校洞サムパプ ( 교동쌈밥 ) - エリア情報 - 韓国旅行情報

校洞サムパプ ( 교동쌈밥 )

校洞サムパプ ( 교동쌈밥 )

4.1 Km    21     2021-04-05

慶尚北道 アンドン市 ギョンドンロ859-4
+82-54-858-2990

自家栽培の新鮮な野菜と豚肉が味わえます。おすすめは野菜包みご飯です。慶尚北道のアンドン市に位置した韓食専門店です。

ダレウォン ( 다래원 )

ダレウォン ( 다래원 )

4.2 Km    33     2021-04-05

慶尚北道 アンドン市 ギョンドンロ852
+82-54-821-8489

様々な中華料理が味わえる店です。慶尚北道のアンドン市に位置した中華専門店です。代表的なメニューは酢豚です。

ソワウリ ( 소와우리 )

ソワウリ ( 소와우리 )

4.5 Km    12     2021-03-31

慶尚北道 安東市 忠孝路 4168
+82-54-852-5427

ヤギ肉料理専門店で、韓国の特色ある料理を体験できます。おすすめは山羊肉スープです。慶尚北道のアンドン市に位置した韓食専門店です。

パチャイ ( 파챠이 )

パチャイ ( 파챠이 )

4.5 Km    67     2021-04-02

慶尚北道 安東市 ジョンゴリ2キル 42
+82-54-823-2226

たっぷりのボリュームと、ヤンニョムと麺が絶妙に調和した店です。慶尚北道のアンドン市に位置した中華専門店です。代表的なメニューはちゃんぽんです。

安東民俗博物館(안동민속박물관)

安東民俗博物館(안동민속박물관)

4.5 Km    12003     2022-09-19

キョンサンブク道アンドン市ミンソクチョンギル13

安東の文化を活かし、再構成された「安東(アンドン)民俗博物館」は、安東ダム民俗景観地内に位置しています。安東文化圏の民俗文化を調査・研究・保存・展示することで国民の社会教育の場と市民の休息の空間となり、正しい地方文化の理解を手助けするために設けられた公共施設です。
171,630平方メートルの敷地に屋内博物館と屋外博物館があり、屋内博物館には安東における地方文化の特徴である儒教文化、特に冠婚葬祭を重点的に展示するとともに、安東特有の民俗遊びを模型展示しています。その他、映像観覧のための視聴覚室と映像室も備えています。屋外博物館には宝物である石氷庫をはじめとし、安東ダム建設時、水没地域に散在していた伝統古家屋など約20点の重要生活文化資料を移建し、展示しています。

安東民俗村(안동민속촌)

安東民俗村(안동민속촌)

4.6 Km    23349     2023-02-08

キョンサンブク道アンドン市ソンゴク洞

安東(アンドン)ダムの補助ダムのそばから川の向かい側を望むと丘の上に安東民俗村が見えます。ここは安東ダムの造成によって水没した地域にあった家屋を数軒移築して作られたもので、村の入口には村の守り神である二つの大きなチャンスンが立っています。その先には地元が生んだ詩人であり独立運動家であった李陸史(イ・ユクサ)先生の詩碑があります。詩碑には代表作である「曠野」の詩が刻まれています。

礼味亭 ( 예미정 )

礼味亭 ( 예미정 )

4.6 Km    36     2021-04-01

慶尚北道 安東市 オンジョンゴルキル 111
+82-54-822-0500

安東地域の宗家のレシピで、韓国料理を開発して提供しています。 慶尚北道のアンドン市に位置した韓定食専門店です。代表的なメニューは塩サバ焼きです。

月映橋(월영교)

4.6 Km    25705     2023-12-26

キョンサンブク道アンドン市サンア洞
+82-54-852-6800

慶尚北道安東市象牙洞と城谷洞をつなぐ安東湖にかけられた橋である「月映橋(ウォリョンギョ)」は2003年に開通しました。長さ387メートル、幅3.6メートルの木柵人道橋で、橋の真ん中には月映亭があります。

ワンゴジプ魚の辛味スープ ( 왕고집매운탕 )

ワンゴジプ魚の辛味スープ ( 왕고집매운탕 )

4.7 Km    34     2021-04-02

慶尚北道 安東市 ジョンゴリ3キル 13
+82-54-822-6950

様々な魚料理が味わえる店です。慶尚北道のアンドン市に位置した韓食専門店です。おすすめは魚の辛味スープです。

安東 法興寺址 七層塼塔(안동 법흥사지 칠층전탑)

安東 法興寺址 七層塼塔(안동 법흥사지 칠층전탑)

4.8 Km    6991     2021-07-14

慶尚北道 安東市 法興洞7-9

安東(アンドン)法興寺址(ポブンサジ)七層塼塔(チルチュンチョンタプ)は韓国で最も大きく由緒ある統一新羅時代の七層塼塔です。
高さは17メートル、基壇部は7.5mあります。この一帯の地名を法興里(ポブンニ)と呼んでいることから、統一新羅時代に創建されたという法興寺(ポブンサ)に建てられた塼塔と推定されます。
この塔は1487(成宗18)年に改築されたことがあると記録に残っています。
基壇は単層の方形の形をしており、地表面に八部衆像や四天王像を彫り上げた花崗石の板石を1面に6枚ずつはめ込んでいます。また、南面の中央には階段も設けています。
八部衆像や四天王像の彫刻手法から推定して、それぞれ制作年度に違いがあるほか、はめ込まれている板石の順序も規則的ではありません。その上、基壇上面は斜めに丸くセメントを塗られており、過去にこのように単層基壇側面に多くの彫像をはめ込み配置した例がないため、どの程度この塼塔が造られた当時の原型がとどめられているのかは疑問なところがあります。


七層塼塔の構造

塔身の部分は各層を長さ約28cm、幅約14cm、厚さ約6cmの濃い灰色の模様ない寺院などで使われる土を高温で焼き上げ石版のようにした塼石(チョンドル)を互い違いに積み重ねています。
一番下の段の初層屋身はとても高く、南面の中央下半分には花崗石で枠を作り小さい厨子・龕室(カムシル)を作っています。内部は上部を紡錘形にし、1面48cmの方形の穴が上に空けられ、仏塔の心柱を通す擦柱孔(チャルジュゴン)が見えます。
2層目の屋身は1段目の初層屋身の高さに比べ、およそ4分の1の高さと随分低くなりますが、3段目以降の屋身についてはさほど大きさが変わらないので、7層になっている高さでも全体的に安定感を感じます。
各段の屋根のようになっている屋蓋石は塼塔特有の形をしており、軒の上部が薄い板が何層にも重なっている形式となっているため反りはなく水平で、各段の屋蓋の幅は石塔の基礎部分に比べ上に行くほど顕著に狭くなっていきます。
各段の塔身に積まれた薄板の高さは1段目の初層屋身が9段、2段目からは8段、7段、6段、5段、3段となっています。その各段の屋根のようになっている部分は1段目の初層屋身が12段、2段目からは10段、9段、8段、7段、6段、5段となっており、上の層に行くほど少しずつ少なくなる構造となっています。
現在、各段の屋根の傾斜面・落水面(ナクスミョン)にはごく一部に瓦を葺いた部分が見とめられ、塼塔が造られる前に木塔が存在したといわれる塼塔は落水面が設けられるなど木塔を模倣したものと見られます。
仏塔の最上部に付けられる金具の相輪は現在、その金具の下部にある露盤のみが残っている状態です。
慶尚南道安東に残る邑の記録・邑誌「永嘉誌(ヨンガジ)」によると「府東五里」にあるという法興寺塼塔がこの塼塔であると推定されています。
また、法興寺塼塔については「上有金銅之飾 李股撤面納官鋳成客舎所用什物」という記録があり、元々は金銅相輪があったものと見られます。