グルメ(구름에) - エリア情報 - 韓国旅行情報

グルメ(구름에)

グルメ(구름에)

651.5M    2024-12-20

キョンサンブクト アンドンシ ミンソクチョンギル 190
+82-54-823-9001

安東の民俗村道にある「クルムエリゾート」は、水没の危機に瀕した1600年代~1800年代の古宅を移した国内最初のの伝統韓屋のリゾートであります。伝統的な韓屋の美は生かしながら、内部はモ現代式のバスルームとトイレ、室内温度の調節器を備えて、快適に泊まれます。客室の安全のために、先端保安システムも設置されています。その他、周りに韓屋のブックカフェとダイニングレストラン、伝統体験の空間、野外広場などがあり、様々な活動が可能であります。

儒教ランド(유교랜드)

706.6M    2024-05-22

キョンサンブク道アンドン市クァングァンダンジロ346-30

安東文化観光団地にある「儒教ランド」は韓国の精神文化の基である儒教文化をストリーテーリングしたテーマパーク型展示体験センターです。幼稚園、小中高校生の団体や家族単位の観光客たちが体験と遊びを通して楽しみながら自由に学ぶことができる施設で、難しい儒教を簡単に楽しく理解することができます。

ZOO TOPIUM(주토피움)

833.9M    2024-04-29

キョンサンブク道アンドン市クァングァンダンジロ346-95

1万坪規模のZOO TOPIUM(ズートピウム)は約200種の生物を保有する動・植物体験テーマパークです。野外動物園にはさまざまな種類の動物と植物が、室内動物園には希少昆虫館、爬虫類館、両生類館、亀館、ミニ動物館、希少鳥類館があります。野外庭園ではアルパカと記念写真を撮ることができる他、ZOO TOPIUM動物ショップ、売店、温室売店、乗り物などを備えています。

安東民俗博物館(안동민속박물관)

安東民俗博物館(안동민속박물관)

1.3Km    2022-09-19

キョンサンブク道アンドン市ミンソクチョンギル13

安東の文化を活かし、再構成された「安東(アンドン)民俗博物館」は、安東ダム民俗景観地内に位置しています。安東文化圏の民俗文化を調査・研究・保存・展示することで国民の社会教育の場と市民の休息の空間となり、正しい地方文化の理解を手助けするために設けられた公共施設です。
171,630平方メートルの敷地に屋内博物館と屋外博物館があり、屋内博物館には安東における地方文化の特徴である儒教文化、特に冠婚葬祭を重点的に展示するとともに、安東特有の民俗遊びを模型展示しています。その他、映像観覧のための視聴覚室と映像室も備えています。屋外博物館には宝物である石氷庫をはじめとし、安東ダム建設時、水没地域に散在していた伝統古家屋など約20点の重要生活文化資料を移建し、展示しています。

安東民俗村(안동민속촌)

安東民俗村(안동민속촌)

1.4Km    2024-05-22

キョンサンブク道アンドン市ソンゴク洞

安東(アンドン)ダムの補助ダムのそばから川の向かい側を望むと丘の上に安東民俗村が見えます。ここは安東ダムの造成によって水没した地域にあった家屋を数軒移築して作られたもので、村の入口には村の守り神である二つの大きなチャンスンが立っています。その先には地元が生んだ詩人であり独立運動家であった李陸史(イ・ユクサ)先生の詩碑があります。詩碑には代表作である「曠野」の詩が刻まれています。

月映橋(월영교)

月映橋(월영교)

1.4Km    2025-10-23

キョンサンブク道アンドン市サンア洞
+82-54-852-6800

慶尚北道安東市象牙洞と城谷洞をつなぐ安東湖にかけられた橋である「月映橋(ウォリョンギョ)」は2003年に開通しました。長さ387メートル、幅3.6メートルの木柵人道橋で、橋の真ん中には月映亭があります。

◎ 韓流旅行情報-バラエティ『私はSOLO』
16期のヨンシクとヒョンスクが韓服を着て散歩していた場所です。夜の照明によってさらにロマンチックな雰囲気になったおかげか、二人は相手に対する自分の想いをもう一度確かめることができました。ヨンシクとヒョンスクのように、月夜の散歩を楽しむのも良いですが、湖の上を優雅に漂うムーンボートに乗って、月映橋を眺めながら特別な思い出を残すこともおすすめです。

安東湖(안동호)

安東湖(안동호)

1.8Km    2025-01-09

キョンサンブク道アンドン市ホバンロ

「安東湖(アンドンホ)」は洛東江最上流をせき止めて四大江開発計画の一環として造られた湖です。安東ダムの大きさは高さ83メートル、長さ612メートルで昭陽江ダムに続いて2番目に大きなダムです。安東湖周辺の自然景観はとても美しく、散策路があり、遊覧船を利用することができる他、釣りの名所としても有名です。近郊には陶山書院、河回村、安東民俗村、安東民俗博物館など有名な観光地があります。

安東ダム(안동댐)

安東ダム(안동댐)

1.9Km    2025-01-09

キョンサンブク道アンドン市ホバンロ31

「安東(アンドン)ダム」は、1971年に着工、1976年に竣工しました。洛東江下流の洪水調節、農業・工業用水、生活用水の確保のために建設された多目的ダムで、長さ612メートル、高さ83メートル、総貯水量12億4,800万トン、発電量9万キロワットです。

法興洞 固城李氏塔洞派宗宅(법흥동 고성이씨탑동파종택)

法興洞 固城李氏塔洞派宗宅(법흥동 고성이씨탑동파종택)

2.2Km    2025-01-09

キョンサンブク道アンドン市イムチョンガンギル103

固城李氏(コソン・イシ)塔洞派(タプトンパ)の宗宅(チョンテク:本家)で、今も固城李氏塔洞派の子孫が暮らしています。朝鮮時代に李後植(イ・フシク/1635-1765)が母屋を建て、その後サランチェ(別棟)や永慕堂(ヨンモダン)が彼の孫の元美(ウォンミ/1690-1765)の代に完成しました。永慕堂の北側にある北亭(プクチョン)は李宗周(イ・ジョンジュ)が1775年に建てたものです。もとこの家は新羅時代の古刹・法興寺があった場所だと伝えられています。現在も家の前に国宝に指定されている新世洞七層塼塔があります。

固城李氏塔洞派宗宅は新世洞七層塼塔と安東臨清閣正枕君子亭の近くにあるので一度に見ることができます。バスやタクシーを利用し法興地下道前で下車。地下道を渡るとすぐ左に国宝新世洞七層塼塔が見えます。塔の前には固城李氏塔洞派の宗宅があり、宗宅に向かって左側の道を3分ほど歩くと安東臨清閣正枕君子亭です。

安東 法興寺址 七層塼塔(안동 법흥사지 칠층전탑)

安東 法興寺址 七層塼塔(안동 법흥사지 칠층전탑)

2.2Km    2021-07-14

慶尚北道 安東市 法興洞7-9

安東(アンドン)法興寺址(ポブンサジ)七層塼塔(チルチュンチョンタプ)は韓国で最も大きく由緒ある統一新羅時代の七層塼塔です。
高さは17メートル、基壇部は7.5mあります。この一帯の地名を法興里(ポブンニ)と呼んでいることから、統一新羅時代に創建されたという法興寺(ポブンサ)に建てられた塼塔と推定されます。
この塔は1487(成宗18)年に改築されたことがあると記録に残っています。
基壇は単層の方形の形をしており、地表面に八部衆像や四天王像を彫り上げた花崗石の板石を1面に6枚ずつはめ込んでいます。また、南面の中央には階段も設けています。
八部衆像や四天王像の彫刻手法から推定して、それぞれ制作年度に違いがあるほか、はめ込まれている板石の順序も規則的ではありません。その上、基壇上面は斜めに丸くセメントを塗られており、過去にこのように単層基壇側面に多くの彫像をはめ込み配置した例がないため、どの程度この塼塔が造られた当時の原型がとどめられているのかは疑問なところがあります。


七層塼塔の構造

塔身の部分は各層を長さ約28cm、幅約14cm、厚さ約6cmの濃い灰色の模様ない寺院などで使われる土を高温で焼き上げ石版のようにした塼石(チョンドル)を互い違いに積み重ねています。
一番下の段の初層屋身はとても高く、南面の中央下半分には花崗石で枠を作り小さい厨子・龕室(カムシル)を作っています。内部は上部を紡錘形にし、1面48cmの方形の穴が上に空けられ、仏塔の心柱を通す擦柱孔(チャルジュゴン)が見えます。
2層目の屋身は1段目の初層屋身の高さに比べ、およそ4分の1の高さと随分低くなりますが、3段目以降の屋身についてはさほど大きさが変わらないので、7層になっている高さでも全体的に安定感を感じます。
各段の屋根のようになっている屋蓋石は塼塔特有の形をしており、軒の上部が薄い板が何層にも重なっている形式となっているため反りはなく水平で、各段の屋蓋の幅は石塔の基礎部分に比べ上に行くほど顕著に狭くなっていきます。
各段の塔身に積まれた薄板の高さは1段目の初層屋身が9段、2段目からは8段、7段、6段、5段、3段となっています。その各段の屋根のようになっている部分は1段目の初層屋身が12段、2段目からは10段、9段、8段、7段、6段、5段となっており、上の層に行くほど少しずつ少なくなる構造となっています。
現在、各段の屋根の傾斜面・落水面(ナクスミョン)にはごく一部に瓦を葺いた部分が見とめられ、塼塔が造られる前に木塔が存在したといわれる塼塔は落水面が設けられるなど木塔を模倣したものと見られます。
仏塔の最上部に付けられる金具の相輪は現在、その金具の下部にある露盤のみが残っている状態です。
慶尚南道安東に残る邑の記録・邑誌「永嘉誌(ヨンガジ)」によると「府東五里」にあるという法興寺塼塔がこの塼塔であると推定されています。
また、法興寺塼塔については「上有金銅之飾 李股撤面納官鋳成客舎所用什物」という記録があり、元々は金銅相輪があったものと見られます。