仁川開港場文化遺産夜行(인천개항장 문화유산 야행) - エリア情報 - 韓国旅行情報

仁川開港場文化遺産夜行(인천개항장 문화유산 야행)

仁川開港場文化遺産夜行(인천개항장 문화유산 야행)

8.2Km    2024-11-08

インチョン広域市チュン区シンポロ27ボンギル80

仁川開港場には文化遺産が与える独特な雰囲気や知っているようで知らない新しい魅力があります。「仁川開港場文化遺産夜行」は歴史と未来が共存する象徴的な空間で文化遺産とともに過去、現在、未来を行き来する時間旅行をお届けします。

旧仁川日本第五十八銀行支店((구) 인천일본제58은행지점)

旧仁川日本第五十八銀行支店((구) 인천일본제58은행지점)

8.3Km    2020-02-18

仁川広域市 中区 新浦路23番キル 77

日本の大阪に本店を置く旧第五十八銀行が開設した仁川支店で、1892年開店しました。
1946年からは朝興銀行(チョフンウネン=現在は新韓銀行に吸収合併)が仁川支店として利用していましたが、1958年には別の場所に新支店をオープンしたことから、大韓赤十字社京畿道支社として使われるようになり、現在では仁川中区料食業組合が使用しています。
2階建ての建物で、1階部分は石の基壇を組んで造られており、また屋根の傾斜部分には屋根窓と呼ばれるドーマー窓がついています。
屋根は二段構造の傾斜のある寄棟屋根のマンサード屋根となっており、全体的にフランスルネッサンス様式となっています。

済物浦倶楽部(제물포구락부)

8.3Km    2025-07-10

インチョン広域市チュン区チャユゴンウォンナムロ25

近代文化交流の場「済物浦倶楽部」 
済物浦(チェムルポ)倶楽部の建物は開港期の仁川に居住していた米国・ドイツ・フランス・ロシアをはじめとする外国人や人数は少ないものの日本人・中国人らが親睦を深める社交場として1901年に建てられました。
煉瓦造り2階建てのブリキ屋根の建物で、内部には社交室・図書室・ビリヤード台などがあり、屋外にはテニスコートもありました。
1914年、外国人居住地域である各国租界が廃止されると、日本の在郷軍人会館、婦人会館、1945年の光復以降には在韓米軍がこの建物を利用していました。
1953年から1990年までは仁川市立博物館として、1990年から2006年までは仁川文化院として使われてきましたが、2007年、元々の済物浦倶楽部として再スタートしました。

済物浦倶楽部の名称
「済物浦倶楽部」の元々の名称は「済物浦クラブ」でした。しかしながら租界の制度が廃止され、「クラブ」が日本式の漢字表記「倶楽部」と表記するようになり、その名称がそのまま使われ今日に至っています。

仁川大橋(인천대교)

仁川大橋(인천대교)

8.4Km    2020-07-08

仁川広域市 中区 仁川大橋高速道路 3

先端工学の粋を集めて、数多くの記録を打ちたて話題をさらった仁川大橋。52ヶ月に及ぶ工期の末、2009年10月16日開通しました。仁川沖の海を横断する仁川大橋は長大な橋の長さやその橋の素晴らしい外観に工事期間中、世間の関心を一身に集めました。
仁川大橋建設事業には韓国で初めて社会間接資本事業に外国人が事業施行者として参加、施工と施行を分離した国際金融プロジェクトを推進し、事業推進方式における革新性でも高く評価されました。総延長21.38キロメートルと韓国最長の橋となった仁川大橋は、橋の長さでは世界第7位、橋梁で繋がれた18.38キロメートルの斜張橋の長さとしては世界第6位、主塔と主塔の間を示す主径間800メートルの斜張橋の規模としては世界第5位を誇ります。
総事業費2兆4,234億ウォンを投入した仁川大橋は、海上橋梁部分が12.34キロメートルに及び、往復6車線の道路となっています。仁川大橋の見どころである斜張橋を支える主塔の高さは230.5メートルで、ソウル特別市永登浦区(ヨンドゥンポグ)汝矣島(ヨイド)にある超高層ビル・63ビルに迫る高さとなっています。仁川大橋を疾走する車内では海の上を駆け抜ける清涼感や海から吹き寄せる海風を体感でき、目の前に現れる巨大な主塔の大きさに圧倒されることでしょう。
仁川大橋は、国際ビジネス都市として注目を集めている松島(ソンド)と、仁川国際空港があり世界的な物流複合団地として造成中の永宗(ヨンジョン)地区の間をわずか20分以内で結び、また第二・第三京仁(キョンイン)高速道路や西海岸高速道路とも繋がっており、仁川大橋の開通によりソウル南部及び首都圏南部から仁川国際空港までのアクセス時間が40分以上も短縮しました。

ヌードルプラットフォーム(누들플랫폼)

ヌードルプラットフォーム(누들플랫폼)

8.5Km    2025-07-04

インチョン広域市チュン区シンポロ27ボンギル36

ヌードルプラットフォームは仁川中区にあるヌードルロード中心にて、ヌードルをテーマに仁川ヌードルの歴史と物語を土台にした展示・教育・体験を行う複合文化空間です。3フロアあり、ジャージャー麺、チョルミョンなど大衆に愛される「ヌードル」の発祥地である仁川を中心に発展したさまざまなヌードルを紹介する展示空間があり、子どもたちが体験しながら楽しめるヌードル体験空間として構成されています。また、子どもから青少年、飲食店開業を目指す人、一般人などに対する教育空間として料理可能な共有キッチン(キッズクッキング教室、希望調理室、オープン料理室)も設けられており、ヌードルをテーマにした体験および教育プログラムを活発に運営しています。

[事後免税店] ユニクロ・インチョンハンドン(仁川港洞)(유니클로 인천항동)

[事後免税店] ユニクロ・インチョンハンドン(仁川港洞)(유니클로 인천항동)

8.5Km    2024-04-24

インチョン広域市チュン区シンポロ3、1階

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[事後免税店] ナイキ・シンポ(新浦)本店(나이키_신포본점)

[事後免税店] ナイキ・シンポ(新浦)本店(나이키_신포본점)

8.7Km    2024-04-30

インチョン広域市チュン区ネ洞97-1

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永宗大橋休憩所記念館(영종대교휴게소 기념관)

永宗大橋休憩所記念館(영종대교휴게소 기념관)

8.7Km    2019-03-20

仁川広域市 西区 正西津南路 25

永宗大橋記念館は永宗大橋と西海を臨むことができる永宗大橋入口(仁川広域市西区景西洞)に位置しており、仁川国際空港高速道路の重要建造物である永宗大橋の建設に実際に使われた資材や関連映像・模型などを展示、橋梁に関するデータベースを構築・所蔵すると共に、学生や一般向けには橋梁についての全般的な理解を目的に、そして専門家向けには橋梁建設に関する専門知識や情報を提供する目的で作られた韓国国内初の橋梁科学館です。

**フォーチュンベア**
永宗大橋休憩所展示館前には大きな父熊が子熊を頭にのせているフォーチュンベアの彫刻があります。幅9.7m、高さ23.57m、総重量40トンの彫刻は世界で最も大きな鉄製彫刻物で、2014年5月23日ギネスブックに正式に掲載されました。
フォーチュンベアの足元には願いをかなえる鍵がたくさんあります。
このフォーチュンベアの由来は韓国建国の神話・壇君神話の熊女の話から始まります。人間になった母熊を懐かしみ、父熊が子熊を頭にのせて母熊を捜しているその様子に感動した神様が父熊と小熊に人間の願いを聞き入れる能力を授けたということから、この神話の父熊・子熊をモチーフにしたクマの巨大彫刻物が人々の願いをかなえてくれるということで願いをかなえる鍵を置くようになりました。


**仁川大橋記念館オープン**
永宗大橋記念館につづき、仁川中心部付近に直接繋がる第2の空港橋・仁川大橋近くにも新たに記念館がオープン(所在地:仁川広域市中区仁川大橋高速道路3)。永宗島側にある仁川大橋料金所の横に地上4階、延面積1,284平方メートルの規模で仁川大橋記念館が建設され、館内には展示室、映像館、ミュージアムカフェ、展望台などがあります。ここでは韓国国内最長の橋梁である仁川大橋の建設過程や最先端の広報、経済的波及効果などを紹介する各種資料に触れることができます。
展望台からは経済自由区域松島国際都市と仁川国際空港がある永宗島を海上を通って繋がる仁川大橋の景観を望むことができます。

仁川内洞聖公会聖堂(인천내동성공회성당)

仁川内洞聖公会聖堂(인천내동성공회성당)

8.7Km    2020-08-12

仁川広域市 中区 開港路45番キル 21-32

英国海軍従軍神父C.J.コーフ(Charles John Corfe=韓国名・高要翰=コ・ヨハン)主教など宣教師6人は1890年9月29日仁川港にその第一歩を記し、朝鮮における宣教活動を開始しました。
この内洞(ネドン)聖公会聖堂の建物は翌年の1891年9月30日に竣工し、1902年一時、ロシア領事館として使われましたが、1904年からは聖公会神学院となり、1956年まで利用されました。
建設当時の建物は6・25戦争(韓国戦争=1950~1953年・休戦)中に焼失し、1956年6月23日に再建にこぎ着け、今日に至ります。
建物は屋根の木造トラスを除き、外壁や主な建築部材は花崗岩で強固に積み上げられた中世風の石造となっています。建物の一部には韓国の伝統的な木構造の軒様式を取り入れ、また窓や壁面部分が素晴らしい作りとなっています。

仁川花平洞セスッテヤ冷麺屋通り(인천 화평동 세숫대야 냉면 거리)

8.7Km    2023-11-07

インチョン広域市トン区ファピョンロ

花平洞に冷麺屋が初めてできたのは1970年代半ば以前のことです。花平洞冷麺は「セスッテヤ冷麺」で知られていますが、最初からこれを提供していたわけではありません。元々は普通の冷麺を提供していましたが、周りの工場で働く人たちが冷麺の替え玉を注文することが多かったため最初から麺をたっぷり盛り、それに伴い器も大きくなったといいます。また花平洞冷麺の特徴は冷麺に大根若菜が入っていることです。あっさりとしていてピリッと辛さのきいた大根若菜の味がコシのある麺とスープの味と調和しています。