徳寿宮(덕수궁)

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説明

史跡・徳寿宮(トクスグン)は、元々王宮ではなく、成宗(ソンジョン=1457~1494年・在位:1469~1494年)の兄にあたる月山大君(ウォルサンデグン=1454~1488年)の住居として使われていました。
1592年壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)により王宮が全焼し、翌1593年、仮の王宮・行宮(ヘングン=離宮)として使われるようになりました。 壬辰倭乱により朝鮮時代第14代の王・宣祖(ソンジョ=1552~1608年・在位:1567~1608年)が都を離れ義州(ウィジュ)に避難、その後、漢陽(ハニャン=現在のソウル)へ戻ってくると、居をここ徳寿宮に構えました。 宣祖の後を継ぐ第15代の王・光海君(クァンヘグン=1575~1641年・在位:1608~1623年)は、1608年行宮となっていたこの場所で即位、1611年この行宮を慶運宮(キョンウングン)と改称し、以降7年間にわたり王宮として使っていました。しかし1615年になると、昌徳宮(チャンドックン)に居を移し、それ以降は270年に渡り、離宮として使われることになります。

朝鮮王朝第26代の王で大韓帝国時代には皇帝でもあった高宗(コジョン)(1852~1919年・在位:1863~1907年)が1896年2月からおよそ1年間、ロシア公館に一時身を寄せ、翌年、王宮に戻ってきましたが、その王宮がこの場所で、以降この場所が再び王宮として利用されることになりました。
高宗が再び王宮として使うようになり王宮の名称も再び慶運宮と呼ばれるようになり、その規模も拡大しました。そして、高宗皇帝は1907年、朝鮮王朝第27代の王・純宗(スンジョン=1874~1926年・在位:1907~1910年)に譲位した後も引き続きここに住み続け、王宮の機能は昌徳宮へと移りました。
引き続き、慶運宮に住むこととなった高宗ですが、高宗の長寿を願って、名称を徳寿宮と改称しました。

このような経緯があったことから現在、元々の慶運宮という名称を使うべきであるという声も上がっています。徳寿宮には過去、数多くの建物が存在していましたが、18,635坪(約6.2ヘクタール)の敷地に残っているのは、大漢門(テハンムン)、中和殿(チュンファジョン)、光明門(クァンミョンムン)、昔御堂(ソゴダン)、浚明堂(チュンミョンダン)、即阼堂(チュクチョダン)、咸寧殿(ムニョンジョン)、徳弘殿(トコンジョン)、そして石造殿など一部にすぎません。

徳寿宮は、特に朝鮮時代末期から大韓帝国時代にかけての旧韓末の悲運の皇帝・高宗が日帝の圧迫により譲位を強要され、恨(ハン)に満ちた余生を送り、1919年1月22日、徳寿宮の咸寧殿で日帝により毒殺されたと人々に伝えられ、翌々月の3月3日に予定されていた高宗の葬儀の直前の3月1日に起きた3・1独立運動の直接的な引き金となった現場でもあります。



* 大漢門 -大漢門は現在では徳寿宮の正門となっています。元々の名称は大安門(テアンムン)で、王宮の東門として使われていました。この大安門は1906年に再建され「大漢門」という名称がつけられました。扁額の文字は当時、漢城府(ハンソンブ=現在のソウル)判尹(パニュン=漢城府の長)を務めた南廷哲(ナム・ジョンチョル)によるものです。

* 光明門 -光明門は王の寝殿・咸寧殿の正門で、光武(クァンム)8(1904)年の大火により焼失したものを、同年再建したものです。1938年、石造殿を美術館として使い始め、貞洞(チョンドン)にあった興天寺(フンチョンサ)の梵鐘や昌徳宮の報漏閣(ポルガク)にあった自撃漏(チャギョンヌ)を現在の場所へ移した際に光明門も同時に移築して現在のところに建て直しました。

* 石造殿 -大韓帝国時代、外国の使節と接見した場所です。光武4(1900)年着工、隆熙(ユンヒ)3(1909)年完成した石造の建物で、朝鮮王朝で最後に建てられた大規模建造物です。建物の外観は十九世紀初めの欧州で流行していた新古典主義様式に倣ったもので、正面にある柱の上部にはイオニア様式で施しており、室内はロココ調の装飾がなされています。建物は3階建てで、1階には接見場所が、半地下階には侍従らの控室の場所として使われ、2階には皇帝のスペースとなっていました。植民地支配が終わりを告げた1945年の光復(クァンボク)以降は米ソ共同委員会会議場、国立博物館、国立現代美術館、宮中遺物展示館などとして利用されました。

* 咸寧殿 - 宝物に指定されている咸寧殿は1897年に建てられ、高宗皇帝が居を構えた建物として知られています。1904年の火災により焼失しましたが、同年建て直し現在に至っています。高宗皇帝は1919年1月21日この咸寧殿で薨去しました。その後使われなくなった咸寧殿に当時使われていた家具、書画、什器などを配置し、およそ100年前の王宮での暮らしぶりを改めて再現しました。

* 中和殿 - 大韓帝国の正殿として使われ、朝鮮王朝第26代の王・高宗の近代国家建設に懸ける自信が垣間見れる建物です。特に正殿内には御座の真上の天蓋を見ると、龍が二匹描かれているのが確認できますが、これは正殿の天井の龍のような模様となっており、徳寿宮が大韓帝国皇帝の皇宮であったことを感じされます。 現在残っている中和殿は1902年に重層の建物として建てられましたが、1904年の火災で焼失、その後1906年に平屋造りの建物で重建されました。

* 重明殿 - 重明殿(チュンミョンジョン)はロシアの建築家サバティ(Seredin Sabatin)の設計により1897年から1901年にかけて建築された皇室図書館です。地下1階を含む二階建ての西洋式の建物で、当初は漱玉軒(スオゴン)と呼ばれていました。2009年12月に復元され、2010年8月からは展示館「大韓帝国の運命をかけた場所、徳寿宮重明殿」として一般に公開されました。

* この他、昔御堂、浚明堂、即阼堂、静観軒(チョングァノン)、徳弘殿、報漏閣自撃漏などがあります。


ホームページ

https://royal.khs.go.kr/


ご利用案内

お問い合わせおよびご案内 : +82-2-771-9951

駐車場施設 : なし

休みの日 : 月曜日(※ ただし、定休日が祝日や振替休日と重なる場合は休まず、その翌日が休み)

利用時間 : 一般9:00~21:00(最終入場20:00)
石造殿9:30~17:30(最終解説16:30/インターネット事前予約制)
惇徳殿9:00~17:30(最終入場17:00)
重眀殿9:30~17:30(最終入場17:00)


詳細情報

Admission Fees
外国人(19歳~64歳)1,000ウォン

無料入場対象者:
満18歳以下、満65歳以上の外国人
毎月最終水曜日「文化のある日」
※ 徳寿宮美術館利用者は徳寿宮観覧券および美術館観覧券を別途購入
※詳細はホームページをご確認ください

位置

ソウル特別市チュン区セジョンデロ99

昭陽湖マッククス屋通り(소양호 막국수거리)

昭陽湖マッククス屋通り(소양호 막국수거리)

2025-11-03

カンウォン特別自治道チュンチョン市シンブク邑チョンジョン里

そば殻(外皮)を除いた粗挽きそば粉で作った麺を使った料理、マッククス(混ぜそば)。昔、春川(チュンチョン)地方で特別なお客さんが訪ねてくるともてなしたそばは、韓国戦争直後には生活苦解消のために各所でこれを作って商売し大衆化しました。江原道(カンウォンド)春川の昭陽湖(ソヤンホ)付近はマッククス屋通りとして知られています。地元民もわざわざ訪れるグルメ店が集まっており、週末はもちろん平日もお客さんで賑わいます。マッククスはキムチや水キムチの汁と混ぜたり、野菜や薬味ダレと和えて酢、からし、出汁を加えて食べても美味。江原道のもうひとつの郷土料理であるそば粉チヂミやそば粉の薄皮巻きと一緒に味わうのもよいでしょう。

パムリダンギル(밤리단길)

パムリダンギル(밤리단길)

2025-11-03

キョンギ道コヤン市イルサンドン区チョンバルサン洞

一山(イルサン)のアンティーク家具通りの路地裏にはさまざまな飲食店やカフェがあり「パムリダンギル」と呼ばれています。京義中央線「プンサン(楓山)駅」1番出口から徒歩約17分にあるパムガシ村付近に位置し、キョンニダンギル、マンニダンギル、カロスキルのように道沿いに飲食店やショップ、カフェなどが並ぶスポットです。他に美しい池や歌う噴水もあり、夜景も素敵です。

幸州山城グルメ村(행주산성먹거리촌)

幸州山城グルメ村(행주산성먹거리촌)

2025-11-03

キョンギ道コヤン市トギャン区ヘンジュロ15ボンギル89

1970年代、ウナギ焼きとメウンタン(魚の辛味スープ)がここでのメインメニューでしたが、今では数十ヶ所の飲食店でさまざまな料理を味わうことができます。なかでもウナギ焼きが全国的に知られており、幸州山城を訪れた多くの観光客は幸州山城グルメ村を利用しています。安くてボリュームたっぷりのにゅうめんも有名な他、ねぎのチヂミ、どんぐりこんにゃくの和え物なども楽しめます。

幸州外洞ウナギ村(행주외동 장어마을)

幸州外洞ウナギ村(행주외동 장어마을)

2025-11-03

キョンギ道トギャン区ヘンジュサンソンロ144ボンギル31-16

幸州外洞(ヘンジュウェドン)ウナギ村は1592年の壬辰倭乱で、クォン・ユル将軍が3万人の倭軍を退けた地として知られる幸州山城に上がる道に位置しています。ウナギ焼き、海鮮鍋、メウンタン(魚の辛味スープ)などの郷土料理が味わえ、ここの名物であるウナギ料理を味わうためにたくさんの人が訪れます。団体席が完備されており、家族の集まりや団体での会食にも最適です。

深谷書院(심곡서원)

深谷書院(심곡서원)

2025-11-03

キョンギ道ヨンイン市スジ区シムゴクロ16-9

朝鮮中宗の時代、士林派の領袖であった静庵・趙光祖を主享とする深谷(シムゴク)書院は、講堂が前面に位置し祠宇が後方に配置された朝鮮時代の書院の典型的な前学後廟形式を備えています。1871年の興宣大院君による書院撤廃令の際に、趙光祖を祀った書院のうち唯一存続を許されたところです。新盆唐線「サンヒョン(上峴)駅」から徒歩約23分、近くには文貞公趙光祖墓および神道碑があります。

延烏郎細烏女テーマ公園貴妃庫(연오랑세오녀테마공원 귀비고)

延烏郎細烏女テーマ公園貴妃庫(연오랑세오녀테마공원 귀비고)

2025-11-03

キョンサンブク道ポハン市ナム区トンへ面ホミロ3012

『三国遺事』に収録された「延烏郎細烏女(ヨンオランセオニョ)」の物語は、韓国唯一の日月神話であり、浦項(ポハン)を代表する説話として古代太陽神話の原型として挙げられます。新羅第8代阿達羅王4年、東海の海辺に住んでいた延烏(ヨンオ)と細烏(セオ)夫婦が日本に行ったことで新羅の太陽と月が光を失い、細烏が織った絹を日本から持ち帰り祭祀を行うと再び光を取り戻すという話です。延烏郎細烏女テーマ公園展示館の貴妃庫は、浦項に特化したストーリーテリング文化空間を目指し、場所の歴史性と美学的特性を反映した特別企画展、文化芸術体験プログラム、地域特化プログラムなどを運営しています。展示室や映像館、教育・体験プログラムのためのラウンジスペースなどが設けられており、アニメーション、VR体験、メディア体験などさまざまな技法で延烏郎細烏女に接することのできる観覧客中心の展示館です。

ヨンサン温泉パーク(연산온천파크)

ヨンサン温泉パーク(연산온천파크)

2025-11-03

キョンサンブク道ポハン市プク区ソンナ面ポギョンロ516

ヨンサン温泉は東海岸の古刹である宝鏡寺がある浦項市北区松羅面に位置しています。周辺の観光資源と連携して年中楽しめる温泉リゾートとして、ホテル、グランピング、キャラバンといった宿泊施設や温泉、屋外プール、食堂などを備えています。温泉水はリチウム成分に富み、ナトリウム、カルシウム、マグネシウム、カリウム、塩素など体に有益な成分が多く含まれた天然岩盤温泉で、皮膚角化症、慢性湿疹などの皮膚病、高血圧症、糖尿病、動脈硬化、水虫などに効能があります。

雲梯山山林浴場(운제산산림욕장)

雲梯山山林浴場(운제산산림욕장)

2025-10-31

キョンサンブク道ポハン市ナム区テソン面ウンジェロ386ボンギル102

雲梯山(ウンジェサン)山林浴場は歴史と神話が息づく雲梯山の麓にあります。汚染物質を遮断し、自然型親水空間として設けられた環境にやさしい市民生活空間です。ここには山林浴場、森教室、湿地観察園、生態観察園、子どもの遊び場、休憩施設などが備わっており、木工芸体験場での週末木工芸体験なども可能で家族連れでのお出かけにも最適です。

虎尾岬温泉ランド(호미곶온천랜드)

2025-10-31

キョンサンブク道ポハン市ナム区クリョンポ邑トンヘアンロ4923

虎尾岬(ホミゴッ)温泉ランドは、地下岩盤475mから湧き出た温泉を100%利用した温泉施設です。サウナ、家族風呂、露天風呂、海水の湯がありチムジルバンやジム、姿勢矯正と経絡、スポーツマッサージが受けられるマッサージ室も備えています。暑い夏には温泉を利用した屋外水遊び場をオープンし、ほとんどのプールで使用される塩素消毒に対する心配がなく肌の弱い子どもも安全に水遊びが楽しめます。またエアー遊具ウォータースライダーと2つのプール、幼児用温水プールがあります。

ハヌルマウム韓医院瑞草江南店(하늘마음한의원 서초강남점)

2025-10-23

ソウル特別市ソチョ区パンポデロ96 ソクチョンビル2階

ハヌルマウム韓医院は35年間にわたって乾癬、アトピー性皮膚炎、脂漏性皮膚炎など、様々な皮膚疾患に特化した診療を行っており、患者一人一人の体質と症状を考慮したパーソナライズ治療を目指しています。
治療法としては体内の免疫力を高める韓方薬や気血の巡りを助ける鍼、皮膚炎を緩和する外用薬があります。ハヌルマウム韓医院は皮膚疾患の根本的な原因を把握し、体内と体外を同時に治療する統合的アプローチを強調しています。また患者の生活習慣改善を促す教育やカウンセリングも行っています。