4.1 Km 27 2021-04-01
慶尚北道 安東市 豊川面 ジョンソ路 214-6
+82-54-843-0054
韓国の伝統家屋様式の一つであるオンドルで食事ができるところです。 おすすめはカンゴドゥンオ定食です。慶尚北道のアンドン市に位置した韓食専門店です。
4.1 Km 70 2021-04-02
慶尚北道 安東市 ジョンソ路 214-6
+82-54-852-8361
鶏肉と野菜の蒸し物の他にも海鮮とねぎのチヂミがおいしい店です。慶尚北道のアンドン市に位置した韓食専門店です。おすすめはアンドンチムダクです。
4.1 Km 32 2021-04-02
慶尚北道 安東市 ジョンソ路 214-6
+82-54-842-3456
河回村の近くに位置する安東式鶏肉と野菜の蒸し物のおいしい店です。慶尚北道のアンドン市に位置した韓食専門店です。おすすめはアンドンチムダクです。
4.1 Km 28 2021-04-02
慶尚北道 安東市 ジョンソ路 214-6
+82-54-821-2738
安東代表料理の安東式鶏肉と野菜の蒸し物が味わえる店です。代表的なメニューはビビンバです。慶尚北道のアンドン市に位置した韓食専門店です。
4.1 Km 19 2021-04-02
慶尚北道 安東市 ジョンソ路 214-6
+82-54-853-0521
安東代表料理の安東式鶏肉と野菜の蒸し物とサバの塩焼きが味わえる店です。慶尚北道のアンドン市に位置した韓食専門店です。おすすめはアンドンチムダクです。
4.1 Km 44 2021-04-01
慶尚北道 安東市 ジョンソ路 159
+82-54-852-3788
伝統料理専門店で周辺の景色も良く、各種のお集まりのための団体席を完備しています。 慶尚北道のアンドン市に位置した韓食専門店です。代表的なメニューは安東式ビビンバ(祭祀料理)です。
4.1 Km 11513 2022-04-04
慶尚北道 安東市 豊山邑 チャンテゴルキル 28
+82-10-9005-0891
養素堂は、安東駅から車で約15分距離にある素山村の中の伝統韓屋だ。230年余りの歳月を秘める古宅は、安東・金(キム)氏の大宗家で、古拙な風流が滲み出る。釘を一本も使わずに木材をつなげた「本物」の韓屋なので、古宅の美しさを感じるには申し分ない。その中でも養素堂の東側の庭は、ベンチに座って韓屋の風情を楽しめる名所だ。夏は濃ピンク色に満開する百日紅が、冬は雪がこんもりと積もった庭が素晴らしい。 客室はアンチェ(母屋)・アンパン、アンチェ・コンノバン、クンサランチェ(客屋)など、全部で5つで、チャグンバンを除いて各客室にテチョンマル(板の間)やテンマル(縁側)のような余分の空間が付いている。広いオンドル部屋のアンチェ・アンパンは、昔は女主人が暮らしていた場所で、アンチェ・コンノバンの窓越しの遠くには鶴駕山の山勢がかすかに広がり、2つの部屋にマル(板の間)が付いているクンサランチェは4人家族が多く利用する。宿の韓紙工芸体験は、ペン立てや鏡など、可愛らしい韓紙工芸品を自ら作ってみる機会を提供する。
4.2 Km 10245 2022-06-21
慶尚北道 安東市 豊川面 チョンソ路206
河回(ハフェ)村の入口に位置する河回世界仮面博物館は1995年に開館した韓国初の仮面専門博物館です。河回村で伝承されている河回別神クッ仮面劇の仮面ばかりでなく国内外のさまざまな仮面を収集・展示しています。5つの常設展示室に1つの特別展示室があり、展示室内には仮面を実際に被ってみたりすることができるほか、仮面トリックアート、仮面キャラクターものまね、フォトゾーン、仮面スタンプラリーなど無料体験スペースもあり、博物館をより楽しく見学することができます。
4.2 Km 29016 2020-12-10
慶尚北道 安東市 豊川面 広徳ソルバッキル72
「芙蓉台(プヨンデ)」は太白山脈の端に位置しており、頂上から安東河回村をひと目で見渡すことのできる、高さ64メートルの絶壁です。芙蓉台という名は中国の故事からもじったもので芙蓉はハスの花を意味しています。河回村が形成された姿がハスの花のようであることに由来しており、河回村をもっともよく眺められることから芙蓉台と名付けられました。当初は「河回の北にある丘」という意味で「プエ(北厓)」と呼ばれていました。下に、洛東江が曲がって流れるところに玉淵精舎、謙庵精舎、花川書院が構えています。
4.2 Km 27677 2020-08-11
慶尚北道 安東市 豊川面 広徳ソルパッキル 72
朝鮮時代前期の文臣・柳雲龍(ユ・ウニョン)の儒教における学徳を讃えるべく地元儒林らが現在の場所に建てた書院・花川書院(ファチョンソウォン)。
この花川書院は、1601(宣祖34)年柳雲龍が享年63歳でこの世を去りそれから185年経過した1786(正祖10)年に建立され、その年の9月柳雲龍の位牌を書院に奉安するに至りました。
1803(純祖3)年にはその弟子にあたる金允安(キム・ユナン)、従孫にあたる柳元之(ユ・ウォンジ)も合わせて祀られるようになり、100年以上もの間、祭祀をおこなっていました。
しかし、朝鮮時代末期の1871(高宗8)年に行われた書院撤廃令により、講堂や厨舎以外はすべて取り払われてしまいました。
書院がなくなってしまったことに心を痛める柳雲龍の子孫らの手により、1966年から再建のための資金調達を開始し地元儒林らの協力により再建に着手、1996年5月2日、復設告由の儀を行い、本来の姿を取り戻しました。