11.2Km 2023-03-02
キョンギ道ヤンピョン郡ヨンムン面シンジョム里
楊平郡は京畿道の東の端に位置しています。東は江原道の洪川郡、横城郡、原州市、南西は驪州郡、広州市、 北西は南楊州市、加平郡に接しています。郡の中央部の北に位置する龍門山を中心に、山岳地帯をなしています。主な山には道一峰、白雲峰などがあり、この他に北の郡境には通方山、小理山、南の郡境には婆娑山、牛頭山などがあります。北漢江は北西市域を南西に、南漢江は南西地域を北西に流れ、両水里付近で合流、漢江の本流へとつながっています。郡の面積は京畿道内の市郡のうちでも、広いほうです。龍門山一帯は1971年5月20日、国民観光地として指定され、1983年から管理されています。龍門寺、龍門寺のイチョウの木、正智国師浮屠及び碑、龍門山地邱戦跡碑など文化遺産が多くあります。龍門寺は秋には天然記念物のイチョウの木の紅葉を見ることができ、四季を通して観光客の絶えない観光地です。
龍門寺のイチョウの木
現在韓国に生存しているイチョウの木の中で最も大きく古いもので、龍門寺の大雄殿の前に立っています。樹齢は推定約1,100年、高さ60メートル、幹の胴回りは12.3メートルで、アジアでは最も大きなイチョウの木です。
言い伝えによると、新羅時代の最後の王である敬順王が、先生の大鏡大師に会いにきたときに植えられたものと言われています。またこれ以外の言い伝えに、敬順王の息子であった麻衣王子が国の滅びる悲しみを抱え、金剛山に行く途中で植えたものであるという話や、新羅時代の高僧である義湘大師が使っていた杖をさしておいたところ、根が生え大きくなったものであるという話もあります。多くの戦乱により、寺院は何回もの被害を受けました。特に丁末義兵が起こったとき、日本軍が義兵の本拠地だと言い、寺院を燃やしてしまいましたが、このイチョウの木だけは燃えずに残ったことから天王木とも呼ばれました。また、朝鮮時代の世宗王のときには、正3品という官職をもらった木でもあります。
また、この木にはもう一つの伝説があります。昔、ある人がこの木を切ろうとノコギリをあてたところ、ノコギリから血がながれ、晴れていた空は曇り、雷が鳴り始めたため切るのを止めたと言います。また、国にとって大きな出来事が起こるときには音が鳴ったと言われており、朝鮮時代第26代王の高宗が崩御したとき大きな枝が一本落ち、1945年に日本の支配から解放されたときと韓国戦争が起きたときにもこの木から不思議な音がしたと伝えられています。
12.1Km 2025-05-16
キョンギ道カピョン郡ソラク面ハンソロ268ボンギル157
The Stay HEALING PARK(ザ・ステイ・ヒーリングパーク)には宿泊施設をはじめ、ゴルフ場、コーヒーショップ、レストラン、プール、フィットネスなどの施設があります。文化を感じながらヒーリングできる空間で、年中いつでも気軽に訪れることができるスポットです。また、展示、セラピーなど癒しのための要素と文化イベントを体験することもできます。自然を満喫できるガーデン(ピョルピッ庭園、ワイルドガーデン、ヒーリング散策路)、動物を見ることができるアルパとエンム(アルパカ、オウム)は宿泊客および一般客に開放されています。ザ・ステイ・ビレッジはヒーリングパーク内にある田園住宅で、美しい白樺の森で真の休息と充電のひとときを過ごすことができます。
12.2Km 2025-11-20
キョンギ道ヤンピョン郡ヤンソ面ヤンスロ93
京畿道楊平郡にある水と花の庭園「洗美苑(セミウォン)」は、歴史と文化が共存する自然浄化公園として生態環境教育、体験教育、展示活動を兼ねた複合文化空間をめざしています。6万2千坪の庭園では水質浄化能力に優れたハスを主に植栽し、漢江の水を浄化するのにも貢献しています。ハスの花が満開になる夏が一番美しい他、季節ごとに楽しめる庭園づくりがされており、四季を通じて見どころを提供しています。また、洗美苑蓮華博物館では、ハスの花という単一テーマのもと、関連生活用品や古書などの遺物を展示しています。
12.2Km 2024-03-21
キョンギ道ナミャンジュ市ファド邑ポクポロ562
ピアノ滝は、和道プルンムルセンター内にある高さ61メートルの人工滝です。鉄骨で骨組みを立て、人工岩盤で崖を作りました。下水処理場からの放流水をポンプで汲み上げて流す仕組みになっています。向かい側には、「美しいトイレ大賞」を受賞したピアノ型の建物があります。滝の前には生態公園が整備されており、散策を楽しむのに適しています。
12.4Km 2025-05-19
キョンギ道ヤンピョン郡ヤンソ面ヤンス里1060
常設運営の両水里(ヤンスリ)伝統市場と毎月1、6日に開かれる両水里伝統5日市に分けられます。常設で開かれる両水里伝統市場は規模が非常に小さく、両水里伝統5日市も他の五日市に比べると大きくありません。首都圏隣接地域でアクセスが良く、また風景が美しいトゥムルモリや洗美苑が近くにあるため外出がてら見て回るのに良い市場です。「雲吉山駅」と「両水駅」の間に位置する両水里伝統市場は、入口に広い駐車場とタクシー乗り場があり、市のたつ日には伝統市場の向かい側にある公営駐車場を無料で利用可能です。
12.8Km 2025-03-16
京畿道 楊平郡 介軍面 新内キル7番キル 55
南漢江沿いに広がる都市近郊型休息スペース
ソウルからわずか30分圏内にある南漢江(ナマンガン)上流の川辺に建つSONO Moon YANGPYEONGは総客室数191室、20を越える各種施設、7つのバンケットルーム及びセミナー室など、充実した施設を備えています。
12.8Km 2023-07-27
キョンギ道ナミャンジュ市チョアン面プクハンガンロ398
南楊州「水の庭園」は国土交通部が2012年漢江再生事業で造成した面積484,188平方メートルの広大な水辺生態公園です。近隣住民にとって水の庭園は散策路やサイクリングロード沿いでジョギングやサイクリングを楽しむために訪れる町の公園ですが、地域外に住む人にとってはデートスポットであり観光地でもあります。水の庭園は自然とコミュニケーションし心と体を浄化・治癒する自然にやさしい休息空間です。水の庭園のシンボルであるペンナドゥリ橋を渡ると川辺の散策路沿いに花畑があり、5月にはケシ、9月にはキバナコスモスを満喫できます。
12.9Km 2025-04-01
キョンギ道ヤンピョン郡ヤンソ面トゥムルモリギル145
トゥムルモリ(両水里=ヤンスリ)は金剛山(クムガンサン)を水源地とする北漢江(プッカンガン)と江原道(カンウォンド)・金台峰(キムデボン)の倹龍沼(ノムニョンソ)から始まる南漢江(ナマンガン)の二つの流れが落ち合うところという意味の地名です。別名・両水里と呼ばれ、テレビドラマや映画で広く知られるようになり、今では結婚記念の写真撮影の有名スポットとして人気を集めています。
その昔、このトゥムルモリの船着場が南漢江の最も上流にある江原道旌善郡(チョンゾングン)や忠清北道(チュンチョンブクド)丹陽郡(タニャングン)、そして下流にある船着場ソウル・纛島(トゥクソム)や麻浦(マポ)を繋ぐ船着場であったため、大変栄えたと言われています。
しかしほどなくして八堂(パルダン)ダムの工事が始まり水運が断たれ、道路が整備されることによって水運が衰退の一途を辿りました。また、1973年の八堂ダムの完工と共に周辺一帯が開発制限区域・グリーンベルトに指定され、漁労行為および船舶建造が禁止され、トゥムルモリは船着場としての機能を失いました。
現在、トゥムルモリは私有地となっていますが、早朝に咲く濃霧、映画にも登場した船着場、川にたたずむ枝垂れ柳など河畔の村の美しい風景があることから、結婚記念の写真撮影や映画・広告・ドラマのロケ地として、よく利用されています。また、写真撮影マニア最高の人気スポットでもあり、特に冬の雪景色や日没が美しいといわれています。
トゥルモリのもうい一つの見どころ、「ケヤキ」
樹齢400年の3本のケヤキがまるで1本の大きな木のような形をなし、雨傘のような形の樹冠となっているトゥムルモリの亭子(東屋)のような木です。中央にある最も大きい木は、根元から枝が分かれたようになっており、本来2本だったものが合わさったのではないかと推定されています。川に向かって左側にある木は地上1.2メートルの部分で幹が2つに分かれ交差しており、ややアンバランスな形を形成しています。水辺に一番近い小さな木は川側の枝だけが発達した風変わりな形をしています。
13.3Km 2024-12-27
キョンギ道ヤンピョン郡ケグン面ケグンサンロ32
green mango(グリーンマンゴー)は庭園専門家が設計を手掛けたイギリス式庭園が美しいカフェで、ホワイト、レッド、イエローなど色ごとのテーマに合わせて植えられた樹木と花が、みずみずしい雰囲気を演出しています。春になるとチューリップとアリウムと蔓バラ、夏は白いノリウツギが咲き乱れるなど、季節によってまた新しい雰囲気を感じることができます。カーペットを敷いたようにふわふわで子どもたちが遊ぶのにぴったりのみどりの芝生は、夜になると綺麗な照明が灯り、ロマンチックな雰囲気を演出します。どこでカメラのシャッターを切っても素敵な写真が撮れます。石窯で焼いた手作りピザが特に美味しく、塩パン、クロワッサン、クッキーなどのベーカリーメニューや、マンゴーラテ、オレンジ生搾りジュースなどのドリンクメニューも多彩です。
13.7Km 2024-09-04
キョンギ道ナミャンジュ市チョアン面プクハンガンロ433ボンギル186
雲吉山の素晴らしい風景を感じされるところ、水鐘寺
水鐘寺(スジョンサ)は京畿道(キョンギド)南楊州市(ナミャンジュシ)鳥安面(チョアンミョン)松村里(ソンチョルリ)の雲吉山(ウンギルサン)山頂近くにある奉先寺(ポンソンサ)の末寺です。
広州山脈(クァンジュサンメク)が南西に走り、縁起のよい気運が漂う雲吉山は雄壮さはないものの奥深さがある名山です。
特に水鐘寺から眺める風景は素晴らしく、さまざまな山の頂が聳え、漢江(ハンガン)本流へと流れていくすこし手前の北漢江(プッカンガン)の水の流れがまた素晴らしい風景となっているところです。
水鐘寺の創建の年代は定かではありませんが、19世紀末に各地方の寺院の沿革などをまとめ記録した書・梵宇攷 (ポンウゴ)によると、世祖がこの寺を行幸した際、地面を掘り泉を探しあて、そして鐘も発見したということから水鐘寺という名称になったという言い伝えがあります(後述の通り、寺の命名には諸説あります)。
また、1939年、寺にある石造浮屠を重修する際、1439(世宗21)年に建立された浮屠と確認されたことから、水鐘寺は朝鮮時代初期に創建されたものと推定されています。
水鐘寺は長い歳月を経て重創を繰り返しましたが、時の経過とともに本堂に当たる大雄殿や僧侶が住む寮舎(ヨサ)チェが朽ち果て、仏像もまた惨憺なものとなってしまいました。
1890(高宗27)年になり、楓溪慧一(プンゲヘイル)和尚が朝鮮王朝第26代の王・高宗(コジョン)より内幣金8000両を賜り3月27日より重創を開始、6月28日に修復を終えました。
翌年3月にはさらに4000両を下賜され、仏像4尊と幀画3軸を新たに奉安し、大法殿・羅漢殿・御香閣、そして山王閣に韓国伝統の木造建築にさまざまな彩色・模様をつける丹青(タンチョン)を施しました。
1939年には住持(住職)であった日照泰旭が大雄殿・禅楼を、1940年には霊山殿・独聖閣・山神閣・御影閣などを重建しましたが、韓国戦争(1950~53年・休戦)の時にすべて焼失してしまいました。
1975年には僧侶・慧光によって大雄宝殿を復元し、寺の規模を拡大、1999年住持の東山が選仏場や三鼎軒を重創し、今日に至っています。
1972年には八角五層石塔が、1995年には浮屠がそれぞれ京畿道有形文化財に指定され保存されています。
水鐘寺の伝説
水鐘寺にはこんな伝説がいまに伝えられています。
朝鮮時代の王・世祖が金剛山を遊覧し帰る道すがら、龍船に乗って両水湾(現在の漢江にある両水里(ヤンスリ))で一晩を過ごしていると、真夜中に忽然とどこからか、かすかな鐘の音が聞こえてきました。
次の日、人を遣わしその音がどこから聞こえてきたのか探って見ると、そこには岩窟があり、中には十八羅漢像がありました。
鐘の音は岩窟に水滴が落ちて響く音で、清らかで澄んだ音だったといいます。
世祖は何かふしぎな因縁を感じ、その場所に土台を築き、建築を匠らを呼び寺を創建しました。そして田畑を下賜し僧侶を住まわせ、この寺を水鐘寺と命名したといいます。
朝鮮時代初期の石塔の貴重な資料、水鐘寺五層石塔
1459(世祖5)年に建立された朝鮮時代初期の代表的な石塔です。
五層石塔ですが、あまり高くなく優雅でこぢんまりとしていながらも華麗な塔身の姿が全体的に気品がある石塔です。
石塔の八角址台石の各面には眼象(象の目)が写実的に刻まれており、基壇部の各面には単辦、覆仰蓮、そして眼象が華麗な姿で彫刻されています。
五層石塔の塔身は上層へ行くにつれ少しずつ小さくなっていき、塔身の先端を保護する屋蓋石の落水面が著しく垂れ下がっており、殿閣と対称をなしています。
屋蓋石の下の面は平らになっており、水平となっていることで石塔の中心の柱となっている屋身がこれを支えています。屋蓋石の支えは3段に分かれており、屋蓋石の角のそれぞれ端には鐃鈴(ヨリョン)がぶら下がっていました。これは朝鮮時代初期、京畿道一帯で流行した形式の石塔として貴重な研究資料となっています。
水鐘寺は雲吉山の中でも最も眺めがよい場所にあり、寺からは両水大橋(ヤンステギョ)をはじめ両水里や北漢江一帯がよく見えます。
水鐘寺をめぐる逸話にはこのような話があります。
朝鮮時代の王・世祖が金剛山を訪ね、その帰途、船で戻る道中で二水頭(イスドゥ=現在の両水里)で泊まることになりました。夜景を楽しんでいると、突然鐘の音が聞こえました。不思議に思った世祖は、次の日、村人を呼び、鐘の音はどこから聞こえるのかと尋ねると村人は「近所に鐘はなく、鐘の音が鳴るところといえば雲吉山の中の古い寺の跡が一箇所あるだけ」と答えました。
世祖はすぐに調べるよう命を発し、探してみると寺跡の岩窟の中に十八羅漢像が列座し、岩の隙間から水滴が垂れ、鐘の音のような音がしていることを突き止めました。これに感動した世祖は寺を建立し、その寺に水鐘寺と名付けたといいます。
また、その発見した羅漢像を奉安するために山の中腹に建立した塔が水鐘寺五層石塔と伝えられています。
しかし、その後およそ400年の間に水鐘寺は次第に衰退し、創建当時の面影はなくなってしまいます。
ようやく朝鮮時代末期になり復興の気運が高まり、1890(高宗27)年、王より楓溪慧一和尚に対して重建するよう命が下り、下賜金8000両が与えられ、翌年さらに4000両がさらに下賜され、同時に金帛紅絲を仏前に供えることとなりました。
1962年に現在の場所に移転した際、各塔身から仏像、菩薩像など18点の遺物が発見され、現在、国立中央博物館に所蔵されています。