珍島(진도) - エリア情報 - 韓国旅行情報

珍島(진도)

珍島(진도)

12.0Km    2022-11-02

チョンラナム道チンド郡チンド邑

珍島郡は西海(黄海)と南海が出会う韓半島(朝鮮半島)西南の海にある約230の島から成っています。本島である「珍島(チンド)」は、「1年農業して3年暮らす」という言葉があるほどに農耕地が広く、実り豊かなところです。また、島周辺の海では魚類と海藻がたくさんとれるため、島の名前も「宝の島」という意味を持つ「珍島」と付けられました。島全域にはさまざまな遺跡が散在しており、なかでも龍蔵山城と南桃石城は高麗時代の三別抄の抗蒙遺跡址として、鳴梁海峡は壬辰倭乱(文禄の役)当時、李舜臣将軍が倭軍を打ち破った戦勝地として知られています。珍島には八景と三宝があり、珍島八景とは鳴梁大捷址である鬱陶項海岸、神秘の海割れ、観梅島の観梅八景、南桃石城、雲林山房、龍蔵山城など、三宝は珍島犬、クコの実、自然産岩ワカメをいいます。毎年旧暦2月末頃には古郡面の回洞里と義新面の茅島里間に長さ2.8キロメートル、幅40メートルほどの道が現れる海割れが見られます。韓国版モーゼの奇跡として広く知られたこの神秘の海割れが起こる頃には燃灯祭が開催され、多くの観光客が訪れます。珍島と海南の間の鬱陶項には1984年に珍島大橋がかかり陸路で島に出入りすることができるようになりました。

珍島龍蔵城(진도 용장성)

珍島龍蔵城(진도 용장성)

12.1Km    2025-01-13

チョンラナム道チンド郡クンネ面ヨンジャンサンソンギル92

珍島(チンド)龍蔵城(ヨンジャンソン)は三別抄(高麗時代に置かれた3つの軍隊)が珍島に設置した代表的な抗モンゴル施設です。裵仲孫(ペ・ジュンソン)を指導者とした三別抄は王族である承化侯 王温を新たな王として奉り官府を構成し、官吏を任命してモンゴルに降伏した高麗朝廷に対立、政権を立てました。約1,000隻の船に財物や人を載せて珍島碧波津に到着、龍蔵城に場所を定めて山城を改築し、城内の龍蔵寺を宮殿とし、各種建物を建てて王を皇帝と称しました。2009年~2010年に行われた宮殿跡の全面調査によると、20軒以上の建物が緻密に配置され、開京の満月台(高麗王宮)を連想させる構造であり、計画の下に宮殿が造成されたと見られています。現在、城の大部分は原型をとどめていない状態であり、城内の龍蔵寺址および行宮址が保存されています。周辺に龍蔵城広報館、高麗抗蒙忠魂塔、裵仲孫を祀る精忠祠があります。

李忠武公碧波津戦捷碑(이충무공 벽파진 전첩비)

李忠武公碧波津戦捷碑(이충무공 벽파진 전첩비)

14.5Km    2025-01-13

チョンラナム道チンド郡コグン面ピョクパギル90

碧波亭の上に位置する李忠武公碧波津(ピョクパジン)戦捷碑は丁酉再乱時、李忠武公によって勝利を収めた鳴梁海戦の勝利を記念し、珍島出身の参戦殉節者を記録したものです。碑文は詩人のイ・ウンサン、字は珍島出身の書道家ソン・ジェヒョンによって書かれました。現在の碧波津は小規模漁港となり、港としての機能は衰えたものの、碧波亭と李忠武公碧波津戦捷碑がある歴史的に重要なスポットです。

松湖海水浴場(송호해수욕장)

松湖海水浴場(송호해수욕장)

17.8Km    2021-12-21

全羅南道 海南郡 松旨面 タンクッ海岸路 1827

葛頭村(タンクッマウル)に行く前に広がる海南の有名な海岸で、海辺に松が多く、海辺の細かい砂や澄んだ海水、静かに寄せる波がまるで湖のようであることから松湖海岸(ソンホへビョン)と呼ばれるようになったといわれています。松湖海岸のオートキャンプ場から散策路がタンクッ塔があるところまで続いています。全羅南道記念物に指定されている松湖海岸の松林には樹齢約200年になる松が600本以上あり、防風林の役割を果たしています。

珍島タワー(진도타워)

珍島タワー(진도타워)

18.2Km    2025-01-20

チョンラナム道チンド郡クンネ面マングムギル112-41

珍島(チンド)タワーは、全羅南道(チョルラナムド)珍島郡(チンドグン)に位置する珍島大橋南端そばに聳える望金山(マングムサン)の頂上付近にあるタワーにあります。
タワー内にはカフェテリアやレストランなどがあり、周辺の美しい景色を一望することができます。
珍島タワーは、朝鮮時代の名将・李舜臣(イ・スンシン)将軍の鳴梁大捷(ミョンナンデチョプ)の勝利を讃え珍島観光のブランドマークとして建設され、地元住民の誇りであり、また観光の目玉観光スポットして注目を集めいている場所です。

珍島大橋(진도대교)

18.6Km    2025-01-20

チョンラナム道チンド郡チンドデロ8479
+82-1588-9601

珍島(チンド)大橋は珍島郡郡内面鹿津と海南郡門内面鶴洞の間にかかる長さ484メートル、幅11.7メートルの斜張橋です。1984年10月18日に竣工され、観光名所として脚光を浴びており、2005年12月15日には第2珍島大橋も開通しました。橋の下の鳴梁海峡の水流は壮観で、夕日・夜景スポットとしても知られています。
鳴梁海峡は、李舜臣将軍の3大海戦のひとつである鳴梁海戦の地としてよく知られている西海の海峡で、海南と珍島の間は狭い海峡を成しており、漢江と同じくらいの幅(約294メートル)しかありません。1984年、珍島大橋の開通によって韓半島の最南端地域になった珍島は、外国人を含め、年間約260万人が訪れる国際的な観光の名所となりました。美しい景観や数多くの特産物、文化芸術が息づく珍島への最初の関門となっています。

右水営観光地(우수영관광지)

右水営観光地(우수영관광지)

18.8Km    2023-04-27

チョンラナム道ヘナム郡ムンネ面クァングァンレジャーロ12

右水営(ウスヨン)観光地は、1597年、忠武公(チュンムゴン)李舜臣(イ・スンシン)が勝利を収めた鳴梁大捷(ミョンナンデチョプ)を記念する目的で造成された場所で、古の聖地がありのままの姿で残されています。
ここ右水営観光地は1986年国民観光地に指定され、続いて1990年には鳴梁大捷記念公園が観光地内にオープン、鳴梁大捷の歴史的な意義を理解する教育の場としての役割を果たしています。
公園には鳴梁大捷塔、鳴梁大捷碑拓本、語録碑、忠武公遺物展示館などがあります。 
珍島(チンド)と陸地側との間にある海峡・ウルドルモクを一望できる場所には、亀甲船など様々な体験スペースを開設、毎年10月には全羅南道(チョルラナムド)を代表する祭り・鳴梁大捷祭りや週末に行われる鳴梁歴史体験マダンなどさまざまなイベントや体験プログラムを実施しています。
また園内のあちらこちらに壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)当時の義兵や官軍の戦いぶりを刻した彫刻物があり、当時の様子を垣間見ることができます。
このほか園内にある展望台からは、鳴梁海峡や珍島大橋が一望できます。

鳴梁大捷海戦史記念展示館(명량대첩해전사 기념전시관)

18.8Km    2024-04-17

チョンラナム道ヘナム郡ムンネ面カングァンレジャーロ12

鳴梁大捷(ミョンリャンデチョプ)の海戦史記念展示館は、海南(ヘナム)と珍島(チンド)の間にある狭い海峡「ウルドルモク」の横にあります。ウルドルモクは壬辰倭乱のとき、李舜臣(イ・スンシン)将軍の指揮のもと13隻の船で日本の海軍約300隻を撃退した鳴梁海戦が繰り広げられた場所です。鳴梁大捷を記念し、壬辰倭乱の時の武器が展示されています。スカイウォークからは、渦巻くウルドルモクの水流を見ることができます。

鳴梁大捷祭り(명량대첩축제)

鳴梁大捷祭り(명량대첩축제)

18.9Km    2024-12-19

チョンラナム道チンド郡クンネ面チンドデロ8459-13
+82-61-286-5265

13隻を擁する李舜臣(イ・スンシン)将軍率いる水軍は、韓半島南部の海・南海(ナムヘ)で勝利を収め、西海(ソヘ)を経て漢陽(ハニャン・現在のソウル)に向かおうとしていた133隻の日本の水軍を、珍島(チンド)と陸地側との間にある海峡・ウルドルモクで迎え撃ち撃破する大勝利を収めました。
この勝利の隠れた主役は、漁船や食料を調達し馳せ参じ、李舜臣将軍の水軍を支援しともに戦った全羅道(チョルラド)の人々でした。その偉大な勝利は鳴梁大捷(ミョンニャンデチョプ)と呼ばれています。
鳴梁大捷は7年間に及ぶ壬辰倭乱に終止符を打つ決定的な契機となった海戦でした。鳴梁大捷の偉大な勝利を記念し、後世にその歴史的意味を伝えるべく、全羅南道(チョルラナムド)と海南郡(ヘナムグン)、珍島郡(チンドグン)で鳴梁大捷祭りが開催されます。

鬱陶項韓定食ビュッフェ ( 울돌목한정식뷔페 )

鬱陶項韓定食ビュッフェ ( 울돌목한정식뷔페 )

19.2Km    2021-04-05

全羅南道 海南郡 門內面 クァングァンネジョロ53
+82-61-535-1881

全羅道の郷土料理が韓定食ビュッフェで味わえます。全羅南道のヘナム郡に位置した韓食専門店です。代表的なメニューはビュッフェです。