済物浦倶楽部(제물포구락부) - エリア情報 - 韓国旅行情報

済物浦倶楽部(제물포구락부)

済物浦倶楽部(제물포구락부)

17.6 Km    26440     2023-11-06

インチョン広域市チュン区チャユゴンウォンナムロ25

近代文化交流の場「済物浦倶楽部」 
済物浦(チェムルポ)倶楽部の建物は開港期の仁川に居住していた米国・ドイツ・フランス・ロシアをはじめとする外国人や人数は少ないものの日本人・中国人らが親睦を深める社交場として1901年に建てられました。
煉瓦造り2階建てのブリキ屋根の建物で、内部には社交室・図書室・ビリヤード台などがあり、屋外にはテニスコートもありました。
1914年、外国人居住地域である各国租界が廃止されると、日本の在郷軍人会館、婦人会館、1945年の光復以降には在韓米軍がこの建物を利用していました。
1953年から1990年までは仁川市立博物館として、1990年から2006年までは仁川文化院として使われてきましたが、2007年、元々の済物浦倶楽部として再スタートしました。

済物浦倶楽部の名称
「済物浦倶楽部」の元々の名称は「済物浦クラブ」でした。しかしながら租界の制度が廃止され、「クラブ」が日本式の漢字表記「倶楽部」と表記するようになり、その名称がそのまま使われ今日に至っています。

仁川郵逓局(인천우체국)

仁川郵逓局(인천우체국)

17.7 Km    22086     2018-10-26

仁川広域市 中区 済物梁路 183

仁川郵逓局(現・仁川中洞郵逓局[郵便局])は仁川広域市中区港洞(ハンドン)にある日帝強占期の建物。1982年3月2日仁川広域市有形文化財第8号に指定されました。日帝強占期の1924年、郵便業務を担当するため建てられた近代式の建物で、当時の官庁としては大きな規模です。建設当時の名称は仁川郵便局でしたが、1949年8月に仁川郵逓局と改称しました。
この当時流行した折衷主義の建築様式を単純化した建物で、総面積1,787平方メートル(約540坪)です。正面入口は建物本体から張り出される形で造られ両側に大きな柱を配置、その正面玄関上部の建物本体2階部分からは柱の上部にある屋根などの上部建造物の重さを和らげ装飾が施されている柱頭がない数本の柱で建物を支えています。
当時、行政官庁の建物は上部にドームの形をした塔屋を造るのが一般的でしたが、この建物はこの部分を省略するなど平面構造や外観の細部が基本的な形式からやや外れています。
全体的な構造は煉瓦造りですが、床はコンクリートで施工されています。外部の仕上げは外壁の下部にのみ花崗岩を二段積みにしその上の部分にはモルタルで処理し石造の模様を表現しています。
韓国戦争(1950~1953年)当時の市街戦などにより一部が破損、屋根がスラブ材からスレート葺きに改修されるなどし1957年復旧工事が完了しました。

[事後免税店] adidas(アディダス)(아디다스)

17.8 Km    0     2024-04-30

インチョン広域市チュン区シンポロ26-3

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[事後免税店] GUESS・インチョンシンポ(仁川新浦)(게스 인천신포)

[事後免税店] GUESS・インチョンシンポ(仁川新浦)(게스 인천신포)

17.9 Km    0     2024-04-26

インチョン広域市チュン区シンポロ32-1

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[事後免税店] ナイキ・シンポ(新浦)本店(나이키_신포본점)

[事後免税店] ナイキ・シンポ(新浦)本店(나이키_신포본점)

17.9 Km    0     2024-04-30

インチョン広域市チュン区ネ洞97-1

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[事後免税店] le coq sportif(ルコックスポルティフ)(르꼬끄스포르티브)

18.0 Km    0     2024-04-30

インチョン広域市チュン区ケハンロ38-1

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[事後免税店] DISCOVERY(ディスカバリー)・シンポムンファ(新浦文化)(디스커버리 신포문화)

[事後免税店] DISCOVERY(ディスカバリー)・シンポムンファ(新浦文化)(디스커버리 신포문화)

18.0 Km    0     2024-04-24

インチョン広域市チュン区ケハンロ39

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Arabesque(아라베스크)

Arabesque(아라베스크)

18.0 Km    3299     2021-10-27

仁川広域市 中区 又玄路90-1
+82-32-764-0064

2003年、サハラテントという名で開店、2007年の移転と同時に「Arabesque(アラベスク)」に商号を変更し、インド・トルコ料理店としてスタートしました。現在はアラブ・インド・トルコ料理を提供しており、韓国人だけでなく、東南アジア系の留学生、アラブ(中東)のビジネスマンにもよく利用されています。

新浦国際市場(신포국제시장)

18.1 Km    21564     2023-01-12

仁川広域市 中区 又玄路49番キル11-5
+82-32-772-5812

新浦市場(シンポシジャン)は、19世紀末当初、この辺りに住んでいた日本人や中国人、西洋人を相手に高級野菜を売る場所としてスタートしました。1970年に正式に市場として登録され、現在140店舗ほどが集まっています。
韓国と中国を行き来するカーフェリーで仁川を訪れる観光客や外国人バイヤーの数が毎年大きく増加しているため、国際旅客ターミナルにほど近い新浦市場が国際バイヤー市場として造成されました。新浦市場内に案内所や国際バイヤーの支援センターを作り、新浦市場を訪れる国内外の小貿易商や観光客に貿易情報やショッピング・観光案内情報、通訳サービスなどを提供しています。
新浦市場の名物として、タッカンジョン(鶏のから揚げ甘辛ソースかけ)やエッグタルト、マンドゥ(餃子)、チョルミョン(ピリ辛冷製太麺)、肉泥ジャージャー麺、ニベのジョン(韓国風ピカタ)などがあります。

仁川内洞聖公会聖堂(인천내동성공회성당)

仁川内洞聖公会聖堂(인천내동성공회성당)

18.1 Km    25226     2020-08-12

仁川広域市 中区 開港路45番キル 21-32

英国海軍従軍神父C.J.コーフ(Charles John Corfe=韓国名・高要翰=コ・ヨハン)主教など宣教師6人は1890年9月29日仁川港にその第一歩を記し、朝鮮における宣教活動を開始しました。
この内洞(ネドン)聖公会聖堂の建物は翌年の1891年9月30日に竣工し、1902年一時、ロシア領事館として使われましたが、1904年からは聖公会神学院となり、1956年まで利用されました。
建設当時の建物は6・25戦争(韓国戦争=1950~1953年・休戦)中に焼失し、1956年6月23日に再建にこぎ着け、今日に至ります。
建物は屋根の木造トラスを除き、外壁や主な建築部材は花崗岩で強固に積み上げられた中世風の石造となっています。建物の一部には韓国の伝統的な木構造の軒様式を取り入れ、また窓や壁面部分が素晴らしい作りとなっています。