仙遊洞溪谷(聞慶)(선유동계곡(문경)) - エリア情報 - 韓国旅行情報

仙遊洞溪谷(聞慶)(선유동계곡(문경))

仙遊洞溪谷(聞慶)(선유동계곡(문경))

17.2 Km    4843     2019-11-19

慶尚北道 聞慶市 加恩邑 完章里
+82-54-550-6414

仙遊洞溪谷(ソニュドンゲゴク)は古い松と岩壁が調和をなしている九つの曲がった溪谷で仙遊九曲と呼ばれています。溪谷の巨大な岩石は自然に重なったものですがわざと積み重ねたもののように感じられます。
昔、神仙が降りてきて遊んだといわれるこの溪谷は白い岩盤が河川の底をなし、並んだ 岩壁の間を澄んだ水が四季を通じて流れています。水流が巨大な岩石の上を流れる美しい風景を作っています。仙遊洞下流には七愚亭が建てられていて、これは1927年この地域出身の愚隱、愚石等、愚字の号を持つ7人の志を合わせて建てた亭子です。亭子の名前は朝鮮・義親王が付けたという説もあります。渓谷に沿って行くと時々亭子も見え岩に字が書かれているのを見ることが出来ます。

大乗寺(聞慶)(대승사(문경))

大乗寺(聞慶)(대승사(문경))

18.5 Km    4250     2020-07-02

慶尙北道 聞慶市 山北面 大乗寺キル283

四仏山の大乗寺は美しい創建説話と共に豊かな史跡を保有しています。創建以後、史跡については「大乗寺史跡記」によると1604年ソチョン大師が大雄殿西側の僧堂を再建し、1651年キョンモク大師が大雄殿東側の禅堂を再建したとされています。
以後、1630年から1703年にかけてケダム大師、カギン大師、ソルリム大師、ヘタム大師、ジョンス大師、ウォヌン大師など歴代の祭祀による修造が行われました。当時の建築の名称は大雄殿、應眞殿、観音殿、金堂、鐘閣、一株門、楼閣などで、これらの建物が四仏山を埋め尽くし、たいへん美しかったといいます。1875年木刻後仏幀を浮石寺から引き取ると、その是非が取りざたされましたが、結局は大乗寺の帰属となりました。
そして1922年夏には、予期せぬ火災により数棟の建物が消失してしまいました。これに対し僧侶たちは寄付を集め、1927年昔の姿の通りに建物を復元させました。しかし、1956年1月には再び火災により極楽殿、冥府殿などを残して焼けてしまいました。このときも僧侶たちは再び力をあわせ、 大雄殿、應眞殿などを復元しました。