12.6Km 2024-12-27
キョンサンブク道チョンソン郡キョンドンロ5157
88(パルパル)食堂は周王山国立公園の北にある鶏肉料理の店。メニューは鶏肉の水炊き、手羽先焼き、鶏プルゴギの3種類とシンプルです。鶏肉の水炊きは鶏肉と鶏肉粥が一つの器に盛られて出てきます。大きめの鶏が1羽丸ごと入っており、お粥とよく合います。手羽先焼きは鶏の手羽先だけを直火で焼いたもので、カリッとした食感と程よく染み込んだタレの旨みが特徴。鶏プルゴギは鶏肉をコチュジャンソースと混ぜ合わせて鉄板で焼いた料理で、葉野菜に包んで食べると味が引き立ちます。ピリ辛で、さほど辛くはなく、食べやすい辛さです。その他、店の入口にある湧き水は山奥から流れてくるきれいな水で、飲むことができます。
12.8Km 2021-10-22
慶尚北道 青松郡 巴川面 チュンドゥル2キル 16
この韓屋は平山(ピョンサン)申氏(シンシ)判事公派(パンサコンパ)宗宅の建物で、申漢泰(シン・ハンテ=1663~1719年)が朝鮮時代の第19代の王・粛宗(シュクチョン=在位・1674~ 1720年)の時代に建てられた建物です。
村に近い端山を背に南向きに建てられているこの家屋は高柱の大門を入ると、舎廊(サラン)マダンの庭があり、庭の向こう側には主棟の建物が見えます。
主棟裏の右手には丘があり、その丘の上には祠堂があります。また主棟裏の左手には南向きに建てられた影幀閣(ヨンジョンカク)と書堂(ソダン)が建っており、朝鮮時代の士大夫(サデブ=両班)の邸宅の姿を感じさせます。
この邸宅の主棟は、正面7間、両側面5間、後面5間の規模で、中庭を囲むように立つ口の字型をした韓屋です。
主棟正面の左右に1間ずつ付属の建物が付けられており、正面7間のちょうど真ん中に建物の中へ入る中門があり、正面右側には舎廊房や板の間の部屋を配置し舎廊チェの建物として使い、舎廊房の後ろは中庭へと通じるような構造となっています。
12.8Km 2021-10-22
慶尚北道 青松郡 巴川面 チュンドゥル2キル 22-2
+82-54-870-6247
棲碧古宅(ソビョクコテク)は人里に近い端山を背に南東の方角に向いて建てられた韓屋の建物です。
この古宅は高麗時代の開国の功臣・壮節公(チャンジョルゴン)申崇謙(シン・スンギョム)将軍の子孫・申漢昌(シン・ハンチャン)が分家する際に建てた家屋です。
その後、申致亀(シン・チグ)が朝鮮時代後期の英祖15(1739)年に拡張増築を行い、棲碧という号を付け、現在の名称である棲碧古宅と称するようになりました。
正面6間、側面4間の中庭を囲むように口の字型に建てられた韓屋となっています。
18.2Km 2020-02-10
慶尚北道 英陽郡 石保面 トゥドゥル村キル 62
+82-10-7373-8337
「トドゥル村(トゥドゥルマウル)」は「丘の上にある村」という意味です。1640年に石渓(ソッケ)李時明(イ・シミョン)が丙子胡乱を回避してやって来て開拓し、彼の後世である載寧(チェリョン)李氏たちが集姓村を形成してきました。朝鮮時代1899年にはここに国立病院とも言える広済院がありました。村には李時明が住んでいた石渓古宅と学生たちを教えていた石川書堂を含む伝統家屋30余棟をはじめ、ハングルで書かれた初の料理本「飲食知味方」を書いた貞夫人張(チャン)氏を指す安東張氏遺跡碑、李文烈(イ・ムンヨル)が建てたクァンサン文学研究所などがあります。村の前を流れる花梅川の絶壁の上には李時明の四男である李嵩逸(イ・スンイル)が刻んだ遺墨もはっきりと残っています。1994年に政府により文化村に指定されました。