ヤンチャムサデク(ヤン・ドンホ家屋/韓屋152)(양참사댁(양동호 가옥 / 한옥152)) - エリア情報 - 韓国旅行情報

ヤンチャムサデク(ヤン・ドンホ家屋/韓屋152)(양참사댁(양동호 가옥 / 한옥152))

ヤンチャムサデク(ヤン・ドンホ家屋/韓屋152)(양참사댁(양동호 가옥 / 한옥152))

16.3Km    2025-03-05

チョンラナムド ファスングン ユルチギル 14-1
+82-10-4200-6789

全羅南道和順に位置する「ヤンチャムサデック」は、士大夫家の形を整えた300年になる古宅で、国家民俗文化財として指定されました。母屋とサランチェには計5室の客室があります。様々な展示会や音楽会が行われ、伝統文化·芸術プログラムも体験できます。伝統婚礼や野外結婚式、各種宴会や企業ワークショップなどができる空間としても運営されています。村に鶴斎古宅と和順支石墓遺跡地などがあり、車で15分の距離に古刹雲住寺があります。 

月峰書院(월봉서원)

月峰書院(월봉서원)

16.3Km    2021-03-04

光州広域市 光山区 広谷キル 133
+82-62-960-8253

月峰書院(月峯書院/ウォルボンソウォン)は、1578年に金継輝(キム・ゲフィ)を中心とした地方儒林(儒学者の仲間)の公議により、学問と徳行に秀でた朝鮮時代中期の性理学者・奇大升(キ・テスン)を祀るため、光山郡(クァンサングン)飛鴉面(ピアミョン)山月里(サノルリ)に望川祠(マンチョンサ)という祠堂を建て、位牌を祀ったのがはじまりです。
その後、場所を移し、1654(孝宗5)年には、朝鮮王朝第17代の王・孝宗より、月峰(ウォルボン)という名を下賜されました。
1671年には、朝鮮時代後期の文臣で学者でもある宋時烈(ソン・シヨル)らの建議により、近くの徳山祠(トクサンサ)に祀られていた朝鮮時代中期の文臣・朴祥(パク・サン)と朴淳(パク・スン)の位牌を月峰書院へ移し、続いて1673年には朝鮮時代中期の政治家であり礼学の思想家・金長生(キム・チャンセン)と朝鮮時代中期の文臣・金集(キム・ジプ)が新たに祀られました。
儒教の先賢を祀るとともに、地元の人々の教育を担う役割を果たしていた月峰書院でしたが、1868(高宗5)年、興宣大院君(フンソンデウォングン)の書院撤廃令により、廃止されます。
その後、1938年になり、ようやく地元・全羅南道(チョルラナムド)の儒林らの手により五間ほどの大きさの氷月堂(ピンウォルダン)が建立され、1972年には庫直舍(コジクサ)、1978年に外三門(ウェサムムン)と蔵板閣(チャンパンガク)、1980年には祠宇(祠堂)、1981年に内三門(ネサムムン)が相次いで建立され、今の姿となりました。
氷月堂は光州広域市記念物第9号に指定されており、蔵板閣には奇大升の詩文集「高峰集(コボンチプ)」の板木474枚が保管されています。

[事後免税店] ハイマート・ナジュ(羅州)店(하이마트 나주점)

[事後免税店] ハイマート・ナジュ(羅州)店(하이마트 나주점)

16.8Km    2024-04-29

チョンラナム道ナジュ市テホギル11

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羅州 錦城館(나주 금성관)

羅州 錦城館(나주 금성관)

17.2Km    2023-03-02

チョンラナム道ナジュ市クムソングァンギル8

錦城館(クムソングァン)は古の時代の地方行政機関で羅州(ナジュ)に置かれた羅州牧の客舎の建物で、毎月1日と15日には王に対する敬意を表すため王宮に向かい拝礼を行う儀式・望闕礼(マングォルレ)を執り行ったり、外国の使臣や政府高官の行幸がある際に宴を開いたりする建物として使われました。
正面5間、側面4間、八角屋根のおよそ320平方メートル(97坪)の建物で、全国の客舎の建物の中でもその規模において最も雄壮な建物です。
日帝強占期以降、郡庁の建物として使われていましたが、原型をとどめない形となってしまったため1976年から77年にかけて復元されました。

国立羅州スプチェウォン(국립나주숲체원)

17.2Km    2024-02-20

チョンラナム道ナジュ市クムソンサンギル116

国立羅州スプチェウォンは、金城山(クムソンサン)に位置している国立休養施設です。金城山の野生茶群落と羅州(ナジュ)の文化に基づいてカスタマイズされた森林教育と文化プログラムを運営しています。スプチェウォン施設と周辺の自然を利用して多様な体験プログラムを運営します。森中を歩いたりストレッチ、瞑想、羅州伝統文化の天然染色体験ができます。

ナジュコムタンノアンチプ(나주곰탕노안집)

ナジュコムタンノアンチプ(나주곰탕노안집)

17.3Km    2024-02-20

チョンラナム道ナジュ市クムソングァンギル1-3
061-333-2053

ナジュコムタンノアンチプは、1963年にクッパ屋でスタートし全国的に有名になったナジュコムタン専門店です。ここのコムタンは、数時間にかけて煮込んだため濃厚で風味の良いだし汁と柔らかい牛肉が融合しておいしいです。ご当地グルメで、ナジュコムタン通りに位置しているのでアクセスしやすいです。

羅州牧使内衙(나주 목사내아)

羅州牧使内衙(나주 목사내아)

17.4Km    2021-09-27

全羅南道 羅州市 錦城館キル 13-10

羅州牧使内衙(ナジュモクサネア)は朝鮮時代の地方行政機関・牧の長で羅州を治めていた羅州牧使の官邸として、上流階級の住宅の母屋と同じ平面構造で造られました。母屋は純祖25(1825)年建てられたもので、建物の構造は中庭を囲むようにコの字型で建てられた伝統的な韓屋の様式を踏襲しています。羅州牧使内衙は現在全羅南道文化財資料第132号に指定されています。羅州は朝鮮時代の行政機関の建物・官衙(クァナ/クァンア)の建物が数多く残っており、文化遺跡踏査地としてもおすすめです。
規模:内衙 1棟、行廊(ヘンラン)チェ1棟

郷校道20カフェ(향교길20카페)

郷校道20カフェ(향교길20카페)

17.4Km    2024-02-20

チョンラナム道ナジュ市ヒャンギョギル22-1

郷校道(ヒャンギョギル)20カフェは、羅州(ナジュ)郷校道に位置している韓屋カフェです。韓屋を改修した場所で伝統の美しさを感じながら飲料を楽しむことができます。看板メニューは羅州梨米粉パンで、羅州梨を入れて作った米を練ったものにシュークリームを詰めたグルテンフリーのデザートです。韓国伝統飲料の紅蔘双和茶やナツメ茶と一緒に食べるとさらにおいしいです。

3917マジュン(出迎え)(3917마중)

3917マジュン(出迎え)(3917마중)

17.6Km    2024-12-23

チョンラナムド ナジュシ キョドン2(イ)ギル 17-4
+82-61-331-3917

「3917マジュン」は、全羅南道羅州市に位置する近代韓屋で、近代の文化遺産の原型を保存した意味のある空間です。総4、000坪の敷地に韓屋4軒と庭園があります。全て一軒家として運営していて、プライベートな古宅体験が可能です。 

全羅南道 潭陽 昌平[スローシティ](전남 담양 창평 [슬로시티])

17.8Km    2021-04-16

全羅南道 潭陽郡 昌平面 トルダムキル 56-24
+82-2-383-3807

全羅南道潭陽(タミャン)郡昌平(チャンピョン)は農村地帯でトマト、イチゴ、ハウス栽培の野菜など近郊農業が盛んな所で、素晴らしい自然環境がいまもなお残りつつ、田園都市など今後の発展への潜在力を持つ、人情にもあふれ住みやすい美しいところです。
昌平(チャンピョン)という地名は高麗時代初期まで遡ることができ、これまで文武百官を輩出したソンビ(学者)の村として忠・孝・礼・信義を守り続けてきた村としてその名声を博しています。壬辰倭乱(日本で言う文禄・慶長の役)の時の義兵隊長だった霽峰・高敬明(コ・ギョンミョン)先生の次男・鶴峰・高因厚(コ・インフ)先生の11代子孫である大韓帝国末期の義兵隊長・鹿川・高光洵(コ・グァンスン)義兵隊長が生まれた義を重んじる村で、近現代に入って1906年4月1日私立長興学校を創設・開校し、新学問を教育した春崗・高鼎柱(コ・ジョンジュ)先生、国務総理や国会副議長、中央省庁のトップである長官、大法院(最高裁)判事、マスコミ界の重鎮・高在旭(コ・ジェウク)、初の工学博士・李升基(イ・スンギ)博士、初の女性農学博士・金三純(キム・サムスン)博士の故郷でもあります。
朝鮮時代に王への献上品として有名であった昌平米飴や韓菓、千年の神秘をとどめる竹塩、竹塩味噌、伝統トッカルビなどは韓国伝統の食べ物として昌平が誇るものです。

歴史
三韓時代 - 拘溪国
百済時代 - 屈支県
新羅時代 – 757(景德王16)年祈陽県
高麗時代 – 940(太祖23)年昌平県(別名として鳴平[ミョンピョン])。 1144(仁宗21)年、中央指定官として県令を置く。
朝鮮時代 –
1474(成宗5)年-昌平県を撤廃し光州牧に隷属させる形となったものの、金有山(キム・ユサン)が王に訴え 再び1479年昌平県となる。
1758(英祖34)年閔百禄(ミン・ペンノク)が昌平県誌を編纂し、1793年(正祖17)年昌平県令である趙光存(チョ・グァンジョン)が現在の古西面古邑里から昌平面昌平里82番地(昌平面事務所)に移る。
1895(高宗32)年5月26日南原府昌平郡(4等郡守)となる。
1896(高宗33)年8月24日全羅南道昌平郡として9つの面を管轄。

日帝強占期 – 1910年国権侵奪時代 - 昌平郡
1914年2月28日、部令第11号(1913年12月29日公布)により昌平郡が潭陽郡に編入され、昌平面に改称

※ 昌平という地名は孔子の出生地・魯の昌平郷とその地形などが似ていることから命名されたという説があります。
1990年4月1日付で南面外東里が昌平面に編入