靖忠祠(洪城)(정충사(홍성)) - エリア情報 - 韓国旅行情報

靖忠祠(洪城)(정충사(홍성))

靖忠祠(洪城)(정충사(홍성))

19.0 Km    0     2024-01-18

チュンチョンナム道ホンソン郡ソブ面パンギョ1ギル40-1

靖忠祠(チョンチュンサ)は淸難功臣・林得義(イム・ドギ)将軍の遺影と神位を奉安するために建てられた祠堂です。1632年に建てられ、その後 建物が老朽衰退し1872年に再建されました。靖忠祠は2009年10月20日忠清南道文化財資料に指定されている他、周辺には忠清南道文化財資料の林得義将軍墓や神道碑などが一廓をなしています。

石蓮寺(洪城)(석련사(홍성))

石蓮寺(洪城)(석련사(홍성))

19.1 Km    19680     2024-01-16

チュンチョンナム道ホンソン郡クソンブクロ160ボンギル76

石蓮寺(ソンニョンサ)は大韓仏教曹渓宗第7教区の本寺修徳寺の末寺です。石蓮寺に行く道はよく舗装されており、美しい山道は白月山(ペグォルサン)の風景がひと目で刻まれるようなところで、ドライブコースとしても最適です。高い石積みの上に位置する大雄殿とその横に立つ大木が石蓮寺の歴史を物語っているようで、寺院前の白月山の茂った木々の間から洪城の活気に満ちた姿が見え、もう一方に目を向けると湖が一望できます。また大雄殿から少し山の上に登ると、磨崖仏があります。石蓮寺は市内から遠くない寺院でありながら、山寺の奥深さと信頼の深さが感じられるところです。

故郷グル水産(고향굴수산)

故郷グル水産(고향굴수산)

19.6 Km    21647     2024-03-04

チュンチョンナム道ポリョン市チョンブク面ホンボロ1061 8棟5号
041-641-8966

川北(チョンブク)牡蠣団地の中にあるカキ料理専門店の故郷(コヒャン)グル水産では、この地域の特産品の新鮮なカキと自ら栽培したお米、野菜を使って調理します。カキ焼き、カキの蒸し物、カキのチヂミ、生カキ、栄養カキ釜飯、カキのカルグクスなどのメニューがあります。カキは脂肪が少なく、ミネラルが豊富で、栄養と味の両方の面に優れています。12月には川北牡蠣団地で「川北牡蠣祭り」が開催されます。

保寧川北牡蠣団地(보령 천북굴단지)

19.8 Km    35138     2024-04-22

チュンチョンナム道ポリョン市チョンブク面ホンボロ1061

保寧(ポリョン)川北(チョンブク)牡蠣団地は、洪城(ホンソン)防潮堤付近の牡蠣専門店が集まっている場所をいいます。保寧(ポリョン)は牡蠣が特に多く獲れる地域で、11月から2月までの牡蠣は最高級品とされています。12月に開かれる「川北牡蠣祭り」では、観光客向けのイベントがたくさん行われ牡蠣焼きや生牡蠣、牡蠣ご飯など、牡蠣を使った様々な料理を味わうことができます。

礼唐貯水池(礼唐観光地)(예당저수지(예당관광지))

礼唐貯水池(礼唐観光地)(예당저수지(예당관광지))

19.9 Km    30421     2021-01-12

忠清南道 礼山郡 光時面 長田里
+82-41-339-8285

朝鮮時代末期の実学者・李重煥は、『択里志』で内浦の地が忠清道でもっとも住みやすいところだと記しました。内浦の地とは現在の礼山です。礼唐観光地は、現在、国民観光地指定面積である5万6千坪のうち1万3千坪が造成されています。主要施設は食堂、旅館、各種便宜施設などで利用しやすく、現在まで登山路や駐車施設など、6つの施設が完成しており、テーマのある観光地へと変化しています。特に、礼唐貯水池周辺の散策路や八角亭は、釜山の太宗台のような趣が感じられるようにつくられており、家族で散策したり、友達やカップルで訪れるのにもぴったりです。一年を通して釣り客で溢れ、夏には近くの住民も訪れるなど、人々が大勢訪れる観光名所として知られています。

釣りについて
1962年に造成された韓国でもっとも大きな貯水池である礼唐貯水池は、礼山郡と唐津郡の農耕地に水を供給しており、礼山郡と唐津郡の最初の一字を取って礼唐貯水池と名づけられました。中部圏最高の釣り場として知られており、冬場は氷上釣りが楽しめます。フナ、コイが多く、その他ウナギ、カムルチー、コウライギギ、ドジョウなどが棲息しています。

大興東軒(대흥동헌)

大興東軒(대흥동헌)

20.0 Km    3293     2020-04-14

忠清南道 礼山郡 大興面 ウィチョウンヒョンジェキル 33
+82-41-339-7332

東軒(トンホン)とは各地方の地方官・守令(スリョン)が政務を執り行っていた建物のことで、守令の生活の拠点となっていた内衙(ネア=西軒[ソホン])と区別し、内衙の東に建っていたことから東軒と呼ばれるようになりました。
つまり東軒は、守令が仕事をする官庁の本庁舎のような建物だったのです。
ここにある大興東軒(テフントンホン)は正面6間(14.4m)、側面2間(4.8m)、軒高3.3mの垂木が一段の構造となっている軒の入母屋造り木造瓦屋根の建物です。
この大興面(テフンミョン)にある東軒は朝鮮時代後期の建築様式の建物で、上梁文に永楽5(1407)年に建てられたとの記録があり、大興郷校(1405年)とともに朝鮮時代の第3代の王・太宗(テジョン・在位:1400~1418年)の時代に建てられたものと思われます。
康熙42(1703)年には重修を行ったという記録があり、朝鮮時代の第19代の王・肅宗(スクチョン・在位:1674~1720年)の治世時に大興(テフン)が郡に昇格した当時、重修されたものと見られます。
現在の東軒の建物は、一時期、日帝強占期(1910~45年)に大興面が礼山郡(イェサングン)に編入された後、大興面事務所に改築されたことがあります。日本の植民地から解放された後も大興面事務所として使われていましたが、大興面事務所が現在の場所に新築されたのを受け1979年に解体・復元を行い、元の東軒の姿を取り戻しました。