[事後免税店] BEAN POLE(ビーンポール)・ロッテモールクンサン(群山)店(빈폴 롯데몰 군산점) - エリア情報 - 韓国旅行情報

[事後免税店] BEAN POLE(ビーンポール)・ロッテモールクンサン(群山)店(빈폴 롯데몰 군산점)

[事後免税店] BEAN POLE(ビーンポール)・ロッテモールクンサン(群山)店(빈폴 롯데몰 군산점)

13.1 Km    0     2024-04-28

チョンブク特別自治道クンサン市チョチョンロ130

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福城楼(복성루)

13.2 Km    9333     2024-04-08

チョンブク特別自治道クンサン市ウォルミョンロ382
063-445-8412

福城楼(ポクソンル)は群山(グンサン)地域のちゃんぽん人気店3つのうち1つとして挙げられます。新鮮なイカ、ムール貝、ハイガイなどの海産物と野菜を入れてじっくり煮込んだちゃんぽんスープの味が特別です。様々な野菜と海産物を切ってから澱粉で濃度を調整した水ジャージャー麺も人気メニューの1つ。

群山・開井面 旧日本人農場倉庫(군산 개정면 구 일본인농장 창고)

13.2 Km    25238     2024-04-07

チョンブク特別自治道 群山市 開井面 パルメキル 53-5

2005年国家登録文化財第182号に指定された嶋谷金庫は日帝強占期の群山(クンサン)地域を代表する農場主であった嶋谷八十八が1920年代に建てた蔵です。
嶋谷は韓民族の文化財収集に関心を寄せ、鉢山里石塔や五重石塔をはじめとした数多くの芸術品を不法に収集した人物です。この建物は嶋谷が収集した骨董品を保管していた場所でした。
建物は3階建てのコンクリート作りで入口には鉄製の金庫の扉がついています。
窓は鉄格子と鉄板の二重構造の仕掛けとなっています。
現在、鉢山初等学校の場所に農場を持っていた嶋谷八十八は日本の山口県玖珂郡出身で、日本において酒造業で財を成し清酒の原料である廉価の米を求めこの群山に来た人物でした。
1903年12月当時7万円で鉢山里周辺の土地を買収し農地を開き始め、1909年になると臨陂(イムピ)のほか2つの面に486町歩の農地を所有する農場主となりました。
土地に対する執着がとても強かった嶋谷は韓国が解放された後、アメリカ軍政庁に韓国人になるべく帰化申請し、他の日本人が帰国した後も最後まで帰国を拒否、そのため嶋谷は群山の最後の日本人農場主という別名で呼ばれることになりましたが、結局、米軍政庁の強制的な勧告により鞄二つだけを手に釜山港から最後の帰国船に乗らなければなりませんでした。
この建物は半地下である1階部分と地上部分2階分ある総3階建て構造の一体型で作られ、内部の各階は板の間で仕切られた建物です。外部へ通じる窓には鉄格子があり、その外側へ鉄の扉がつけてあり2重の防犯となっています。
出入口にはUSAのマークが鮮明にある扉があり、第二次世界大戦以前にアメリカから輸入した輸入品であることがわかります。金庫の半地下には生地や食料品があったといわれ、2階には農場の重要書類や現金が、3階には韓国の古美術品が多数所蔵してあったといいます。


[事後免税店] ハイマート・キョンアム(京岩)店(하이마트 경암점)

[事後免税店] ハイマート・キョンアム(京岩)店(하이마트 경암점)

13.6 Km    0     2024-04-23

チョンラブク道クンサン市チンポロ251

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京岩洞線路村(경암동 철길마을)

京岩洞線路村(경암동 철길마을)

13.6 Km    14     2024-04-08

チョンブク特別自治道クンサン市キョンチョン4ギル14

京岩洞(キョンアムドン)線路村(チョルキルマウル)は、現在の全羅北道(チョルラプクド)群山市(クンサンシ)京岩洞に1944年操業開始した「北鮮製紙化学工業」(現・ペーパーコリア)の新たな工場と旧・群山駅を結ぶおよそ2.5kmの線路沿いの町を総称した名前です。この町がある行政区域名から京岩洞線路村と呼ぶようになりました。
日帝強占期(1910~1945年)末期の1944年に敷設されたこの工場引込線周辺には工場稼動とともに次第に人々が集まりはじめ、1970年代になると本格的に町が形成されていきました。
京岩洞のこの線路は日帝強占期末期の1944年、新聞用紙の原材料を製紙工場に運び込むために敷設された工場専用引込線で、1950年代中盤までは「北鮮製紙鉄道」と呼ばれていました。1970年代初めまでは「高麗製紙鉄道」、その後は「世大(セデ)製紙線」あるいは「世豊(セプン)鉄道」と呼ばれていましたが、世豊グループの倒産により新たに買収・継続会社となった会社の名前を取って「ペーパーコリア線」と呼ばれ、現在では元々あった工場も移転し廃線となっています。

チュンドンホットク(중동호떡)

チュンドンホットク(중동호떡)

13.6 Km    11078     2024-04-08

チョンブク特別自治道クンサン市ソレロ52

チュンドンホットクは、1943年から受け継がれてきた味の群山(クンサン)の名物です。油で揚げずに焼いており外はサクサク、中はジューシーです。餡は群山の穀物の「ヒンサルチャルボリ(もち麦)」、黒豆、黒ゴマ、黒米を混ぜたシロップが入っていて健康に良い甘さが感じられます。毎日朝から晩までひっきりなしに客が訪れる名店で、韓国の様々な番組で紹介されたことがあります。

[事後免税店] イーマート・クンサン(群山)(이마트 군산)

13.7 Km    0     2024-04-28

チョンブク特別自治道クンサン市クアム3・1ロ137(キョンアム洞)

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東国寺(群山)(동국사(군산))

東国寺(群山)(동국사(군산))

13.7 Km    10252     2024-04-07

チョンブク特別自治道 群山市 東国寺キル16

東国寺(トングクサ)は1909年から群山(クンサン)で布教を始めた曹洞宗の日本人僧侶・内田仏観(善応仏観)が1913年に建立した寺です。
日本強占期(1910~45年)の間、日本人の住職によって寺は守られてきましたが、1945年8月15日、日本の植民地支配から解放される日を迎え、大韓民国の懐へ戻ってきたという苦難の歴史を持つ寺です。
東国寺は韓国に残された唯一の日本式の寺で、大雄殿と寮舎の建物が渡り廊下でつながっているのが特徴です。
韓国の伝統家屋に見られる原色鮮やかな丹青(タンチョン)で彩られた韓国の寺院とは異なり、装飾がない軒や大雄殿の側面には多くの戸があり、日本的な雰囲気を醸し出しています。
東国寺は曹渓宗第24教区・高敞(コチャン)禅雲寺(ソヌンサ)の末寺に当たります。
東国寺の大雄殿は2003年7月、国家指定登録文化財に指定されました。
東国寺の元々の名称は錦江禅寺(錦江寺)と言われていました。この錦江禅寺は1909年、内田仏観という日本人僧侶が群山に布教所を開設し創建した曹洞宗の寺でした。

日本の仏教は1877年、釜山(プサン)の開港とともに、日本政府の要請により流入してきました。
一番最初に浄土真宗大谷派が布教を開始し、1904年群山にも布教所を開設し、日蓮宗が続きました。
日本の仏教が韓国に進出した理由ですが、純粋な仏教布教が目的ではなく、韓国を日本に同化させようとした日本政府の意向をそのまま反映したものと言われています。
その後、朝鮮総督府は日本の仏教を普及するため、1911年6月3日付で寺刹令も発布しています。
寺刹令を契機に、日本の仏教界は全土に別院・出張所・布教所などを設立しました。
錦江禅寺が建立される前、群山には本願寺、群山寺、安国寺がすでにありました。錦江禅寺を創建した内田仏観は布教を始めた1909年当時、すでに77歳の高齢で、群山地域を布教活動している途中、群山の一条通りにあった家屋を借り、布教所を開設しました。1913年7月に現在の場所に移り、現在の東国寺の建物を新たに建立しました。

東国寺の意義
東国寺は日帝強占期に建立された寺です。日帝強占期に建てられ現在まで残っている日本式の寺はすべて壊され、唯一残っているのが東国寺です。特に、東国寺大雄殿は2003年登録文化財に指定されました。

群山公設市場(군산 공설시장)

群山公設市場(군산 공설시장)

13.7 Km    19930     2024-04-08

チョンブク特別自治道クムサン市シングムギル18

群山(クンサン)公設市場は、1918年に開設された群山の伝統ある市場です。群山港の開港により西洋の文物が入ってきて、鉄道の駅ができたことで人が集まり、市場が形成されました。一般的なスーパーマーケットのような商店街の中に、伝統市場の特徴を備えているのがユニークです。周辺の観光スポットとして、群山近代歴史博物館と近代美術館があります。

日出屋(일출옥)

13.9 Km    4857     2024-04-08

チョンブク特別自治道クンサン市クヨン6ギル22-3
063-443-5524

日出屋(イルチュルオク)は、冬葵入りスープと豆もやしクッパだけを販売するクッパ屋です。冬葵入りスープは冬葵とエビにテンジャンを入れて煮込んだ人気メニューで、豆もやしクッパはカタクチイワシとあらゆる材料でだし汁を作った全羅道(チョンラド)風のクッパです。自家製のキムチとしゃきしゃきとしたカクテキも格別な味がします。早朝から営業をはじめ価格も手ごろです。