瑶石宮(요석궁) - エリア情報 - 韓国旅行情報

瑶石宮(요석궁)

瑶石宮(요석궁)

1.7 Km    10410     2022-07-04

キョンサンブク道キョンジュ市キョチョンアンギル19-4

新羅・武烈王の娘・瑤石姫が暮らしていた宮廷跡に、朝鮮時代、慶州の「崔富者」が門を構えたのが、瑶石宮(ヨソックン)です。また、日帝強占期に国を奪われ、鬱憤を慰めあった多くの独立運動家たちが隠れ住んだ場所でもあります。「崔富者」家門の兄弟は、独立運動の先頭に立ち、独立のために資金を援助し、解放後は全ての財産を社会へ還元した事で全国民から尊敬されました。当時、「崔富者」宅を訪れた客人たちが「崔富者」家の伝統家庭料理の素晴らしさを伝え広め、現在も世界各国の大使や歴代大統領、各界の著名人がこの名家に伝わる伝統の家庭料理を堪能するため、瑶石宮を訪れます。

慶州郷校(경주향교)

慶州郷校(경주향교)

1.8 Km    17419     2022-09-19

慶尚北道 慶州市 校村アンキル 27-8

慶州郷校(キョンジュヒャンギョ)は、創建年未詳となっていますが、高麗時代に儒学の先賢・賢儒の位牌を祀り、地元の中等教育や地方に住む人々の教化を図る目的で創建されました。新羅時代の神文王(シンムナン)2(682)年に、教育と儀礼を司る礼部(イェブ)に属する教育機関・国学が設置された場所と言われています。
その後朝鮮時代に入り、慶州郷校は、1492(成宗23)年慶州を治めていた官庁の長・慶州府尹(キョンジュブユン)の崔応賢(チェ・ウンヒョン)が重修を行いました。
しかし、壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)の際、位牌を安置する大成殿(テソンジョン)が焼失、中にあった位牌を道徳山(トドクサン)斗徳庵(トゥドガム)に一旦移し、1600(宣祖33)年になり当時の慶州府尹・李時発(イ・シバル)が大成殿と典祀庁(チョンサチョン)を重建し、位牌を元に戻したといいます。
1614(光海君6)年には府尹の李安訥(イ・アンヌル)が明倫堂(ミョンニュンダン)の重修を行い、また同時に建物の東西に対称になるよう両廡を重建、続いて1668(顕宗9)年には補修も行いました。
慶州郷校は慶尚北道(キョンサンプクド)有形文化財第191号に指定されており、現存する建物としては、大成殿・明倫堂・東廡・西廡・典祀庁・内神門(ネシンムン)などがあります。
正面3間、側面3間の切妻屋根となっている大成殿には儒教の五聖、宋朝二賢、韓国の十八賢の位牌が祀られています。
この慶州郷校は朝鮮時代には国から田畑や奴婢・典籍などを支給され、教官が教生を教える教育機関としてその役目を果たしていましたが、現在では教育的機能はなくなっています。
慶州郷校では春と秋に孔子や儒教の先哲を祀る釈奠を行い、また月初めの1日と月の真ん中の15日に香を焚いていますが、郷校の責任者に当たる典校1人と掌議数人がこれを行っています。

慶州オルゴールソリ博物館(경주오르골소리박물관)

慶州オルゴールソリ博物館(경주오르골소리박물관)

1.8 Km    28717     2019-03-20

慶尚北道 慶州市 ソラボル大路 420
+82-54-775-5959

慶州オルゴールソリ博物館は国内最初のオルゴールをテーマにした博物館で近代の音の変遷史を一目で見ることができ、耳で聞いて心で感じることのできる体験博物館です。また、オルゴールだけではなく国内で唯一のこの博物館には約100年前の世界最大級のダンスオルゴールを保存しており、その他蓄音機と自動で演奏されるピアノなどが展示してあり、100年前の音の原音と再生音を比べてながら経験することのできる博物館です。
開館日:2000年4月25日

慶州 奈勿王陵(경주 내물왕릉)

慶州 奈勿王陵(경주 내물왕릉)

1.9 Km    16983     2022-08-29

キョンサンブク道キョンジュ市キョ洞

「慶州奈勿王陵(キョンジュネムルワンヌン)」は慶州郷校の北側に位置する丘の上にある大型の丸い土墳です。墓の底面や周りに自然石の稜がありますが、これは武烈王陵の場合と同じでその中に別の護石が設置されていると推測されています。三国史記には奈勿王の葬地に関する記録はありませんが、三国遺事に瞻星台の南西にあると記録されており現在の位置と一致します。また初期の王陵としては比較的綺麗な形で現存しています。
保護区域1万2,818平方メートル、底径22メートル、高さ5.3メートル

慶州 鶏林(경주 계림)

慶州 鶏林(경주 계림)

2.0 Km    15938     2023-01-18

キョンサンブク道キョンジュ市キョ洞

瞻星台と月城の間に位置しており、史跡に指定されています。慶州金氏の始祖、閼智が誕生したという伝説がある由緒ある場所で、このような話が残されています。新羅脱解王の時に、瓠公がこの林の中で鶏の鳴き声を耳にしたので、声が聞こえる方に近寄ってみると、木の枝に金の装飾がほどこされた櫃が引っかかって、光を放っていました。このことを王に話すと、王は自ら林へ行き櫃を下ろし、ふたを開けると中から男の子が出てきたので、この子の姓を金、名前を閼智とつけ、もともと始林、鳩林と呼ばれていたこの林のことを「鶏林(キェリム)」と呼ぶようになったと伝えられています。鶏林は、新羅の国号としても使われました。丸く広がっている林には、ケヤキの木などの古木が鬱蒼と茂っており、北から西にかけては小川が流れています。王は閼智を皇太子に任命しましたが、後に朴氏王族である婆娑王に王位が継承されたため、王位に就くことはできませんでした。後の時代、奈勿王の時より新羅金氏が王族となりました。境内にある碑は1803年に建てられたもので、金閼智誕生についての記録が刻まれています。大陵苑-鶏林-半月城と続く散策路の周辺には春になると黄色いアブラナが咲き、趣を一層深めてくれます。

ピョルチェバン校洞サンバプ(별채반 교동쌈밥)

ピョルチェバン校洞サンバプ(별채반 교동쌈밥)

2.0 Km    0     2023-07-04

경상북도 경주시 첨성로 77

ピョルチェバン校洞サンバプは、慶尚北道慶州市皇南洞に位置している。地上波テレビ番組に何度も登場するほど有名なところ。代表メニューは、野菜や肉、魚などをおかずと一緒に包んで食べる「サンバプ」で、豚肉プルゴギサンバプ、鴨プルゴギサンバプなど多様な種類のサンバプがある。他にも六部村ユッケジャン、メタカラコウビビンバも味わえる。サンバプの特性上、野菜がたくさん入っているためヴィーガンにも良い選択肢となる。中には団体席もあり、予約も受け付ける。近くに瞻星台、大陵苑が位置しているので、観光スポットを回るときも移動しやすい。

国立慶州博物館(국립경주박물관)

国立慶州博物館(국립경주박물관)

2.0 Km    37314     2022-11-03

キョンサンブク道キョンジュ市イルジョンロ186

新羅千年の首都、慶州(キョンジュ)に位置する国立慶州博物館は新羅の文化遺産を一目で見ることのできる韓国を代表する博物館で、千年王国新羅の成長と輝かしい美術文化、国宝や宝物などに出会えるところです。国立慶州博物館は60年以上の伝統を持つ慶州子ども博物館学校をはじめとするさまざまな教育プログラムを運営し、子ども博物館も設けられています。またTEO YANG STUDIOのデザイナー、ヤン・テオ氏によってリニューアルされた新羅歴史館と新羅美術館のロビーが訪れる人々の目を引きます。

菩提寺(慶州)(보리사(경주))

菩提寺(慶州)(보리사(경주))

2.0 Km    19295     2016-12-22

慶尚北道 慶州市 ケッマルキル 41-30
+82-54-748-0794

菩提寺は慶尚北道慶州市排番洞山66番地、慶州市南山の麓にある大韓仏教曹渓宗第11教区の本寺である仏国寺の末寺です。花郎橋を渡ってタプコル入口から約400m南に行くとケッマウルがあります。ここはかつて船着場でした。現在は林業試験場があり、村全体が青々としており、この後方に渓谷があります。畑道の横を通り、尾根筋に沿って上っていくと頂上に近いなだらかな場所に比丘尼が修道する菩提寺があります。近年になって造られた大雄殿と山神閣、鐘閣がありますが、この建物は現在の南山に現存する伽藍の中で一番規模が大きいものです。三国史記によると新羅第49代憲康王の陵と50代定康王の陵が菩提寺の東南にあったとしており、この寺は2基の王陵の北西に位置していることで新羅時代から菩提寺と呼ばれていたことを知ることができます。この寺には統一新羅時代後半の石仏を代表する有名な石仏如来座像があり、菩提寺の前から南方に松林を35mほど登っていくと傾斜の激しいと場所に磨崖仏があります。

聖徳大王神鐘(성덕대왕신종)

2.0 Km    27068     2020-04-04

慶尚北道 慶州市 日精路 186
+82-54-740-7500

聖徳大王神鐘(ソンドクテワンシンジョン)韓国に残る最も大きい梵鐘で高さ3.75メートル、口径2.27メートル、厚さ11センチメートルから25センチメートルを誇ります。重さは1997年に国立慶州博物館が精密実測した結果、18.9トンであることが確認されました。
新羅時代、景徳王(キョンドクワン・在位 742~765年)が父に当たる成徳王(ソンドクワン・在位 702~737年)の功徳を広く知らしめるため鐘の制作を試みましたが、その意を叶えることはできず、その跡を引き継いだ恵恭王(ヘゴンワン・在位 765~780年)が771年にようやく完成させ、聖徳大王神鐘と命名しました。
この鐘は当初、鳳徳寺(ポンドクサ)に吊るされていたことから鳳徳寺鐘と呼ばれていましたが、子供を鐘の鋳造時に溶かし入れたという人柱伝説があり、母親を呼ぶ子供のなき声に似た鐘の響きがあることから、その鳴き声になぞらえてエミレの鐘とも言われています。

鐘の最も上部には鐘の響きを反響させる音筒がありますが、これは韓国の銅鐘でのみ見られる独特な構造です。
鐘を吊り下げるために作られた環状になっている龍頭の部分は、龍の頭が彫刻されています。
鐘身には上下それぞれに幅広の帯状の模様があり、その中に花の文様を刻み込んであります。
さらに鐘の肩の部分の下には4ヶ所に蓮の花の模様や突出して作られた九つの乳頭を四角形の乳郭が取り囲んでいます。その乳郭の下の方には飛天像が2対描かれ、その間には鐘を突く部分・撞座が蓮の花の模様で作られています。
また鐘身の2か所にはこの鐘の来歴が刻まれています。
中でもこの鐘が特徴的なのは、鐘の下の開口部の縁のところどころが菱形の角のように尖った、他にはない形態をしている点です。
聖徳大王神鐘は統一新羅の芸術が各分野にわたり全盛期を迎えた時代に作られた鐘で、華麗な文様や彫刻技法はその時代を代表するものと言えます。
また鐘の側面に残っているおよそ千字余りの銘文は文章のみならず、その鐘に刻む手法そのものも秀でたものであり、およそ1300年が過ぎた今日でも欠けることなく現世に伝えられており、未来永劫伝承すべき文化財となっています。

慶州南山弥勒谷石造如来座像(경주 남산 미륵곡 석조여래좌상)

2.1 Km    19142     2016-12-22

慶尚北道 慶州市 排盤洞

新羅時代の菩提寺址と推定される場所に残っている全体の高さが4.36m、仏像の高さが2.44mの石仏座像で現在慶州南山にある新羅時代の石仏の中で最も完璧に保存されています。