元コプチャン ( 원곱창 ) - エリア情報 - 韓国旅行情報

元コプチャン ( 원곱창 )

元コプチャン ( 원곱창 )

1.0Km    2021-09-01

ソウル特別市 鐘路区 社稷路 105
+82-2-722-2934

韓国人に人気のホルモン焼きを取り扱っています。 代表的なメニューはマクチャン焼きです。ソウル特別市のジョンノ区に位置した韓食専門店です。

ソチョンチングネ(서촌친구네)

ソチョンチングネ(서촌친구네)

1.0Km    2021-08-31

ソウル特別市 鐘路区 紫霞門路1キル 32
+82-2-720-4763

ソウル特別市のジョンノ区に位置した海鮮専門店です。各種海産物をお出しするお店です。おすすめは貝の蒸し物です。

ウンアンドジョン明洞タッカルビ(은앤정명동닭갈비)

ウンアンドジョン明洞タッカルビ(은앤정명동닭갈비)

1.0Km    2024-03-11

ソウル特別市チュン区ミョンドン7ギル19
+82-2-778-1988

ウンアンドジョン明洞(ミョンドン)タッカルビは、明洞通りに位置しているタッカルビ専門店です。タッカルビを大きな鉄板に炒めて料理します。好みに合わせてチーズタッカルビ、にんにく入り醤油味タッカルビなどのメニューもあります。またタッカルビに餅、イモ、麺、ご飯を炒めて楽しむこともできます。プデチゲ、混ぜそば、サムゲタンも販売します。

ソウル都心登山観光センター(北岳山)(서울도심등산관광센터(북악산))

ソウル都心登山観光センター(北岳山)(서울도심등산관광센터(북악산))

1.0Km    2024-03-05

ソウル特別市チョンノ区サムチョンロ88

三清洞文化通りに位置するソウル都心登山観光センター(北岳山プガクサン)では、登山客にさまざまなサービスを提供しています。北岳山、北漢山(プカンサン)、仁王山(イヌァンサン)など、ソウル都心の登山コース情報を案内しており(日本語可)、センター内にはソウル観光ガイドブック、マップなどの観光パンフレットも置いてあります。また、外国人向けにさまざまなテーマで登山観光体験プログラムを毎週実施し、外国人には登山靴、登山服、トレッキングポール、リュックサック、アイゼンなど、登山用品レンタルサービスを行っています(外国人同伴で登山する韓国人もレンタル可)。センター内には無料ロッカーがあり、荷物を預けることができる他、ラウンジでは休憩することもできます。

FATUM(파툼)

FATUM(파툼)

1.0Km    2021-04-06

ソウル特別市 鐘路区 三清路86-5

三清洞にある「FATUM」は見晴らしがよいことで評判のカフェです。1階は自然の岩、2階はゆったりとした椅子、3・4階は室内からの眺め、5階は室外からの眺めが楽しめ、各階ごとに変わったインテリアがおしゃれなお店です。北岳山と仁王山、景福宮などが一望できる場所にあり、季節ごとに違った自然風景を観賞することができます。特に日没の景色は幻想的です。

[事後免税店] クムバギョン(金箔宴)(금박연)

[事後免税店] クムバギョン(金箔宴)(금박연)

1.0Km    2024-06-27

ソウル特別市チョンノ区プクチョンロ12ギル24-12(カフェ洞)

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ウェスティン朝鮮 ソウル(웨스틴 조선 서울)

1.0Km    2022-06-03

ソウル特別市 中区 小公路106

ウェスティン朝鮮ホテルソウルはビジネスとショッピングに最適なソウルの中心地にあるホテルで、各国大使館、銀行、政府省庁に隣接しています。1999年と2003年の2度にわたり、米国金融専門誌『Institutional Investor』によって世界100大ホテルに選定されたウェスティン朝鮮は最先端施設へとリノベーションされた客室と西欧化したサービスを誇ります。プール、スパ、ジムを備えたヘルスセンター、ビジネスセンター、大宴会場をはじめ、さまざまな大きさの中・小宴会場を備えており、レストランやバーで多彩な味を楽しめます。最上のビジネス環境を提供する先端施設を備えた客室はデスクトップPC、超高速インターネットサービス、個人携帯電話、TVインターネット、ファックス、プリンター、コピー機はもちろん、自動温度調節、ミニバーや24時間ルームサービスなどとともにホテル内の各種サービスを迅速かつ便利に利用することができます。貴賓階の客室はヘブンリーベッド(HeavenlyBed)を備え、快適な眠りをサポートします。

SUSHI CHO ( 스시조 )

SUSHI CHO ( 스시조 )

1.0Km    2021-04-06

ソウル特別市 中区 ソゴンロ106
+82-2-317-0373

ミシュランガイドソウル2021に選定された店です。ソウル特別市のチュン区に位置した和食専門店です。おすすめは寿司です。

北村韓屋歴史館(북촌한옥역사관)

北村韓屋歴史館(북촌한옥역사관)

1.1Km    2024-11-05

ソウル特別市チョンノ区キェドン4ギル3

韓屋村である北村は、長い歳月の間どのように守られてきたのか? 韓屋を改造した空間に北村の歴史を展示している北村韓屋歴史館では、朝鮮時代の両班の家である伝統韓屋とは全く異なる都市型の韓屋、そして韓国ならではの住居の様式を守ろうと努力した鄭世権先生にスポットを当てている。伝統韓屋とそれを改造した都市型の韓屋を比べ、韓屋の情趣を感じてみよう。

徳寿宮(덕수궁)

徳寿宮(덕수궁)

1.1Km    2025-06-10

ソウル特別市チュン区セジョンデロ99

史跡・徳寿宮(トクスグン)は、元々王宮ではなく、成宗(ソンジョン=1457~1494年・在位:1469~1494年)の兄にあたる月山大君(ウォルサンデグン=1454~1488年)の住居として使われていました。
1592年壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)により王宮が全焼し、翌1593年、仮の王宮・行宮(ヘングン=離宮)として使われるようになりました。 壬辰倭乱により朝鮮時代第14代の王・宣祖(ソンジョ=1552~1608年・在位:1567~1608年)が都を離れ義州(ウィジュ)に避難、その後、漢陽(ハニャン=現在のソウル)へ戻ってくると、居をここ徳寿宮に構えました。 宣祖の後を継ぐ第15代の王・光海君(クァンヘグン=1575~1641年・在位:1608~1623年)は、1608年行宮となっていたこの場所で即位、1611年この行宮を慶運宮(キョンウングン)と改称し、以降7年間にわたり王宮として使っていました。しかし1615年になると、昌徳宮(チャンドックン)に居を移し、それ以降は270年に渡り、離宮として使われることになります。

朝鮮王朝第26代の王で大韓帝国時代には皇帝でもあった高宗(コジョン)(1852~1919年・在位:1863~1907年)が1896年2月からおよそ1年間、ロシア公館に一時身を寄せ、翌年、王宮に戻ってきましたが、その王宮がこの場所で、以降この場所が再び王宮として利用されることになりました。
高宗が再び王宮として使うようになり王宮の名称も再び慶運宮と呼ばれるようになり、その規模も拡大しました。そして、高宗皇帝は1907年、朝鮮王朝第27代の王・純宗(スンジョン=1874~1926年・在位:1907~1910年)に譲位した後も引き続きここに住み続け、王宮の機能は昌徳宮へと移りました。
引き続き、慶運宮に住むこととなった高宗ですが、高宗の長寿を願って、名称を徳寿宮と改称しました。

このような経緯があったことから現在、元々の慶運宮という名称を使うべきであるという声も上がっています。徳寿宮には過去、数多くの建物が存在していましたが、18,635坪(約6.2ヘクタール)の敷地に残っているのは、大漢門(テハンムン)、中和殿(チュンファジョン)、光明門(クァンミョンムン)、昔御堂(ソゴダン)、浚明堂(チュンミョンダン)、即阼堂(チュクチョダン)、咸寧殿(ムニョンジョン)、徳弘殿(トコンジョン)、そして石造殿など一部にすぎません。

徳寿宮は、特に朝鮮時代末期から大韓帝国時代にかけての旧韓末の悲運の皇帝・高宗が日帝の圧迫により譲位を強要され、恨(ハン)に満ちた余生を送り、1919年1月22日、徳寿宮の咸寧殿で日帝により毒殺されたと人々に伝えられ、翌々月の3月3日に予定されていた高宗の葬儀の直前の3月1日に起きた3・1独立運動の直接的な引き金となった現場でもあります。



* 大漢門 -大漢門は現在では徳寿宮の正門となっています。元々の名称は大安門(テアンムン)で、王宮の東門として使われていました。この大安門は1906年に再建され「大漢門」という名称がつけられました。扁額の文字は当時、漢城府(ハンソンブ=現在のソウル)判尹(パニュン=漢城府の長)を務めた南廷哲(ナム・ジョンチョル)によるものです。

* 光明門 -光明門は王の寝殿・咸寧殿の正門で、光武(クァンム)8(1904)年の大火により焼失したものを、同年再建したものです。1938年、石造殿を美術館として使い始め、貞洞(チョンドン)にあった興天寺(フンチョンサ)の梵鐘や昌徳宮の報漏閣(ポルガク)にあった自撃漏(チャギョンヌ)を現在の場所へ移した際に光明門も同時に移築して現在のところに建て直しました。

* 石造殿 -大韓帝国時代、外国の使節と接見した場所です。光武4(1900)年着工、隆熙(ユンヒ)3(1909)年完成した石造の建物で、朝鮮王朝で最後に建てられた大規模建造物です。建物の外観は十九世紀初めの欧州で流行していた新古典主義様式に倣ったもので、正面にある柱の上部にはイオニア様式で施しており、室内はロココ調の装飾がなされています。建物は3階建てで、1階には接見場所が、半地下階には侍従らの控室の場所として使われ、2階には皇帝のスペースとなっていました。植民地支配が終わりを告げた1945年の光復(クァンボク)以降は米ソ共同委員会会議場、国立博物館、国立現代美術館、宮中遺物展示館などとして利用されました。

* 咸寧殿 - 宝物に指定されている咸寧殿は1897年に建てられ、高宗皇帝が居を構えた建物として知られています。1904年の火災により焼失しましたが、同年建て直し現在に至っています。高宗皇帝は1919年1月21日この咸寧殿で薨去しました。その後使われなくなった咸寧殿に当時使われていた家具、書画、什器などを配置し、およそ100年前の王宮での暮らしぶりを改めて再現しました。

* 中和殿 - 大韓帝国の正殿として使われ、朝鮮王朝第26代の王・高宗の近代国家建設に懸ける自信が垣間見れる建物です。特に正殿内には御座の真上の天蓋を見ると、龍が二匹描かれているのが確認できますが、これは正殿の天井の龍のような模様となっており、徳寿宮が大韓帝国皇帝の皇宮であったことを感じされます。 現在残っている中和殿は1902年に重層の建物として建てられましたが、1904年の火災で焼失、その後1906年に平屋造りの建物で重建されました。

* 重明殿 - 重明殿(チュンミョンジョン)はロシアの建築家サバティ(Seredin Sabatin)の設計により1897年から1901年にかけて建築された皇室図書館です。地下1階を含む二階建ての西洋式の建物で、当初は漱玉軒(スオゴン)と呼ばれていました。2009年12月に復元され、2010年8月からは展示館「大韓帝国の運命をかけた場所、徳寿宮重明殿」として一般に公開されました。

* この他、昔御堂、浚明堂、即阼堂、静観軒(チョングァノン)、徳弘殿、報漏閣自撃漏などがあります。