネスコ指定世界文化遺産に登録されました。
16.3Km 2025-03-05
チョンラナムド ファスングン ユルチギル 14-1
+82-10-4200-6789
全羅南道和順に位置する「ヤンチャムサデック」は、士大夫家の形を整えた300年になる古宅で、国家民俗文化財として指定されました。母屋とサランチェには計5室の客室があります。様々な展示会や音楽会が行われ、伝統文化·芸術プログラムも体験できます。伝統婚礼や野外結婚式、各種宴会や企業ワークショップなどができる空間としても運営されています。村に鶴斎古宅と和順支石墓遺跡地などがあり、車で15分の距離に古刹雲住寺があります。
16.3Km 2021-03-04
光州広域市 光山区 広谷キル 133
+82-62-960-8253
月峰書院(月峯書院/ウォルボンソウォン)は、1578年に金継輝(キム・ゲフィ)を中心とした地方儒林(儒学者の仲間)の公議により、学問と徳行に秀でた朝鮮時代中期の性理学者・奇大升(キ・テスン)を祀るため、光山郡(クァンサングン)飛鴉面(ピアミョン)山月里(サノルリ)に望川祠(マンチョンサ)という祠堂を建て、位牌を祀ったのがはじまりです。
その後、場所を移し、1654(孝宗5)年には、朝鮮王朝第17代の王・孝宗より、月峰(ウォルボン)という名を下賜されました。
1671年には、朝鮮時代後期の文臣で学者でもある宋時烈(ソン・シヨル)らの建議により、近くの徳山祠(トクサンサ)に祀られていた朝鮮時代中期の文臣・朴祥(パク・サン)と朴淳(パク・スン)の位牌を月峰書院へ移し、続いて1673年には朝鮮時代中期の政治家であり礼学の思想家・金長生(キム・チャンセン)と朝鮮時代中期の文臣・金集(キム・ジプ)が新たに祀られました。
儒教の先賢を祀るとともに、地元の人々の教育を担う役割を果たしていた月峰書院でしたが、1868(高宗5)年、興宣大院君(フンソンデウォングン)の書院撤廃令により、廃止されます。
その後、1938年になり、ようやく地元・全羅南道(チョルラナムド)の儒林らの手により五間ほどの大きさの氷月堂(ピンウォルダン)が建立され、1972年には庫直舍(コジクサ)、1978年に外三門(ウェサムムン)と蔵板閣(チャンパンガク)、1980年には祠宇(祠堂)、1981年に内三門(ネサムムン)が相次いで建立され、今の姿となりました。
氷月堂は光州広域市記念物第9号に指定されており、蔵板閣には奇大升の詩文集「高峰集(コボンチプ)」の板木474枚が保管されています。