スリチゴル聖地(수리치골 성지) - エリア情報 - 韓国旅行情報

スリチゴル聖地(수리치골 성지)

スリチゴル聖地(수리치골 성지)

0m    31802     2024-02-22

チュンチョンナム道コンジュ市シンプン面ヨンスボンガプギル544

スリチゴル聖地は、公州(コンジュ)市西部にある国士峰(ククサボン)の深山に位置しており、19世紀頃にカトリック教徒が迫害された時、朝鮮人のカトリック教徒たちが隠れ住んで組織を作った場所です。現在は、聖母マリアの聖地に指定されており、都市から離れて自然を満喫することができる場所のため、カトリック信者のための黙想の家(リトリートハウス)も建っています。

七甲山天文台スターパーク(칠갑산천문대 스타파크)

七甲山天文台スターパーク(칠갑산천문대 스타파크)

9.6 Km    30818     2024-02-01

チュンチョンナム道チョンヤン郡チョンサン面ハンティゴゲギル178-46

七甲山(チルガプサン)天文台スターパークは七甲山道立公園内にある天文・宇宙をテーマにした科学館です。天文台は3階建てで、1階には立体ドーム上映館と視聴覚室、2階には広報館と展望台があります。観測は3階の主観測室と補助観測室で行われます。屈折望遠鏡(APO 304mm)が設置されている主観測室では、主に昼間の時間帯に太陽の黒点とプロミネンスの観測が行われます。180度ドーム型3段スライドシステムを備えた補助観測室では、400mm反射望遠鏡などを用いて夜間の観測が可能。惑星、星団、星雲など星の観測が行われます。5D映像体験が可能な12mジオデシックドームのプラネタリウムも子どもに人気があります。南泉里山村生態村や近くのアルプス村に滞在しながら七甲山天文台と天庄湖吊橋へ行くのもおすすめです。

麻谷寺[ユネスコ世界文化遺産](마곡사[유네스코세계문화유산])

11.0 Km    19542     2024-03-15

チュンチョンナム道コンジュ市サゴク面マゴクサロ966
+82-41-841-6220

麻谷寺(マゴクサ)は、公州(コンジュ)泰華山(テファサン)の麓にあるお寺で、640年に建てられました。戦争が起きても難を逃れられるという言い伝えがあり、実際、日本が韓半島を侵略した壬辰倭乱のときも、朝鮮戦争が起きたときも焼かれることなく無事でした。多くの文化財が保存されており、テンプルステイが行われていて、韓国の寺院文化を体験することができます。

礼唐貯水池(礼唐観光地)(예당저수지(예당관광지))

礼唐貯水池(礼唐観光地)(예당저수지(예당관광지))

11.6 Km    30421     2021-01-12

忠清南道 礼山郡 光時面 長田里
+82-41-339-8285

朝鮮時代末期の実学者・李重煥は、『択里志』で内浦の地が忠清道でもっとも住みやすいところだと記しました。内浦の地とは現在の礼山です。礼唐観光地は、現在、国民観光地指定面積である5万6千坪のうち1万3千坪が造成されています。主要施設は食堂、旅館、各種便宜施設などで利用しやすく、現在まで登山路や駐車施設など、6つの施設が完成しており、テーマのある観光地へと変化しています。特に、礼唐貯水池周辺の散策路や八角亭は、釜山の太宗台のような趣が感じられるようにつくられており、家族で散策したり、友達やカップルで訪れるのにもぴったりです。一年を通して釣り客で溢れ、夏には近くの住民も訪れるなど、人々が大勢訪れる観光名所として知られています。

釣りについて
1962年に造成された韓国でもっとも大きな貯水池である礼唐貯水池は、礼山郡と唐津郡の農耕地に水を供給しており、礼山郡と唐津郡の最初の一字を取って礼唐貯水池と名づけられました。中部圏最高の釣り場として知られており、冬場は氷上釣りが楽しめます。フナ、コイが多く、その他ウナギ、カムルチー、コウライギギ、ドジョウなどが棲息しています。

天庄湖吊橋(천장호 출렁다리)

11.9 Km    17188     2024-02-01

チュンチョンナム道チョンヤン郡チョンサン面チョンジャンホギル24

2009年に設けられた天庄湖(チョンジャンホ)吊橋は青陽(チョンヤン)郡を代表する長さ207メートルの吊橋。橋の途中に青陽の特産品であるクコの実と唐辛子をかたどった高さ16メートルの主塔があり、目を引きます。その下を過ぎると幅1.5メートルの吊橋が始まり、20メートルほど歩いていくと上下左右に橋が揺れ、ちょっとしたスリルが味わえます。吊橋は30~40センチメートルほど揺れるように設計されています。橋を渡り切ると、展望台や七甲山へ向かう登山道が続いており、山歩きが苦手な人は、黄龍亭まで天庄湖のほとりを散歩することもできます。天庄湖吊橋のある天庄湖は、七甲山の東麓末端に位置しています。青陽の名勝の一つに数えられるほどの絶景で、七甲山頂上へと続く登山道が整備されており、天庄湖と吊橋、豊かな森とこぢんまりした渓谷を満喫できるという別の魅力もあります。他に、夜間開場とともに天庄湖吊橋の新しい魅力に触れることもできます。

アルプス村(알프스마을)

アルプス村(알프스마을)

12.3 Km    15627     2024-02-01

チュンチョンナム道チョンヤン郡チョンサン面チョンジャンホギル223-35

七甲山(チルガプサン)は忠清南道のアルプスと呼ばれています。アルプス村は七甲山麓にある村で、天井のように高いという意味で天庄里(チョンジャンリ)と呼ばれ、美しい天庄湖(チョンジャンホ)とともに天庄里アルプス村と呼ばれるようになりました。アルプス村には七甲山登山路と天庄湖を横切る天庄湖吊橋、都農交流センター、ウェルビーイング体験農園があり、毎年冬には氷噴水祭りが開催されて多くの人で賑わいます。お祭りでは雪と氷で作られた彫刻作品を鑑賞したり、各種そりやボブスレーを体験したりできる他、ジップラインやヒョウタン工芸などの体験も楽しめます。

七甲山ジャンスン公園(칠갑산 장승공원)

七甲山ジャンスン公園(칠갑산 장승공원)

12.9 Km    9189     2021-07-30

忠清南道 青陽郡 大峙面 長谷里
+82-41-940-2194

大衆歌謡によって広く知られた七甲山(チルガプサン)がある青陽は、ジャンスン(チャンスン/村を守る木像)に関する様々な伝説と由来が多い場所で、数百年前からジャンスン祭を開催するなど、韓国最高のジャンスン文化の保存地域といえます。
定山面松鶴里をはじめ、龍頭里・泉壮里・大峙里はジャンスン村として有名ですが、時代の流れによりジャンスン文化が変形・歪曲していくことを残念に思い、青陽郡庁は「七甲山ジャンスン公園」をつくることを決めました。失われ行く伝統文化を継承・発展させ、全国最高のジャンスン文化の保存地域として開発し、観光名所とするため、1999年5月「七甲山ジャンスン祭り」を開催しはじめ、ジャンスン公園というテーマ公園を設けました。ここには韓国最大の七甲山大将軍と七甲山女性軍(高さ11.5メートル)があり、全国のジャンスンが再現されています。民俗学を学ぶ場所として価値があるだけでなく、家族で訪れても楽しめます。七甲山大将軍の全体的な意味は平和・安泰・生産そして跳躍する青陽郡の未来と青陽人の精神を表現します。

七甲山道立公園(칠갑산도립공원)

七甲山道立公園(칠갑산도립공원)

13.4 Km    4647     2021-08-13

忠清南道 青陽郡 大峙面 長谷キル 241
+82-41-635-7690

七甲山(標高561メートル)は小高い頂と渓谷がある天然林が生い茂る名山です。
1973年3月6日に道立公園に指定された七甲山道立公園は、面積32.542平方キロメートルを誇り、三つの面(ミョン=韓国の行政区域のひとつ)に広がっています。
七甲山道立公園内には山頂、九十九谷、七甲山荘(崔益鉉銅像、『七甲山』歌謡彫刻品など)、チャンスン公園、天庄湖(チョンジャンホ)、長谷寺(チャンゴクサ)、定慧寺(チョンヘサ)、自然休養林、 道林寺址(トリムサジ)、豆率城(トゥユルソン)などがあります。
特に七甲山は四季の移ろいが明瞭で、春にはチョルチュク(クロフネツツジ)や桜に彩られ艶やかな風景となり、夏には緑生い茂る天然林が人々に癒しをもたらし、また秋には色とりどりの紅葉で彩られ、冬の雪景色は天上の世界にやってきたかのような美しい景色が見られるなど、一年を通じて登山で訪れる人々に七甲山ならではのすばらしさを感じさせてくれる名山です。七甲山には七つの登山路があり、それぞれ特徴があるコースとなっています。登山者に合ったコースを選ぶことができることから、年々登山客が増えています。また国民的な歌ともなった『七甲山』のヒットにより一層七甲山に親近感を抱く人々が増えました。

* 七甲山の由来 *

韓国の人々は古の時代から天と山を崇め奉ってきました。百済はこの山を百済の都に築かれた泗沘城(サビソン)の真北にある鎮山として聖なる山と捉え祭天儀式を行いました。
そのため、山の名称を万物生成の七大原理の七の字と、芽吹くという意味の甲の字を用い、生命の始まりという意味で七甲山と敬い、そう呼んできました。また七人の将帥が現れるという風水地理的に素晴らしい土地・明堂(ミョンダン)がある山とも伝えられています。
忠清南道(チュンチョンナムド)の中央に聳える七甲山の周囲には、東側に兜率城址(トソルソンジ=慈悲城[チャビソン])や道林城址(トリムソンジ)、南側に金剛寺址(クムガンサジ)や天政台(チョンジョンデ)、南西側に定慧寺(チョンヘサ)、西側に長谷寺(チャンゴクサ)など百済の人々の魂が宿る悠久の史跡が数多く点在しています。

七甲山は1973年3月道立公園に指定され、 今では国民的歌謡ともなった『七甲山』の曲とともに、百済の人々の魂が宿る聖なる霊験あらたかな山として知られています。
七甲山は元々、七岳山(チラクサン/チルアクサン)と呼ばれていました。韓国の名山の名称には岳の字が入ることが多く、雪岳山(ソラクサン)、冠岳山(クァナクサン)、月岳山(ウォラクサン)などがその代表です。
歴史的に見ると、朝鮮時代の地理書「東国輿地勝覧」の巻之十八・定山県山川編に「七甲山 左県西十六里有古城其号 慈悲城 又見 青陽県」との記述があり、七甲山は県の西・16里(註:韓国の1里は約400メートル)に位置し、昔の城跡がある場所で、慈悲城(チャビソン)と呼ばれていたことがわかります。
この慈悲城は別名・兜率城(トソルソン)とも呼ばれていました。寺の周辺を城で囲む形となっており、これは全国でも大変珍しい事例です。後世に伝えられている話としては、百済の王子あるいは王族の教育を行っていた寺であったという説や、国家の重大事を執り行ったり外国の使臣をもてなした三国時代の仏教全盛期の遺跡だった説など諸説あります。
ここひとつ注目すべき点は、百済時代に築城した兜率城と、新羅時代の韓国固有の詩歌・郷歌(ヒャンガ)の一つ「兜率歌(トソルガ)」という名称に「兜率」という言葉が共通して入っている点です。兜率は元々、梵語(サンスクリット語)の音訳で、知足、妙足などと意訳され、弥勒菩薩がいる天という意味です。

新羅時代の瑠璃王(ユリワン)5年に詠われたという兜率歌は、三国時代の詩歌の中でも最初の定型詩で、ここに登場する「漆岳(チラク/チルアク)」が今日の七甲山の旧名です。
その後、百済の都が扶余(プヨ)に定められると、 百済時代の山川崇拝思想により、名山大川に祭礼を行う行事が国政の大きな位置を占めるようになりました。このため国を挙げて信仰の対象となった漆岳山の名称を、仏教最高の神聖なる意味を持つ漢字を当てた名称・七甲山に変えたのです。
つまり、「漆」の字を同じ読みの「七」の字、この「七」の文字は天地万物が生成されるという北斗七星にちなんで名付けられた神々「七元星君」あるいは「七星」にも通じる文字で、また「甲」の字は天体の運行の原理となる六十甲子の根本である「甲」の字に由来したと言われています。
また、別の見解では錦江(クムガン)上流の之川(枝川=チチョン)を見下ろす、七人の将帥が輩出されるという甲の字の形をした地形に風水地理的に素晴らしい場所・明堂が七か所あり、七甲山と呼ばれたという説もあります。

百済文化体験博物館(백제문화체험박물관)

百済文化体験博物館(백제문화체험박물관)

13.4 Km    821     2024-01-31

チュンチョンナム道チョンヤン郡テチ面チャンゴクギル43-24

百済文化体験博物館は、百済時代の土器を焼く窯をモチーフにして建てられました。1,500年前の百済窯址、青瓦、崔益鉉(チェ・イクヒョン)流刑図、孔子像拓本、黄金福亀などの5大名品と金鉱体験館、農耕文化体験館、1960年代の様子を再現した思い出の通り展示館、韓相敦(ハン・サンドン)先生記念館、兪相玉(ユ・サンオク)寄贈室、チョンスン公園で構成されています。週末には土器作りやオリジナルカップ作り、百済衣装体験など、様々な体験が楽しめます。

礼山 任存城(예산 임존성)

礼山 任存城(예산 임존성)

13.5 Km    6272     2022-08-17

チュンチョンナム道イェサン郡クァンシ面マサ里サン28

礼山郡光時面と大興面、洪城郡金馬面が出合う地点に海抜483.9メートルの鳳首山があります。この山頂にある任存山城は、高い位置に井戸を掘って水を集めておき、攻撃のときに排水口を開けて水を噴き出させ、敵を一時的に苦境に陥れる攻撃を加える目的で造られた城です。
任存山城は約4キロメートルのテメ式(7、8合目の稜線に沿って水平に峰を一周する方式)の石垣で築造されており、城壁の高さは2.5メートル、幅は3.5メートルで、南側の城壁はひどく曲がりくねっており、城内には7、8メートルの内堀があります。外壁は石を積んで造られており、中は土で埋められています。周囲の長さは約5,194尺、高さ約2.5メートル、幅約3.5メートルで、馬で走っても十分な広さがあります。660年に百済が羅唐連合軍に負けたとき、義慈王のいとこの弟である福信、道琛(僧侶)と黒歯常之が3年間、後百済復興運動の拠点として活用し、百済の山城の中でもっとも規模が大きく、山城研究の基礎となっています。
城郭に沿って下りると大蓮寺があり、頂上からは南から西へと伸びる烏棲山、白月山、伽倻山を一目で見ることができます。この城の特徴は、四隅を堅牢な造りにするため、他の場所より2メートルほど厚く内托(外側は石造りにし、中は割石や土で埋める方法)にし、城の高さも高めになっています。光時面馬沙里方向からは城の下まで林道を利用し、車で駐車場まで行くことができます。