七浦海水浴場(칠포해수욕장) - エリア情報 - 韓国旅行情報

七浦海水浴場(칠포해수욕장)

8.5 Km    58650     2024-02-13

キョンサンブク道ポハン市プク区フンヘ邑

七浦(チルポ)海水浴場は、砂浜が長さ4キロメートルで、海水がきれいな海水浴場です。海水浴場付近は水深が1メートルほどで、子どもたちが遊ぶのに適しており、もう少し沖の方に行くと、大人の肩が浸かるくらいの深さになるので、大人も水遊びを楽しむことができます。また、海水浴場の端にある木道を歩くと、東海(トンヘ)を眺めながらトレッキングすることができます。2007年以降、毎年9月には七浦ジャズフェスティバルが開かれ、秋の海でジャズの音楽を聴きながら思い出づくりができます。

虎尾半島海岸トゥルレ道(호미반도 해안둘레길)

10.3 Km    0     2024-02-13

キョンサンブク道ポハン市ナム区トンヘ面イバム里360番地

虎尾(ホミ)半島海岸トゥルレ道は、浦項(ポハン)市東海(トンヘ)面と九龍浦(クリョンポ)、虎尾岬(ホミゴッ)、長鬐(チャンギ)面の海岸線58キロメートルを結ぶトレッキングロードです。韓半島の東端の地域で、海岸に沿って険しい崖を眺め、波の音を聞きながら歩くことができます。トゥルレ道には4つのコースがあります。第3コースのクリョン沼道は、所要時間2時間の最も長いコースで、将軍(チャングン)岩から始まり、モクゲンジの木やシロヤマブキの群生地を経て、クリョン沼で終わるコースです。最も短い第4コースの虎尾道は、トクスリ岩から始まり、虎尾岬観光地で終わります。

香壇[韓国観光品質認証](향단[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

香壇[韓国観光品質認証](향단[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

12.8 Km    46062     2023-09-05

キョンサンブクト キョンジュシ ヤンドンマウルギル 121-83
+82-10-6689-3575

慶州市の良洞村にある「ヒャンダン」は、国家宝物に指定された名品古宅で、年老いた母親のために建てたところという話が、ここをさらに美しくします。元は99間だったが、火災で焼失し、現在は60間余りが残っています。斜面をそのまま利用して家を建てたため、ヘンランチェ、母屋、サランチェなどの建物の高低が各々であります。母屋、ブソクチェ、ヘンランチェで宿泊ができ、木版·茶道·天然染色の体験及び礼儀教育などの様々な体験プログラムを楽しめます。 

慶州良洞村[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](경주 양동마을[유네스코 세계문화유산])

慶州良洞村[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](경주 양동마을[유네스코 세계문화유산])

12.9 Km    41353     2022-11-28

キョンサンブク キョンジュ市カンドン面ヤンドンマウルギル134

良洞(ヤンドン)民俗村は、朝鮮時代の伝統文化や自然をありのままに残す韓国で最大規模を誇る同じ氏族が集まり形成された村・集姓村で、月城(ウォルソン)孫氏(ソンシ)と驪江(ヨガン)李氏(イシ)によって形成されています。
良洞村(ヤンドンマウル)には国宝、宝物、民俗資料があり、村全体が国家民俗文化財に指定されています。村の規模や保存状態、数多くの文化財とその伝統性、美しい自然環境や昔から変わらない郷土の風情など、良洞村ならではの見どころが多く、1993年にはイギリスのチャールズ皇太子も訪れました。
その昔栄華を極めた名門一族の名残や当時の人々の暮らしぶりがうかがえる築200年を超える古い韓屋が54戸残っており、朝鮮時代中期以降の多様で特色ある伝統家屋の構造を一ヶ所で見ることができます。
訪問前に村の地図や探訪コース、文化財の位置を確認してから巡ることをおすすめします。また、良洞民俗村には住民が生活をしているため巡る際には迷惑をかけることのないように注意してください。

二加里いかり展望台(이가리 닻 전망대)

14.5 Km    0     2023-02-15

キョンサンブク道ポハン市プッ区チョンハ面イガ里

二加里(イガリ)いかり展望台は、松の木と美しい二加里簡易海水浴場の近くに、船を停泊させるアンカー(いかり)を形象化した展望台です。高さ10メートル、長さ102メートルで、開放感あふれる浦項の海が一望できます。また、JTBCで人気が高かったテレビドラマ『それでも僕らは走り続ける』のメインロケ地で、多くの観光客が訪れる人気スポットです。

吾魚寺(浦項)(오어사(포항))

14.6 Km    38520     2023-01-30

キョンサンブク道ポハン市ナム区オチョン邑オオロ1

雲梯山(ウンジェサン)吾魚寺(オオサ)は、仏陀の奥ゆかしい香りが漂い、龍に包まれているような湖と奇岩絶壁が一幅の絵画のように調和している場所で、新羅の4大祖師を輩出した聖地でもあります。新羅時代の第26代真平王のときに創建された寺院で、当初は恒沙寺と呼ばれました。元暁大師と恵空禅師がここで修行した際、二人は仏法の力で川の死んだ魚を生き返らせることを競い合いました。1匹は死んだままでしたが、もう1匹は生き返って力強く泳いだので、その魚を自分が生き返らせたと二人とも言い張ったのです。そこで自分という意味の「吾」と「魚」の字を取って吾魚寺と名付けられたそうです。大雄殿は正面3間・側面2間の入母屋造りの多包閣で、朝鮮時代の英祖17年(1741)に建て直されました。寺院の周辺は、雲梯山の雄大な自然と吾魚池が調和した景色が壮観で、奇岩絶壁の上の慈蔵庵や吾魚寺の西側には元暁庵が建っています。大雄殿(慶尚北道文化財)、宝物に指定されている銅鐘、元暁大師の笠、その他多くの遺物が保管されています。

慶州 悠然亭(경주 유연정)

14.7 Km    15694     2020-08-11

慶尚北道 慶州市 江東面 舎羅キル 79-19

慶州(キョンジュ)悠然亭(ユヨンジョ)は1998年4月13日に慶尚北道文化財資料第345号に指定された建物で、現在、クォン・ウンゴク氏が所有しています。 悠然亭の建物は、雲谷書院(ウンゴクソウォン)から渓谷の方へ50mほど向かった龍湫台(ヨンチュデ)の上に建てられています。

朝鮮時代末期の1811(純祖11)年、安東権氏(アンドン・クォンシ)の始祖・高麗太師の権幸(クォン・ヘン)とその子孫・権山海(クォン・サンヘ)、権徳麒(クォン・ドクリン)を祀るため、安東権氏一門が創建した建物がこの悠然亭です。

悠然亭は正面3間、側面2間の大きさで軒先の垂木が一段となっている入母屋屋根の造りとなっており、左手の空間を壁も何も作らない通間(トンカン)とし床は井桁に組んだ板の間となっています。
建物正面にはちょうど軒の真下辺りに欄干の板が取り付けられた板の間・軒檻(ホナム)があり、板の間と接する外壁には板戸を取り付け、また軒檻の上にある軒を支える円柱は薄い自然石の柱礎の上に建てられています。
この建物の特筆すべき点としては、板の間の大梁の上に格天井を設け、さらに格天井の両側に角材を下ろし、半円形の板材を45度の角度で嵌めている点です。

悠然亭は、龍湫台や鴨脚樹(アムガクス)と呼ばれる銀杏の木など周辺の風景と調和をなす、1800年代初期頃の建築手法がよく分かる建物となっています。

虎尾岬韓民族日の出祭り(호미곶한민족해맞이축전)

虎尾岬韓民族日の出祭り(호미곶한민족해맞이축전)

16.9 Km    6706     2023-12-05

キョンサンブク道ポハン市ナム区ホミゴッ面ヘマジロ136
+82-54-289-7855

虎尾岬日の出広場にある虎尾岬海水浴場には、毎年美しい日の出を見に多くの人が訪れます。虎尾岬日出祭りでは初日の出を記念する様々なパフォーマンスや花火ショーなどが行われます。

虎尾岬日の出広場(호미곶 해맞이광장)

17.1 Km    28552     2023-09-06

キョンサンブク道ポハン市ナム区ホミゴッ面ヘマジロ150ボンギル20

虎尾岬(ホミゴッ)は韓半島(朝鮮半島)の最東端に位置しており、韓半島を虎に見立てた場合尻尾にあたるところです。古山子・金正浩は大東輿地図作成時にここを7回も踏査測定し、韓国の最東端だということを確認したといいます。
韓国天文研究院の資料によると虎尾岬の日の出時刻は朝7時32分(1999年1月1日基準)で韓半島で一番先に日が昇る所だということです。そのため、「虎尾岬日の出広場(ホミゴッヘマジグァンジャン)」では2000年と2001年の1月1日に国家指定イベント日の出祝典が開催されました。日の出祝典のシンボルオブジェ「相生の手(共存の手)」はミレニアムを祝い、希望に満ちた未来に対するビジョンを提示するという考えのもと、1999年12月に完成したもので、全国民が助け合い生きていこうという意味がこめられています。
推進中の虎尾岬観光地と虎尾岬海洋レジャー特区開発が完了すれば海洋水族館、海洋生態公園、青少年文化施設、遊戯施設、ビーチドームの他、観光ホテル、コンドミニアム、民宿村などの宿泊施設や商店街施設が設けられ、東海岸最大の観光地となるでしょう。

国立灯台博物館(국립등대박물관)

国立灯台博物館(국립등대박물관)

17.1 Km    28581     2019-03-20

慶尚北道 浦項市 南区 虎尾串面 ヘマジ路150番キル20
+82-54-284-4857

昔から船舶が目的地まで安全に運航するために、たいまつやのろしなどを利用して航海の指標としてきましたが、1800年代後半、西洋商船時代の東洋進出と釜山、仁川元山港などの開港により、運航が頻繁になったことで韓国でも体系的な航路表示施設を設置することが必要になりました。1894年「工務衙門通信国官船書」で航路表示業務を担当しはじめ、1895年6月から同年9月まで韓国の沿岸に灯台を建設するための場所の調査および計画を樹立し、1902年3月に仁川に「海関灯台局」を設置しました。同年5月から仁川港の入口にある八尾島、小月尾島灯台および北長子嶼、白岩灯票建設に着手し、1903年6月1日に点灯して運営することになったのが韓国の近代式航路表示の始まりです。航路表示は海上交通の安全確保と近代化の産業発展に大きく寄与してきましたが、時代の変遷で航路表示施設と関連用品がなくなっていきました。航路表示施設と関連用品を展示することで永久に保存して海上交通の安全のための航路表示の重要性と海を愛する精神を後世に伝えるために建設されたのが、韓国で唯一のこの灯台専門博物館です。展示物を通して文化体験と学習の場および航路表示の歴史の保存と発展の研究のために1996年から第2展示館と各種付帯施設の建設および展示物の保管のための拡張事業を推進し、2002年4月19日に再オープンしました。