15.5 Km 0 2024-04-28
テグ広域市タルソン郡カチャン面カチャンロ1003
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15.9 Km 4020 2023-01-05
大邱広域市 達城郡 瑜伽面 テクノ大路6キル 20
国立大邱(テグ)科学館は、遊びを通じて、わかりやすく科学を学び体験できる施設です。
国立大邱科学館に来れば、自ら見て、触って、体験できる様々な科学体験プログラムに参加することができ、同世代の子どもたちと一緒に、限りない想像力を発揮できる科学の世界を体験できます。
16.4 Km 10040 2024-02-27
テグ広域市タルソン郡カチャン面カチャンロ1099
053-768-5768
パク・ジヨネ嘉昌(カチャン)イェンナルチンパン(昔ながらの蒸しパン)本店は、韓国を代表する食べ物であり、伝統的なおやつの蒸しパンを販売している大邱(テグ)の元祖有名店です。この店の影響を受け、近隣に蒸しパン、あんまん、餃子を売るお店ができはじめ、蒸しパン通りが形成されました。2000年頃から営業を続けており、生地から手づくりで、当日製造したものだけを販売しています。主力メニューは蒸しパンと餃子で、行列ができるほどの人気店です。
17.2 Km 23058 2023-06-16
キョンサンナム道チャンニョン郡チャンニョン邑チャンミルロ34
17.8 Km 2324 2024-02-27
大邱広域市 達城郡 玄風面 城下里
+82-53-611-7570
1950年代からテンジャンチゲを販売する田舎の食堂として始まった元祖玄風(ヒョンプン)パク・ソソンハルメジプ・コムタンは、特別な日だけ販売していたコムタンが口コミで広がったことで、看板メニューになりました。パク・ソソンおばあちゃんが「ハルメジプ」という名前で始め、3代にわたって伝統を受け継いでいます。海州(ヘジュ)、羅州(ナジュ)と共に全国3大コムタンに数えられる大邱(テグ)・慶尚北道(キョンサンブクト)コムタンを代表するお店であり、澄んだスープとたっぷりと入ったお肉の多様な部位が調和した味で評判のお店です。
17.9 Km 0 2024-04-16
テグ広域市タルソン郡ヒョンプン邑ピスルロ581
161COFFEE STUDIO(161コーヒースタジオ)は、テラスと芝生の庭がある大型ベーカリーカフェです。子ども向け施設が整えられており、子ども連れにありがたいカフェとして人気があります。秋になるとピンク色のミューリー(ミューレンベルギア)が生い茂るため、ピンクミューリーカフェとも呼ばれています。様々な飲み物やスイーツなどを提供しており、中でも161SALT COFFEE(塩クリームアインシュペナー)がシグネチャーメニューです。全面窓ガラスに囲まれているので、室内から開放感あふれる田園風景を楽しむことができます。
18.8 Km 25848 2022-09-20
テグ広域市タルソン郡ファウォン邑インフン3ギル16
+82-53-668-3162
南平(ナムピョン)文氏(ムンシ)の中興の祖として知られる三憂堂(サムダン)文益漸(ムン・イクチョム)の子孫が大邱(テグ)の地に移り住んだのはおよそ500年前。そしてここ、現在の大邱広域市達城郡(タルソングン)の仁興(インフン)に定住したのはその18代目にあたる仁山斎(インサンジェ)文敬鎬(ムン・ギョンホ=1812~1874年)の時でした。
文敬鎬は文氏一族だけで村を作る計画を立て、元々、高麗時代の名刹・仁興寺(インフンサ)があった場所に居を構え、今日の仁興マウルの村を新たに作り上げたと言われています。
この先祖代々からの地に最初に建てられた建物は1820年前後に造られた斎室・龍湖斎(ヨンホジェ)で、現在の広居堂(クァンゴダン)のある場所にあたります。
邸宅として使い始めたのは1800年代後半で、当初は草葺屋根の建物でしたが、以降100年の歳月を経て今日の村が形作られました。
現在、およそ70軒あまりの瓦屋根の韓屋が村の中に整然と建ち並ぶこの村は、築200年未満の建物ではありますが、伝統的な慶尚道(キョンサンド)・嶺南(ヨンナム)地方の両班の家屋の形式を踏襲しており、村の作りと周囲の景観と相まって、他では見受けられない特徴ある村と言えるでしょう。
18.8 Km 2358 2024-02-27
テグ広域市スソン区ヨンハンロ116-2
アサダラは、精肉店を兼ねた韓牛料理店で、松で造園された素敵なお店です。精肉コーナーで肉を自分で選んで会計した後、膳立て料を支払って食べることができ、とくに韓牛炭火焼きをメインにして韓定食のように様々なおかずが並びます。アワビ入りカルビタン、ユッケビビンバ、プルゴギ定食も人気があります。アサダラは古朝鮮時代の首都・阿斯達(アサダル)の韓国の固有語です。
18.8 Km 6676 2020-04-14
大邱広域市 達城郡 玄風面 池洞キル 3
+82-53-668-3162
1995年5月12日、大邱広域市文化財資料第29号に指定された玄風郭氏(ヒョンプン・クァクシ)十二旌閭閣(シビジョンニョガク)は、朝鮮時代中期の朝鮮王朝第21代の王・英祖(ヨンジョ=在位:1724~1776年)の治世時に建てられた旌閭閣です。
宣祖31(1598)年から英祖の時代まで、郭氏一門に与えられた12の旌閭(せいりょ)を一ヶ所に集めたもので、建物は前面12間、側面2間の大きさとなっており、屋根は入母屋造りとなっており、屋根の軒を支えるため装飾し作った木組・栱包(コンポ)は柱上部のみある柱心包(チュシムポ)様式となっています。
建物内部には2基の碑石と12の扁額があり、6・25戦争(韓国戦争・1950~1953年・休戦)により建物の一部や碑石1基が完全に破壊されましたが、1963年にすべて重修されました。
建物と扁額は最近のものではありますが、十二旌閭閣は一つの村で郭氏一門に12の旌閭を与えられたという類稀なことから重要な遺産と言えます。
朝鮮時代には王と家臣、父と子、夫と妻との間でしかるべき道理を守った者に対して、一族の家の前に赤い旌門(せいもん)を建て、このことを旌閭(せいりょ)といい、時の国王から称えられました。
[郭氏一門に与えられた主な行跡]
① 壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)の際、安陰県監であった郭●(クァク・ジュン=●はそうにょうの上に夋)が黄石山城(ファンソクサンソン)で二人の息子とともに戦死すると、その妻と出家した娘が夫の後を追い自決、これに対し宣祖が旌閭。
② 郭再祐(クァク・ジェウ)の従兄弟・郭再勲(クァク・ジェフン)の息子四兄弟が壬辰倭乱の時、倭敵から病で闘病中の父親を命懸けで助けたことに対し、宣祖が旌閭。
③郭再祺(クァク・ジェギ)の妻・広州李氏は壬辰倭乱の際に倭兵と遭遇、川に身を投げ純潔を保ったことに対して、宣祖が旌閭。
④郭弘垣(クァク・ホンウォン)の妻・密陽朴氏は夫を傷付けようする強盗に身を挺して守り結果亡くなったことに対し顕宗が旌閭。
⑤郭寿亨(クァク・スヒョン)の妻・安東権氏は結婚して1年も経たずに夫が病に伏せ重篤な状態になると、代わりに死ぬことを昼夜を問わず願ったものの、願いかなわず夫を失い、何も食べずに後を追うように亡くなってしまったことに対し顕宗が旌閭。