慶州 骨窟庵 磨崖如来坐像(경주 골굴암 마애여래좌상) - エリア情報 - 韓国旅行情報

慶州 骨窟庵 磨崖如来坐像(경주 골굴암 마애여래좌상)

19.3Km    2022-12-09

キョンサンブク道キョンジュ市ヤンブク面キリムロ101-5

祗林寺の谷間にある骨窟庵には、高い岩壁の自然洞窟を使った12つの石窟があり、磨崖如来坐像はその中でも最上部にある磨崖仏です。朝鮮時代の画家、謙斎・鄭歚(キョムジェ・チョン・ソン:謙斎は号)が描いた骨窟石窟には木造前室も描写されましたが、現在はうっすらとその跡だけが残っています。磨崖仏頭部は常套(昔韓国の結婚した男の結い上げた髷)の形をした頭と、はっきりとした輪郭、顔には細い目、小さな口、細長い鼻などそれまで作られていた仏像の形式とは少し異なる独特な姿をみることができます。立体感が目立った顔に比べて身体は平面的に表現されていましたが、現在は首と胸の上の部分が劣化などにより一部損傷しています。服のしわは主に規則的な平行線で描かれ、脇の間には腕と体の屈曲を表示したV字型の模様があります。このような特徴は867年につくられた鷲棲寺毘盧舎那仏坐像(国宝)と類似しているため統一新羅時代後期につくられたものと推定されています。

文殊サッカー競技場(문수축구경기장)

文殊サッカー競技場(문수축구경기장)

19.3Km    2021-03-05

蔚山広域市 南区 文殊路44

「文殊(ムンス)サッカー競技場」のメイン競技場は鶴のイメージで造られており、21世紀の環太平洋に向かって飛躍する産業の首都・蔚山を象徴しています。

仏国寺韓屋トンオ堂(불국사한옥동오당)

19.5Km    2024-08-05

キョンサンブク道キョンジュ市チンティギル5-58
010-2936-6350

仏国寺から歩いて5分のところにある仏国寺(プルグクサ)韓屋(ハノク)トンオ堂は、静かな環境、カフェのような共用キッチン、親切なサービス、石塀に囲まれた広い芝生の庭などが特長の宿泊施設です。3つの客室があり、共用キッチンやバーベキュー施設を備えています。

骨窟寺(慶州)(골굴사(경주))

19.5Km    2025-04-29

キョンサンブク道キョンジュ市ヤンブク面キリムロ101-5

骨窟寺(コルグルサ)は、慶州市街と東海の間にそびえ立つ含月山(ハムォルサン)に位置している仏教寺院です。1,500年以上の歴史をもち、12の石窟に多くの仏像が保存されています。韓国仏教の 修行方法である「禅武道」の伝統を継承し、禅武道公演を観賞することができます。テンプルステイプログラムもあるので韓国のお寺文化が体験できます。

仏国寺韓屋ファームステイ(불국사한옥팜스테이)

仏国寺韓屋ファームステイ(불국사한옥팜스테이)

19.5Km    2024-12-13

キョンサンブクト キョンジュシ チンティギル 5-52
+82-10-5489-1742

仏国寺(プルククサ)韓屋(ハノク)ファームステイはキョンサンブクト・キョンジュシ仏国寺(プルククサ)のすぐ下に位置する宿だ。 客室は計4室で、客室内部にトイレとキッチンが付いていて利便性を高めた。 オウガはメゾネットタイプのオンドル韓屋(ハノク)で、1階と2階を分離して客室として利用し、テラスがあってバーベキューが可能だ。 ポクヨンガは2つの客室に分けて宿泊を受けるが、いずれもオンドルだ。 よく整えられた庭園とフットサル場がある芝生があって楽しむのに良い。リンゴ狩り体験、農場食べ物体験もできる。

プルリダンギル(불리단길)

プルリダンギル(불리단길)

19.7Km    2025-05-23

キョンサンブク道キョンジュ市プルグクシンテクチ5ギル11

慶州(キョンジュ)のホットプレイス「プルリダンギル」は慶州進峴路一帯の路地で、仏国寺商店街市場を含め、吐含山下の集落の店まで続く道です。春は桜の名所としても知られ、毎週土曜日の午後にはプルリダンギルの複合文化空間である「ROAD22」の屋外でフリーマーケットが開かれます。個性あふれるハンドメイド作品を販売しており特色ある品を購入することができ、また平日は展示や工房体験ができます。瓦屋根の背の低い伝統的な建物は宿泊施設、グルメ店、カフェ、ショップ、工房、ギャラリーで構成されている他、仏国寺郵便局横の壁画村の路地は「屋根のない美術館」のようです。

慶州仏国寺[ユネスコ世界遺産](경주 불국사 [유네스코 세계유산])

慶州仏国寺[ユネスコ世界遺産](경주 불국사 [유네스코 세계유산])

20.0Km    2025-05-07

キョンサンブク道キョンジュ市プルグクロ385

「雲を飲み込み、そして吐き出す」という名称のついた山・吐含山(トハムサン・標高745メートル)の中腹に位置する仏国寺(プルグクサ)と石窟庵(ソックラム)は、きらびやかな新羅の仏教文化の中心をなす史跡です。新羅・法興王15(528)年に、新羅の法興王が母・迎帝夫人の意に従い、国や人々の安寧を願い建立しました。その後も重建を重ね、新羅・景徳王10(751)年には、金大城(キム・デソン)の手により大幅な改修を行い塔や石橋などを造ったといわれています。しかしながらが壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)により建物のみならず、貴重な宝物などほとんどが焼失、あるいは略奪されてしまいました。1920年までは一部の建物と塔だけが荒れ果てた状態で放置されていましたが、元来の姿に戻すべくたゆまない復旧作業の甲斐もあり、国宝7点を所蔵する今日のような韓国を代表する名刹の姿となりました。
仏国寺から尾根伝いに約3キロメートル(舗装道路である石窟路経由ではおよそ9キロメートル)ほど進むと、東海(トンへ)の海原の方に向いて鎮座している如来坐像の本尊仏がある石窟庵(ソックラム)にたどり着きます。仏国寺と石窟庵は1995年12月6日に海印寺(ヘインサ)の八万大蔵経や宗廟(チョンミョ)とともに、世界文化遺産に正式に登録され、国際的にもよく知られる史跡になりました。

処容岩(처용암)

20.0Km    2024-09-20

蔚山広域市 南区 黄城洞

処容岩(チョヨンアム)は蔚山広域市南区黄城洞(ファンソンドン)セチュク村前の外煌江(ウェファンガン)という川にある開雲浦(ケウンポ)という浅瀬の真ん中に浮かぶ岩の島です。
30平方メートルほどの小さな岩で出来たこの島は疫病神を追いやる力を発揮するという処容符籍にまつわる伝説が伝えられている中州で、三国遺事に書かれている処容郎の伝説と関係が深い由緒ある岩島でもあります。

新羅時代の第49代の王・憲康王(ホンガンワン・在位:875∼886年)がこの地を訪れ散策しそろそろ帰ろうかと川辺で一息ついていると、昼間にもかかわらず突然雲が立ち込め霧が深くなり、どこにいるのか見失ってしまいました。
天体観測や占星術を行っていた官職・日官(イルグァン)曰く、東海(トンへ)の海にいる龍が癇癪を起こしているためだとし、何か善行を行いこれを解かねばならないと進言しました。これを聞いた憲康王は勅命を下し、この川の近くに龍の怒りを治めるための寺を建立するよう命じると、それまで垂れ込めていた雲や霧がさっと晴れたという伝説が残っています。その伝説に登場する寺が現在の蔚州郡(ウルジュグン)青良面(チョンニャンミョン)に残っている望海寺(マンヘサ)です。また伝説の舞台となったこの場所は雲が晴れた浅瀬の浦口ということで開雲浦(ケウンポ)と呼ばれるようになりました。

川の近くに寺を建てるという新羅の王・憲康王の話を聞いた東海(トンへ)の海にいる龍の王はこのことを大変喜び、7人の王子を引き連れ海から陸にやってきて、憲康王の面前で舞を踊り音楽を演奏しました。
その7人の龍の王子のうちの1人が新羅の憲康王に従い新羅の都であった古都・慶州(キョンジュ)に入洛、憲康王の政(まつりごと)に仕えることになりましたが、その人物こそが処容(チョヨン)でした。
新羅の憲康王は自らの政の一員となった処容に美しい女性を妻にあてがい、新羅の官職のひとつである級干(クッカン)の地位まで与え、憲康王のそばに仕えさせたといいます。

ところがある日、美しい処容の妻を妬む疫病神が人の姿に変身し、夜になり忍び込み妻の寝床に入りこんで来ました。処容は外から帰ってくると、寝室で妻と疫病神が寝床で一緒に寝ている姿を目撃したにもかかわらず、処容は怒ることもなく歌を口ずさみ舞を踊り、そして部屋からすっと出ていきました。これを見た疫病神はその処容の寛容さに感激しひざまずき、これ以降、処容の姿を描いた絵を見ただけでもそこには現れなくなったと言います。

処容が自分の妻と寝床に横たわっている疫病神に向かって歌った歌が、かの有名な新羅郷歌「処容歌(チョヨンガ)」で、処容岩の前にある碑石に刻まれている歌がまさにその歌詞です。処容が舞ったという処容舞(チョヨンム)は国家無形文化財として伝承されており、また処容岩は東海の海からやってきた龍の王が7人の王子を引き連れてやってきた開雲浦ゆかりの岩として地方記念物に指定され、処容の伝説とともに巷の人々に語り継がれています。
椿や藤の木など四季を通じて青々とした木々が覆い絶景を誇る目島(モクト・天然記念物)も近くにあり、見どころが多い観光地として有名な場所です。