9.9Km 2025-06-24
チョンラナム道チンド郡シンビエバダッキル74
+82-61-540-3408
海に砂の道が現れる期間に合わせて開催される、神秘感漂う珍島(チンド)神秘の海割れ祭り。珍島で海割れの現象が起きる1時間の間、海を歩いて渡る特別な体験ができます。海の中を歩きながら、アワビやタコなど海の幸の手つかみ体験もできます。珍島アリラン、カンガンスルレ、南道民謡、珍島シッキムグッなど珍島の無形遺産の公演や珍島無形遺産体験プログラムも用意されています。外国人が参加できるグローバルゾーンでは、グローバル音楽の旅、グローバルシルム大会、EDMナイトショーが最も人気です。
珍島海割れ
潮の干満の差が原因で海底が海面より高くなり、約2㎞に及ぶ海の「道」が現れます。年に数日間1時間だけ現れる道で、「韓国版モーゼの奇跡」と呼ばれています。
10.2Km 2023-01-17
チョンラナム道チンド郡コグン面シンビエバダッギル148
毎年、陰暦2月の終わりごろの珍島(チンド)地方の大潮・霊登(ヨンドゥン)サリや6月中旬ごろの時期、全羅南道(チョルラナムド)珍島郡(チンドグン)古郡面(コグンミョン)回洞村(フェドンマウル)とその沖合にある義新面(ウィシンミョン)茅島(モド)の間の海が割れる、別名「韓国版モーゼの奇跡」という海割れ現象が起こります。潮が引くと、幅30メートルから40メートル、全長およそ2.8キロメートルに及ぶ海割れの道ができます。この期間、回洞里一帯では神秘の海割れ祭りが開催されます。海割れの道はおよそ1時間ほど完全に干上がった状態となり、再び潮が満ちてきて海の中へ消えていきます。
珍島には回洞里のポンおばあさんの話が言い伝えられています。その昔、珍島には虎が多かったといいます。現在の回洞村は 珍島にある山・尖察山(チョムチャルサン)の端にあったため虎がよく現れ、村の名前も韓国語で虎を意味する「ホランイ」、「虎洞(ホドン)」と呼ばれていました。
ある日、虎が現れ被害を被ると、村人はみな沖にある茅島に逃げてしまいました。村人は慌てふためいて逃げてしまったため、「ポンおばあさん」は置き去りにされてしまいました。ひとり取り残されたポンおばあさんは、海の神様・龍王さまに再び家族に合わせてほしいと毎日お祈りをしました。するとその年の2月の終わりごろ、龍王がポンおばあさんの夢枕に現れ「明日、海に虹をかけてやるから、その道で茅島に渡りなさい」と言いました。
次の日、ポンおばあさんが近くの海に赴き、祈りをささげていると、本当に潮が引き、虹のように丸く曲がった道ができました。茅島でおばあさんを心配していた家族や村人たちは、農楽で使うチンやケングァリといった打楽器を鳴らしながら、この海の道を渡ってきました。
再び家族と出会うことができたおばあさんは「祈りが通じて海の道が開け、お前たちに会えたから、もう望みはない」と言葉を残し、力尽き果て息を引き取ってしまいます。
それ以来、村人たちは毎年、ここに祭壇を設け、おばあさんの祭祀を執り行い、この日をポンおばあさんの霊が天に登った日ということで、霊登サリと言うようになりました。この当時、村の名称も虎洞に人々が戻ってきたということで、回洞となったそうです。
珍島神秘の海割れは1975年、在韓フランス大使が珍島に観光で訪れた際、この現象を目撃し、フランスの新聞「モーゼの奇跡」と紹介し、世界的に知られるようになりました。
1970年代後半からは旧暦2月の霊登サリの時期に合わせて珍島郡で霊登祭りを開催しています。海岸のポンおばあさんの祠堂で祭祀を執り行い、龍王祭を行い、死者を清め極楽へと送る全羅南道地方特有の儀式・シッキムグッ、出棺前日喪主や遺族を慰めるため行われる珍島独独特の儀式・タシレギ、カンガンスルレ、全羅南道の農謡・南道トゥルノレ、珍島挽歌、太鼓を打ちながら踊る農楽・プクノリなど珍島固有の民俗公演をはじめ、様々なイベントが開催され、見どころも多く、各地から多くの観光客が訪れます。
海辺の祠堂に祀られているポンおばあさんの肖像画は珍島出身の東洋画の画家・沃田(オクチョン)姜智周(カン・ジジュ)画伯が描いたもので、肖像画が収められている祠堂の扉を開ければ奇跡の現象を眺められるようになっています。
10.5Km 2023-04-27
チョンラナム道ヘナム郡ムンネ面クァングァンレジャーロ12
右水営(ウスヨン)観光地は、1597年、忠武公(チュンムゴン)李舜臣(イ・スンシン)が勝利を収めた鳴梁大捷(ミョンナンデチョプ)を記念する目的で造成された場所で、古の聖地がありのままの姿で残されています。
ここ右水営観光地は1986年国民観光地に指定され、続いて1990年には鳴梁大捷記念公園が観光地内にオープン、鳴梁大捷の歴史的な意義を理解する教育の場としての役割を果たしています。
公園には鳴梁大捷塔、鳴梁大捷碑拓本、語録碑、忠武公遺物展示館などがあります。
珍島(チンド)と陸地側との間にある海峡・ウルドルモクを一望できる場所には、亀甲船など様々な体験スペースを開設、毎年10月には全羅南道(チョルラナムド)を代表する祭り・鳴梁大捷祭りや週末に行われる鳴梁歴史体験マダンなどさまざまなイベントや体験プログラムを実施しています。
また園内のあちらこちらに壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)当時の義兵や官軍の戦いぶりを刻した彫刻物があり、当時の様子を垣間見ることができます。
このほか園内にある展望台からは、鳴梁海峡や珍島大橋が一望できます。
10.5Km 2024-04-17
チョンラナム道ヘナム郡ムンネ面カングァンレジャーロ12
鳴梁大捷(ミョンリャンデチョプ)の海戦史記念展示館は、海南(ヘナム)と珍島(チンド)の間にある狭い海峡「ウルドルモク」の横にあります。ウルドルモクは壬辰倭乱のとき、李舜臣(イ・スンシン)将軍の指揮のもと13隻の船で日本の海軍約300隻を撃退した鳴梁海戦が繰り広げられた場所です。鳴梁大捷を記念し、壬辰倭乱の時の武器が展示されています。スカイウォークからは、渦巻くウルドルモクの水流を見ることができます。
10.6Km 2024-12-19
チョンラナム道チンド郡クンネ面チンドデロ8459-13
+82-61-286-5265
13隻を擁する李舜臣(イ・スンシン)将軍率いる水軍は、韓半島南部の海・南海(ナムヘ)で勝利を収め、西海(ソヘ)を経て漢陽(ハニャン・現在のソウル)に向かおうとしていた133隻の日本の水軍を、珍島(チンド)と陸地側との間にある海峡・ウルドルモクで迎え撃ち撃破する大勝利を収めました。
この勝利の隠れた主役は、漁船や食料を調達し馳せ参じ、李舜臣将軍の水軍を支援しともに戦った全羅道(チョルラド)の人々でした。その偉大な勝利は鳴梁大捷(ミョンニャンデチョプ)と呼ばれています。
鳴梁大捷は7年間に及ぶ壬辰倭乱に終止符を打つ決定的な契機となった海戦でした。鳴梁大捷の偉大な勝利を記念し、後世にその歴史的意味を伝えるべく、全羅南道(チョルラナムド)と海南郡(ヘナムグン)、珍島郡(チンドグン)で鳴梁大捷祭りが開催されます。
10.8Km 2021-04-05
全羅南道 海南郡 門內面 クァングァンネジョロ53
+82-61-535-1881
全羅道の郷土料理が韓定食ビュッフェで味わえます。全羅南道のヘナム郡に位置した韓食専門店です。代表的なメニューはビュッフェです。
11.7Km 2024-03-20
チョンラナム道シンアン郡チド邑テチョン里山199
栗島(ユルト)は、新安郡(シンアングン)の智島(チド)から船で5分離れている島です。枇杷がたくさん植えられていて枇杷島(ピパソム)とも呼ばれています。温帯・熱帯の多様な樹種が育ち、鹿とヤギ、ウサギが自由に生息しています。夕焼けが美しく、干潮の際は干潟を利用して智島まで歩いて移動できます。個人が所有している島なので、無断で入島することが許されていません。
11.8Km 2020-07-23
全羅南道 珍島郡 臨淮面 珍島大路3818
全羅南道珍島郡女貴山の美しい山並を背にし、海をのぞむ自然に恵まれた地に設けられた「国立南道国楽院(クンニプナムドグガクウォン)」は、国楽専門研修や公演を通じて健康な余暇文化の形成、国民情緒の涵養、文化に触れる機会の少ない地域の人々に国楽文化を体系的に普及することなどで伝統文化と国楽の活性化を図り、地域文化芸術の観光資源化の土台をつくることを目標としています。
12.0Km 2021-06-15
全羅南道 珍島郡 義新面 茅島キル 12-3
1929年ごろ金海金氏が済州島を訪れた際、この島がティブル(茅)で覆われていたことからティソム(茅島)と呼ばれるようになりました。茅で屋根を葺いた家が多かったことからティソムと呼ばれたという説もあり、現在では島名を漢字で表記し茅島(モド)と呼ばれています。