永宗島(영종도) - エリア情報 - 韓国旅行情報

永宗島(영종도)

8.9Km    2021-08-12

仁川広域市 中区 雲南西路100

「永宗島(ヨンジョンド)」は、永宗大橋を介して陸地と、干拓工事により龍遊島や三木島と繋がる島です。仁川沿岸部から北西に3キロメートルほどの場所にあり、干潟や海が広がります。永宗島の魚市場ではヒラメやカレイ、カニ、ナマコ、ホヤのような近隣の海で獲れた新鮮な海産物を購入するだけでなく、刺身にしてその場で楽しめます。
永宗島中央には海抜156メートルの白雲山がそびえており、その周囲に循環道路があります。白雲山は大院君が10年あまり住んでいた竜宮寺と薬水岩が有名なところです。また、竜宮寺の前には1300年の樹齢を誇るケヤキの木があります。白雲山の頂上に登ると仁川国際空港をはじめとした周辺の景色が一目で見ることができます。

仁川大橋展望台(인천대교전망대)

9.1Km    2025-07-14

インチョン広域市ヨンス区ソンド洞30-9

仁川(インチョン)大橋展望台「OCEANSCOPE」はチャン・ギルファン氏プロデュース、AnLstudioデザインによる、物流都市である仁川を象徴するコンテナでつくられた展望台です。2010年ドイツのレッドドット・デザイン賞建築造形物分野best of the bestを受賞。仁川大橋展望台は西海と夕日、仁川大橋を眺望できる展望台であるとともに展示空間を提供する目的で企画されました。展望台にはウッドデッキやベンチがあり休憩するのにも最適です。後方には松島の高層ビル、前方遠くには西海が広がり海岸都市の風景が楽しめます。また仁川大橋展望台は湖のウォーターフロントにあり、近くには仁川アートセンター、セントラルパーク、Gタワーがあります。

富平ヘムルタン通り(부평 해물탕거리)

富平ヘムルタン通り(부평 해물탕거리)

9.1Km    2022-09-13

インチョン広域市プピョン区プピョンムンファロ113

今から約30~40年前に3店舗から始まった「ヘムルタン(海鮮鍋)通り」が今では10店舗ほどに増えました。毎朝可楽洞市場などから新鮮な材料を仕入れており、様々な海産物やセリ、豆もやしが入ったヘムルタンの濃く深いスープの味が逸品です。ほとんどのお店は海産物のスープや蒸し煮料理が専門ですが、中には海鮮おこげスープなど、新たな味に挑戦しているお店もあります。

京仁アラベッキル(경인 아라뱃길)

京仁アラベッキル(경인 아라뱃길)

9.2Km    2023-11-28

インチョン広域市ソ区チョンソジン1ロ41

京仁(キョンイン)アラベッキル(ソウル仁川間運河)
アラベッキルの「アラ」は韓国民謡『アリラン』のサビ「アラリオ」に由来します。西海と漢江をつなぐ韓国民族の趣と精神、情緒と文化が流れる航路として大韓民国の新たな文化を創造する「グローバル名品航路」という念願が込められています。
周辺と調和のとれた自然な照明が設置されており、夜間には煌めく美しい橋の景観をみることができます。またアラベッキルでは水上と水辺にてさまざまな文化体験を楽しめます。水上では遊覧船、ヨット、カヌーなどのレジャーが体験でき、水辺では展望台、艦上公園、文化館などの文化施設を観覧したり、18キロメートルの航路に沿ってレンタサイクルでサイクリングを楽しむこともできます。

国立世界文字博物館(국립세계문자박물관)

国立世界文字博物館(국립세계문자박물관)

9.2Km    2025-07-07

インチョン広域市ヨンス区セントラルロ217

国立世界文字博物館はフランスのシャンポリオン博物館、中国文字博物館に次いで世界で3番目にオープンした文字専門博物館です。文字に関する情報を集めて研究し、これを土台に展示と教育を行い、これにより世界の文字の歴史的価値を共有するとともに文字で文化の多様性を体験できるコンテンツを提供します。国立世界文字博物館では人類初の文字である楔形文字からハングルに至るまで人類文明の発展を導いた文字の誕生と発展、未来の物語に触れることができます。

龍宮寺(仁川)(용궁사(인천))

龍宮寺(仁川)(용궁사(인천))

9.2Km    2021-11-04

仁川広域市 中区 雲南路199-1

龍宮寺は仁川国際空港から最も近いところにある寺で、白雲山の東北部に位置しています。新羅の文武王10年(670年)に元暁大師が創建し、山の名前を白雲山、寺の名前を白雲寺と名づけました。その後、興宣大院君がこの寺に留まりながら10年間祈祷をし、息子が王位に就くや寺を改築し寺の名前を龍宮寺に変えました。
龍宮寺には、興宣大院君が改修・改築した観音殿や、興宣大院君の自筆の文字が書かれた板が掛けられている寮舎(僧侶たちが生活する建物)、七星閣などの殿閣、そして最近建てられた高さ11メートルの弥勒仏があります。また、寺の前には樹齢1300年にもなる2本のケヤキの木があります。

シントゥリ公園(신트리공원)

シントゥリ公園(신트리공원)

9.2Km    2021-07-02

仁川広域市 富平区 シントゥリ路21

富平は周りを桂陽山と鉄馬山、満月山に囲まれた盆地形状からなっています。 現在の富平が都市としての形を整えたのは、京仁鉄道の開通と韓国戦争直後、米軍部隊の配置による人口の流入によるものとされています。富平4洞のシントゥリ公園は総面積58,594平方メートルで、サッカー場やテニスコート、バドミントンコートの他、子どもの遊び場や遊歩道、噴水などが整備されています。教養施設として7,869平方メートル(1,500席)規模の図書館が公園内にあり、住民の憩いの場として親しまれています。

Arts Center仁川(아트센터인천)

9.3Km    2025-03-15

インチョン広域市ヨンス区アートセンターデロ222

松島(ソンド)国際都市に建てられたArts Center仁川(アーツセンターインチョン)は、指揮者の手の動きからインスピレーションを得て設計された複合文化施設です。個性的な外観と海を臨む眺望、世界レベルの音響システムは、Arts Center仁川が単なる公演会場に留まらず、建築の意味においても重要であることを示唆します。第1段階として、2018年11月にコンサートホールを開館し、音楽を通じて世界とコミュニケーションを取るとともに、次第にアートの世界へとその領域を広げています。今後、ミュージアムとオペラハウスを備えた複合文化施設へと成長するための第2段階事業を進めていきます。仁川のランドマークとして注目を集めているArts Center仁川は、地域の文化インフラをしっかりと構築し、地域住民が独創的でかつ幅広い文化・芸術を享受することができる機会を提供していく計画です。

仁川景西洞 緑青瓷窯址(인천 경서동 녹청자 요지)

仁川景西洞 緑青瓷窯址(인천 경서동 녹청자 요지)

9.3Km    2024-09-25

仁川広域市 西区 陶窯址路 54

1970年5月に史跡に指定され、地元初の国家指定文化財となった仁川・景西洞緑青瓷窯址(インチョン・キョンソドン・ノクチョンジャヨジ)。

1984年12月9日、この場所に遺跡を保護するための広さ82.6平方メートルの保護幕舎が設置しました。ここで発掘された器種は平鉢、大皿などが主で、たらいのような形をした陶磁器・チャベギ、盤口長頸瓶、甕などが出土しました。釉薬の色は緑褐色や暗緑色で不透明で光沢がなく、表面に斑点のようなものがあるものの、これは釉薬の成分、窯の特殊構造、焼成温度などが影響したものとみられます。

斜面を利用した窯は傾斜度22度ほどの単室窯となっています。この窯址で注目すべき点は、緩やかに傾斜した窯床に、土で作った円形のトジミ(ケットク)と呼ばれる焼台を配置しているのが特徴です。
このトジミは、窯に詰めて焼く際、これから焼こうとする陶磁を置く焼台で、器ひとつひとつをその上に置き、器の底が窯床に直接触れないようにするために設けられたものです。
この焼台の形はあたかも馬のひづめのようなの形をしており、前の部分は分厚く、後ろの部分は薄く低めに作られています。
登り窯のように傾斜した窯の床の上に焼台の分厚い部分を窯の傾斜の下の方に向けて置くと、器が窯の中で傾かず水平を維持することができます。つまり、窯床自体は傾斜がありますが、焼台を置くことにより窯の中に置かれた器が水平を保つように調節できるようになっています。そのため窯の下の方へ行けば行くほど焼台の高さが高くなり、その上に置かれた器が傾かないよう焼台の高さを調整しています。

このような構造の陶窯址は以前には日本でのみ2か所発見されていたにすぎなかったことから日本独自のものと思われていましたが、仁川・景西洞緑青甕窯址が発見されたことにより、今後の研究如何によっては陶窯技術の日本への伝達経緯を明らかにする貴重な史料となることが期待されています。

緑青瓷博物館(녹청자박물관)

緑青瓷博物館(녹청자박물관)

9.3Km    2024-09-11

仁川広域市 西区 陶窯址路 54

旧景西洞(キョンソドン)事務所を改築し2002年10月25日に緑青瓷陶窯址資料館を開館しました。国家史跡景西洞緑青瓷陶窯址に関する学術資料の提供および陶磁器体験教室の運営を行っている緑青瓷陶窯址資料館は1965年と1966年に4回にわたる発掘調査を行いました。
この陶窯址で焼かれた瓷器は、精選された青瓷系の薄い胎土(陶磁器の生地の土)の上に調質の緑褐色の釉薬を塗り焼いた緑青瓷器(青磁器)です。景西洞緑青瓷陶窯址は1970年5月、史跡に指定され、地元では初めての文化財となりました。
緑青瓷が生まれた年代については、諸説がありますが、新羅時代末期から高麗時代初期(9世紀から10世紀)ごろ、比較的品質に優れた日暈底青瓷が発達し地方の豪族など富裕階層に普及・広がりを見せる一方、緑青瓷器は高麗時代前期から朝鮮時代後期まで庶民の器として作られたものと見られます。
陶窯址の構造や様式を見ると、丘陵地に西南方向に向かって作られた窯床の長さは7.3m、幅1.05m、焚口の幅1.2mであまり目にすることがない小規模の窯跡です。 窯の傾斜度は22度ほどの単室窯ですが、この窯址で注目されるのは緩やかに傾斜する窯床の表面に土で作った円形のトジミ(ケットク)と呼ばれる焼台を配置している特殊な様式です。 この焼台の形はあたかも馬のひづめのようなの形をしており、前の部分は分厚く、後ろの部分は薄く低めに作られています。登り窯のように傾斜した窯の床の上に焼台の分厚い部分を窯の傾斜の下の方に向けて置くと、器が窯の中で傾かず水平を維持することができます。
このような構造様式の陶窯は日本では独自のものであると自負してきましたが、このような陶窯址が日本のみならず二か所で発見されたため、ここ仁川・景西洞緑青瓷陶窯址の発掘は、今後の研究如何によっては陶窯技術の日本への流出経路を明らかにする貴重な資料となると思われます。

・増築: 2002年9月 27日