4.9Km 2024-03-15
ソウル特別市ヨンサン区イテウォンロ192
+82-2-792-4767
KERVAN(ケルバン)レストランは梨泰院(イテウォン)にあるトルコ料理レストランです。トルコの伝統料理ケバブやピデ、デザートがあります。トルコの伝統的なタイルを使ったインテリアに囲まれ、トルコ人シェフの料理を堪能しながら、トルコの文化と料理を体験できます。主なメニューはチキンステーキ、リッチピデ、チキンシシケバブなどです。
4.9Km 2024-12-13
ソウル特別市チョンノ区ユンボソンギル74
+82-2-730-7507
ソウル市チョンノ(鐘路)区にあるティーセラピーは、病院に行くほどではないけれど、身体の調子が常に悪いと感じる「未病」におすすめの場所です。ここでは難しく感じていた「韓方茶」を誰もが飲みやすく特別な方法で楽しむことができます。ティーセラピーのお茶は、ハーブティーのようにお湯を注いで3分ほどで簡単に飲むことができ、美味しく体にもいいです。お茶を飲み慣れていない方も、簡単なテストで自分に合ったお茶を楽しく選ぶことができます。ご自宅でも同店のお茶を楽しめるように店頭販売も行っています。
4.9Km 2024-03-13
ソウル特別市チュン区タドンギル24-2
1932年創業の湧金屋(ヨングモク)は、ソウル式どじょうスープの専門店です。ソウル式どじょうスープは、どじょうを丸ごと入れて調理するのが特徴の保養食です。どじょうをすりつぶす南原(ナムォン)式どじょうスープに比べて、違和感を感じるかも知れませんが、口の中でとろけるようなどじょう特有の旨味が絶品です。
4.9Km 2021-09-01
ソウル特別市 鐘路区 鐘路5キル 32-12
+82-2-735-7008
韓国産の牛肉と豚肉料理を取り扱っています。代表的なメニューは霜降り韓牛ロースです。ソウル特別市のジョンノ区に位置した韓食専門店です。
4.9Km 2024-10-15
ソウル特別市チョンノ区プクチョンロ7ギル16
ソウル北村(プクチョン)の嘉会洞(カフェドン)にある白麟済(ペク・インジェ)家屋は、近代韓屋の様式で建てられた日帝強占期の家屋です。北村が一望できる2,460平方メートルの敷地にサランチェ(別棟)、アンチェ(母屋)、庭園などが配されています。白麟済家屋は伝統韓屋の美しさを保ちつつ近代的変化を取り入れて建てられており、建築の規模や歴史的価値の面で大韓民国第4代大統領尹潽善(ユン・ボソン)氏が居住していた尹潽善家屋とともに北村を代表する建築物とされています。
白麟済家屋は1907年の京城博覧会で初めてソウルに紹介された「鴨緑江の黒松」を使って建てられ、同時代の典型的な上流階級の住宅とは異なった特徴があります。サランチェとアンチェを別にして建てた伝統韓屋とは異なり、2つの空間が廊下で繋がれており、扉の外に出ずに移動できます。また日本式の廊下や畳部屋があったり、赤レンガやガラス窓が多用されていたりするのも建築当時の時代的背景が反映されたものです。サランチェの一部が2階建てになっており、これは朝鮮時代の伝統韓屋では他に類を見ない特徴です。白麟済家屋は韓屋の様々な美しさを一ヶ所に集めた貴重な文化遺産といえます。
5.0Km 2021-08-04
ソウル特別市 中区 茶洞キル24-10
「楚遊香(チョユヒャン)」は、華僑の店主が1989年に店をオープンして以来、親子2代にわたって営業を続けています。会社の飲み会や家族との外食などにぴったりの場所です。1996年、TV(SBSリアルコリア)におこげスープ(ヌルンジタン)が紹介されたことで全国的に有名になりました。
5.0Km 2025-07-29
ソウル特別市カンナム区オンジュロ728
ミニッシュ歯科病院は2007年に「オヌルアン歯科」という名前で開院以来、院内施設や医療品質などにおいて韓国保健福祉部の厳しい審査を通過し、2018年12月に「病院級医療機関」として生まれ変わりました。歯へのダメージと痛みが少ない治療を目指し、過剰治療を防ぐために、豊富な臨床経験を持つ歯科の専門医13名による診療が行われています。
2009年から約15万件のミニッシュ臨床データを確保し、500人にのぼる芸能人や企業家、セレブたちが同院を選んでいます。
ミニッシュ歯科病院は、韓国保健福祉部が指定した外国人患者誘致機関として日本や米国、中国、中東など様々な国から外国人患者を誘致するなど、外国人患者優秀誘致医療機関としても活躍しています。
5.0Km 2021-07-30
ソウル特別市 城北区 アリラン路19キル116
貞陵(チョンヌン)は、朝鮮を建国した太祖の第2夫人の陵。他の陵に比べ小規模で豪華でもなかったためきちんと保存もされていませんでしたが、その理由は朝鮮時代の王位争いによるものとされています。当時王には何人かの夫人がいて、後継ぎも決して少ない方ではありませんでした。王の崩御後は第1夫人の長男が継ぐのが普通ですが、王の座に就こうとその子ども達が争いを始め第2夫人が自分の息子を王位に就かせました。これに対し太宗は第2婦人に対する憎しみを燃やし、自分が王座についた後その墓を手入れできないようにしてしまったのです。全体的な作りは他の陵と同じですが、貞陵はこのような理由によって他の陵に比べ粗末なものとなっています。また他の陵と違う点として、紅門と丁字閣を結ぶ線は普通直線ですが貞陵は直角であり、これを見てもこの陵が冷遇されていたということが分かります。
しかし今では市民の散歩コースとして人気があり、多くの家族やカップルが訪れています。周囲の木々も美しく、静かな雰囲気が都会の喧騒をしばし忘れさせてくれます。また管理事務所前の左側の道に沿ってしばらく行くと樹齢300年のけやきがあり、見どころのひとつとなっています。