9.5Km 2025-11-21
テグ広域市スソン区タルグボルデロ2179
ヌネ眼科病院は韓国保健福祉部が指定した眼科専門病院です。(指定期間:2024年~2026年)
視力矯正、白内障、網膜、緑内障、小児・神経眼科など、各分野の24人の眼科専門医が常駐しており、視力矯正手術装置であるシュウィンド(Schwind)社のATOSやAMARIS RED SPT、白内障手術装置のLENSAR、CENTURIONなど、様々な眼の疾患を治療できる人的・物的インフラを備えた眼科専門病院です。
精密検査室、診療室、クリーンルーム、病棟を備えているため、診療から治療、手術までワンストップで対応できます。
9.5Km 2024-09-27
テグ広域市チュン区ククチェボサンロ102ギル50
慶尚北道地域最初のプロテスタント教会、大邱第一教会
高宗32年(1895年)、釜山にあった北長老教の宣教本部が大邱に移り、光武2年(1898年)に瓦屋根の家4棟を教会として使用し始めました。その後、信徒が増えたことにより1908年に韓国の建築様式と西洋の建築様式を融合させた新しい教会が建てられました。1933年には信徒と中央教会からの資金をもとに新たに教会を建て、第一教会と名を改めました。その後、1937年にはイ・ジュヨル勧士が高さ33mの鐘塔を建て、1969年には内部工事をし、1981年には建物の裏手に515.7m²(156坪)の聖殿を拡張しました。
現在、建物の1階は事務室、幼稚園、青少年礼拝室として使用されており、2階全体は礼拝室として使用されています。大邱第一教会は、大邱にある教会の中で最も建物が古く、キリスト教が近代化に寄与した象徴として近代建築史の研究の貴重な資料となっています。
第一教会の歴史的意義
第一教会は、慶尚北道地域に初めて作られたプロテスタントの教会で、宣教師たちが地方を開化させるために近代的な医療および教育を展開する拠点となっていたという点に歴史的意義があります。
また、第一教会の建物の外観は、ゴシック様式の建築的特徴がよく表れていることから、大邱地域の近代建築史研究の貴重な資料となっています。
9.5Km 2025-12-18
大邱広域市中区タルグボルデロ2127 Sタワー3・11・12階
LIFT美容外科は「あなたよりあなたの顔を知る」病院というスローガンを掲げ、専門性の高い差別化された相談サービスを提供しています。
当院は、豊富な施術経験をもとにした専門的な知識を確保しています。また、画一的な美の基準に合わせるより、一人ひとりの顔の特徴と調和に重点をおいて施術を行います。当院は、施術や手術、リフトを複合的に活用してご満足いただける最高の結果を追求します。
なお、プチ施術(ヒアルロン酸注入、ボトックス、リフト)や整形(フェイスリフト手術、目の下・目の整形、二重顎の改善)など、分野別に高い専門性を持つ医療スタッフが働いており、お客様に寄り添ってアフターケアまでの過程をマンツーマンで担当させていただきます。エコー診断システムによる精密な分析で手術の結果を予測し、安全性を確保できるのも当院のメリットであります。
9.5Km 2025-10-23
テグ広域市スソン区タルグボルデロ527ギル13-5
+82-53-666-4930
モミョンジェ(慕明斎)は壬辰倭乱(文禄・慶長の役、1592年)当時、明から援軍として参戦し、そのまま朝鮮に帰化した杜師忠という人物を称えるために杜陵杜氏一族が建てた「斎室」です。慕明斎とは「明を慕う」という意味です。
杜師忠は中国の杜陵出身で、壬辰倭乱が起きると明の提督だった李如松の麾下の将軍として朝鮮に派遣されました。彼は地勢を見極めて陣営を構えやすい場所を選ぶ「水陸地劃主事」という任務を任され、李如松の一級参謀として朝鮮軍とも戦略・戦術上の緊密な協議を行いました。
壬辰倭乱が終わり、彼は一端故郷に戻ったものの、丁酉再乱(慶長の役、1597年)が勃発すると、息子の杜山と杜逸建を連れて姉の夫である陳璘都督とともに再び戦場へ向かいました。戦乱が納まった後、彼は2人の息子と一緒に朝鮮に帰化し、朝廷からテグ(大邱)市内の中央公園(現在の慶尚監営公園)一帯の土地を賜ることになりました。
その後、彼が賜った土地に慶尚監営が移してくることになり、彼はその土地を国に戻してケサン(渓山)洞に移り住むことにしました。
彼は故国に置いてきた婦人と兄弟への懐かしさから最頂山(現在の大徳山)の下に家を移し、その町をテミョン(大明)洞と名付けました。そして祭壇を設け毎月1日には皇帝の居城である紫禁城に向かって拝礼をしたと伝えられています。
モミョンジェは四角い敷地の上に南向きに建てられており、正面4間・側面2間の二軒入母屋造りで建てられました。また、板の間を中心に左右にはオンドル部屋を、前面には0.5間の張り出し部屋を設けており、20世紀初頭のテグ地域の斎室建築様式がよく分かる構造となっています。
モミョンジェは1912年、慶山客舎が取り壊されたことをきっかけに、杜師忠の子孫たちがその材木を利用して彼の墓の前に建てたもので、建物の老朽化によって1966年に改修が行われました。
テグに訪れる中国人観光客が真っ先に足を運ぶ場所で、最近再整備事業によって新しく生まれ変わりました。その隣には韓国伝統文化体験館をオープンし、茶礼・韓服体験や弓道、東医宝鑑料理体験なども行っており、これらは伝統館で体験することができます。
9.5Km 2023-02-02
テグ広域市チュン区ナムソンロ22
嶠南(キョナム)YMCA会館は大邱薬令市に位置する国家登録文化財です。日帝強占期 、3·1独立運動における和合の空間であり物産奨励運動、キリスト教農村運動、新幹会運動などキリスト教民族運動の拠点だった建物です。また大邱中区の近代歴史の重要な施設として李萬集(イ·マンジプ)牧師3.8万歳運動記念地として韓国キリスト教史跡に指定されています。青年を中心に各種事業を活発に進め、特に当時産業の大部分であった農村事業を体系化しようと全国各地に農民学校を設け、協同組合、農民会、夜学などを組織して農村の青年に新たな地平を開きました。
9.5Km 2025-10-23
テグ広域市チュン区タルグボルデロ2238
金光石(キム・グァンソク)キル(金光石タシクリギキル=金光石ふたたび偲ぶ/描く道)は韓国を代表するフォークシンガー故・金光石氏が暮らしていた大鳳洞の防川市場近郊に金光石の人生と音楽をテーマに造られた壁画通りです。2010年「防川市場門前成市事業」のひとつとして、防川市場の通りに11月から着工し始めたこの通りは中区庁と作家11チームが参加しました。長さ350メートルの壁面の沿って金光石の銅像があり、壁には彼のさまざまな姿が描かれています。毎年秋には防川(パンチョン)市場と東城路(トンソンノ)一帯で「金光石歌唱競演大会」を開催し、故金光石氏を追悼しています。
◎ 韓流旅行情報-ドラマ『ジキルとハイドに恋した私』
別れを前にしたロビンとハナがデートをした金光石キルは、防川市場の隣の小道に沿って歩きながら、金光石氏の人生と歌をテーマにしたさまざまな壁画が見られる通りです。小道の隅々にはSNSで話題のカフェやグルメ店が多く、カップルのデートスポットとして人気です。
9.6Km 2024-07-08
テグ広域市チュン区ソソンロ10
大邱桂山洞聖堂は1886年、大邱地域での宣教活動を任されて赴任したロバート(Robert,A.P. 1853~1922)神父が今の桂山洞聖堂の敷地を買い取って建設が始まりました。1899年に韓国式木造で十字型の建物として建てられましたが1年あまりで焼失してしまいました。その後、再建築に着手してロバート神父が設計し、国内では探すのが難しいトタンやステンドグラスなどの材料はフランス及び香港から持ち込み使用しました。建物は工事が始まって3年が過ぎた1902年に完成しました。この建物は大邱地域では唯一残っている1900年代初期の建築物です。聖堂の平面はラテン十字型 (Latin cross)で中心の身廊(nave)と両側の翼廊(transept)から構成されています。この平面の構造は聖堂の平面、建物の外部と内部空間からはっきりと見ることができます。また、建物は全体的に鈍重なロマネスク様式を帯びていますが、尖塔とステンドグラス等のゴシック的要素が部分的に表現されています。
大邱桂山洞聖堂は嶺南地方に天主教(カトリック)を土着化するのに中枢的な役割をし、1911年朝鮮教区から分離、大邱大教区主教座本堂になり、初代主任神父にはロバートが任命されました。聖堂の敷地には設計者を記念する銅像と主教館があります。この聖堂の建物から東に約600メートル地点にある観徳亭殉教記念館には乙亥(1815年)・丁亥(1827年)・丙寅(1866年)迫害のとき仲間たちの隠れ家だったハンティコゲ・シンナムゴルなど交友村で捕まって処刑された殉教者らの遺物30点余りなど65点の遺物が展示されています。