6.8Km 2024-04-07
チョンブク特別自治道 茂朱郡 茂豊面 九千洞路 530-62
+82-63-322-1097
茂朱九千洞の渓谷入口から近い徳裕山自然休養林は、奥まった静かな谷間にあります。カラマツやチョウセンマツが生い茂り、景色がとても美しく、休養林内の林山道は自転車で行き来することもできます。また、周辺には茂朱リゾート、徳裕山国立公園、羅済通門、茂朱揚水発電所など見どころが豊富です。
9.5Km 2025-10-23
キョンサンナム道コチャン郡プクサン面ソンゲロ793
+82-55-945-2380
キョンサンナム(慶尚南)道コチャン(居昌)のトギュサン(徳裕山)の麓にある、創業20年の天然ハーブコスメの製造・流通専門企業「ハヌルホス」は、独自のノウハウで作った天然ハーブコスメ作り体験プログラムを運営しています。韓国観光公社から「ウェルネススポッ」に選ばれており、ここでは化粧水からエッセンス、オールインワン全身洗浄料作りなどを体験することができ、体験後にはコスメカフェでお茶も楽しめます。また、体験当日に限り、同社のコスメを割引価格で購入できます。予約は必須。
11.3Km 2024-04-07
チョンブク特別自治道 茂朱郡 赤裳面 槐木里
+82-63-322-4174
韓国百景のひとつに数えられる赤裳山(チョクサンサン)は、四方が屏風のような岩に囲まれ、また、その絶壁には紅葉の木が多く、秋になるとまるで山全体が赤いスカートを履いているような風景となることから赤裳山と呼ばれるようになりました。
この赤裳山の山頂・標高1,030.6メートルの最高峰を基点に香炉峰(ヒャンノボン=1,029メートル)への稜線が続き、天一瀑布(チョニルポッポ)、松台瀑布(ソンデポッポ)、将刀岩(チャンドパウィ)、将軍岩(チャングンパウィ)、按廉台(アルリョムデ)など、数多くの観光スポットがあります。
また、1374年に高麗時代の名将・崔瑩(チェ・ヨン)将軍が耽羅(タムナ=現在の済州島)を討伐し、帰京の際にここを訪れ、山の形が要塞を築くのに向いていると考え、王に築城を進言したという言い伝えがあります。
1614年には赤裳山史庫が作られ、朝鮮王朝実録を保管しました。また、1227年に月印和尚(ウォリンファサン)が創建したと伝えられる安国寺(アングクサ)もあります。
赤裳山は登山だけでなく車でも山に登ることができます。茂朱(ムジュ)揚水発電所が建設された際、頂上まで結ぶ15キロメートルの進入道路が開通し、現在では観光客が山頂湖や安国寺入口までこの道を使って行くことができるようになりました。
* 按廉台(アルリョムデ)
赤裳山の頂上の南側には険しい岩が幾重にも重なっている絶壁があり、その上に按廉台があります。按廉台は四方が断崖絶壁となっており、人々は肝をひやしながら登ります。高麗時代には契丹の侵入があった時、この地方を治めていた長官・三道按廉使が兵士を率いてこの場所に入り、陣を張り難を逃れた場所ということで按廉台と名付けられました。
* 将刀岩(チャンドパウィ=将刀岩)
赤裳山城の西門のそばに天を突くかのように立っている将刀岩。高麗時代末期、名将・崔瑩将軍が赤裳山に上って行く途中、絶壁で道が塞がり、持っていた刀を振り下ろして道を開き、山頂に登ったという伝説が残っています。
11.5Km 2024-02-23
キョンサンナム道コチャン郡プクサン面トギュウォルソンロ1312-96
'居昌月星宇宙創意科学館(コチャン・ウォルソン・ウジュチャンウィグァハッカン)は、宇宙の知識を覚え体験することのできる体験中心の科学館です。天体を観測するための最適の条件を満たしています。主な施設としては宇宙人館、宇宙探検館、天体観測館などがあります。体験プログラムとしてはARでの宇宙服の試着、自分だけの宇宙塗り絵、平衡感覚体験などを実施しています。
11.5Km 2024-04-07
チョンブク特別自治道 茂朱郡 赤裳面 山城路 1050
+82-63-322-6162
赤裳山城(チョクサンサンソン)に唯一残る名刹・安国寺(アングクサ)は高麗時代の忠烈王(チュンニョルワン)3(1277)年に月印(ウォリン)和尚によって建立されたといわれているお寺です。
朝鮮時代の光海君6(1614)年には赤裳山城内に史閣が、仁祖19(1641)年には璿源閣(ソノンガク)が設置され、赤裳山にある史庫としての役割を果たし、朝鮮王朝実録や王の族譜である璿源録(ソノルロク)が所蔵されました。この時期に史庫を防備するため護国寺(ホグクサ)を建立、それ以前からここにあった安国寺は護国寺とともにこれら史閣を守るための僧兵らの宿所として使われ、安国寺という名称で呼ばれました。
赤裳山揚水発電所の建設により、安国寺は護国寺址があった場所に移築されました。15棟あまりの殿閣は1995年に移築・重創され、山の頂には揚水発電所用の山頂湖である赤裳湖が作られました。秋の紅葉が大変美しく、山の頂まで2車線の舗装道路が続いており、ドライブにおすすめです。 近くには茂朱リゾートや羅済通門(ラジェトンムン)、九千洞(クチョンドン)渓谷があります。主な文化財として安国寺霊山会掛仏幀(宝物)、安国寺極楽殿(全羅北道有形文化財)、赤裳山城護国寺碑(全羅北道有形文化財)、茂朱赤裳山城(史跡)、赤裳山史庫址遺構(全羅北道記念物)などがあり、また世界の仏像を収集・所蔵する聖宝(ソンボ)博物館もあります。
11.7Km 2024-04-08
チョンブク特別自治道ムジュ郡チョクサン面サンソンロ960
1592年の壬辰倭乱のときにソウルの春秋館をはじめとした全国の史庫が焼失し、春秋館を除いた鼎足山・太白山・妙香山・五台山などに新しい史庫を設置することになりました。1614年に天恵の要塞として知られた茂朱の赤裳(チョクサン)山に実録殿を建てて妙香山の実録を移し、1641年には璿源(ソンウォン)閣を建てて王室の族譜である『璿源録』を保管していました。後に日本により史庫が廃止されるまで、300年以上国家の貴重な国史を保存してきた韓国5大史庫の一つで、全羅北道記念物に指定されています。
この史庫跡は残念ながら赤裳揚水発電所ダムが建設されて水没し、安国寺とともにダムの上側に移転を余儀なくされました。赤裳山は四方が切り立った岸壁で、絶壁周辺にはカエデの木が多く、秋には山全体が赤いスカートを履いたように見えることから「赤裳山」という名前が付きました。
11.9Km 2024-02-23
キョンサンナム道コチャン郡プクサン面ウォルソン里
月星渓谷(ウォルソン・ゲゴク)は、月星川が左方向に流れて形成された渓谷です。水が岩と崖を巡りながら美しい景観を成しているため、居昌(コチャン)の小金剛(ソグムガン)と呼ばれます。渓谷の幅は狭いものの、山が深いため水量は豊かです。渓谷の入り口には、素晴らしい景色のため神仙たちが天から降りて遊んだという降仙台(カンソンデ)と昔の亭である帽岩亭(モアムジョン)と徳山亭(トクサンジョン)があります。
12.5Km 2024-08-05
キョンサンナムド コチャングン ファンサン1(イル)ギル 109-5
+82-55-943-3104、 +82-10-5359-2224
慶尚南道の居昌の名勝地のススンデがある黄山村は、居昌慎氏の集成村であります。村の中央にある猿鶴古家は、500年の趣が込められた名品古宅で、サランチェと母屋の雄大な入母屋屋根、大きな梁と丸い礎石、宮や寺で見られる高級の装飾物が、名望の高い家であることを示しています。サランチェ、チュンムンチェ、デムンチェで宿泊ができ、サランチェにはバスルーム及びトイレが付いています。韓屋の静かな情緒を感じながら、夏の居昌国際演劇祭を楽しむのに最適であります。
12.6Km 2021-08-04
慶尚南道 居昌郡 渭川面 ウンハリキル2
慶尚南道居昌郡渭川面黄山里黄山集落の前の亀淵洞に位置する「捜勝台(ススンデ)」は、三国時代には新羅と百済の国境地帯であり、朝鮮時代には安義県に属していましたが、日帝強占期に行政区域の改編により居昌郡に編入されて今日に至ります。捜勝台は三国時代の百済と新羅が対立していた頃、百済から新羅に行く使臣を送別した所であり、初めは戻って来られないのではないかと心配していたので、心配するという意味の「愁」、送るという意味の「送」の字を使って愁送台(スソンデ)といいました。愁送台とは俗世間の気掛かりや心配を忘れるほどに景色が素晴らしい所という意味であり、仏教の名前に比喩されることもあります。その後、朝鮮中宗の時に楽水慎権が隠居して亀淵書堂をここに建立し、弟子たちを養成しました。台の形が亀のようであることから岩亀台といい、境内を亀淵洞といいました。今の名前は1543年に退渓李滉が安義県三洞を遊覧のために来た際に始まったものとされています。退渓李滉は馬利面迎勝里(マリミョン ヨンスンニ)に停まってその名の由来を聞きましたが、急務により帰還してここへ来ることはできず、名前が美しくないとして同じ音である「捜勝台」と直すことを勧める律詩を送り、楽水慎権が台の面に彫ったことから始まりました。境内には亀淵書院、祠宇、内三門、観水楼、典祠庁、楽水亭、涵養斉、旌閭、山高水長碑、遺跡碑、岩亀台などがあり、これらは儒林と居昌慎氏楽水一族が共同管理しています。松林と水と岩が調和して景色が素晴らしく、またチャゴ岩とその周辺には皐蘭草をはじめとする貴重植物が自生しています。
12.8Km 2024-04-07
チョンブク特別自治道 茂朱郡 赤裳面 槐木里
+82-63-322-2905
茂朱郡赤裳面にある赤裳山(1,034メートル)は、四方が層岩絶壁で囲まれています。この山の上の安国寺があった場所に茂朱揚水発電所所の上部貯水池である赤裳湖が建設されましたが、この湖の周りに長さ8,143メートルの赤裳山城があります。高麗時代、契丹族の侵略があった際に近隣の数十の村から逃げてきた人たちが難を逃れた他、高麗末期の日本軍の侵略の際は、三道按廉使が軍隊を引き連れ応戦した古城だとされています。
高麗末期恭愍王23年(1374年)三道都統使であった崔瑩将軍が都に帰る途中、四面が切り立った岸壁で囲まれた天然の要塞を見て感嘆し、山城を建設することを王に建議したといいます。その後、朝鮮時代に入り、山城を建設し、5大史庫のうちの北側史庫が危険に晒された際に赤裳山史庫を設置し、韓国の国史を守ってきた由緒ある場所です。