ベアツリーパーク(베어트리파크) - エリア情報 - 韓国旅行情報

ベアツリーパーク(베어트리파크)

ベアツリーパーク(베어트리파크)

0m    11325     2023-01-27

セジョン特別自治市チョンドン面シンソンロ217

2009年5月に開園したベアツリーパーク(BEAR TREE PARK)は、設立者の李載淵氏が約50年間樹木の手入れをしながら動物を育ててきたところです。約33万平方メートル(約10万坪)の敷地に約1000種40万本の花や樹木が植えられており、約100匹のニシキゴイや数百頭のツキノワグマ、ヒグマなども生息しています。ベアツリーパークを一望できる展望台を始め、一年を通じて美しい花が咲き誇るベアツリー庭園、ツキノワグマの赤ちゃんやクジャク、ニワトリ、オシドリなどを見ることができるペット動物園などがあります。珍しい松の木を集めた庭園、枯れ木やイブキの木の庭園、野花を集めた散策路、熱帯植物を集めた熱帯温室、サボテン、木の化石、バラ園、盆栽など、多くの見どころがあります。また、樹齢100年超えるイブキの木の間に散策路を設けたイブキの丘、樹齢800年のケヤキの木がある韓国の地形を模ったヨーロッパ風の庭園もあります。

全義駅(전의역)

937.4814998247426m    1295     2016-08-10

世宗特別自治市 全義面 万歳キル10

全義駅は1905年1月に開業し、現在の駅舎の建物は1941年4月に新しく建てられた木造スラブ型で日本の建築様式が用いられており、2005年に改築されました。
全義駅という駅名は、1905年の開業当時からこの地名の全義面からとったものを使用しており、全義李氏がこの場所に定着したことから使われることになったと知られています。

雲住山城(운주산성)

3.1 Km    15277     2023-01-19

セジョン特別自治市チョンドン面チョンソン里サン90

別名・高山山城(コサンサンソン)とも呼ばれる雲住山城(ウンジュサンソン)は、百済時代の遺跡です。
世宗(セジョン)特別自治市全東面(チョンドンミョン)美谷里(ミゴンニ)・青松里(チョンソンニ)と同市全義面(チョニミョン)東校里(トンギョリ)・新井里(シンジョンニ)の境には雲住山(標高459.7メートル)が聳えており、雲住山城はこの雲住山の地形を利用して築城された山城です。
山城西側の裾野の方にはソウルと釜山を結ぶ高速鉄道の線路が通っています。雲住山城は城の周囲が3,210メートル、幅2メートル、高さ2メートルから8メートルの雄壮な百済の山城で、盆地のような形をした山やその風景は大変素晴らしいものがあります。
城壁は自然の地形を最大限生かして築城され、北壁と東壁は雲住山山頂から北西と南へと延びる稜線伝いに伸び、南壁は頂上を取り囲むように築城され、西壁は西へと延びる稜線を横切るように築城されています。
築城された場所は北側の標高が高く、南西側が低い地形となっています。 西門、南門、北門があった場所には門址が確認できますが、すでに崩れており詳細はよくわかりません。

城郭内には城門や建物跡、井戸などが残っていますが、頂上付近には雨乞いの儀式・祈雨祭(キウジェ)を行った祭壇とみられる円形の敷地が残っています。
また、城郭内では百済の土器や瓦の破片が出土しているほか、高麗時代や朝鮮時代の磁器や瓦の欠片も発見されています。
この山城には内城と外城が形成されており、古代山城研究の貴重な史料となっています。
雲住山城は、660年に百済が滅亡し百済最後の王・豊王(プンワン)や百済末期の武将・福信(プクシン)、道琛(トチム)将軍を先頭に起こった百済復興運動軍の最後の救国交戦地として知られている場所です。
雲住山の登山口に高山寺(コサンサ)という寺があり、百済が滅亡した陰暦9月8日にあわせ土曜日の日に百済滅亡期の義慈王(ウィジャワン)と復興期の豊王、そして百済復興運動の末、犠牲になった人々を慰霊するため高山祭を執り行っています。

清眼寺(청안사)

3.8 Km    8460     2020-04-13

世宗特別自治市 全義面 カヌシルキル 128-23
+82-44-867-3407

清眼寺(チョンアンサ)は錦城山や鵲城山、国師峰に囲まれた場所にある大韓仏教曹渓宗の寺院で、1900年頃に創建されたものと伝えられています。清眼寺から50メートルほど離れたところに昔の寺跡があり、朝鮮時代中期の瓦や白磁のかけらが出土していることから、その時期にはこの寺が存在していた可能性があるとされています。最近まで成仏寺(ソンブルサ)という名前でしたが、2002年に現在の寺院名に変わりました。

金伊城(금이성)

4.4 Km    12656     2020-03-17

世宗特別自治市 全東面 松城里
+82-44-300-3444

鉄甕城として呼ばれていた山城の金伊城(クミソン)は海抜高度430メートルの金城山の頂上部の周囲に築造された山城です。城の周りは714メートルで「鉄城」として金城として表記され、三国史記に出てくる「金峴城」はこの山城にちなんだものです。
築造様式は典型的な百済様式で、一部に統一新羅初期の様式が追加された山頂型の築造です。また城の中から出土した遺物の製作時期から、高麗時代に築城されたものと推測されています。険阻な地形を利用し堅固に構築されたため、世間に「鉄甕城」として呼ばれました。

碑岩寺(世宗)(비암사(세종))

碑岩寺(世宗)(비암사(세종))

6.9 Km    16854     2020-04-02

世宗特別自治市 全義面 碑岩寺キル137
+82-44-863-0230

「碑岩寺(ピアムサ)」は京釜線の全義駅から南に10キロメートルほどのところにあります。記録が残っていないため正確な創建年度を知ることはできませんが、一説では2000年前といわれています。また、忠清南道地方文化財に指定されている碑岩寺の極楽宝殿や三層石塔から、高麗時代中期に創建されたのではないかとも推測されています。
極楽殿の前にある高さ3メートルの三層石塔の上部から四面群像が見つかり、広く知られるようになりました。この石像のうち、国宝第106号の「癸酉銘全氏阿弥陀仏三尊石像」、宝物第367号の「己丑銘阿弥陀如来諸仏菩薩石像」、宝物第368号の「弥勒菩薩半迦石像」は国立中央博物館に保存されています。

ウォンドゥマク(원두막)

ウォンドゥマク(원두막)

7.7 Km    12047     2021-07-21

世宗特別自治市 燕西面 アンサンキル154

「ウォンドゥマク」は高福貯水池付近の景観が美しい場所にあります。国産の天然エビのみを使用したミンムルセウタン(淡水エビスープ)は、化学調味料を一切使用せず、大根や野菜などで煮出すため、さっぱりとしているのが特徴です。

高福自然公園(고복자연공원)

8.2 Km    23991     2021-12-21

世宗特別自治市 燕西面 道新高福路 586

高福(コボク)自然公園にある高福貯水池は、面積77万平方メートルを誇る大規模な農業用水用の貯水池です。ライギョ、フナ、コイ、ナマズなど、さまざまな魚類が生息していることから釣りのメッカとしても知られています。公園に指定されている範囲は184万平方メートルで、五峰山(オボンサン)自然林、洞窟、寺、野外彫刻展示場などがあります。近くにはブドウや桃、梨を栽培する果樹団地もあります。公園の近くには広場や梨花(イファ)女子大学校美術大学のカン・テソン教授が造成した野外彫刻公園があり、おすすめの観光スポットです。特に野外プールがオープンする夏休み期間中には多くの人々が訪れます。貯水池の北側の畔にある民楽亭(ミルラクチョン)から眺める景観は大変すばらしく、桜が咲く頃の高福自然公園は知る人ぞ知る隠れた桜の名所となっています。また高福自然公園の周辺には韓方鴨料理やナマズのピリ辛鍋・メギメウンタンを提供する食堂が点在しており、食通の人々に人気があります。

燕岐郷土博物館(연기향토박물관)

燕岐郷土博物館(연기향토박물관)

8.5 Km    13623     2022-06-20

世宗特別自治市 燕西面 良垈キル34-4

「燕岐(ヨンギ)郷土博物館」は世宗特別自治市内で出土した遺物、伝来遺物を展示する博物館で、1996年8月14日に開館しました。この博物館では燕岐郡の歴史と文化を学べる資料が展示されており、特に世宗特別自治市内イェド窯址で出土した資料が多く、先史遺物を始めとして三国、高麗、朝鮮、日帝強占期、近代の遺物があります。
展示遺物は、仏像、武器(槍、矢)、五層石塔、土器、青磁、粉靑沙器、青銅、白磁、瓦、民画、上書文、木版、書籍、消防器具、家具、農機具など約1,000点があります。遺物のほかに、民俗ノリ(遊び)の道具や、地名の由来、伝説、説話などに関する記録物も展示されています。

神光寺(世宗)(신광사(세종))

8.9 Km    9003     2023-04-07

世宗特別自治市 鳥致院邑 トゴルゴゲキル24
+82-44-865-5601

神光寺(シングァンサ)は世宗特別自治市鳥致院邑の露積山に位置する寺院です。創建年代は約160年前とされており、1920年に住職が復元したという記録が残っています。創建当時はトゴル寺、修養寺(スヤンサ)などと呼ばれていましたが、1980年に現在の寺院名に変更されました。