山清韓方薬草祭り(산청한방약초축제) - エリア情報 - 韓国旅行情報

山清韓方薬草祭り(산청한방약초축제)

山清韓方薬草祭り(산청한방약초축제)

13.7 Km    17101     2023-09-12

キョンサンナム道サンチョン郡クムソ面メチョン里
+82-55-970-6601~5

季節ごとに美しい風景を誇る智異山は1,000種以上の薬草が自生する薬草の宝庫です。智異山を抱く山清(サンチョン)は良質の薬草が手に入りやすく、東医宝鑑の著者である許浚先生をはじめとする数多くの名医が医学を学び医業を営んだところです。
東医宝鑑と薬草の里・山清で毎年9月、「山清韓方薬草祭り」が開かれます。韓方診療と韓方鍼などを無料で体験できる山清恵民署をはじめ、補薬体験、薬草足浴体験、ウェルネス体験などさまざまなヒーリング体験ができます。また、朝鮮時代の御医・医女衣装試着体験、伝統茶礼体験、民俗遊び体験など楽しい体験プログラムも用意されています。

イベント内容
1.メインプログラム:新恵民署、補薬体験、山清韓薬房体験など
2.体験参加プログラム:山清韓方薬草K-Healing、ウェルネスヘルスツアーなど
3.付帯プログラム:文化芸術公演、コンテスト
4.その他:薬草・特産物販売市場、智異山エコマーケットなど

青鶴洞礼儀作法学校ソンビ書堂(청학동예절학교 선비서당)

青鶴洞礼儀作法学校ソンビ書堂(청학동예절학교 선비서당)

14.4 Km    28107     2024-03-04

キョンサンナム道ハドン郡チョンアム面ウォンムクギル60-10
+82-55-883-1155

智異山(チリサン)の河東(ハドン)方面の尾根の麓にある青鶴(チョンハク)洞には、現在30世帯200人余りの住民が住んでいます。青鶴洞には書堂が多く、青鶴洞礼儀作法学校ソンビ書堂では、礼儀作法教育、全人的な教育、漢文教育などのほか、伝統文化体験、農村体験、克己訓練などの体験プログラムも行っています。

山清聿修園[韓国観光品質認証](산청율수원[한국관광품질인증/Korea Quality])

山清聿修園[韓国観光品質認証](산청율수원[한국관광품질인증/Korea Quality])

14.6 Km    13765     2019-12-06

慶尚南道 山清郡 新等面 新等佳会路 36
+82-55-974-0221, +82-10-9802-1132

自然に親しみ幸せな笑顔をもたらす伝統韓屋宿泊施設・山清聿修園(ユルスウォン)。2013年10月、慶尚南道山清(サンチョン)にオープンしました。
この施設の名称の聿修(ユスル)は東洋で最も古い詩篇である詩経の文王に出てくる「祖先の徳を受け継ぎ自ら自身を磨き上げる」という意味の言葉です。山清聿修園を訪れ、韓屋に泊まり、韓国の伝統文化を体験し、自らを悟り、徳を積み重ねこの先、生きていくことを願うという ことが聿修という言葉に盛り込まれています。

慶尚南道山清の韓屋通りにある山清聿修園は、韓国で有名な教育関連企業・JEI才能教育(ジェヌンキョユク)が設立した韓屋体験施設です。順天朴氏古軒(コホン)古宅をおよそ4年間掛けて伝統韓屋宿泊施設に改築しました。山清聿修園は韓屋文化体験の場として、また教育の場として、そしてゆっくり休める憩いの場としての目的を標榜していますが、健全かつ様々な教育文化環境を形成するという才能教育の哲学こそが山清聿修園の設立の精神となっています。深い山中ではない街の道路沿いにありアクセスも容易な山清聿修園は標高1,108mにある黄梅山系から続く盆地にあり、丹渓川(タンゲチョン)や新等川(シンドゥンチョン)が落ち合うトゥムルモリ地区にあります。ここは山や水の精気が集まるところで、伝統を受け継ぐ名家の古い家が多く、文化財に登録された古の塀の趣を大切にする韓屋村が有名です。その中でも山清聿修園は3000平方メートルを超える敷地に空と地の精気が入ってくるように風水地理の考えに従って韓屋の配置を考慮しています。

山清聿修園の正門である永修門(ヨンスムン)をくぐると、母屋が正面に見え、右手には外側に配置された舎廊チェの韓屋が、左手にはシャワー室などがある沐浴チェの建物があります。奥の方にある別の舎廊チェの建物の右手には食堂棟があり、食堂棟を出ると自家菜園や池に佇む東屋が見えます。この韓屋の配置には特別な意味が込められています。風水地理に基づき、母屋を中心に食堂棟は青龍、沐浴チェは白虎、奥にある舎廊チェの建物は案山、外側の舎廊チェの建物と永修門は祖山をなし、すべてで5つの建物が母屋を囲みそれぞれ助け合うような形で建物を作り、風水の気を最もよい形で受けるよう配置されています。
それぞれの韓屋に付けられた名称にも深い意味があります。奥の舎廊チェの建物は「農業を営む人々の庵」を意味する農菴(ノンアム)という名前がついています。この入母屋造りと二軒屋根が山清聿修園で最も華麗な造りとなっています。
外側の舎廊チェの建物は「古の舎廊チェ」という意味の古軒(コホン)という名称がついています。母屋である下渓斎(ハゲジェ)は山清聿修園の最も奥まったところにあります。水が下へと流れていくという意味で「謙遜さ」を意味します。下渓斎には部屋よりも一段高いところに高殿の板の間があり、野外の景色を楽しむことができます。心と体をきれいにするという意味の持つ沐浴チェと雪澡塘(ソルジョダン)は韓屋2棟がつながった構造です。黄土火窯チムジルバンもあり、憩いの空間としてまたとないすばらしい場所です。

山清聿修園は韓国南東部・嶺南(ヨンナム)地方の韓屋様式を基本としていますが、華麗なソウルの様式も加味した造りとなっています。また伝統に忠実でありながらも実用性を兼ね備えているのが山清聿修園の特徴です。韓紙で出来た障子窓があり、そこから日差しがよく差し込む部屋は簡素ながらも清潔感あふれ端正な面持ちです。窓を開けると美しく並ぶ甕や木々、花が咲く野原の様子、瓦を何層にも重ね作った少し低め塀が目に入り、韓屋で泊まる趣を十二分に楽しむことができます。部屋の内部には浴槽付きの浴室、最新式のキッチンなどもあり、宿泊客の方々の利便性に配慮しています。

山清聿修園の周辺には数多くの観光スポットがあります。金剛松が生い茂る大源寺(テウォンサ)渓谷では森林浴を楽しめ、石と黄土で作った塀で村を囲い「古の塀の村」という意味をもつ南沙イェダムマウル(イェダム村)もおすすめです。浄趣庵(チョンチアム)は山清九景のひとつにも数えられる統一新羅時代の名僧・義湘(ウィサン)大師が開いた寺で、伝統寺刹83号に指定されている寺です。ここでは山神を人格化し描写した仏画である山神幀画(サンシンタンファ)を観覧することもできます。

七仙渓谷(智異山)(칠선계곡(지리산))

七仙渓谷(智異山)(칠선계곡(지리산))

16.2 Km    76522     2022-07-08

キョンサンナム道ハミャン郡マチョン面 チュソン里

「七仙(チルソン)渓谷」は智異山最大の渓谷美を誇り、雪岳山の千仏洞渓谷、漢拏山の耽羅渓谷と共に韓国の3大渓谷と言われています。智異山の代表的な渓谷でありながら険しい山々と秀麗な景観、そして智異山最後の原始林を挟んでいる七仙渓谷は7つの滝と33つの沼がつくる仙郷が、馬川面から天王峰まで16キロにものぼります。奥に入れば入るほど谷は鋭くなり、渓谷はその険峻によって多くの命を奪ってきたため別名「死の谷間」とも呼ばれています。

ソンリム山荘(송림산장)

ソンリム山荘(송림산장)

16.3 Km    3400     2021-08-02

慶尚南道 山清郡 山清邑 山水路316-6

「韓方薬草祭」が開かれるほど薬草が有名な慶尚南道の山清では、韓方鴨や韓方の水炊きなどの味も格別です。山清の26種類の代表的な薬材と、それらの薬材と相性のいい鴨肉と鶏肉の料理は、滋養強壮に効果があります。これに加え、薬草の漬物、食後に出てくる薬草茶・韓方茶、8年物の竹筒酒(テトンジュ)も楽しめます。

東医宝鑑村(동의보감촌)

東医宝鑑村(동의보감촌)

16.7 Km    9918     2018-10-18

慶尚南道 山清郡 今西面 東医宝鑑路555番キル45-6
+82-55-970-7216

韓方ヒーリング、ワンストップで楽しむ!

2007年に開館した韓国初の韓医学専門博物館を中心に韓方テーマ公園、山清薬草館、韓方気体験場、韓方自然休養林、韓医院など韓方ヒーリングを経験できるあらゆる施設が一堂に会しています。東医宝監を著した許浚(ホ・ジュン)先生がいなくても、許浚先生が構築した韓医学の知識をさまざまな角度から接することができるので、慢性的にストレスに悩んでいる方なら今すぐここを訪れてみることをおすすめします。


三聖宮(삼성궁)

17.4 Km    56428     2024-02-21

キョンサンナム道ハドン郡チョンアム面サムソングンギル86-15

三聖宮(サムソングン)は、智異山(チリサン)の標高850メートルに位置し、民族文化である神仙道を修行するための宗教施設です。カン・ミンジュ(ハンプル禅師)が1983年に弟子たちと一緒に古朝鮮時代の蘇塗を復元したもので、韓民族の祖先である桓因、桓雄、檀君を祀る神殿の役割を果たしています。

山清 伝・仇衡王陵(산청 전 구형왕릉)

山清 伝・仇衡王陵(산청 전 구형왕릉)

18.5 Km    17192     2020-07-13

慶尚南道 山清郡 今西面 仇衡王陵路
+82-55-970-6411

伝・仇衡王陵(チョン・クヒョンワンヌン=仇衡王陵と伝えられている王陵という意)は伽倻(カヤ)の第10代の王・ 仇衡王(クヒョンワン)の墓として後世に伝えられている積石塚で、仇衡王は仇亥(クヘ)あるいは譲王(ヤンワン)とも呼ばれています。伽倻の王・仇衡王はその後の新羅の将軍・金庾信(キム・ユシン)の曽祖父にあたる人物です。521年に伽耶国の王に即位し、532年新羅の法興王(ポプンワン)に領土を明け渡すまで11年間、王の座に在位しました。

この墓を巡り、石塔であるという説と、王陵であるという説の二つの説があります。この石積塚を塔と見る見解はこれと似たものが安東(アンドン)と義城(ウィソン)地方に分布していることを根拠にしています。
一方、王陵であるという根拠は韓国全土を網羅した地理誌「東国輿地勝覧」の山陰県山川條のところに「県の40里(注:韓国の1里は約400m)の山中に石で積まれた九龍があるが、四面にすべて段々となっておりが、世俗には王陵と伝えられている」という記録があります。

この墓に王名を付けた記録は朝鮮時代の文人・洪儀泳(ホン・ウィヨン=1750~1815年)の「王山尋陵記」(ワンサンシムヌンギ)に初めて登場しますが、墓の西側に王山寺(ワンサンサ)という寺があり、寺に伝えられている「王山寺記」に仇衡王陵という記録があったといいます。

一般の墓とは違い、傾斜のある丘の中腹にすべてで高さ7.15mの階段式の石段をなしています。前から見ると7段になった石積みで、後ろからは急な傾斜をそのまま利用して作られているため、平地に作られたピラミッド型の階段状の石積みとは異なった形となっています。墓の最上部は楕円形に石が積まれています。

 積石塚の真正面には「駕洛国譲王陵(カラックク・ヤンワンヌン)」と書かれた碑石があり、そのそばには石造物がいくつかありますが、これは近年に建てられたもので王陵の時代のものとは異なります。

朝鮮時代末期の正祖17(1793)年には、王山寺で長年伝承されてきた木箱から発見された仇衡王と王妃の肖像画、衣、弓などを収蔵するため、「徳譲殿(トギャンジョン)」という殿閣を建立、今日でも春や秋になると祭祀を執り行っています。




[詳細解説]
仇衡王陵と伝えられているこの積石塚・伝仇衡王陵は、駕洛編年記(カラクピョンニョンギ)によれば、新羅時代の法興王19(532)年、仇衡王が方丈山(パンジャンサン)の太王宮(テワングン)で亡くなり譲王(ヤンワン)という諡号(贈名)を追号しそこに埋葬されたということから、駕洛国第10代譲王の陵と言われています。譲王は新羅の王との戦いに敗れ、戦死したとも伝えられています。

この墓は一般の墳墓とは異なり、石積みの階段状になった方形をしており、西から東へと下る斜面に雑石で築造しています。
正面は7段となっていますが、後面は斜面に作られていることもあり前面に比べ傾斜があり段数も少なくなっています。石礫は正面からみても直線に積まれてはおらず、やや曲がった形で積まれ、また四隅も明確な形で作られておらず、最も上の部分は土を盛り上げて作る封墳のように楕円の半球型の形に石が積まれています。
前面中央から一番高いところまでの高さは7.15mほどあり、何の目的で作られたかは定かではありませんが第4段の東側に幅40cm、高さ40cm、深さ68cmの小さな仏像や位牌などを安置する龕室(カムシル)が設けられています。

この石積塚の周りには同じような雑石で高さ1mほどの塀が築かれており、また石積塚の真正面には「駕洛国譲王陵」と刻まれた石碑が建っています。さらに、その石碑の前には供え物などを置く平たい床石や石灯篭の一種・長明灯(チャンミョンドゥン)もあります。
その左右には文人石・武人石・石獣がそれぞれ一対ずつありますが、これら石造物は最近建てられたものであり石積塚とは年代的に大きな差がある石造物です。

この石積塚をめぐっては従来石塔という説と王陵という二つの説が提起されてきました。まず、これを石塔とする説はこのような形態の石塔が安東や義城地方に分布していることを根拠に挙げています。
一方、王陵とする説は「東国輿地勝覧」の山陰県山川條に「王山(ワンサン)」についての記述があり、その 脚注に「県の40里の山中に石で積んだ九龍があるが、四方すべての面が段々となっており、世間には王陵と伝えられている」という記録があります。
この墓を仇衡王陵という名称で初めて言及したのは洪儀泳(ホン・ウィヨン=1750~1815年)の ≪王山尋陵記(ワンサンシムヌンギ)≫でのことですが、近くにある王山寺(ワンサンサ)に伝えられている≪山寺記巻(シンサギグォン)≫に仇衡王陵と書かれていたといいます。
他の史料≪山清県遺誌≫によれば、正祖22(1798年)初めて王陵について言及したと記録している書物は、洪儀泳の ≪王山尋陵記≫で、これを根拠に王陵と判断したと思われます。伝えられるところでは、およそ200年前に村の人々が山に登り、祈雨祭(雨乞い)を行ったところ雨が降り、下山した王山寺で雨宿りをしていると、本堂の梁の上に正体不明の大きな木箱を見つけ、これを梁から下ろして中を見てみると、その中から仇衡王やその王妃の肖像画や服、弓、刀などの遺物とともに名僧・担渶(タンヨン)が記した王山寺記を発見、これを手掛かりに王陵を探し出すことができたといいます。
この時発見されたこれら遺物を所蔵するために朝鮮時代後期の正祖17(1793)年に徳譲殿を建て、それ以降毎年春と秋に追慕祭を執り行っています。

晋州伝統闘牛競技場(진주소싸움경기장)

晋州伝統闘牛競技場(진주소싸움경기장)

19.3 Km    29333     2024-02-28

キョンサンナム道チンジュ市パンムノドンギル100

晋州(チンジュ)伝統闘牛競技場は、晋州の闘牛を伝統文化として継承・発展させるために建てられた競技場です。観客席は3,000席で、晋陽湖(チニャンホ)公園の広い湖と美しい景観が調和した場所に位置しています。毎年、全国大会と土曜日の常設闘牛を開催しており、ユニークな体験ができるスポットです。

ハヨノク(하연옥)

ハヨノク(하연옥)

19.4 Km    7916     2024-02-28

キョンサンナム道チンジュ市ナムガンロ673ボンギル7

晋州(チンジュ)の文化財である矗石楼(チョクソンヌ)の近くにある冷麺専門店です。看板メニューは、晋州混ぜ冷麺。冷麺の上に牛肉のチヂミがのっているのが特徴です。ビビンバ、コムタン(牛肉スープ)、カルビ焼きも人気メニューです。周辺の観光スポットとして国立晋州博物館と晋州城があるので、足を延ばして訪れることをおすすめします。