5.1Km 2025-11-28
チョンブク特別自治道クンサン市キョンチョン4ギル14
京岩洞(キョンアムドン)線路村(チョルキルマウル)は、現在の全羅北道(チョルラプクド)群山市(クンサンシ)京岩洞に1944年操業開始した「北鮮製紙化学工業」(現・ペーパーコリア)の新たな工場と旧・群山駅を結ぶおよそ2.5kmの線路沿いの町を総称した名前です。この町がある行政区域名から京岩洞線路村と呼ぶようになりました。
日帝強占期(1910~1945年)末期の1944年に敷設されたこの工場引込線周辺には工場稼動とともに次第に人々が集まりはじめ、1970年代になると本格的に町が形成されていきました。
京岩洞のこの線路は日帝強占期末期の1944年、新聞用紙の原材料を製紙工場に運び込むために敷設された工場専用引込線で、1950年代中盤までは「北鮮製紙鉄道」と呼ばれていました。1970年代初めまでは「高麗製紙鉄道」、その後は「世大(セデ)製紙線」あるいは「世豊(セプン)鉄道」と呼ばれていましたが、世豊グループの倒産により新たに買収・継続会社となった会社の名前を取って「ペーパーコリア線」と呼ばれ、現在では元々あった工場も移転し廃線となっています。
9.3Km 2024-12-02
チョンブク特別自治道 群山市 開井面 パルメキル 53-5
2005年国家登録文化財に指定された嶋谷金庫は日帝強占期の群山(クンサン)地域を代表する農場主であった嶋谷八十八が1920年代に建てた蔵です。
嶋谷は韓民族の文化財収集に関心を寄せ、鉢山里石塔や五重石塔をはじめとした数多くの芸術品を不法に収集した人物です。この建物は嶋谷が収集した骨董品を保管していた場所でした。
建物は3階建てのコンクリート作りで入口には鉄製の金庫の扉がついています。
窓は鉄格子と鉄板の二重構造の仕掛けとなっています。
現在、鉢山初等学校の場所に農場を持っていた嶋谷八十八は日本の山口県玖珂郡出身で、日本において酒造業で財を成し清酒の原料である廉価の米を求めこの群山に来た人物でした。
1903年12月当時7万円で鉢山里周辺の土地を買収し農地を開き始め、1909年になると臨陂(イムピ)のほか2つの面に486町歩の農地を所有する農場主となりました。
土地に対する執着がとても強かった嶋谷は韓国が解放された後、アメリカ軍政庁に韓国人になるべく帰化申請し、他の日本人が帰国した後も最後まで帰国を拒否、そのため嶋谷は群山の最後の日本人農場主という別名で呼ばれることになりましたが、結局、米軍政庁の強制的な勧告により鞄二つだけを手に釜山港から最後の帰国船に乗らなければなりませんでした。
この建物は半地下である1階部分と地上部分2階分ある総3階建て構造の一体型で作られ、内部の各階は板の間で仕切られた建物です。外部へ通じる窓には鉄格子があり、その外側へ鉄の扉がつけてあり2重の防犯となっています。
出入口にはUSAのマークが鮮明にある扉があり、第二次世界大戦以前にアメリカから輸入した輸入品であることがわかります。金庫の半地下には生地や食料品があったといわれ、2階には農場の重要書類や現金が、3階には韓国の古美術品が多数所蔵してあったといいます。
9.3Km 2024-02-22
チュンチョンナム道ソチョン郡チャンハン邑ユブドギル
有父島(ユブド)は、舒川(ソチョン)沖合に浮かぶ小さな島で、長項港(チャンハンハン)から船で30分程度かかります。干潟が広く発達し、防潮堤整備により開発された塩田があります。海水と淡水が混じるところでボラとエビがたくさん獲れます。ここは渡り鳥の移動ルートに位置し、100種類以上の渡り鳥がしばらく休憩をとる場所でもあります。
10.4Km 2024-04-07
チョンブク特別自治道 金堤市 進鳳面 深浦10キル94
「望海寺(マンヘサ)」は、進鳳山の峠を越えて削られたようにそびえ立つ奇岩怪石の断崖の上で、果てしなく広がる海を見下ろせるために「望海寺」と名づけられました。ここは642年(百済時代)に浮雪居士(三国時代に金堤で活動していた僧侶)が創建し修道したのが始まりですが、そのうちに境内が崩れ海に沈んでしまいました。しかし1589年(朝鮮時代)に震默大師(朝鮮後期の金堤出身の僧侶)が望海寺の楽西殿(全羅北道文化財資料第128号)を再建しました。「ㄱ」の文字の形をした建物の前のでっぱり部分には板の間が敷かれ、その後ろには近年に作られた鐘が掛けられています。
11.9Km 2024-04-17
チョンブク特別自治道キムジェ市チンボン面ファポ里1192-1
セマングム広域探訪路は、万頃江(マンギョンガン)の周辺の素晴らしい自然景観が体感できるように作られた探訪路です。万頃(マンギョン)邑土亭(トジョン)村から始まり、進鳳面(チンボンミョン)サムポ村まで続く総長12.5キロメートルの道で、探訪路を歩くと、広い田んぼや緑の自然が広がり、万頃江周辺に生息する様々な希少野生動植物も見ることができます。
12.3Km 2024-04-08
チョンブク特別自治道キムジェ市マンギョン邑ファポ3ギル54-9
「聖母庵(ソンモアム)」は維仰(ユアン)山に位置する韓国仏教の曹渓宗の寺院です。チョンラブク道の有名な僧侶である震黙大師の母親の墓地があることで知られています。駐車場から境内までの道の両側に石塔がずらっと並んでいるのが印象的で、境内の左側の低い丘に震黙大師の母親の墓地があります。
13.7Km 2024-04-08
チョンブク特別自治道クンサン市ウェハンロ1331
飛鷹(ピウン)マパジ道は、飛鷹島(ピウンド)の海岸沿いに作られたボードウォークです。マパジとは、韓国語でマパラム(南風)を受ける場所という意味で、海から吹いてくる涼しい風を受けながら散歩を楽しむことができます。海岸の絶景を眺めながら歩くと、すぐ展望台が視界に入ります。展望台からは、飛鷹港と広々とした西海の風景が一望できます。
14.4Km 2024-04-08
チョンブク特別自治道クンサン市ピウンナムロ74-19
飛鷹港(ピウンハン)はセマングム防潮堤や古群山群島といった観光地の入り口にある港で、セマングム防潮堤の出発点です。群山内港が錦江河口堤の完工後、土砂堆積で機能喪失し、航路幅が狭くなって貨物船と漁船が同一航路を利用することで海難事故が発生する恐れがありました。セマングム事業で陸地沿岸が閉鎖されると、これに代わる漁港新設が必要となり開発されたのが群山外港、群山新港、飛鷹港です。飛鷹港は(工事期間2003年7月~2007年6月)セマングム防潮堤や古群山群島などの観光地と連携した観光資源活用のための未来志向的な多機能複合漁港です。また、飛鷹港はイイダコ、コウイカ、ヒラメ、クロソイなどの釣り船の出港地として知られています。
15.2Km 2024-04-07
チョンブク特別自治道 群山市 臨陂面 書院石谷路 37
群山市臨陂面戌山里にある臨陂(イムピ)駅駅舎は1936年群山線の鉄道駅の駅舎として作られました。
1912年湖南線の支線として完成した群山線に位置する臨陂駅は元々、臨陂・邑内里に建設するはずでしたが、邑内里に住む儒学者が風水地理的な理由で反対し、戌山里を経由することになったという言い伝えがあります。
日帝強占期、群山線は全羅北道の農産物を群山港を通じ日本へ搬出する重要交通路として収奪の苦い歴史を経験したところでもあります。臨陂駅は当時の農村地域にある小規模簡易駅舎の典型的な建築形式や技法を生かして建てられた建物で、原型を比較的よく留めた形で残っており、建築的・鉄道史的価値が高い建造物です。
1995年4月1日に配置簡易駅となり、2005年9月30日貨物取扱を中止、続く2008年5月1日には旅客営業も中止となりました。
18.5Km 2022-07-04
チュンチョンナム道ソチョン郡チョンチョン面 ヒリサンギル206
山全体が海松天然林で景観がすばらしく入口には貯水池もあり森林浴が楽しめます。登山路に沿って頂上まで登れば西海を望むことができ、また春長台海水浴場や錦江河口堤、韓山カラムシタウンなどの観光地も近くに位置しているため一緒に回ることができます。
ヒリ山は海抜329メートルで休養林の北西の方には4匹の大蛇が住んでいたと言われる場所があります。
また、ヒリ山で最も高いムンス峰の山の背に沿って戦士達が馬に乗り走っていた場所や馬の糞のような形をした馬糞岩があります。他にも大蛇が住んでいた4つの大きな峰の下に兵士たちが住んでいた小さな岩100個程があり兵士岩と呼ぶなど岩がいろいろな形をしており、ムンス峰に続く登山路の周辺にはたくさんの見所があります。