氷渓渓谷(빙계계곡) - エリア情報 - 韓国旅行情報

氷渓渓谷(빙계계곡)

氷渓渓谷(빙계계곡)

5.4 Km    1227     2020-08-12

慶尚北道 義城郡 春山面

神秘的な美しさをもつ「氷渓(ピンゲ)渓谷」は慶北八勝の一つで1987年9月25日郡立公園に指定されました。氷穴と風穴があることから氷山といい、その山を流れる川を氷渓、村を氷渓里と呼んでいます。氷渓渓谷は氷渓三里書院村にあります。夏の暑い時涼しい風が出て、水が凍り、雪の降る寒い冬には熱い湯気が立ち上る神秘の渓谷です。渓谷の奥の方には高麗時代初期のものとされる高さ8.15メートルを誇る花崗石でつくられた五層石塔(宝物第327号)があります。また、村の向かい側に高さ数十メートルの屏風岩のような絶壁があり、その下の渓流にそびえ立つ大小さまざまな無数の岩は1933年10月4日慶北八勝の一つに選ばれたほど美しい景観です。渓谷の中でひときわ目立っている高さ10メートル、周囲20メートルほどのとても大きな岩に刻まれている「氷渓洞」という大きな文字は壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時にここを訪れた名将李如松の筆跡ともいわれています。その横にある大きな岩の上には「慶北八勝之一」と刻まれた石碑があります。

義城 素宇堂[韓国観光品質認証](의성소우당[한국관광 품질인증/Korea Quality])

0m    61     2019-05-20

慶尚北道 義城郡 金城面 山雲マウルキル 55
+82-54-834-7762、+82-10-5246-7762

義城(ウィソン)素宇堂(ソウダン)は素宇・李家発(イ・ガバル)が19世紀初頭に建てた建物です。
韓屋の建物の配置は韓屋の伝統的な構造と大きく異なる点はありません。ただし大きな舎廊房(サランバン)の裏手に繋がる小さな舎廊房が数年前の台風により流出し、全体的な建物の配置が中庭を囲むように建てられた「口」型の構造から、「コ」の字型に変わってしまった点だけです。
建物の基礎となる基壇の石の高さや使われた資材などもやはり素朴なもので、贅を尽くした他の韓屋とは程遠いものとなっており、質素なものを美徳とする伝統的な儒教思想の影響を受けているものと思われます。
しかしながら西側にある勝手口を過ぎると、そこはまた別世界が広がっています。
一般的に朝鮮時代の庭園には垣根がありませんでした。宮中の庭園を除けば、通常両班の家の庭は元々あった自然にできるだけ手を入れないよう小さな水辺の前に東屋を建て風情を楽しんだり小さな草葺の家屋を建て趣を加える程度が大部分でした。
しかしながら素宇堂は前述の通り大きな災害により家屋の構造が変わったため、新たな形の庭が造園されました。塀で囲い本格的な離れの建物を建て、庭には中国から取り寄せたヒノキの木を植えました。池にはやはり元々あった水の流れを生かすことなく別途、水を引きこみ造ったのが他の韓屋にはない特異な点です。

離れの建物は板の間が強調される一般的な舎廊チェの家屋と異なり、生活の場としての家屋の機能をより強化し部屋数が多い構造となっています。このような構造から、この離れを主人や外からやってきた男性の客人が主に使っていた空間ではなく、この家の主(あるじ)夫妻が主に使ってい可能性が大きいと思われます。

現在の離れの建物は宿泊のお客様がご宿泊できるよう内装工事を終えた状態です。アルミ製のサッシがそのままの部屋は、外から見るほどには見栄えがよくありませんが、ご宿泊の方には丈夫な作りで頼もしい要素のひとつです。
奥の間と舎廊チェの建物もやはり宿泊可能な空間に変身しすっきりとした施設となり、トイレやシャワー室もやはり近年新しくリニューアルし便利になりました。

義城 金城山古墳群(의성 금성산 고분군)

4.0 Km    359     2019-09-16

慶尚北道 義城郡 金城面 草田1キル

* 召文国の墳墓群と推定される義城金城山古墳群 *

金城山(クムソンサン)古墳群は慶尚北道(キョンサンプクド)義城郡(ウィソングン)金城面(クムソンミョン)大里里(テリリ)、塔里里(タムニリ)、鶴尾里(ハンミリ)一帯にあるおよそ200基あまりの墳墓群のことで、この古墳群から出土した遺物は5世紀から6世紀 のものと推定されています。
直径は15mから19m、高さは2mから4mほどの中型墳、直径10m未満の小型墳が数多く密集しており、円形封土墳が大部分を占めます。
1960年に国立中央博物館、1965年に慶煕大学校博物館が発掘・調査を行いました。調査の結果、盛土の形は封口を中心に水平短縮状態になっていることがわかりました。封口を作る際に使われた土は純粋な粘土で、その量もまた大変多かったことがわかりました。しかし使われた土の大部分がこの地域で産出される土や色とは異なり、他地域から運び込まれた来たものと推定されます。このことから古墳を造るために大変多くの労働力を費やしたものと見られ、政治的に影響力のある統治者によってこの古墳が造られたものであることが分かります。


* 金城山古墳群と三韓・召文国 *

金城山古墳群は三韓時代の部族国家・召文国(チョムングク)のものであると見られています。召文国は三韓時代の部族国家であった小国で、現在の慶尚北道義城郡金城面一帯に都を置いていましたが、185(新羅・伐休王2)年、新羅に併合されたと伝えられています。
しかし、召文国が実在したという記録は三国史記に短く言及されているのみで、文献資料はほとんど残っていません。金城山古墳は召文国の都とみられている場所にあり、義城地方の当時の勢力や社会構造、義城地域と新羅との関係を理解する上で重要な史料となっています。


[文化財情報]
指定種目 : 市・道記念物
指定番号 : 慶尚北道記念物第128号
指定年度:1998年4月13日
時代:三国時代
種類:古墳群
規模:面積 296,825平方メートル、直径 10∼19m、高さ 2~4m

義城市外バスターミナル(의성시외버스터미널)

12.2 Km    4747     2015-12-04

慶尚北道 義城郡 義城邑 ムンソ3キル 109
+82-54-832-0180