徳寿宮(덕수궁) - エリア情報 - 韓国旅行情報

徳寿宮(덕수궁)

徳寿宮(덕수궁)

333.01832460181913m    101922     2023-10-04

ソウル特別市チュン区セジョンデロ99

史跡・徳寿宮(トクスグン)は、元々王宮ではなく、成宗(ソンジョン=1457~1494年・在位:1469~1494年)の兄にあたる月山大君(ウォルサンデグン=1454~1488年)の住居として使われていました。
1592年壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)により王宮が全焼し、翌1593年、仮の王宮・行宮(ヘングン=離宮)として使われるようになりました。 壬辰倭乱により朝鮮時代第14代の王・宣祖(ソンジョ=1552~1608年・在位:1567~1608年)が都を離れ義州(ウィジュ)に避難、その後、漢陽(ハニャン=現在のソウル)へ戻ってくると、居をここ徳寿宮に構えました。 宣祖の後を継ぐ第15代の王・光海君(クァンヘグン=1575~1641年・在位:1608~1623年)は、1608年行宮となっていたこの場所で即位、1611年この行宮を慶運宮(キョンウングン)と改称し、以降7年間にわたり王宮として使っていました。しかし1615年になると、昌徳宮(チャンドックン)に居を移し、それ以降は270年に渡り、離宮として使われることになります。

朝鮮王朝第26代の王で大韓帝国時代には皇帝でもあった高宗(コジョン)(1852~1919年・在位:1863~1907年)が1896年2月からおよそ1年間、ロシア公館に一時身を寄せ、翌年、王宮に戻ってきましたが、その王宮がこの場所で、以降この場所が再び王宮として利用されることになりました。
高宗が再び王宮として使うようになり王宮の名称も再び慶運宮と呼ばれるようになり、その規模も拡大しました。そして、高宗皇帝は1907年、朝鮮王朝第27代の王・純宗(スンジョン=1874~1926年・在位:1907~1910年)に譲位した後も引き続きここに住み続け、王宮の機能は昌徳宮へと移りました。
引き続き、慶運宮に住むこととなった高宗ですが、高宗の長寿を願って、名称を徳寿宮と改称しました。

このような経緯があったことから現在、元々の慶運宮という名称を使うべきであるという声も上がっています。徳寿宮には過去、数多くの建物が存在していましたが、18,635坪(約6.2ヘクタール)の敷地に残っているのは、大漢門(テハンムン)、中和殿(チュンファジョン)、光明門(クァンミョンムン)、昔御堂(ソゴダン)、浚明堂(チュンミョンダン)、即阼堂(チュクチョダン)、咸寧殿(ムニョンジョン)、徳弘殿(トコンジョン)、そして石造殿など一部にすぎません。

徳寿宮は、特に朝鮮時代末期から大韓帝国時代にかけての旧韓末の悲運の皇帝・高宗が日帝の圧迫により譲位を強要され、恨(ハン)に満ちた余生を送り、1919年1月22日、徳寿宮の咸寧殿で日帝により毒殺されたと人々に伝えられ、翌々月の3月3日に予定されていた高宗の葬儀の直前の3月1日に起きた3・1独立運動の直接的な引き金となった現場でもあります。



* 大漢門 -大漢門は現在では徳寿宮の正門となっています。元々の名称は大安門(テアンムン)で、王宮の東門として使われていました。この大安門は1906年に再建され「大漢門」という名称がつけられました。扁額の文字は当時、漢城府(ハンソンブ=現在のソウル)判尹(パニュン=漢城府の長)を務めた南廷哲(ナム・ジョンチョル)によるものです。

* 光明門 -光明門は王の寝殿・咸寧殿の正門で、光武(クァンム)8(1904)年の大火により焼失したものを、同年再建したものです。1938年、石造殿を美術館として使い始め、貞洞(チョンドン)にあった興天寺(フンチョンサ)の梵鐘や昌徳宮の報漏閣(ポルガク)にあった自撃漏(チャギョンヌ)を現在の場所へ移した際に光明門も同時に移築して現在のところに建て直しました。

* 石造殿 -大韓帝国時代、外国の使節と接見した場所です。光武4(1900)年着工、隆熙(ユンヒ)3(1909)年完成した石造の建物で、朝鮮王朝で最後に建てられた大規模建造物です。建物の外観は十九世紀初めの欧州で流行していた新古典主義様式に倣ったもので、正面にある柱の上部にはイオニア様式で施しており、室内はロココ調の装飾がなされています。建物は3階建てで、1階には接見場所が、半地下階には侍従らの控室の場所として使われ、2階には皇帝のスペースとなっていました。植民地支配が終わりを告げた1945年の光復(クァンボク)以降は米ソ共同委員会会議場、国立博物館、国立現代美術館、宮中遺物展示館などとして利用されました。

* 咸寧殿 - 宝物第820号に指定されている咸寧殿は1897年に建てられ、高宗皇帝が居を構えた建物として知られています。1904年の火災により焼失しましたが、同年建て直し現在に至っています。高宗皇帝は1919年1月21日この咸寧殿で薨去しました。その後使われなくなった咸寧殿に当時使われていた家具、書画、什器などを配置し、およそ100年前の王宮での暮らしぶりを改めて再現しました。

* 中和殿 - 大韓帝国の正殿として使われ、朝鮮王朝第26代の王・高宗の近代国家建設に懸ける自信が垣間見れる建物です。特に正殿内には御座の真上の天蓋を見ると、龍が二匹描かれているのが確認できますが、これは正殿の天井の龍のような模様となっており、徳寿宮が大韓帝国皇帝の皇宮であったことを感じされます。 現在残っている中和殿は1902年に重層の建物として建てられましたが、1904年の火災で焼失、その後1906年に平屋造りの建物で重建されました。

* 重明殿 - 重明殿(チュンミョンジョン)はロシアの建築家サバティ(Seredin Sabatin)の設計により1897年から1901年にかけて建築された皇室図書館です。地下1階を含む二階建ての西洋式の建物で、当初は漱玉軒(スオゴン)と呼ばれていました。2009年12月に復元され、2010年8月からは展示館「大韓帝国の運命をかけた場所、徳寿宮重明殿」として一般に公開されました。

* この他、昔御堂、浚明堂、即阼堂、静観軒(チョングァノン)、徳弘殿、報漏閣自撃漏などがあります。

ユリム麺 ( 유림면 )

ユリム麺 ( 유림면 )

336.1591123711893m    3387     2021-04-06

ソウル特別市 中区 ソソムンロ139-1
+82-2-755-0659

地下鉄2号線「市庁駅」目の前にあるユリム麺は、50年間変わらない味を続けている店です。ここは、直接練った手打ち麺を注文と同時にゆでるため、歯ごたえが生きています。代表メニューはビビンククスで、きゅうり、にんじん、うす焼き卵、はちみつが入ったたれに7種の穀物粉末が入ったビビンククスは、香ばしくさっぱりとしているので女性に人気のメニューのひとつです。ねぎ、手作りのたくわん、カラシ、スープ、ソースがついてきます。

重明殿(중명전)

重明殿(중명전)

341.34569467922347m    5372     2024-03-11

ソウル特別市チュン区チョンドンギル41-11
+82-2-752-7525

重明殿(チュンミョンジョン)は、朝鮮時代の宮殿である徳寿宮(トクスグン)の隣にある赤レンガの西洋式の近代建築で、1899年に大韓帝国の皇室図書館として建てられました。1904年に発生した徳寿宮の大火事以降は高宗(コジョン)皇帝の臨時居所として利用されました。1905年に日帝による強制的な違法条約である乙巳勒約が締結された悲劇の場所でもあります。重明殿の展示館は歴史教育の場としても活用されています。

徳寿宮石垣道(덕수궁 돌담길)

徳寿宮石垣道(덕수궁 돌담길)

355.58969516938873m    37045     2024-03-11

ソウル特別市チュン区セジョンデロ19ギル24

徳寿宮(トクスグン)石垣道は、徳寿宮の石垣沿いに続く道です。美しい照明と造景のため夜にもロマンチックな雰囲気が感じられます。ストリートパフォーマンス、フリーマーケットが開かれたり、貞洞道(チョンドンギル)沿いに立ち並ぶカフェ、グルメ店も多いです。秋にはイチョウと石垣が融合して素晴らしい景色を誇ります。ソウル市立美術館、ソウル歴史館などの主要文化施設からも近いため散策コースとして適しています。

徳寿宮大漢門(덕수궁 대한문)

徳寿宮大漢門(덕수궁 대한문)

363.4135048691904m    20602     2024-03-06

ソウル特別市チュン区セジョンデロ99

大漢門(テハンムン)は、シチョン駅近くに位置している朝鮮の5大宮殿の一つである徳寿宮(トクスグン)の正門です。「大漢」という名前には、大韓帝国の永遠なる繁栄と発展を祈る意味が込められています。大漢門の前では毎日2回、守門将交代式が朝鮮の伝統的な服装と方式で年中実施されます。

ソウル王宮守門将交代儀式(서울 왕궁수문장 교대의식)

ソウル王宮守門将交代儀式(서울 왕궁수문장 교대의식)

365.1133905519013m    15454     2024-03-12

ソウル特別市チュン区セジョンデロ99
+82-2-737-6444

徳寿宮(トクスグン)の正門・大漢門(テハンムン)前で行われる「ソウル王宮守門将交代儀式」は、王宮の正門を守る守門将と守門軍の勤務交代儀式を再現したものです。朝鮮時代の守門将を管理する官庁を守門将庁といい、従六品の守門将や参下、守門軍などで編成され、王宮の警備や通行人の監視、門の開閉や王宮の内外を巡察する業務を行っていました。ソウル王宮守門将交代儀式は、火曜日~日曜日の午前11時・午後2時の1日2回行われます(月曜日休演)。観光客が参加できる体験イベントも行われており、ソウル王宮守門将交代儀式の始まりを知らせる太鼓を叩く「開式太鼓体験」や、守門将になってみる「私も守門将」、そして朝鮮時代の伝統衣装を試着できる「伝統服飾体験」に参加することができます。

[事後免税店] DAISO(ダイソー)・ソウル市庁広場店(다이소 서울시청광장점)

[事後免税店] DAISO(ダイソー)・ソウル市庁広場店(다이소 서울시청광장점)

395.51211957827064m    0     2024-04-27

ソウル特別市チュン区セジョンデロ93

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ラマダホテルアンドスイートソウル南大門 [韓国観光品質認証] (라마다 호텔앤스위트 서울남대문 [한국관광 품질인증/Korea Quality])

ラマダホテルアンドスイートソウル南大門 [韓国観光品質認証] (라마다 호텔앤스위트 서울남대문 [한국관광 품질인증/Korea Quality])

396.8514129238867m    181     2021-03-29

ラマダホテルアンドスイートソウル南大門
+82-2-775-7000

ラマダホテルアンドスイートソウル南大門は、ソウルの中心部である中区巡和洞にある。南大門市場、市役所、明洞、光化門、徳寿宮などソウルの主要観光地まで歩いて行けるほど近い。ソウル駅、シチョン駅も近く、交通アクセスも良い。ソウルを訪問する外国人観光客やホテルで休暇を楽しもうとする人々に人気がある。
客室数は244室で、スーペリアダブル・ツイン、デラックスダブル・ツイン・トリプル、プレミアツイン・クアッド、ジュニアスイートダブル、コーナースイート、アトリウムスイートファミリーなど多様なタイプの客室を用意している。レストラン、小会議室、カフェ、地下商店街、自動外貨両替機などのサービス施設がある。ビジネスセンターではコピーやスキャン、ファックスサービスを利用できる。ペットは最大2匹まで同伴可能で、1泊1匹当たり別途消毒費用が請求される。

現代カルグクス(현대칼국수)

現代カルグクス(현대칼국수)

408.42473931994164m    2470     2021-02-09

ソウル特別市 中区 世宗大路 76

1982年にオープンした現代(ヒョンデ)カルグクスは、2代にわたってカルグクスを専門に扱っているお店です。スープが濃く香ばしく、近辺の会社員がたくさん訪れます。スープはイワシ、スケトウダラの頭、だし汁などをじっくり煮込んで作ります。ここに柔らかい麺とかぼちゃ、玉ねぎ、ねぎなどの野菜が加わります。その味もさることながら、ボリュームも満点。若い男性でも一杯食べたらお腹がいっぱいになる程、量が多いのもこちらのお店の特徴です。それでも足らない人には、麺とご飯を無料でサービスしてくれます。そして忘れてはならないのが、キムチ。毎日漬ける浅漬けキムチと3日間ほど熟成させたカクトゥギを一緒に味わうことができます。 辛い味が好きな人はテーブルに置いてある唐辛子を入れて食べるとさらに美味しくいただけます。

西小門歴史公園(서소문역사공원)

西小門歴史公園(서소문역사공원)

411.43438986041735m    17690     2023-08-08

ソウル特別市チュン区チルペロ5
+82-2-3396-5852

西小門(ソソムン)歴史公園は現在公園となっていますが、元々は「西小門外十字路処刑地」であった場所です。この場所では東学農民運動の指導者、旧大韓帝国末期の西小門戦闘の軍人など社会に改革を起こした勢力に参加した人々をはじめ、1801年辛酉迫害から1866年の丙寅迫害に至るまで多くのカトリック信者が処刑されました。処刑されたカトリック信者のうち44人が聖人となり韓国最大のカトリックの聖地として知られています。
西小門、別名・昭義門(ソイムン)・昭徳門(ソドクムン)は、阿峴(アヒョン)や南大門外にあった七牌(チルペ)市場へ通じる門で、早い時期から人々であふれている場所でした。朝鮮時代の死刑執行は多くの人々に警戒心を植え付け、犯罪を未然に防ぐ目的で人々の往来が多い場所で行われました。この西小門の外もこのような理由で朝鮮時代前期の1416(太宗16)年にソウルの主要な刑場として指定されました。この刑場の位置は西小門の外にある急な坂道の下、現在の西小門歴史公園のそばにあった圯橋(イギョ)の南端の砂地だった場所といわれています。
1999年5月15日には高さ15メートルの主塔と13メートルの左右対称塔の3つの塔からなる殉教者顕揚塔が建立されました。塔の基壇の上はガラスで仕切り、水が流れるようにしたオブジェがありますが、これは迫害と死の象徴である刀と生命の象徴である水を対比させたものです。主塔の前面には殉教の惨状を形状化した青銅彫刻が取り付けられています。
2013年からソウル特別市中区により地下4階から地上1階までの展示記念館及び追慕スペースがある西小門聖地歴史博物館の建設を開始し、2019年6月から一般に公開をしています。