国立徳裕山自然休養林(국립 덕유산자연휴양림) - エリア情報 - 韓国旅行情報

国立徳裕山自然休養林(국립 덕유산자연휴양림)

国立徳裕山自然休養林(국립 덕유산자연휴양림)

17.9 Km    85361     2024-04-07

チョンブク特別自治道 茂朱郡 茂豊面 九千洞路 530-62
+82-63-322-1097

茂朱九千洞の渓谷入口から近い徳裕山自然休養林は、奥まった静かな谷間にあります。カラマツやチョウセンマツが生い茂り、景色がとても美しく、休養林内の林山道は自転車で行き来することもできます。また、周辺には茂朱リゾート、徳裕山国立公園、羅済通門、茂朱揚水発電所など見どころが豊富です。

香積峰(徳裕山)(향적봉(덕유산))

香積峰(徳裕山)(향적봉(덕유산))

18.0 Km    41098     2024-04-08

チョンブク特別自治道ムジュ郡アンソン面トクサン里サン1

標高1,614メートルの香積峰(ヒャンジョクポン)は、徳裕山(トギュサン)の最高峰で、 一年中登山が楽しめますが、特に冬の景色が美しく、雪花が見られる登山コースとして広く知られています。近くの茂朱(ムジュ)リゾートからゴンドラに乗って雪天峰(ソルチョンボン)に登り、雪天峰から約20分歩くと、香積峰の頂上に到着します。初心者でも無理なく登って徳裕山(トギュサン)の幻想的な景色を堪能することができるので、人気の高いコースです。

白蓮寺(茂朱)(백련사(무주))

白蓮寺(茂朱)(백련사(무주))

18.9 Km    11863     2024-04-07

チョンブク特別自治道 茂朱郡 雪川面 白蓮寺キル580
+82-63-322-3395

徳裕山中心部の九千洞渓谷上流にある白蓮寺(ペンニョンサ)は、新羅の神文王の時に白蓮禪師が隠居していた場所に白い蓮の花が咲いたことから建てられたと伝えられおり、茂朱九千洞にあった14の寺院のうち唯一残っているものです。白蓮寺の入口にあるアーチ型の白蓮橋を渡り一柱門を通ると石の階段があり、その階段の上に大雄殿の建物が建っています。その他の文化財では、梅月堂浮屠と静観堂浮屠、高麗時代に作られたとされる三尊石仏が有名です。

茂朱九千洞33景(무주 구천동 33경)

茂朱九千洞33景(무주 구천동 33경)

18.9 Km    101945     2024-04-08

チョンブク特別自治道ムジュ郡ソルチョン面ペンニョンサギル580

茂朱(ムジュ)九千(クチョン)洞33景とは、石帽山(ソンモサン)羅済通門から德裕山(トギュサン)白蓮寺(ペンニョンサ)まで続く区間に点在する景勝地33ヶ所を意味します。奇岩怪石や希少野生動植物が生息する原始林を見ることができます。第1景の羅済通門から第14景の水鏡台(スギョンデ)まではドライブコースとして、第15景の月下灘(ウォルハタン)から第33景の香積峰(ヒャンジョクポン)まではトレッキングコースとしておすすめです。

七淵渓谷(칠연계곡)

七淵渓谷(칠연계곡)

19.0 Km    18485     2024-04-07

チョンブク特別自治道 茂朱郡 安城面 七淵路 608
+82-63-323-0577

安城面の通安村の後方、徳裕山側にある大きな岩でできた渓谷とその一帯は七淵岩洞と呼ばれています。茂朱九千洞という渓谷に比べればここはまだあまり知られていない場所ですが、変わった形をした岩や大小さまざまな滝、沼などがあり、小さいながらも美しさはひけを取りません。ここの見どころは七淵瀑布で、7つの滝と淵が連なっていることからついた名前です。上から下へ、透き通った清らかな水が滝をつくりながら流れ落ちていきます。七淵岩洞の下流にある龍湫瀑布はそれほど落差はありませんが、奇岩でできた絶壁に古い松の木、東屋が調和し、趣ある風景をつくっています。また、七淵瀑布の向かい側には朝鮮時代末期に日本軍と戦って戦死した兵の墓である七淵義塚や、若者が自然の中で過ごしながら活力を養う全羅北道自然環境研修院があります。

茂朱トビスコンド(무주토비스콘도)

茂朱トビスコンド(무주토비스콘도)

19.8 Km    1665     2024-04-07

チョンブク特別自治道 茂朱郡 茂豊面 九天洞路350
+82-63-322-6411

「茂朱(ムジュ)トビスコンド」は地下1階~地上4階規模で、さまざまな大きさの客室と付帯施設を備えています。周辺には多くの遺跡や観光地がある他、茂朱は南部エリアのスキーのメッカでもあります。

錦山 七百義塚(금산 칠백의총)

錦山 七百義塚(금산 칠백의총)

20.0 Km    23215     2022-09-13

チュンチョンナム道クムサン郡クムソン面ウィチョンギル50

この場所は、壬辰倭乱(文禄の役)の際に、日本軍との戦いで戦死した趙憲先生と霊圭大師率いた義兵700人の墓がある場所です。壬辰倭乱が起きてすぐ、趙憲先生は義兵を起こし、宣祖25年8月1日、霊圭大師と共に清州城を修復し、18日には湖南の巡察士であった権慄将軍率いる官軍と共に錦山の敵に攻撃を仕掛ける約束をしました。しかし、権慄将軍は、敵の情勢から作戦を変更し、出兵の日を遅らすという手紙を書きましたが、これが趙憲らに届きませんでした。作戦が変わったことを知らずに出兵した義兵の部隊は血戦の末ついに全員戦死しました。趙憲先生の弟子朴廷亮と全承業がその4日後、700人の遺骸を1つのお墓に埋葬し、七百義塚と名づけました。
その後、宣祖36年(1603年)に[重峯趙憲先生一軍殉義碑]が、仁祖25年(1647年)には祠が建てられ、七百義士の位牌が祀られました。

文化財庁主管で毎年9月23日午後3時から慰霊祭が行われます。(七百義塚管理事務所主催)

主要所蔵文化財
1)宝物(6種7点):朝天日記、祭文2点、宣祖大王教書、 重峯先生教旨、箭筒(矢筒)、(趙憲義兵長除授教書)趙憲文廟配享教旨
2)その他の遺物(8点):重峯全集、抗義新編、木刻版、尋源録、正気録、馬上激文、槍、世篤忠貞、霽峰文集