江華花紋席文化館(강화화문석문화관) - エリア情報 - 韓国旅行情報

江華花紋席文化館(강화화문석문화관)

江華花紋席文化館(강화화문석문화관)

0m    20656     2021-09-10

仁川広域市 江華郡 松海面 長井陽五キル413
+82-32-930-7060

全国で唯一の莞草(ワンゴル)工芸品である花紋席は高麗時代から受け継がれてきた生活文化遺産で、江華郡だけで生産される自慢の民族文化遺産です。江華郡ではこのような民族文化遺産の継承と発展のために花紋席の発祥地である松海面陽五里に花紋席文化館を作りました。
花紋席文化館には、花紋席はもちろん莞草工芸品の過去と現在、そして未来の多様な莞草工芸品の変遷過程が一目で分かる常設展示館があります。

江華支石墓遺跡[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](강화 고인돌 유적[유네스코 세계문화유산])

江華支石墓遺跡[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](강화 고인돌 유적[유네스코 세계문화유산])

2.9 Km    27958     2023-11-28

インチョン広域市カンファ郡ハジョム面プグン里

支石墓(コインドル)は青銅器時代の代表的な墓で、主に経済力や政治権力を持った支配層の墓として知られています。江華(カンファ)富近里(プグンリ)支石墓は高さ260cm、長さ710cm、幅550cmの大きな石を使用し、形は北方式支石墓で古代史研究の良い資料となっています。また2000年11月29日に高敞、和順の支石墓とともにユネスコ世界文化遺産に登録されました。

江華歴史博物館(강화역사박물관)

江華歴史博物館(강화역사박물관)

3.0 Km    42894     2021-07-20

仁川広域市 江華郡 河岾面 江華大路 994-19

江華(カンファ)歴史博物館は江華の文化遺産を所蔵・研究・展示する目的で開館した公立博物館です。元々、甲串墩台(カプコットンデ)のそばにありましたが、2010年に移転、現在の場所に新たにオープンしました。
常設展示には江華の先史時代の遺跡地と高麗王陵から出土した遺物や郷校(ヒャンギョ)、伝統寺院の所蔵品などの文化財が展示されています。また企画展示室では毎年さまざまなテーマの特別展が開催されています。
江華の歴史を知ってもらうための映像室と教育プログラムを運営しており複合文化スペースとしての役割も担っています。

江華島制赤峰平和展望台(강화도제적봉 평화전망대)

江華島制赤峰平和展望台(강화도제적봉 평화전망대)

3.9 Km    31771     2021-07-26

仁川広域市 江華郡 両寺面 展望台路 797

江華平和展望台は、一般人の出入りが厳戒に統制されていた仁川広域市江華郡(カンファグン)両寺面(ヤンサミョン)鉄山里(チョルサンリ)の民間人統制線(民統線)北方地域の林野にある展望台です。
他の地域では見ることのできない北韓の独特な文化や現状を間近で感じられるよう、2006年末から地上4階建て地下1階の展望台建設に着手し、2008年9月5日にオープンしました。
4階建ての建物には地下と4階部分に軍部隊関連施設、1階には江華特産物と北韓の特産物などを販売している売店、食堂、管理事務所、統一念願所、休憩所などがあります。2階には高性能望遠鏡のほか、戦争の惨状と痕跡を垣間見ることができる展示室、3階には北韓を一望できる展望施設、そして悪天候の日でも映像を通して北韓の風景などを見ることができるスクリーン施設が整っています。2階の展示室では、江華の国防体験や北韓の挑発、南北軍事力の比較、韓国の統一政策に関する展示を見ることができます。この他、終わることのない戦争と韓民族統一に向けた道のり、韓国戦争(1950~53年・休戦)当時の背景と国内外の戦争勃発過程、そしてその後の被害状況などを映像を通して見ることができる施設もあります。
北韓展望室からは前方約2.3キロメートルの北韓側の海岸に北から南へと注ぐ礼成江(イェソンガン)、開城(ケソン)工団、臨津江(イムジンガン)、漢江(ハンガン)が合流する地域、南韓側の金浦(キンポ)愛妓峰(エギボン)展望台、坡州(パジュ)烏頭山(オドゥサン)統一展望台、一山(イルサン)新市街地、中立地域であるナドゥル島予定地、北韓住民が暮らしている様子や宣伝用の偽装村、開城工団塔、松岳山(ソンアクサン)などを眺めることができます。

規模:敷地面積9,975平方メートル、延べ面積2,277平方メートル(地上4階建て・地下1階)

※民間人統制地域
非武装地帯の南端にある南方限界線を境に南側へ5キロメートルから20キロメートルの幅で設定された民間人統制区域。民間人出入統制線とも呼ばれます。
1953年の休戦以降、南北の間には軍事分界線が引かれ、その南北それぞれ2kmの幅に非武装地帯(DMZ)を設定、南韓側にはさらにそこから民間人統制地域を設定しています。

江華山城(강화산성)

江華山城(강화산성)

5.1 Km    12265     2020-03-16

仁川広域市 江華郡 江華邑 山3番地
+82-32-930-5464

江華山城(カンファサンソン)は高麗、高宗19(1232)年に江華島に遷都した後、蒙古に対抗するために土で建てた土城です。内城は首都移転と同時に取り壊され、朝鮮時代(1392-1910)初めに新たに土城として改築されました。以降、何度も破壊と改築があり、初期には土城として作られましたが朝鮮初期には石城として改築されました。
江華山城はもともと内城と外城がありましたが、現在残っているのは石で積み上げた内城だけです。城の周りは約1.2キロメートル、中城は周りが約9キロメートルの土城で8つの門が四方にありました。外城は江華の東側海峡に沿って作られた巨大な規模の土城でしたが、現在は残っていません。内城も1977年まで何度もの補修工事を経て今日に至りましたが、東側の城は復元できませんでした。
城の四大門としては、南門の晏波楼、西門の瞻華楼、東門の望漢楼、北門の鎭松楼がありますが、東門は今はありません。現在、西門には歴史的な錬武堂跡が残っています。ここは兵士たちが訓練していた所で、1876年日韓修好条規が締結された所でもあります。
江華山城は、城郭と周辺の景観が美しく調和し、散歩やドライブコースとして人気があります。

江華郷校(강화향교)

江華郷校(강화향교)

5.1 Km    24589     2020-12-23

仁川広域市 江華郡 江華邑 郷校キル 58

1127年(仁宗5)3月に賢儒の位牌を安置、位牌を祀り地方の人の教育のために高麗山の南方に郷校が建てられました。1232年(高宗19)に現在の甲串里に移されましたが、蒙古軍の侵攻により再び西島面に移されました。その後、江華郡へと移され、1624年(仁祖2)に江華留守(地方官)の沈悅が松岳山(現在の北山)の横に復元しました。1629年には江華府尹の李安訥(イ・アンヌル)が明倫堂を設立し、1688年(粛宗14)に留守の閔蓍重(ミン・シジュン)が 南門の近くに移しました。1731年(栄祖7)には、留守の兪拓基(ユ・チョッキ)が現在の位置に移し、1766年に留守の李溵(イ・ウン)が修復すると同時に小東門の外にあった碑石を現在の位置へ移しました。京畿道の文化財資料第72号に指定されており、大正殿、明倫堂の東廡、西廡、祭器庫、厨房などが現存しています。前面5間、側面3間の切妻屋根から成る大正殿には五聖、十八賢の位牌が安置されています。朝鮮時代には国家から田畑や労賃・典籍などの支給を受け、教官が教育を行いましたが、現在は教育は行われておらず、春や秋に釈奠、1日・15日に焼香を行い、1名の典校と数名の掌議が運営を行っています。

高麗宮趾(고려궁지)

高麗宮趾(고려궁지)

5.7 Km    39913     2021-06-01

仁川広域市 江華郡 江華邑 北門キル 42

「高麗宮趾(コリョグンジ)」は高麗が39年もの間、蒙古の侵略に粘り強く抗戦した宮闕の跡です。1232年高麗高宗は、江華島に都を移し、その2年後の1234年に宮闕と官衙の建物を完成させました。1270年に蒙古と和解をし開城に都を戻した後、宮闕と城廓は崩壞しました。
1637年、江華山城が清軍に陥落したため、高麗宮の跡地には朝鮮宮殿の建物などがあったが、1866年丙寅洋擾の時フランス軍に敗退し建物のほとんどが消失し、今は東軒と吏房庁だけが残っています。ここは1977年に補修が行われ、民族の自主精神と国難克服の歴史的教訓を実現する国民教育の場として活用されています。

江華石水門(강화 석수문)

江華石水門(강화 석수문)

5.7 Km    24098     2020-02-06

仁川広域市 江華郡 江華邑 菊花里
+82-32-930-4571

「江華石水門(カンファソクスムン)」は江華邑の中心部を流れる東洛川に設けられた江華山城の2つの水門のうちのひとつ(上水門)です。1709年~1711年に江華山城を造る際に設置されました。花崗岩造りで3つの虹模様をした虹霓門(アーチ型門)で、長さ18.2メートル、高さ2.7メートル、アーチの高さ1.7メートル、幅3メートルです。1910年まで甲串里東洛川河口の橋として使われていましたが、1977年には下水門の場所に移築、1993年には東洛川覆蓋工事のため元の上水門の場所に移転復元、最近になって西門に移され現在に至ります。

燕尾亭(연미정)

5.8 Km    25522     2022-08-30

インチョン広域市カンファ郡カンファ邑ウォルゴン里242

「燕尾亭(ヨンミジョン)」は1995年3月1日仁川広域市の有形文化財に指定されました。建てられた時期がいつなのかは不明で、壬辰倭乱、丙子胡乱、韓国戦争により破損した部分はこれまでに何度も修復が行われました。 臨津江と塩河江の形が燕の尻尾に似ているということから燕尾亭という名前が付けられ、月串墩台のてっぺんに建てられているため坡州市、金浦市、北韓の黄海道開豊郡一帯を見ることができます。
摩尼山、伝燈寺、普門寺と共に江華八景の1つであり、燕尾亭から見る月が美しいことで知られています。長い間燕尾亭は軍事保護区域に指定されており、一般の人の観覧は厳しく制限され、軍隊の許可がある人のみ出入りが可能でしたが、最近では身分証明書があれば一般の人も出入りが可能になりました。

大韓聖公会 江華聖堂(대한성공회 강화성당)

大韓聖公会 江華聖堂(대한성공회 강화성당)

5.8 Km    32280     2021-08-02

仁川広域市 江華郡 江華邑 官庁キル 27番キル 10

江華(カンファ)聖堂はコ・ヨハン(Charies Jone Corfe)初代主教により1900年に建立されたもので、聖ペトロとパウロ聖堂と命名されました。当時の建築工事は宮廷棟梁が率い、以後数回補修が行われましたが、現在も当初の姿そのままで保存されています。聖堂の建物は正方形(正面4間、側面10間)の重層構造で全体的な建築様式は韓国伝統様式に従っており、配置や内部構造は西洋式バシリカ建築様式を応用しながら調和と美しさ、土着精神を表しています。聖公会江華聖堂は当初1981年に京畿道地方有形文化財111号に指定されたのち、江華郡が仁川広域市に編入されたため仁川地方有形文化財に変更され、2001年1月に国家史跡424号に変更、指定されました。