12.0Km 2024-10-22
チョンラナム道スンチョン市ナガン面チュンミンギル30
三韓(サマン)時代には馬韓(マハン)の地、百済(ペクチェ)の時代には波知城(パジソン)、高麗時代には楽安郡(ナガングン)の郡衙があった場所で、朝鮮時代の城郭やその昔郡守などが公務を行った役所・東軒(トンホン)、客舎、林慶業将軍碑、市場、草葺屋根の家がいまだなお昔のまま残っていることから、城郭や村全体が韓国で初めて史跡に指定、史跡となったところがここ順天(スンチョン)楽安邑城(ナガンウプソン)です。
この場所では朝鮮時代の太祖6(1397)年、倭寇が侵入してくると地元出身の襄恵公(ヤンヘゴン)金贇吉(キム・ビンギル)将軍が義兵を率い土城を築いて攻防を繰り広げました。
そのおよそ230年後の仁祖4(1626)年、忠愍公(チュンミンゴン)林慶業(イム・ギョンオプ)将軍が楽安郡守として赴任し現在の石城を重修しています。
ほかの地域で見られる城とは異なり、広い平地に1メートルから2メートルほどの大きさの正方形の自然石を使い、高さ4メートル、幅3メートルから4メートル、城郭の総延長が1,410メートルにも及ぶ城郭を構築、東内(トンネ)、南内(ナムネ)、西内(ソネ)の3つの村を生活の根拠地として長方形でかつ強固な作りで囲むような形で築城しました。
400年近く経って今でも崩れているところはなく当時の雄壮さをそのまま残しています。現在でも多くの人々が暮らしを営む民俗固有の伝統村として、民俗学術資料としてはもちろんのこと、歴史の生きた教育の現場として、その価値を認められています。
東門をはじめ、西門、南門から城郭内に入ると、ここが時代劇の撮影場ではないかと錯覚に陥るほどです。
時代劇『龍の涙』、『太祖王建』などの撮影地である龍仁(ヨンイン)や済州(チェジュ)にある民俗村のような作り物でなく、安東河回村のような当時の権力者・両班(ヤンバン)の村でもない、一般の庶民が住んでいた昔さながらの姿が残っている場所で、古の人々の生活の匂いが染み込み親近感あふれる場所となっています。
南部地方の独特な居住様式である縁側や台所、土房、屋根、石段の上の甕などの光景が続き、また隣同士を隔てる石塀は目立たずさほど高く作られていないもので塀を伝うカボチャのつるの光景を見ると、かくれんぼして駈けずり回って遊んだ幼い頃の自らの故郷を思い出させてくれるそんな風景の場所です。
城内 135,597平方メートル
城外 87,511平方メートル
総面積 223,108平方メートル
12.2Km 2024-12-18
チョンラナム道スンチョン市ナガン面チュンミンキル30
+82-61-749-8831
約200棟のわらぶき屋根の家がある楽安邑城民俗村は、農業を営みながら実際に人々が居住している民俗村です。朝鮮時代の昔の姿がそのまま残されており、史跡に指定されています。楽安邑城(ナガンウプソン)民俗文化祭り」は、伝統と現代が共存している楽安邑城民俗村を代表するお祭りで、伝統郷土料理、昔の人々の息づかいを感じることができる体験、国楽公演、メディアアートパフォーマンスなど見どころ豊富です。
12.3Km 2021-03-13
全羅南道 順天市 楽安面 平村3キル45
+82-61-749-8855
楽安邑城の近隣に位置する「順天市立プリキップンナム博物館」は故・韓彰琪氏が生前に集めた遺品を展示しています。青銅器時代から光復以降の多様な遺品が展示され「純粋な韓国」文化をよく理解することが出来る博物館です。
故・韓彰琪氏は生前に韓国の古くなった物と粗雑な物から文化を創造しようとしました。何の値打ちもなくぞんざいに扱われていた物が現在では文化的価値がある遺産となり、昔の人々の暮らしをうかがうことのできる資料へと生まれ変わりました。
17.1Km 2021-04-01
全羅南道 順天市 ジョビ1キル 7
+82-61-752-3480
樹木園の隣にあり、食事と癒しのひとときを過ごせるレストランです。全羅南道のスンチョン市に位置した韓食専門店です。おすすめは手作り豚カツです。
17.5Km 2023-05-10
チョンラナム道コクソン郡チュッコク面テアンロ622-215
鳳頭山(ポンドゥサン=別名・桐裏山=トンニサン)の麓にある泰安寺(テアンサ)は、新羅景徳王元(742)年に神僧3人によって建立されました。その後、文聖王9(847)年に慧徹(ヘチョル)国師によって禅宗寺院として再び開山され、九山禅門のひとつである桐裏山派(トンニサンパ)を形成するに至りました。
高麗太祖の時代には慧徹大師がこの寺に入り132間の規模の建物を建立し大規模なお寺となり、桐裏山派の中心的な寺院となりました。
高麗時代初頭には松広寺(ソングァンサ)、華岩寺(ファアムサ)がすべてこの寺の末寺でした。
1925年には文人・言論人などとして知られる崔南善(チェ・ナムソン)がここを訪れて「新羅以来の名のある寺である。また海東(ヘドン)において禅宗の寺としては最初に建立された寺である。古初の神域のようである」と評しました。
韓国戦争(1950~53年・休戦)の時に大雄殿をはじめ、15棟の建物が焼失してしまいました。その後、修理を行い現在に至ります。
境内には慧徹国師舎利塔(宝物)、広慈大師塔(宝物)など5点の宝物があり、桐裏山渓谷の素晴らしい場所に建てられた凌波閣(地方有形文化財)も見所のひとつです。
特に、寺の境内に入りおよそ2.3キロメートルに及ぶ道路の両側にある鬱蒼とした森や渓谷はとても美しく、秋になると紅葉の風景が大変美しい場所です。
現在、泰安寺では宝物など文化財9点を所蔵しています。また、泰安寺までの1.8キロメートルの渓谷は、春は新緑、夏は涼しげな渓谷や鬱蒼と生い茂る緑、秋は深く色を染める紅葉が美しい散策路として知られています。
17.5Km 2024-12-24
チョンラナムド ポソングン パラムジェギル 7
+82-61-852-5622
「韓国天然染色スム」は、天然染色体験工芸館で、韓屋洞を宿泊体験施設として活用しています。客室は全部6室で、オンドル部屋であるデザイン部屋とピョンベク部屋、ベッド部屋であるチョクく部屋とノクチャ部屋、混成ドミトリーオンドル部屋であるファント部屋と女性専用ドミトリーオンドル部屋であるホンファ部屋で構成されています。部屋ごとにトイレがあり、ヌマルは共用休憩空間です。共用キッチン、共用バスルーム、バーベキュー場は別にあります。サンヤチャ足浴、珪防工芸、天然染色などのプログラムを運営しています。
18.0Km 2021-04-05
全羅南道 順天市 ソクヒョンギル67
+82-61-755-8336
スンデスープは豚肉で作った韓国ソーセージのスンデを煮込んだ、韓国伝統のスープ料理です。全羅南道のスンチョン市に位置した韓食専門店です。代表的なメニューはスンデクッパです。
18.0Km 2021-04-01
全羅南道 順天市 上沙面 上沙湖キル 282
+82-61-745-7455
地元の人たちにはよく知られている穴場スポットで、行列がきでる店です。代表的なメニューはカンジャンケジャン定食です。全羅南道のスンチョン市に位置した韓食専門店です。
18.5Km 2021-04-01
全羅南道 順天市 上沙面 民俗マウルキル 278-3
+82-61-743-5846
直接育てた黒ヤギと有機野菜を使った料理を提供しています。全羅南道のモクポ市に位置した黒山羊肉専門店です。代表的なメニューは黒山羊肉の寄せ鍋です。
18.6Km 2018-05-18
全羅南道 宝城郡 筏橋邑 太白山脈キル 19
+82-61-858-7528
旧宝城旅館は1935年建設された日本式2階建ての建物で、日本の木造建築の特徴をよく留めている保存価値が高い建造物です。
韓国の大河小説「太白山脈」が映画化された際、反乱軍討伐隊長・林万洙(イム・マンス)と隊員らが宿泊した南道旅館の実際のモデルとなった旅館です。2004年には登録文化財第132号に指定されました。2008年になると文化遺産国民信託がこの宝城旅館を買い上げ、2011年老朽化した宝城旅館の復元工事が完了しました。
特に「旧宝城旅館」は建築物としてだけではなく、宝城郡筏橋(ポルギョ)における近現代歴史文化遺産の重要な拠点としての価値もまた高いところです。
太白山脈の小説の背景となったその時代にもこの建物は旅館として利用され、実際の旅館の屋号も宝城旅館でした。小説では林万洙と隊員らが一時宿舎として利用していました。
板張りの外壁、トタン葺きの屋根、典型的な日本式で建てられた2階建ての建物は昔の姿そのものです。
日本人は日帝強占期、全国にこのような木造の建物を数多く建築しましたが、現在に至る間までに数多くのこのような日本式の建物が保存されることなく取り壊され、コンクリート作りの建物に取って代わられました。
今日まで旅館や商店として使われてきた建物ですが、2004年近代建築史上及び生活史上、価値が高いと評価され、登録文化財に指定されました。
* 面積: 敷地529平方メートル(約169坪)/ 建築面積 416平方メートル(約126坪)
* 構造:木造及び煉瓦造2棟(日本式2階建1棟、韓式平屋1棟)