ホテルアルマーニ (호텔 알마니) - エリア情報 - 韓国旅行情報

ホテルアルマーニ (호텔 알마니)

ホテルアルマーニ (호텔 알마니)

0m    461     2019-07-26

慶尚南道 晋州市 平居路 6番キル 22
+82-55-745-1035

悠久の歴史が流れる美しい川の街・晋州(チンジュ)にあるホテル・アルマーニは清潔さをモットーに、大型ホテルレベルのサービスをリーゾナブルな料金でご提供しているホテルです。ビジネスでご利用のお客様や家族連れのお客様向けに、ツインベッド完備の客室が多いのが特長です。また、ロビーには共用パソコンやプリンターもあり、いつでも気軽にご利用頂けます。周辺の観光スポットには晋州城の矗石楼や、夜明けの日の出が美しい月牙山、夕焼けが美しい晋陽湖などがあります。この他、グルメスポットとしては晋州ビビンバや晋州冷麺などがおすすめです。

航空宇宙博物館(항공우주박물관)

航空宇宙博物館(항공우주박물관)

11.0 Km    36535     2019-03-20

慶尙南道 泗川市 泗南面 公団一路 78
+82-55-851-6565

慶尚南道泗川市泗南面にある航空宇宙博物館は、航空宇宙館、自由守護館、野外展示場からなる博物館です。航空宇宙館は、航空技術の発達や各種航空機模型、宇宙に関する展示品などが展示されており、子ども達に航空宇宙産業の夢と希望を与えることを目的に企画されています。自由守護館は、6.25戦争の惨状や国権守護のため国に忠誠してきた国軍の活躍やUN参戦国について知ることができる場所で、グラフィックフォトや遺品、銃器類、軍装類、記念品など約2600点余りが展示されています。野外展示場には、国家の発展に貢献したKAI生産航空機6台(KF-16, SB427, T-50, KUHスリオン、MOCK-UP 4台及びARCH-50無人ヘリコプター2台)、6.25戦争で実際に使われた航空機10台(米空軍・海軍提供5台:B-29, C-124, F-4U4, B-26, F-9J、韓国空軍提供5台:T-6, F-86F, 0-1G, C-47, H-19)を含む実物航空機26台と6.25韓国戦争当時、使われていた戦車3台など、複数の戦闘機が展示されています。
[出所]航空宇宙博物館ホームページ

泗川船津里倭城(사천선진리왜성)

泗川船津里倭城(사천선진리왜성)

14.2 Km    29367     2018-07-10

慶尚南道 泗川市 龍見面 船津里
+82-55-831-2715~2716

泗川船津里倭城は、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時に日本軍が拠点を構えるために築いた日本式の城です。南・西・北の3面が海に面しており、東側のみ陸地となっています。
城壁が1キロメートルほど残っており、城郭の痕跡のみ確認できます。春になると城周辺の桜が満開となり、花見客で賑わいます。入口の石段を上って城壁沿いに歩くと、野外ステージが見えてきます。城門を通り抜けると天守閣跡や戦跡記念碑(忠霊碑)、李忠武公泗川海戦勝捷碑があります。
※面積:約90,000平方メートル(約27,000坪)

月岡古宅(崔氏古家)[韓国観光品質認証](월강고택(최씨고가)[한국관광품질인증/Korea Quality])

月岡古宅(崔氏古家)[韓国観光品質認証](월강고택(최씨고가)[한국관광품질인증/Korea Quality])

16.2 Km    8948     2019-08-30

慶尚南道 山清郡 丹城面 智異山大路2897番キル8-7
+82-10-6801-5446

安東(アンドン)河回村(ハフェマウル)とともに、慶尚道(キョンサンド)を代表する伝統的な韓屋村、山清(サンチョン)・南沙里(ナムサリ)・南沙イェダム村は、智異山(チリサン)の入り口という素晴らしい自然環境に恵まれたロケーションで、韓国で最も美しい村に数えられてる。落ち着いて粋な3.2kmの塀の向こうは、伝統的な韓屋が美しい面影を垣間見れる。そもそも南沙イェダム村という名には、「昔の塀の村」という意味が込められており、「塀の向こうにいるソンビ達の気概と礼儀から学ぼう」という意味を含んでいるという。南沙イェダム村の塀は登録文化財第281号に指定されるなど、その高い価値が認められている。

同村にはこの塀をはじめ、慶南文化財資料第117号の崔氏古家と、慶南文化財資料第118号の李氏古家など、計9つの国宝や文化財に指定されている。農村の伝統テーマ村に指定された南沙イェダム村では、農作業体験、伝統遊戯体験、古家探訪、書堂(ソダン)体験、伝統の学びの体験など、様々なプログラムが行われている。

伝統的な南部地方の士大夫の家屋である崔氏古家は、南沙イェダム村の中心に位置する。南沙イェダム村の共同駐車場から崔氏古家に入るまで、美しく高い昔の塀と高くそびえたソスル大門(門柱を回廊屋根より高く造った大門を指す)、樹齢230年の梅の木が人々を迎え入れるというこの場所は南沙イェダム村でも最大の規模と華やかさが際立つ。慶南・固城(コソン)・鶴林里(ハンニムリ)・全州崔氏・崔必侃(チェ・ピルガン)古宅が宗家であり、現在の子孫の高祖父のときにここに根を下ろした。

母屋は1920年7月、サランチェ(客を向かえる部屋)は1921年9月に棟上げされ、別棟の翼廊(インラン)チェ、蔵(クァン)チェ、牛舎の建物も同時代に竣工されたという。母屋を中心に、サランチェ、翼廊チェ、蔵チェが「ロ」の字型に配置されており、サランチェの左右には中門が2つある。そのうち、西側の中門には、内外の塀があり、母屋と翼廊チェが互いに見えないようにしている。これは、儒教思想に基づいて男女の空間をはっきりと分ける意味合いがある。

母屋は正面6間・側面3間の規模で、前後に縁側がある5梁の家で、入母屋造りの建物であり、天井と基壇が高いのが特徴である。台所、奥の間、小間、大庁(テチョン)マル2間、ゴンノンバン(板の間を挟んで奥の間と向かい合う部屋)で構成されている。繊細で美しい装飾が施された扉がそのまま保存されている。サランチェも正面5間・側面3間の規模で入母屋造りの建物であり、母屋のように部屋が二つ並んでいる形式となっている。左側から2部屋、大庁マル1間、2部屋、楼閣の部屋(板の間)で構成されている。この建物の特徴は、母屋とは異なり、切り石で高く基壇を積み、円形柱を立てて美しさを引き立たせたところである。東を向いている翼廊チェは、正面4間・側面2間の規模で、南に向かって開放された大庁マルがあり、オンドル部屋、食材保管用の蔵がある。東の蔵チェは正面5間・側面2間の規模で収穫した穀物を保管する3間の蔵と1間の農機具保管用の蔵、踏み臼がある。

崔氏古家は2014年、「名品古宅」に選ばれた。都市に住んでいた現在の孫が、家を守るために帰郷し、宿泊客が寛げるように改装を行った。母屋を除くサランチェに客室2つ、翼廊チェと離れにある部屋、客室、計3つの宿泊施設を整えた。内部と外部のお手洗い、テレビ、エアコン、無線LAN、冷蔵庫を揃え、伝統家屋で感じ得る不便を最小限にしている。伝統遊戯体験など様々な体験プログラムも用意されている。

※冬季は運営が制限されますので、お越しになる前にご確認ください。

イェダムウォン(예담원)

16.2 Km    2366     2020-05-08

慶尚南道 山清郡 丹城面 智異山大路2897番キル10-4
+82-55-972-5888

「イェダムウォン」は智異山麓の村「山清南沙イェダム村」にある古風な趣の郷土料理店です。自家製のオーガニック食材で作った天然調味料だけを使用し、2~3年熟成させたお酢や梅発酵エキス、玉ねぎエキスで味付けをします。
南沙イェダム村の共用駐車場に隣接しているため、出入りや駐車が非常に便利な他、店内は座席タイプのホールになっています。
食後には、山清南沙イェダム村にある石垣通りや独立記念館、イェダムキルなど、観光スポットを回ってみるのもいいでしょう。

蓮花山道立公園(연화산도립공원)

蓮花山道立公園(연화산도립공원)

20.0 Km    3908     2022-07-08

キョンサンナム道コソン郡ケチョン面ヨンファサン1ロ544

太白山脈の最南端に位置する「蓮花山(ヨンファサン)」は景色が秀麗で見どころがたくさんあり、1983年に道立公園に指定されました。蓮花山という名前は山が蓮の花の形をしていることに由来しており、玉泉寺(オクチョンサ)、蓮台庵、白蓮庵、青蓮庵などの寺院と文化財があります。マツタケとイチゴは蓮花山の特産物となっています。

国立晋州博物館(국립진주박물관)

国立晋州博物館(국립진주박물관)

2.4 Km    7567     2021-09-03

慶尚南道 晋州市 南江路 626-35

国立晋州(チンジュ)博物館は「伽倻(カヤ)文化研究の中心機関」として1984年11月2日に開館しました。1998年に壬辰倭乱(文禄・慶長の役)に特化した専門機関となり、2008年・2018年に展示改変作業を行って現在の姿となりました。壬辰倭乱に関する東アジア社会の歴史や文化を総合的に研究・展示しており、博物館では教育、イベントなど、多くの活動を行っています。

晋州城(진주성)

晋州城(진주성)

2.6 Km    20877     2021-08-02

慶尚南道 晋州市 南江路 626

韓国南部・慶尚南道(キョンサンナムド)晋州(チンジュ)は数々の歴史的な出来事が起きた場所として有名です。壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)の三大大捷のひとつ・晋州大捷壬辰倭乱の際、義に殉じた妓生・義妓として有名な論介(ノンゲ)の殉国、1862年全国的な広がりとなった農民抗戦の始まりとなった晋州農民抗戦など数多くの歴史に残る大きな出来事が起きた場所です。
この晋州城(チンジュソン)は三国時代には居列城(コヨルソン)、高麗時代のには矗石城(チョクソクソン)と呼ばれ、朝鮮時代になり現在の名称・晋州城と名を変えました。
石積みされた城郭の全長はおよそ1,760m(4,359尺)、高さはおよそ5mから8m、城郭内には井戸や泉がそれぞれ3ヵ所あり、軍倉があったといいます。
朝鮮時代の地理書「東国輿地勝覧」に書かれた河崙(ハ・リュン)(1347~1416年)の『城門記』によると、城跡だけが残りいつ築かれたのかはっきりとは分からないものの、倭寇の侵入が頻発し、高麗時代の禑王(ウワン)5(1379)年にここ晋州を治めていた文官・晋州牧使の金中光(キム・ジュングァン)に命じ築城させたとものと言われています。当時、城郭の周囲は800歩(1km弱)で、城の高さは3キル(約7.2mないし9m程度)を超え、義正門(ウィジョンムン・西側)、智済門(チジェムン・北側)、礼化門(イェファムン・南側)があり、城郭外は西へ青川(チョンチョン)が、南側にはキンガン(長い川の意味で漢詩では「長江」と表現。現在の南江=ナムガン=のこと)が流れ、北側には池があり、城郭と池の間には塹壕を掘ったといいます。

高麗時代末に倭寇防衛の堡塁として直し積み上げたこの城郭は朝鮮時代の宣祖25(1592)年に壬辰倭乱が勃発した際には韓国南西部・湖南(全羅道)へ兵を向けようとした倭賊を防ぐ関門となりました。
壬辰倭乱三大大捷のひとつ・第一次晋州城の戦いではおよそ3,800人の兵で10倍に近い兵力を極める倭賊を撃退し、また晋州城を死守することで朝鮮の穀倉地帯である湖南地方を守りぬくことができました。
しかし、続く1593年の第二次晋州城の戦いでは民・官・軍総勢およそ7万人あまりが約10万人を率いる倭軍と対峙し11日間の熾烈な戦闘を繰り広げましたがすべて殉義する結果となってしまいました。この時、義妓として有名な論介が敵将を抱え南江に身を投げ、忠節を全うしたその場所でもあります。
現在、城郭内には矗石楼、金時敏(キム・シミン)全成却敵碑、義妓祠(ウィギサ)、西将台(ソジャンデ)、 北将台(プクチャンデ)、 彰烈祠(チャンヨルサ)、国立晋州博物館、護国寺(ホグクサ) 、野外公演場などがあります。


* 義妓祠

慶尚南道文化財資料第7号・義妓祠は壬辰倭乱当時(1593年)倭将を抱きかかえ、南江に投身した義妓・論介の肖像と神位を祭った祀堂です。
論介は晋州城が陥落すると、城郭内にいた人々や国の怨恨を晴らすため、倭将を矗石楼の下の義岩(ウィアム)へおびき寄せ、敵将を巻き添えにして自らも南江に身を投げ殉国しました。
義妓祠はこの義を重んじた忠節を称えるため、英祖16(1740)年に慶尚右兵使・南徳夏(ナム・ドカ=1688~1744年)が創建、以降2回にわたり重修を行い、現在の建物は1956年に義妓彰烈会が市民から募金を募り重建したものです。

晋州南江流灯祭り(진주 남강유등축제)

晋州南江流灯祭り(진주 남강유등축제)

2.6 Km    29348     2022-09-16

キョンサンナム道チンジュ市ナムガンロ626
+82-55-749-8588

晋州大捷の歴史とともに受け継がれてきた流灯祭りが秋の夜を美しく彩ります。晋州南江(チンジュナムガン)流灯祭りは特別な歴史とともに受け継がれてきた光祭りです。壬辰倭乱当時に起きた晋州城戦闘で川を渡ろうとする敵軍を川に流灯(灯ろう)を浮かべることで阻止したといいます。晋州南江流灯祭りでは流灯を浮かべる伝統を受け継ぎ、灯りを活用した多彩な展示や体験プログラムを用意しています。昼間もさまざまな体験プログラムが運営されますが、日が暮れる頃に灯りがともると本格的に祭りが始まります。龍、鳳凰、亀、蓮の花など多様な形の水上灯が展示されるとともに、水上花火やウォーターライティングショーなども繰り広げられます。 

矗石楼(촉석루)

矗石楼(촉석루)

2.7 Km    7160     2020-07-09

慶尚南道 晋州市 南江路 626
+82-55-749-5171

南江(ナムガン)沿いの岩の絶壁に厳かに高くそびえ立っている矗石楼(チョクソンヌ/チョッソンヌ)は、嶺南(ヨンナム=慶尚道)で一番美しい楼閣と名高い建物です。
高麗時代の高宗28(1241)年に創建され、8回に渡り重建と補修を施した矗石楼は晋州城の将帥が命令・指揮を行った南側にある将台・南将台(ナムジャンデ)として役割を果たしたことから将元楼(チャンウォンヌ)とも呼ばれました。戦が始まると晋州城を守る指揮本部として、平和な時期には地方で行われた科挙の初試・郷試(ヒャンシ)の考試場としても使われました。

元々の矗石楼は韓国戦争(1950~1953年・休戦)の時に焼失してしまいましたが、地元・晋州(チンジュ)市民が力を合わせて晋州古跡保存会を立ち上げ1960年に復元しました。
建物は入母屋屋根の多楽楼の形態を取っており、楼閣を支える石柱は昌原(チャンウォン)の矗石山から採石、木材は江原道(カンウォンド)の五台山(オデサン)のものを使用しています。また、楼には4つの扁額や詩人が詠んだ詩板もかけられています。

毎年秋には晋州南江流灯祭りが開催され、ここでしか見ることができない行事が行われます。